「ふうっ……」  
 磨き終えた風呂場の床を眺めつつ、ブラシ片手に金鞠天弓(かなまりあゆみ)は汗をぬぐった。
 この4月で高校生になる。が、身長は157に満たなく、同年代男子と比較してもかなり小柄な体躯。顔も幼さを残している。小学生がお手伝いしているといっても通じてしまいそうな景色だった。  

 ここは彼の母親が経営している共同住宅、百鬼夜荘。築五十年は経過しており、風呂トイレも共有。今時のシェアハウスなどという響きより、下宿所というのに近い趣の建物である。

 立地は金鞠(かなまり)家のすぐ裏にある為、彼も手すきの折には管理の手伝いをしていた。やった内容に応じて小遣いの額が変わるので励まないわけにはいかない。特に今月はお金が余分に欲しい事情もあった。
 とはいえ、共同浴場の掃除は気が重かった。  
 しかし、ピカピカになった浴槽、白いタイル床などを見るとやはり達成感が沸き起り、そんな思いは吹っ飛んでしまう。元来生真面目な働き者なのである。  

 空になったシャンプーも詰替え用のモノを入れて満タンにしたし、排水口の余計な毛などもきちんと取っ払った。
 「これでよしっと」  
 誰言うともなく呟いたつもりだったが、     
 「よくないわよ、もう」  
 突然背後から聞こえた声に驚いて振り返る。  
 「うわ、ナメ山さん。いつのまに?」  驚いて見返すとすぐ後に立っていたのは、住人の一人、ナメ山アンリだった。
 「あれ程掃除する前に一声かけてっていったのに~。勝手に綺麗にしちゃうなんて酷いわ~」  
 「え……。あ、いや。そうでしたっけ?」     
 「そうよ~、何度か言ってるでしょう。忘れたとは言わさないわよ~」
 言われてあゆみは答えに窮して立ち尽くしてしまう。そうこうしている内にアンリはスルリと更に身を寄せてきた。  

 そしてすぐ真後ろに立ち、腰を少し屈めて顔を寄せて来る。  
 「ちょっ、ナ、ナメ山さん?」
 若干浅黒いが質感は艶やかな肌が目の前に迫る。茶色く長い髪が揺れて毛先が頬に触れるのが感じられた。  
 「スマ子ちゃんはちゃんと舐めさせてくれるわよ。なのに、あんなに綺麗にしちゃうなんて」言ってプクッと頬を膨らませた。  
 「まあ、母さんはそうかもしれませんけど、その……」  
 何故に彼がここまで責めてられているのか説明が必要だろう。   
 この共同住宅は金鞠家の人々以外全員、妖怪が住む特殊な共同住宅なのである。
 そして、彼女はアカナメという妖怪だった。  特に、風呂場にたまった垢を舐めるのが大好きなのである。  
 だから、彼女は掃除前に風呂場を舐めさせてほしいと常々要望されているのである。     
 だが……  彼女が舐めた後には何かぬらぬらしたものが残る。  
 唾液とは違うらしい。人にはない彼女ら種族特有の分泌液のようだ。  
 それも母親に言わせると「アンリちゃんの舐めた後って、洗剤使うより綺麗になるのよ。便利ね~」   
 しかしながら、だ。彼女は人としての見目はかなり魅力的である。   
 むっちりたした豊満な体型。今の格好は黒のタンクトップにホットパンツと肌の露出が多い服装。思春期真っ只中の少年にはいささか刺激的過ぎた。   

 その彼女が口を付けて残ったモノと意識すると、健全なる男子にはちょっと荷が重い。  しかも、この液体。かなりいい匂いなのだ。超かぐわしい。  

 変なピンク的妄想をしそうになり、イカンイカン、この歳でそんな特殊性癖に目覚めたら楽しい青春時代を送れなくなるぞと自分を奮いたたせる努力が必要になってくる。

 そんな訳で彼女の舐めた後の掃除は苦手だったのだ。今日もそらっとぼけて先に済ませてしまおうと思い、昼前という早い時間から掃除にとりかかっていたのだが、
 「いや、あの。えっと、すみません」     
 「んふふ、いいのよ。もう終わった事だし。これ以上困らせてもまあ、しょうがないしね。お風呂については諦めることにするわ」  「は、はあ。そ、そうですか」
 その言葉にほっとする。が、なぜだか彼女はあゆみから離れようとはしない。
 「でも。その変わりに……舐めさせてね?」  
 「へ?」  
 何を?という言葉を待つこと無く、彼女は突然後ろに回り身をぴったりと寄せてきた。  そして、手を前に回しガッチリとホールドする。  

 「うわっちょっと、ナメ山さん?」思わず声を上げながら身をよじってみたものの、思いの他、力が強く抜け出せそうにない。
 豊満な彼女の肉体がぴったりとくっつき、否が応でも背中にそれを感じざるを得ない。  彼女の方はというと完全に獲物を狙う目になりながら、種族特有の長い舌をニュルンと伸ばした。  その大きさは一メートルにも達しようとしている。  
 「じょ、冗談ですよね」  
 「冗談じゃないわよ。久々の若い子だもの~。たっぷり堪能させてもらうわね。大丈夫、怖くないわ。私のテクニックって評判いいのよ。寧ろ癖になっちゃうかも」
 「は、はははは……。いや、ボクにはまだそれは早いかな」 乾いた声で返すのがやっとだが、彼女はお構いなし。
 「じゃあ、い・た・だ・き・ま・す」  もうだめだ。恐怖と、若干の期待に胸を高鳴らせつつ目をつぶる。
 すると、 「ふっ、相変わらず懲りないね。ちょっとおイタが過ぎるんじゃないかな」  凛とした声が風呂場に響きわたった。
 途端にビシッという音が耳を突く、同時に背中にひんやりとした感触がした。
 「うひゃ、ひゃっこい」 突然上がった声に驚いて振り向くとそこには氷漬けになったアンリの姿があった。  
 さらに風呂場の扉の前に眼を向けると同世代くらいの少女がこちらに向けて指を指して立っていた。