いつもの、柔らかな口調に戻った母上に僕は言葉を返すことができなかった。
 顔を伏せたまま、衣擦れの音や足音が遠ざかっていくのを聞いて、母上が離れていく様子を知る。


「……都」

「はい……?」


 静まりかえった部屋に、裏庭の草木がさざめく音が響く。
 名前を呼ばれて顔を上げると、兄上は僕に向かって口を開いた。


奏瀬(かなせ)は、“想い”を昇華する。それ故に、お前の儀式に対する恐れも、やろうと思えば簡単に消し去ってしまえる」

「……はい」

「だが、俺も父上もお前の恐れを昇華しようとは思わない。……お前自身も、そうしようとしなかったからこそ、今も恐れを抱えているのだろう」


 目を伏せる兄上が、何を言おうとしているのか想像もつかない。
 今まで、僕は罪の意識があって兄上を避けていたから、あの時に関する話をする機会もなかった。

 思えば、あの日以来初めてだ。
 こうやって、きちんと話をするのは。


「お前は未熟だ。だが……ちゃんと教えを守って、己の“想い”から逃げずにいる。……失敗を忘れるな。恐れに立ち向かえ。今まで泣かなかった(・・・・・・)お前なら、乗り越えられる」

「……! 兄上……」

「夕飯まで、まだ時間がある。父上も今はお疲れだろう。お前は部屋に戻って休め」

「……はい。失礼致します」


 兄上のお言葉が、胸にじんと染みこむ。
 頭を下げて、隣の自室に戻った僕は、1人、部屋の中央で正座しながら昔のことを思い出した。


『どうした、(みやこ)。こんな庭の隅でうずくまって。もうすぐ夕飯の時間だぞ』

『兄上……何でもありません。夕飯は、あとでいただきます』

『それでは、母上が心配なさるぞ。何でもないというなら、顔を上げろ』

『! それは……』


 いつのことだったか、裏庭の隅で小さくなって座っていた僕のところに、兄上がやってきたことがある。


『――友達と喧嘩をしたのか。酷いことを言ったから、後悔しているのか?』

『……はい。カッとなって、言いすぎてしまって……でも、あいつも悪いんです! 次はぼくの番だったのに、いつまでたってもボールを渡してくれないから』