小さく呟いて、気合いを入れる。
 着替えるために一度閉めた障子を開けて、縁側から隣の部屋へ移動した。


「失礼します。兄上、お時間よろしいでしょうか」

「あぁ。入れ」


 部屋の奥の机に向かっていた兄上は、ちらりと振り向いて淡々と応える。
 許可を得て僕が室内に入る間に、兄上も体を縁側へと向けて座り直した。

 僕に精悍さを足した顔、とよく言われる兄上の姿は、1年前と変わらず……否、少し疲れが溜まっているように見える。
 より仕事が忙しくなっているようだと思いながら、僕は口を開いた。


「お久しぶりです。お変わりありませんか?」

「問題ない。お前は少し痩せたようだな」

「そう、でしょうか。僕も外で働くようになったので……」

「食事は摂っているのか?」

「はい。三食摂っております」


 本家にいた頃と比べると質素な食事ではあるから、そのせいで痩せたのかもしれない。
 自分では変わらないと思っていたから、少々驚きだ。

 挨拶がてらそのような世間話をいくつかした後、兄上に促されて本題に入る。


「それで、どんな話をしに来たんだ?」

「はい。昨日“引き受け屋”に依頼しに行った柿原(かきはら)という名の男のことで……兄上に考え直していただきたく参りました」

「……」


 無表情であった兄上が目を細める。
 少なくとも、快く思われていないのは確かなようだ。


「柿原から聞きました。兄上は、柿原が僕の学友であるから依頼を断ったと」

「あぁ」

「……まずは訂正させてください。柿原とは同じ大学に通う生徒同士ではありますが、交流は全くありません。たまたま大学内で顔を合わせる機会があり、“引き受け屋”のことで悩んでいたため合い言葉を教えただけの関係です」

「そうか」


 兄上の表情は変わらない。
 痛む胸に、当然だと言い聞かせて頭を下げた。


「兄上が僕を嫌うのは、自業自得であると受け止めています。ですが、柿原は僕の学友などではありません。彼が妹を救いたいと想う気持ちは本物です。どうか、依頼を受けてやってください」

「……お前は、俺がそのような私情で依頼を断ったと、本気で思っているのか?」

「普段の兄上なら、そのようなことはなさらないでしょう。僕は、それを覆すほど兄上に嫌われていたから――」

「嫌いなどという感情で俺が依頼を断ることはない。彼の依頼を断ったのは、お前に次期当主としての自覚を持たせるためだ」

「――……え……?」


 思いも寄らぬ言葉に、ぽかんと口を開けて固まる。
 思わず顔を上げると、兄上は冷静沈着ないつもの表情で僕を見つめていた。

 依頼を断ったのは、僕に次期当主としての自覚を持たせるため……?


「お前が、逃げてきた“引き受け屋”を紹介するほど、彼の想いに心を動かされたのだろう? だったら、良い機会だ。(みやこ)。彼の依頼は、お前が受けろ」