一 一歩とたりとも触れない
 二 余命を口外しない
 三 引き止めない

「私はこれくらいでしょうか」
「分かった。引き止めないって一年後の?」
「はい」
「それは心配しないでくれ。君が納得しているなら俺は賛成派だし、深く訊くつもりない。じゃ次は俺の番」

 彼も成約書を開いた。

 一 俺に触れない俺の詮索なし
 二 願いは全力で叶える
 三 最後は笑顔で

 願いって。
 会ったばかりなのに、なぜ彼は全力で私にぶつかってくるの? 昔に私が何かした覚えはない。それとも、余命を阻止するつもりで? ヒーロー気取ってるとか!

「書かなくたって触れませんよ。詮索もありません。言っておきますが私の考えを変えようとするなら、直ぐに離れますからね」
「女子って何かとタッチしてくるじゃん。あれ嫌なんだよね。だから俺も玲衣が嫌がる事はしないから」
「私もしませんから安心して下さい」
「あははは、冷たいね玲衣は」

 玲衣ね。
 なんか違和感があるんだよね。

「すみませんが下の名で言われるのはちょっと」
「嫌?」
「嫌とかではないと思うのですが」
「あーね、慣れていないんだよ。嫌でないなら続行するけど、どうする?」

 ぐいぐい来られる。でも拒否するような事なのかが微妙。彼の言う通り慣れていなだけなのかも。

「俺は苗字以外ならなんでも。玲衣は、ちゃんでも付ける?」
「どうぞお好きに。きっとちゃんが付いていようが無かろうが、不慣れは変わらなさそうなので」
「了解。じゃ俺と玲衣の成約は成立って事で良いかな」
「はい。良いです」

 ボールペンで互いの苗字を書いた。連絡先も交換した。さっそく明日会う約束もした。


「玲衣、終わった?」
「本当に朝から会うとは」

 いつものようにお供えとお掃除を終えたところだった。

「なんだ、玲衣が寂しいかと思って朝にしたのになー」
「そうですか。夕方にはここに戻って来ないとです」
「あははは、相変わらず流しますな」

 今日の彼はネイビーのシャツに白いパンツ姿。前髪は横に流して耳にかけていた。
 ツンと出た鼻先が真横の顔をすっきりさせている。肌も綺麗だし、毛穴がない。ケアーしていそう。

