ふわ~ぁ、と稜市は欠伸を漏らす。
適当に結んでほつれかけている髪は、緩くウェーブしてボリュームがあるように見えた。
これなら、例え中年に仲間入りする10年後も、頭部の心配は必要ないだろう。
生えっぱなしの無精ひげの前を通過させて、黒い液体が入ったマグカップを口につける。
ごく、ごく、と立派に飛び出た喉仏を上下させると、稜市は「さぁて」と緩い声を発した。
「この3連休、何をしようかなぁ」
1人暮らしの男性の部屋としては、容認される程度に散らかった室内に視線を漂わせ、青く晴れた空が見える窓を見つめる。
「あぁ、いい天気だ。のんびり散歩でも……」
と、柔らかく目を細めたあたりでピンポーンとチャイムが鳴った。
稜市はパチリと瞬きすると、よっこいせ、と腰を上げて玄関に向かう。「はぁい」
サンダルに足を引っかけつつ扉を開ければ、アパートの廊下には20代後半と思しき女性が立っていた。
「あ、お兄ちゃん、久しぶり。あのね、お願いしたいことがあるんだけど」
「んん……?? もしかして、静蘭さん? 軽く3年は音信不通だった」
「そうです。お兄ちゃんの妹の、静蘭よ。元気そうでよかった。それでね……」
「ちょ~っと待ってね。お兄ちゃんびっくりしすぎて、まだ処理できてないから」
おっとり微笑みながら話を進める静蘭に待ったをかけて、稜市は額を押さえる。
「ん~」とやはり気の抜けた声を出しながら、たっぷり5秒は話を止めると、ゆっくり手を離した。
「はい。それで、何?」
「うちの子達を明後日まで預かって欲しいの」
「おぉう、そう来ましたか……いつの間に子供産んでたの。旦那さんは?」「いないわよ? 道端に置かれていたから私が育てたの。呼んでもいい?」
「んんん、拾い子?? まぁいいけど……」
稜市がそう答えると、静蘭は階段の方に向かって「おいで、桜ちゃん、朴ちゃん」と呼びかける。
すぐにひょこっと顔を出したのは、黒い髪をポニーテールにした快活そうな女の子だ。
続いて顔を出したのは、茶髪をふんわりボブにした甘い顔の女の子。
どちらも小走りで静蘭のもとにくると、キラキラした瞳を稜市に向けた。
「2人とも、挨拶しましょうね」
「あたし、蘭桜! なかなか、かっこいいおじさんね!」
「わたしは蘭朴……おじさん、ママと、にてる……」
「あぁ、ありがとう、おじさんは稜市です。……ランオウに、ランパク??」
稜市が遅れて首を傾げる。
蘭桜は胸を張って「そう!」と解説した。
「お花の蘭に、桜って書いてランオウなのよ!」「わたしはね、お花の蘭に、木の朴で、ランパクだよ……」
「漢字も酷いねぇ……静蘭さんや、何を思って名付けたのかな?」
「うん? 確かその日は、卵を買えて嬉しかったのよ」
「うん、相変わらずで、お兄ちゃん気が抜けました……」
稜市は腰を曲げると、生暖かい視線を向けて2人の少女の頭を撫でる。
蘭桜は不思議そうにしつつも、にぱっと笑い、蘭朴は目を細めて、うっとりと頬を緩ませた。
静蘭はその様子を見ると、両手を合わせておっとり微笑む。
「流石お兄ちゃん、問題は無いみたいね。それじゃあ、私はこれから空港に向かわなきゃいけないから」
「あー、静蘭さん、初耳だなぁ、それ。空港って、どこまで行くの」
「海外よ。ちょっとお仕事があって。明後日には帰ってこれるから、それまでよろしくね、お兄ちゃん」
「うーん、もうちょっと早く言って欲しかったなぁ。暇だからいいけど……」
こうして、稜市は久しぶりに会った妹から、娘2人を預かることになったのだった。