俺はただ、純粋な驚きを持っていた。

「私、怪異が見えるみたいなんだ。ごめんね、黙ってて。ずっと隠してた。」
「え…俺の声が聞こえるってのか?」
「うん。ジンさんでしょ?」

 心底驚いてしまう。七海さんはしっかりとジンの目を見ていた。

「結び霊は?」
「まだいないの。誰なんだろうね〜。」
「俺のことは、呼び捨てでいいぞ。堅苦しいことは好まないからな!」
「ほんと?ありがとう。」

 ジンはすぐに受け止めたみたいだが、俺はまだ混乱していた。
 
「それでね。凪くん。」
「ふはっ!凪くんだってよ!こいつなんて呼び捨てでいいのに。」
「うるさい。」
「…私の家は巫女の家系だったみたいで、女子に見える子が多かったみたい。って言っても、家にいる人の中で見えるのは私だけなんだけどね。」
「…で?」

 あ、とまた思う。また「で?」と要件を聞いてしまった。どうしても、なるべく話したくない欲が出てしまう。会話をスマートに行いたい気持ちが出てしまうのだ。
 七海さんは、少し戸惑ってから、自身の髪を触った。人差し指にくるくると巻きつけては解くことを繰り返す。
 口はパクパクして、まるで金魚のようだった。

「そ、それでっ。…友達になれないかなって…。」
「あ?友達?どうするよナギ。こいつ、ダチになりてえっつってんぞ。」
「…な…なんで…?」

 普通に疑問が湧く。なんで俺と?
 クラスの底辺に属する俺と、どうして友達になりたいのだろうか。偽善?いや、だとしても意味が分からない。
 七海さんは頬を赤らめて俯いた。髪で顔が隠れる。

「だって…また前みたいに…なりたいから…。」

 前?前になんかしたか?思い出そうとするが無理だった。
 覚えていそうなジンに視線を送ると、ジンは驚いたような目で交互に俺と七海さんを見ていた。

「お、お前…!お前っ…!…ナギ、やったなあああ!」
「は?」
「だって、前みたいな関係だろ?うわ〜マジかー!熱いねー!」
「え…?いや分かんねえ。どういうこと?」

 ジンにバシバシと肩を叩かれながら、必死に思い出そうとする。いや、覚えてないから思い出せない。
 七海さんも、何やら話題が食い違ってるらしく、きょとんとしている。

「え?だってお前ら4歳くらいの頃、あんなこと言ってたじゃねえかよー!」
「ど、どんなこと?覚えてないんだけど…。」
「いや、ネネが「わたし、将来はナギくんのお嫁さんになるのー!」って言ってて、ナギもOKしてたじゃねえかよ!」
「「…はああああああ!?」」

 ハモりながら同時に立ち上がった。いや、最近の中で1番声出たな…。
 そして、『は!?そういうことなの!?』と、七海さんを見ると、七海さんは赤くなってたフルフルと震えていた。

「ち、違うんだけど…!」
「あれ?そうなのか?」
「た、確かにそういうことはあったけど…私が言ってるのは、仲良くしたいってだけで…!」
「なんだー。ナギ、ドンマイ。そういう日もあるよなっ。」
「なんで俺がフラれたみたいになってんの?」
「…だから…えっと…七海さんって、呼ばないでいいから…。」
「えっ…。」
「前みたいに、「ねねちゃん」とか呼んでほしい…。」
「いいご身分だな〜ナギさんよぉ〜。ほら、呼んでやんなよ。」
「いや…その…ええと…。……ごめん。ちょっと恥ずい…。」

 いや、流石に寧々ちゃんは呼べない。恥ずかしすぎて爆死する。いや本当に変な汗をかいている。七海さんは少し悲しそうな顔をして、猫背になってしまった。
 俺にしては珍しく空気を読んで、別の呼び方を考える。
 ジンは、気まずい空気になった場を和ませようとくだらないギャグを言ってみた。やめてくれ、ただでさえ低い空気が氷点下に達した。