「うん? どうした、俺の顔に付いてる?」

 男性を近くで見ないせいか抗体ができていない証が現れてしまった。物珍しい眼になっていたはず。

「いえ、付いてません。ただ」
「ただ?」

 ただ? の次なんて考えてもない。口から勝手に出てしまった。
 
「もしかして、俺を」

  私を覗き込む彼の眼とあってしまい雷に打たれたような衝撃に顔を上げた。

「ただ! 今から何を考えているのかと思っただけです」
「そっか。今日は散歩だよ」
「散歩後、解散ですか?」
「そうなるかな」

 なんだ良かった。ちょっと安心した。

「でもただの散歩じゃないんだな」
「え? 意味深ですね」

 横顔の彼は凛としているけれど企む笑みが口に現れている。

「なあ、玲衣。この道には行き止まりがあるんだ。そこをゴールとして、到着するまで玲衣を攻めてもいい?」
「せっ攻める!」

 さっきよもニタつきが増しているような。

「そう。質問攻め。無言は無し。必ず答えること」

 脅かさないでほしい。表情が態とらしいから勘違いしてしまうから。

「質問ですね」
「その顔、もしかして如何わしいとでも思った?」
「思ってませんから」

 そっちが変な顔するから、ああなってこうなったんじゃんか。
 先が見えない道は広めの土手。ここを歩いた事はないけれど、ゴールは海につながっているのは知っている。

「玲衣は夢とかあった?」
「ありませんね」
「即答だね」
「なかったので」
「じゃ、残りの一年で何かをやり遂げなければならないとお告げがあったら、何する?」
「そうですね、定番をやってみたいです」
「定番って?」
「夏祭りに行くとか海に行くとか秋は芋焼いたり、冬は雪だるま作って炬燵にプリン。春は花見したり」
「ふーん、なるほどね。玲衣はできてないんだな」
「誘われる、と言いますか誘う友達がいませんので私には縁がありせんでした」
「友達か。いじめでも経験した?」
「こうゆう事を直球に訊いてくるんですね。虐めではないと思います。私が人払してしまう雰囲気を持っているので入学式から誰も寄り付きませんでした」
「あはは、オーラー的な。まあ人の運が悪かっただけだろ。どっちかと言うと玲衣は可愛いくない方だよな?」
「はぁ? 急に言いますか」
「いや、美人って言われた事ない?」
「わわわ私が? ないです」

 あるわけないよ。全力で首を振った。

「玲衣は可愛いくない。玲衣は美人なんだよ。俺はそう見えた。美人ってある意味、不利でさ。ギャップを持ってないと、敵を作りやすいよ。気苦労が絶えないかもね」
「ギャップ?」
「そう。クールなオーラーがあるからさ、先ずは自分から行動を仕掛けて、話し掛けやすい雰囲気を自分で作る。例えば美人だけど気さくで笑い上戸とか、後は崩すとかね」
「笑う……ですか。崩したくないから笑わない訳ではありませんが」

 一番苦手。そもそも面白いが分からない。

「大丈夫、俺が笑わせてやるから。一年もあれば一回は笑うって」
「あ、はい」

 他愛もない質問が続いた。好きな色から始まり、プロフィールに書かれているよな質問ばかりだった。
 歩き始めて三十分経った頃、ようやく質問攻めは終わった。

「玲衣はさ、歩いているようで歩いてないよな」
「どう言う意味ですか?」
「じゃ今、相当な距離だったけど疲れなかった? 俺は今にでも影に入って地面に大の字になって炭酸が飲みたい。でも玲衣はクーラーガンガンの車で来ましたが何か? 状態だ」
「一緒に歩いて来ましたよね」
「自分をさらけ出しなよ。玲衣は気づかない内に無心の玲衣ってゆう人形に入っているんだ。だから崩れない、無表情、無愛想イコール近づけない雰囲気というか高嶺の花を纏ってるんだって」

 なんでそこまで言われなきゃならないの。最後は感情も存在も無くなるのは分かってるけど、その前に傷つけられて終わりたくない。

「帰ります」
「そっか、良いよ。じゃまたね」

 呆気ない別れだった。
 同じ道を速度を落として歩いた。
 考えたくないの彼の言葉が耳鳴りのように響いてくる。
 きっと心当たりがあったから、だから答えられず逃げるように帰って来てしまった。

 小学生の頃までは友達は私にもいた。
 ある日をきっかけに私は殻に閉じ籠った。

 小学五年生の頃、公園で幼稚園生の弟と遊んでいた時、おやつの飴玉を落としてしまった弟。コンクリートだったし、ふうふうすれば大丈夫だと思って私は口に入れた。汚れてもいなかったし、勿体無いから何気ない行動だった。
 それを同級生の男子が見ていた。翌日には拾い食いの玲衣ちゃんとちゃかされた。
 その後は拾い食いの玲衣ちゃんに追加され、気持ち悪い、臭い、そして友達が消えた。

「その時からだよね。私は玲衣ちゃん人形に入ってしまったんだよ」

 灼熱でも雪女のような顔して、極寒でさえも。
 賛成も否定も、もちろん意見だって持たなくなった。
声を失ったと言って良いかな。
 昨日会ったばかりの肇さんに気付かれてしまうなら、他でも私のダメなところに気づかれているかもしれない。そもそもダメなところに今になって知るとはね。
 これじゃ恥ずかしい私を自ら放出じゃん? 
 
 一年だし……気にしたって…

 そうだよね、残り一年なんだから羞恥心に取り憑かれたって気にするのはおかしい。それならがむしゃらに恥をかいてみたい。できる事をやってみたいかも?
 どうせなら違う私を見てみたいな。

 ポケットに入ったiPhoneを取り出して、肇さんに文字を打った。

(人形から出てみたいです)

 直ぐに既読になった。

(了解)