窓を開ければ、暑さが混じり始めた温い風が吹き入る。青い空には白い雲が気ままに浮いていた。


「忘れ物はない? (おう)ちゃん、(ぱく)ちゃん」

「……うん」

「ない、よ……」


 稜市(りょういち)が振り返ると、2人は元気をなくした様子で答える。
 稜市は両手を使って蘭桜(らんおう)蘭朴(らんぱく)の頭を撫でた。

 それからまもなく、ピンポーンとチャイムが鳴って、稜市は玄関に向かう。


「はぁい。お帰り、静蘭(せいら)さん」

「ただいま。ありがとう、お兄ちゃん。桜ちゃんと朴ちゃんは元気だった?」

「うん、元気いっぱいだったよ。……おいで、お母さんがお迎えに来たよ」

「「……」」


 稜市の呼びかけに応えるように、蘭桜と蘭朴は俯いたまま歩く。
 アパートの廊下に立つ静蘭は、目を柔らかく細めて、2人の名前を呼んだ。


「桜ちゃん、朴ちゃん」

「……うわああん! やだー! かえりたくないよー!」

「ママ……(りょう)くんも、いっしょがいい……」

「あらら……随分好かれちゃったみたいだねぇ」


 呑気にそうコメントする稜市の服は、蘭桜と蘭朴によってがっちり掴まれていた。
 2人の目にはうるうると涙が浮かんでおり、静蘭は「あらあら」と頬に手を添える。


「それじゃあ近くにお引っ越ししましょうか」

「ほんとにっ!?」

「ほんと……?」

「ええ……学校はどうするの」

「反対側に引っ越すだけだから、転校はしなくていいのよ」


 おっとり微笑んで言った静蘭に対し、稜市はパチパチと瞬きをした。


「反対側……ここら辺に住んでたの?」

永末(ながまつ)小学校の学区内よ?」

「それでよく連絡してこなかったねぇ……」


 半目になった稜市の足下で、2人の少女は「わーい!」と両手を上げて笑顔を見せる。
 その姿にもう憂いはなかった。 と、その時、隣室の扉がカチャ、と開く。


「おやおや……もうお迎えかい?」

樋向(ひむかい)さん、こんにちは。そうなんですよ、これから帰るところで」

「そうかい、寂しくなるねぇ。ここ数日は賑やかでよかった……儂も娘の誘いに乗って、孫と暮らしてみようかと思ったよ」

「あぁ、いいですねぇ。子供は元気ですから」


 ほのぼのと雑談をして、老人は「これから病院なんだ」と先に階段を降りていった。
 稜市と、ついでに静蘭、蘭桜、蘭朴が手を振って老人を見送ると、こちらも別れの挨拶を切り出す。


「それじゃあ、気をつけて。これ、荷物ね。車か何かある?」

「えぇ、車で来たわ。桜ちゃん、朴ちゃん、最後に“ありがとうございました”って挨拶しましょうね」

「ありがとうございました!」

「ありがとうございました……稜くん、またね……」


 蘭桜と蘭朴は静蘭のもとに移動して、ニコッと笑った。
 稜市はしゃがんで、「はい。またね」と微笑みながら2人の頭を撫でる。

 そうして、嵐のようだった蘭桜と蘭朴は、母親、静蘭と共に帰っていったのだった。