「…七海…でいい…?」

 色々考えた挙句、結局苗字を呼び捨てで呼んだ。七海は丸い瞳をこちらに向ける。
 
「うん…!」

 大きく分かりやすく頷いた。そこで初めて、薄っぺらいと感じない笑顔を咲かせた。本物の笑顔は眩しくて、俺なんかでは目にも入れられないものだった。

「…アオハルしてんな〜。」
「うるせえ。」
「ふふっ、仲良いんだね。」
「そういうわけじゃ…。…俺らなんて悪縁だし。」
「はあ!?俺の縁って悪いものだったのかよ!」
「え…じゃあなに?…しがらみ?腐れ縁?」
「いや全部悪いやつだな!」

 なんて俺とジンがコントを披露していると、七海はもっと笑ってくれた。ジンのツッコミが、こんなところで役立つなんて思いもしなかった。
 七海はそのあと、軽やかな足取りで帰って行った。リュックが嬉しそうに飛び跳ねている。とりあえずほっとしてしまった。
 さっきのことをジンにいじられながら、俺もそろそろ帰るかと思った時、ジンが急に黙った。
 ジンが黙ったということは…そういうことだ。

 花壇の前で、幼い子供が座っている。全く気づかなかった。
 おかっぱの女の子で、シクシクと泣いている。

「ねえ、大丈夫?」
「…だれもあそんでくれないの。」

 あ、このパターンか。なるほどな、と一人合点をして、罠に飛び込んでみる。
 心のない、罠発動の合言葉。

「じゃあ、俺が一緒に遊んであげるよ。」
「ほんと?…うれしい。」

 あーあ。やっぱりな。振り向いた女の子の目は血走っており、顔面は蒼白で殴られたような跡が無数についていた。
 ケタケタと笑って、首を本来できないはずの真後ろに回す。
 これは人間の女児ではない。暴走状態に陥った怪異だ。

「…ジン、やれ。」

 ジンも慣れたように、怪異を蹴り上げた。うっと声を漏らして怪異は花壇の上にうずくまる。背中に手を当て、ジンは目を瞑る。微風が吹いた頃、その怪異はボロボロと崩れて塵となった。
 ジン曰く、背中に手を当てて、心臓周辺にあるコアを探っているらしい。そしてそいつを握り潰すと怪異は崩れ果てるのだとか。
 暴走状態に陥った怪異は、なにをするか分からない。今回のタイプだったら、多分同じように首を捻りちぎられていただろう。子供だろうと容赦はできない。

 ジンと俺はまたくだらない話をしながら、家についた。
 引っ越す前はまあまあなマンションに住んでいたのだが、引っ越した後からは安いアパートだ。2階の右から2番目の部屋。
 いつも通りドアを開けると、母さんの靴があった。でも、また寝ているようだ。
 俺の両親は離婚した。小学3年生の頃だ。だから母と俺は引っ越して、ここに住んでいる。
 母さんは、今、なんの仕事をしているのか知らない。以前はデザイン会社に属していたが、今は夜に働きに出ている。ということは、あのデザイン会社は退社したようだ。まあ、するだろうなとは思っていた。父さんはそこで働いているのだから。
 いつものように食費が食卓に置かれていた。それを取って、財布の中にしまう。

「相変わらず昼間は寝てんな。」
「忙しいんでしょ。」

 部屋に戻って着替えて、ベッドにもたれる。七海の笑顔を思い出す。あの特徴のない顔は、七変化しやすい顔だ。笑うと子供っぽく、こちらをじっと見つめると大人っぽくも見える。

「…寧々のこと考えてんのかぁ?気にすんなって。」
「だから、なんで俺がフラれたみたいになってんだよ…。」

 少なくとも寂しくはない。ジンがいるから。
 こういう面を考えれば、見えてよかったと思う。
 悪縁だが、それも気に入っていた。
 スマホを取り出して、あ、と呟く。そういえば七海と連絡先を交換していない。まあ、いいか。七海が言ったら交換すればいい。
 どこまで行っても、人とのコミュニケーションは最小にとどめたいのだ。怪異とのコミュニケーションはあってもいいと思うが。

「ナギ、数学のワークはいいのか?もうすぐで小テストだろ。」
「…お前は母親か。」
「ははっ、本物の母親がいるってのになに言ってんだよ。」
「あ〜…めんどくせえ。ワークも、ジンも。」
「まあな〜。」
「…褒めてない。」
「あれ?そうなのか?」