青春卒業旅行

 目が覚めると、ソファに龍仁がいる。
 それだけで、私は人生最良の朝を迎えられる。

 私たちは昨日、郡山の龍仁御用達のイタリアンでオススメのアサリと名物の熟成肉を堪能し、他にもたくさん、食べたいもの、飲みたいものを注文した。10年前に行く予定だった卒業旅行では、ビールと紹興酒で本格中華を堪能する予定だったが、まあこれもいい。10年前に思い描いた卒業旅行とは違うけれど、10年分の幸せを腹いっぱいに食べ尽くすことができた。
 そのまま近くのスーパーでビールとハイボールとポテチを買い、ホテルで二次会。先にお風呂に入ったのは私で、髪を乾かして龍仁を待っていたけれど、少し横になろうと思ったら、そのまま朝を迎えていた、というわけだ。

 「おはよう。」

 「おはよう。」

 隣のソファから、龍仁のあたたかい視線を感じる。いままで何度も交わした「おはよう」だが、本当の朝イチ番の「おはよう」は今日が初めて。彼氏という言葉では軽すぎるくらい、私たちは幸せに満たされていた。
 「おはよう」。
 ベッドから見る寝顔。
 寝ぼけながら向かい合って食べる朝食。
 身なりを整えていく姿。
 部屋の去り際に見つめる瞳。
 一緒に過ごすすべてに幸せが宿り、私を満たしてくれる。
 でもどこかで疑問を持っているのも事実。
 昨日のイタリアンではおかみさんの「龍仁の彼女」という設定に反論せず、いつも通り、いや、いつも以上に仲良くプライベートな話を楽しんだ。なのに龍仁からは告白も彼女になったという核心をつく話も出てこない。ダブルベッドなのに一緒に寝ないどころか、手をつなごうともしない。
 龍仁の一番近くという特等席を手に入れた幸せとともに、この関係に何と名前をつけたらいいのか、よくわからないでいた。

 気分はそのまま、車に移っても幸せともどかしさが交錯する。これが私たちの「春」でいいのだろうか。

 「じゃあ行くよ。準備いい?」

 「…うん…。」

 「どうした? どこか悪いところでもある?」

 なんとなく気分が晴れないまま動いてしまうのが悲しくなってしまった。

 「こんなこと言うの変かもだけど、私、龍仁の彼女になったの?」

 龍仁は目を見開いてホテルから持ってきたコーヒーを口にする。

 「私、すごく幸せなの。龍仁と一緒にいられるってだけで、夢みたい。でもなんか、こう、本当に彼女になったのかな? って思っちゃうところもあって…。」

 威勢良く切り出したのはいいものの、言葉にしていくうちに、どんどん自信がなくなってしまう。

 「うん。」

 「本当に私でいいの!?」

 待ち望んでいたこたえなのに、出てきたのはこれ。

 「うん。」

 どうしよう。こんな真っ昼間からこんな空気にしちゃって。でもここは、龍仁にリードしてもらいたいところ。さて、その湿らせた唇からどんな言葉が出てくるか。

 「舞音がいい。」

 10年片想いしていた龍仁から、この上ない言葉。もうそれだけで幸せすぎて、ずっと見ていたかった。

 「どうした? なんか顔に付いてるか?」

 「ううん。ずっとこうしていたいような気がして。」

 そんなふうにノロけてみせると、龍仁もニヤっと笑った。

 「そうだよな。オレも昨日の夜、ずっと見てたもん。」

 「そんなぁ! 私の寝顔、高いんだぞ!」

 「『彼氏』特権使わせてもらいました〜!」

 「もー!」

 口は笑っているのに、頬の筋肉は引きつっている気がする。ずっと前からこうしていたような気持ちと、この先もずっとこうしていたいような気持ちとが、私を素直に笑わせてはくれない。

 「じゃあ出るよ。」

 「お願いします。」

 ぎこちないながらも、ちゃんとカップルになって、私たちの卒業旅行2日目はスタートした。

 「静かだけど、どうした?」

 龍仁に声をかけられたとき、すでに昼を過ぎていて、仙台市内をまもなく出るところだった。

 「もう、着いちゃうなって思って。」

 「そうだな。あと昼食べて2時間くらいか。」

 龍仁の声も心なしか段々とトーンが暗くなっていく。

 「ねえ、これからどうする?」

 こんなこと、聞くのも場違いかも知れないが、これからの具体的な付き合い方を聞いてみることにした。

 「『どうする』って、どう?」

 「いや、私、遠距離初めてで、しかもさ…。」

 「しかも?」

 私は残っていた甘いキャラメルマキアートを飲み切って、続けた。

 「もう、遊びじゃない、からなぁと思って。こんな話、付き合った翌日にすることじゃないかもだけど、大事なことだからさ。」

 「そうだよな。そうなんだよなぁ…。」

 龍仁も前を見て運転しながら、「ふー」っと考え込んでしまった。

 「まずは腹ごしらえだ!」

 龍仁が車を停め、スマホの画面を確認しながら「うん、ココ」とつぶやいている。

 「ハンバーガー?」

 「うん。アメリカっぽいものって、このくらいしか思いつかなかった。一応『卒業旅行』だもんな!」

 西部感ただよう、木の造りが印象的な、ちょっといいハンバーガー屋さんに連れて来てくれた。
 2人しかいないけど、いや、2人だから楽しめる「卒業旅行」はますます楽しくなっていた。