その晩、瑛士はなかなか寝付けなかった。

 会議室にいすを並べ、その上にごろりと横になって薄暗い天井をじっとにらみながらシアンのことを考えていた。そもそもスマホで攻撃ができるのも謎だったが、戦車たちを一瞬で吹き飛ばした圧倒的な破壊力はもはや異次元のレベルで、言葉にできない。

 ふぅと大きくため息をつくと、近くでスカースカーと幸せそうな寝息を立てて爆睡しているシアンをじっと見つめた。

 月明かりの中、白く透き通った美しい肌、綺麗にカールする長いまつげ、そしてぷっくりとしたまるで果物のような唇。こんな美しい少女が恐るべき謎の力を発揮している。しかし、彼女が一体どこから来て、なぜ自分についてきてくれるのかは、よく分からない。ただ一つ彼女から語られることは『壊すのだぁい好き』という破壊衝動だけ。

 瑛士は思わず首を振って顔を両手で覆った。

 レジスタンス活動はもはや風前の灯火、今は彼女の気まぐれに期待するしかない状況にまで追い込まれている。

 ギリギリのがけっぷちに現れた天使のようなシアン、それはまるで奇跡のように思えた。どんなに謎でも今は彼女の力に頼る以外ない。明日、風の塔まで行って憎きクォンタムタワーを打ち倒すのだ。人間を支配する象徴であるあの巨塔を打ち倒せばまた新たな世界が開けるに違いない。

 だが、いつまでも彼女の善意に頼り続けるわけにもいかなかった。何とかして自分もスマホで敵を倒せるようになっておきたい。シアンは深呼吸をするだけで使えるようになると言っていたがあれは一体どういうことなのだろうか?

 瑛士はもう一度深呼吸をやってみようと思いつく。

 すぅー……ふぅーー……。
 すぅー……ふぅーー……。

 薄暗い天井を見ながらゆっくりと深呼吸を繰り返す瑛士。

 しかし、いくらやっても何も変わらない。

 それはそうだ。呼吸法を変えたぐらいでは何も変わる訳がないのだ。

 諦めたその時だった――――。

 すぅっと急に落ちていく感覚に襲われた。

 えっ……?

 瑛士はポワポワとした気分になり、感覚が異常に鋭敏になっていることに気づいた。見えないはずのシアンの可愛い寝顔も外を歩く猫のしぐさもなぜかわかってしまう。

 こ、これは……?

 気がつくと身体がフワフワと宙に浮いている。

 え……?

 身体はそのまま天井を突き抜け、月夜の空へと浮き上がった。

 何が起こったのかと、瑛士はあたふたと周囲を見渡す。足元には月夜に照らされた瓦礫だらけの死の大地が広がり、その向こうの東京湾には巨大なクォンタムタワーが輝いていた。

 おぉぉぉぉ……。

 その巨大な塔は、闇を切り裂くような青白い光を放ち、全人類にその圧倒的な存在感を示していた。まるで天空から地上を見下ろす神々のように、その姿は威厳に満ち、人々に畏敬の念を呼び起こさせている。

 瑛士にとってこの塔は最愛の両親を奪った邪悪な力の象徴でもあった。彼の心の中で、この塔への憎しみは日々増すばかりだったが、同時に何もできない無力な自分を呪わざるを得ない忌々しい存在なのだ。

 だが、なぜか今、瑛士の目には巨塔はショボいただの建物に映る。それこそ本気を出せば簡単に打ち倒せるような気すらしてくるのだった。

 なるほど、シアンがひねり出してる力もこれと同じ原理に違いない。

 ぶっ倒してやるよ!

 瑛士はタワーに向かって飛ぼうとした……が、どうにも思い通りに飛んでくれない。

 そ、そっちじゃないって!

 まるで風に流されるように関係ない方向へとフワフワと飛んで行ってしまう。

 そうじゃなくって、こっちだよ!

 瑛士は思いっきり身体をひねった。

 その瞬間、ふわっと体が浮いた感触があり、直後、激しい衝撃が体を襲った。

 ぐはぁ!

 気がつくと瑛士は床に転がっていた。

 え……、あれ……?

 瑛士はゆっくりと身体を起こした。そこは寝ていた会議室で、すでに外は明るくなっている。どうやら寝ぼけて椅子から落ちてしまったようだった。

「何落ちてんの? きゃははは!」

 とっくに起きて缶詰を食べていたシアンは瑛士を指さして笑った。

 ゆ、夢だったか……。

 瑛士は頭をボリボリと掻いて深いため息をついた。

「タワー倒すんでしょ? 早く食べて!」

 シアンはそう言いながら焚火で沸かしたお茶を瑛士のカップに注いだ。

「そ、そうだね。ありがとう」

 瑛士はカップを受け取ってお茶をすすった。

「着替えてくるから見ちゃダメよ?」

 シアンは上目づかいで碧い瞳を輝かせ、席を立つ。

 瑛士は軽くうなずいた。

 去り際、シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべながら耳元でささやく。

「飛び方にはコツがあるんだよ」

 へ……?

 寝ぼけまなこの瑛士は何を言われたのかすぐに理解できず、ポカンとして、軽快な足取りでドアの向こうに去り行くシアンをボーっと見つめていた。