「はいカット!」
 野田さんがカチンコを鳴らすと、私はふぅ、と息を吐いた。
 撮影が始まって二週間。少しは慣れたつもりだがまだ少し緊張してしまう。
「監督、つぎのシーンは?」
「そうだなぁ」
 純也は指であごをさわりながらしばらくあたりを見回すと、突然町の中で一番大きな山を指さす。
「次は山神公園にいこう!」
「はぁ?! こっから歩いて一時間以上かかるのに?!」
「そういう移動が必要なシーンはレンタカー借りてまとめて一日で撮影すれば……」
「いや、今撮るべき! 今から歩けばちょうどいい感じの夕日になる!」
 そういうと純也はぴゅーっと駆け出し、野田さんが追いかける。
 その日の撮影の内容はこんな風に純也の気まぐれで決まる。
 そもそもこの映画がどんなストーリーか出演している私でさえ、わかっていない。
 脚本も構成もなく、すべては監督であり主演の純也のみぞ知るのだ。
「ったく、カメラ重いんだぞっ……!」
 八木さんはぶつぶつと文句を言いながらカメラからフィルムやレンズを手早く外し、持ち運び用のカバンへしまう。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、俺はムキムキだからな」
 そういうと八木さんは半そでシャツを肩までめくり、二の腕を曲げて見せる。
 案の定、筋肉はぴくりとも動かなかったが、そんなことよりも八木さんの腕が私よりも細くて白くてきれいなことがちょっとショックだった。
「あれ、大学じゃけっこうウケるのに」
 八木さんはカバンを重そうに背負い、歩き出す。
「そういえばなんですけど」
 山神公園までの移動時間。坂道の先を歩く純也を追いかける野田さんと、私のとなりで汗をだらだらと流す八木さんを見て、前から聞きたかったことを思い出した。
「二人はどうして、純也に付き合ってるんですか?」
 この二週間で知った3人の関係性。
 3人は高校からの知り合いで、仲良くなったきっかけは不明だという。でも、3年間のほとんどを3人で過ごしたらしい。
 高校卒業後、映画が好きだった八木さんと野田さんは映画を学ぶ大学へ入学。純也は大学へ入学せずにフリーターになった。
 それから一年以上純也と連絡を取っていなかったが、ある日突然、純也が家にやってきてこう言った。
「俺と一緒に映画つくってくれ!」
 2人から状況を聞いて、私の頭の中で完璧にその時の映像が再現された。いかにも純也らしい。
 しかし、そんな純也の無茶なお願いを野田さんと八木さんは文句は言いつつも聞いているのが不思議だった。
 二人はいつも大学の課題に追われているし、夜にはバイトもしている。
 フィルムカメラだって大学の機材で、本来は校外への持ち出しは禁止されているが教授におでこの皮がめくれるほど土下座をしまくって特別に借りているらしい。
「どうして、かぁ」
 八木さんはしばらく考えて、独り言のように言葉を吐いた。
「友だちだからかなぁ」
「友だち?」
 私の声で我に返った八木さんは、恥ずかしそうに笑った。
「あぁ見えて、あいつもいろいろ抱えてるのよ。そういうのを全部言ってくれた。俺たちを頼ってくれた。だから俺たちは、あいつのために最後まで付き合うだけよ」
 八木さんはしたたる汗をぬぐって歩き出す。
 友だち。
 その言葉を聞いて、私の頭には理恵の笑顔が浮かんだ。
 理恵、元気かな。
 なんだか無性に理恵に会いたくなった。だけど、私といても理恵はもう前のように笑ってくれないかもしれない。
 あの時のように呆れられるかもしれない。
 そう思うと申し訳なくて、会わない方がいいんじゃないかって思ってしまう。
 気持ちが沈み、うつむきながら歩いていると、八木さんは前を向いたまま「それにさ」と続ける。
