中学に入ってからも、私は自分自身でいることが怖くて、外では取り繕っていた。人並みに身なりに気を使って、一人にならないように、愛想笑いを浮かべて相槌を打つ。そうしていれば、自然とどこかにはいられるから。
でも、私の本当の居場所は、中学に入った時に買ってもらったスマホのネット。ネットには、本心を書き込める。

『はあ、もう全部やめちゃいたい』
それが本音だった。

今日も学校から帰るとTwitterを開く。私と同じようなアカウントばかりフォローしてるので、同じようなツイートばかり表示される。
『学校行きたくないな』
『数学の先生が怖くて発言できない』
『もう限界!!!許せないあいつ』
スクロールしていくと

『死にたい』

やっぱり。今日もある。生き辛さを感じている人が最終的に辿り着く言葉。それが、死だ。死ねば、罪からも未来の枷からも逃れられる。幸せ以外の何物でもない。ただ、痛みと苦しみ、そして今あるもの全てを失うことになる。それは不幸な人にとっては不幸だろう。

このツイートをした人が、死なないことを私は知っている。

2日前もこの子……天使ちゃんは同じツイートをしていた。でも、まだ生きてる。死にたいは、死ぬわけじゃない。幸せになりたいってこと。私はそう思ってる。罪から、枷からどうにか逃げたい。けど逃げ場がない。だから、死って言葉に縋るしかないんだ。
実行できもしないのに。
…私と同じなんだ。

私も、全部無くしてしまいたいのに、
死ぬ勇気は無い。
ただ、縋っているだけ。

だから、同じように呟くのだ。

『もう死んじゃおうかな』

すると、

『死なないで、私がいるよ』
『大丈夫?話なら聞くよ』

と言葉が届く。私を知らない、私も知らない誰かからの純粋か悪意かも分からない言葉。本当の私を知らないくせに、よく言うよ。
でも、リプが来ると、私を見ていてくれる人がいるんだなってちょっと安心する。
私に死んで欲しくないって思ってくれてる。
嘘でもいい、言葉としてそれを受け取れるから。
あくまで、ネットの関係だけど、
本音に反応をくれるこの世界が好きだ。