綾さんから、航太の状態を聞くと……。
 現在、40度近い高熱でうなされているらしい。
 しかし、飲み薬が苦手な航太は、自然治癒を望んでいる。

 何度言っても聞かないので、母親の綾さんは仕事に出かけるそうだ。
 高熱の息子を放置するなんて……。
 まあ俺が言える身分じゃないけど。
 
 綾さんがアパートの階段から降りようとした瞬間、手すりを掴んで立ち止まる。
 
「あ、黒崎さん。良かったら、家で航太の面倒を見てくれませんか?」
「え……俺がですか?」
「はい、航太は黒崎さんに懐いてますし。安心してお任せできるかなぁって」

 と悪びれる様子もなく、にこりと微笑む。
 この人、本当に我が子への関心がないんだな。
 航太の発熱は、俺とのコスプレが原因みたいものだけど。

「別にいいですけど……俺、何もできないっすよ?」
「あの子のお世話なんて、大したことないですってば~」

 そう言うと、鼻歌交じりで階段を降りていった。
 お仕事と言ってたが、本当は男と遊ぶのが目的だろうな。
 航太がかわいそう……。

  ※

 ”美咲(みさき)家”のドアの前に立つ。
 ちょっと緊張してきた……いつもは、航太が俺の家に来てくれるけど。
 俺からこの家へ訪問したことは無い。

 一体、どんな生活をしているのだろう……と思っていたら、扉の向こうからうめき声が聞こえてきた。
 きっと航太だろう。
 ゆっくりドアノブを回してみたら、すぐに扉が開いてしまった。
 鍵をかけてないのか……不用心だな。

 当然なのだが、玄関に入って見ると、俺ん家とまったく同じ間取りだった。
 まあ違うところと言えば、匂いかな。
 甘ったるい香りが漂っている。きっと母親の綾さんの香水だろう。
 あと、床になにも物が置かれていない。ピカピカに磨き上げている。

 ダイニングキッチンを通り過ぎると、和室が目に入る。
 左手に小さなテレビ、右手の壁側にシングルベッドが置かれていた。
 枕が二つ並んでいる……。まさか綾さん、航太と一緒に寝ているのか!?
 そんなことを想像していたら、腹が立ってきた。右手に拳を作ってしまうほど。

「うう……」

 しかし、航太のうめき声で、そんな苛立ちはかき消される。
 必死にかけ布団で身体を包み、小さな身体を震わせていた。
 額に”熱さまシート”をつけているが、効果はないようだ。

「航太! 大丈夫か?」

 すぐさま、ベッドにかけつけて彼の右手を掴む。
 触っただけで分かる、高熱だ。

 俺の声に気がついた彼が、うっすらと瞼を開いてみせる。

「お、おっさん……どうして」
「それは……綾さんから頼まれたからだ。俺がいるから心配するな」
「なにも出来ないくせに……」

 強がってはいるが、かなり苦しそうだ。
 息づかいが荒いし顔色も悪い。

「そうだけど……この前のこと、気になってたし……」

 元カノの未来を家に入れたこと。
 それを航太に見られたから、ずっと罪悪感を感じていた。
 傷つけたんじゃないかって……。
 あれ? なぜ俺がそんなことを考えないといけないんだ?


「へへ、おっさん。やっぱりコスプレは、オレの方が良いんだろ?」

 といじわるそうに笑う、航太。
 高熱のくせして……。
 
「ま、まあ……コスプレの件は体型的にも、お前ぐらいしか任せられない。未来、元カノじゃ無理だ」
「だよな~ おっさんもあんな豚女のことなんて……あいたっ!」

 突然、頭を手で押さえて顔を歪める。
 頭痛が酷いようだ。
 
 彼のために、何かをしてあげたいが、俺じゃやり方がわからない。
 精々が氷枕……いや、ドラッグストアにでも行って、薬を買うべきか?
 でも、航太は飲み薬が苦手だったな。
 ひとりで顎に手をやり、考えこんでいると。ベッドから航太が苦しそうに俺を呼ぶ。

「おっさんさ……冷蔵庫の中に、薬が入っているんだけど。持ってきてくれない?」
「え? お前の薬があるのか?」
「うん……小児科でもらったから、あんまり使いたくなくて……」

 と視線を逸らす。
 一体、なにが恥ずかしいんだ? それに小児科って、中学生でも通えるのか?
 しかし、飲み薬ではないのだろう。
 彼の状態が少しでも良くなるなら、使うべきだ。

 俺は急いで、ダイニングキッチンへ向かい、小さな冷蔵庫を見つける。
 シングル用の一つ扉のタイプだ。
 ドアを開くと中は、一面キラキラと輝くビール缶で埋め尽くされていた。

「綾さんだな……」

 視線を変えて、右側に目をやると。
 トレーの中に白い薬袋が、何枚か並べてある。
 そこには航太の名前が書かれていた。

「これか」

 彼が言った通り、小児科の名前が下に書いてある。
 一応、間違えのないように薬を調べてみよう。

『解熱剤 ざやくタイプ』

 まさか……これを使うのか?