「友だちに迷惑かけられるのも、悪いもんじゃないよ」
 八木さんの言葉に顔を上げると、坂の上では自販機で買ったジュースをぐびぐびと飲む野田さんと2本のジュースを持った純也が立っていた。
「早く来ないとジュースがぬるくなるぞ! ひょろひょろ八木!」
 純也にあおられた八木さんは私の方へゆっくりと振り返り、ぎらりと目を光らせる。
「純也のああいうところだけは許さないけどな」
「え?」
「おらぁ!!」
 八木さんはその細い身体からは想像もつかない脚力で坂を登りきり、純也の頭を思い切り叩いた。
「迷惑、か」
 坂を上りながら私はだんだんと覚悟を決めて、頭をさする純也に言った。
「純也、明日の撮影休んでいい?」

 次の日。私は撮影を休んで学校へ行った。
 上靴にはき替え、階段を上がり、教室ではなく屋上へと向かう。
 屋上へと続く銀色の扉を開けると、夏の青く澄んだ空が広がった。
 そこにはすでに柵にもたれる理恵の姿があった。
「理恵」
 名前を呼ぶと、理恵は私の顔を見て表情を曇らせる。それは私が理恵の名前を忘れてしまった時と同じ表情だった。
 心臓がすーっと冷める思いだ。
 秘密を打ち明けるのはとても怖い。
 否定されたり、軽んじられたり、変な同情をされたり、励まされたりするのが嫌だった。
 だからってどんな反応をしてほしいのかも、わかっていない。
 だけど。
 このままなにもせずに理恵のことを忘れてしまうことの方が怖かった。
「あのね、私実は……」
 私はスカートをぎゅっと握り、話し出す。
 どうして二週間も学校を休んでいたのか。休んでいる間なにをしていたのか。そして、自身の病気のことを。
 理恵はなにも言わずに、静かに聞いていた。
 私がすべてを話し終えると、理恵は「そっか」と小さく呟く。そして、優しく微笑んだ。
「話してくれてありがとう」
「……え」
 理恵の反応は感謝だった。それは私が全く想像していなかったものだった。
「病気のことはなんとなくそうなのかなって思ってた。でも、病気かなーって人にあなた病気でしょ、ってこっちから言うのは違うでしょ?」
「それは、そうだね」
 私は苦笑し、理恵も笑った。
「でもね、なんか自分だけは特別だと思ってたんだ」
「特別?」
「いろんなことを忘れても、奏は私のことだけは忘れないって。だからあの時、奏が私の名前を忘れた時、私って奏にとって特別じゃなかったんだって、なんかすごいショックで、怖くて」
「違う! 理恵は私にとって特別だよ!」
「うん。わかってる。私もだよ。私も奏は特別。いや、私にこんなこという資格ない」
「え?」
「私、理恵が学校に来ていない間に、病気のこと調べたんだ。
 病気って自分の意志とは関係ないもんね。どれだけ大切でも、特別でも、ふっと記憶から抜け落ちることがある。
 私、理恵の病気のこと調べたんだ。まぁ素人がインターネットで調べた程度の知識だけどさ」
 理恵はそう言うと、私の手をそっと握った。
「ごめんね。奏の方が怖かったのに、私が奏から逃げちゃった」
 理恵の瞳が潤み、雫がほほをつたう。
 私は理恵のほほを手で拭う。すると、いつしか自分の涙があふれ出ていた。
 私たちはどちらからともなく、互いのことを抱きしめた。
「これからも私、理恵のこと忘れちゃうかもしれない。いろんなことで迷惑かけると思う。でも、絶対に思い出すから。だから、これからも友だちでいてください」
「当たり前じゃん。こっちだって迷惑かけてやる」
 私たちは笑いあって、体をはなす。すると、目を真っ赤にはらした私の顔を見て理恵はまた笑った。
「泣きすぎ」
「理恵こそ」
 始業のチャイムが鳴る。でも、こんな顔じゃ教室に戻れないねって言って、私たちは一時間目をサボった。