小6 6月

あっという間にGWが終わった。
私は久しぶりに会う友達と喋ってた。
私には幼馴染がいる。優介(ゆうすけ)永斗(えいと)だ。優介はおにいちゃんと呼ばれるほど慕われていて、永斗は学年全体のムードメーカーだ。
この日は特に変わったこともなく、みんなとまた明日、と言って帰宅した。翌日、また明日、という言葉は当たり前のように実現した。
ただ、1人を除いては。
優介は来なかった。元からアレルギーや喘息持ちだったから、いつものか、とその日は特に気にしなかった。しかし、次の日も、その次の日も、何日たっても彼は来なかった。さすがに異常に感じた私は、母さんに相談した。
母さんから聞いたのは小学生だった私にはあまりにも衝撃的だった。その時の私はどんな反応だったかすらも思い出せない。
「ゆぅくん、学校に行くのが怖いみたい。行こうとすると吐き気がして、行きたいけどいけないらしい。」
一瞬、時が止まったかと思った。脳がこの言葉を理解するのを拒否しているように感じた。昨日はそんな様子、なかったのに。むしろ、たくさんの友達に囲まれて楽しそうだった。なんで?母さんにそう問うと、
「分からない」
とのことだった。
それからの日々は優介が来ることを願う毎日。私にできるのはただ、願い続けることだけだった。

小6 トワイライトキャンプの月を探していれる

私たちは小学5年生で行われるはずだった、キャンプ、いわゆる林間学校が行われなかった。原因は新型コロナウイルスだった。
先生たちはキャンプができなかった私たちのためになにか代わりのことができないか、と考えてくれた。結果、トワイライトキャンプが行われた。午前中は授業、午後からキャンプファイヤーを焚いてスタンツをする、というものだった。その頃はまだ優介が休み始めてからさほど経っていなかったので、こんな楽しい行事なら優介も来るだろう。そう考えていた。
当日。優介は来なかった。
確かに、母さんから、
「ゆぅくん、もう随分休んだから学校に行きずらいみたい。まだ、学校に行こうとするのつらいみたいだし…」
そう聞いていた。でも、行事なら来るだろう、と楽観視していた。まさか、優介がそこまで思い詰めているとは思わなかった。
昔から元気で明るかった。一体何が優介をこんなにも追い詰めたのだろうか。
トワイライトキャンプが終わり、私たちはそれぞれ帰路についた。運動場でやったということや、学校側が保護者も見に来ていい、とのことだったので私の母さんも見に来ていた。帰りは車で母さんと帰った。
「ゆぅくんと、あいくん、ココナッツジュースを飲んだら不味くて、もう飲まない!って言ったんだって。あいくんが飲みたいって言い出したのに。」
と、母さんが笑った。あいくんというのは優介の弟だ。母さんと優介のお母さんはすごく仲がいい。だから、こうやってたまに優介の話を聞かせてくれる。でも、今日聞くのは少し、つらかった。みんなで楽しんだキャンプ。そこに優介の姿は、ない。
その話は面白かった。だけど、やっぱり、そんな話を聞くと会いたい、という気持ちが膨らむ。だからか、私は泣いてしまった。大好きな幼馴染の彼にどうしても会いたかった。

小6 7月〜10月

それからも優介は一切学校に来なかった。どんなに大きな行事があっても、どんなに楽しい校外学習があっても、彼は来なかった。
そして、ついに、優介が学校に来れない理由を知った。
その年のGWは、1日だけ、祝日じゃない日があった。その日、優介は家族旅行でいなかった。GWが明け、学校が始まった日。彼は担任に家族旅行でいなかった日のことを質問攻めにされたそうだ。彼はそれに対して、責められている。そう感じたそうだ。
もう1つ、彼の髪型はマッシュルームヘアだった。それできのこ、きのこ、と呼ばれていた。それが彼にはつらかったらしい。
それから私は、後悔に苛まれていた。
どうして気づかなかったのだろう。気づければこの場に笑顔の優介がいたはずなのに。あいつさえいなければ、あいつが担任じゃなければ。
それに、きのこ、と呼んでいたのはもう1人の幼馴染、永斗だった。彼を恨んだ。しかし、私もそんな彼に悪ノリして、きのこ、といったことがあった。そんな私も恨み、憎んだ。
私自身が名前でいじられることに悩んでいたのに、名前ではないが同じくいじられていた彼を私がいじってしまった。
優介のことを考えていると後悔ばかりが心に積もるだけだった。

小6 11月

優介が来なくなってから半年が経とうとしている11月。事態は大きく進展することとなった。

「中旬」
久美さんが学校に直接、彼が学校に行けない理由を話したのだ。さらに、学校側もやっと動いて、彼に寄せ書きを送ることになった。しかし、これは久美さんが学校側に頼んだものだったそうだ。優介には内緒で。
学校からは、担任と校長から、生徒へは謝罪、生徒の保護者たちへは文書での謝罪があった。私は、到底許せなかった。学校は、久美さんから来ない理由を聞かされるまで自らが犯した罪に気付かなかったのだから。久美さんが頼むまで寄せ書きなどを送ることを考えなかったのだから。許せるはずがなかった。それは、中2になった今も同じだ。2回ほど寄せ書きを送ったが、それでも優介は来なかった。

「下旬」
修学旅行が近づいてきた。何としてでも修学旅行には一緒に行きたい。
ある日、母さんから提案があった。
美空(みそら)からゆぅくんに手紙を送ろうって先生に提案したら?」
最初は、無理だ、できない、と思っていた私だったが、生徒からの提案なら無視はできないだろうし先生も驚くだろう。それに、優介が学校に来る理由に少しでもなればそれでいい。そう思って、先生に提案書を書いた。やる気に火がつくと早いもので、一晩でA4用紙いっぱいの提案書を書き上げた。
しかし困った。渡すタイミングがない。でも、修学旅行前には優介が学校に来れるようにしたい。ならば、自分からタイミングを作ればいい。先生を呼び出したらいいのだ。そう思い、決行しようとした矢先、提案書を無くしてしまった。そして、11月30日、修学旅行の日になってしまった。優介が来れないまま。

「修学旅行」
朝からずっと、ドキドキしていた。初めて親と離れて泊まる不安に対してもだが、それより、今日優介が来るのか。それが1番の原因だった。
他学年が来るより早い時間の集合。少しずつみんなが揃い始めている。私はずっと、ただ1人を探し続けていた。しかし、彼は現れない。落ち込んでいると駐車を終えた母さんがやってきて、
「永斗くんと一緒にゆぅくんのところ行っといで。」
意味がわからなかった。優介はいない。母さんは駐車場を指した。そこには、優介の家の車があった。
永斗と一緒に優介の車へ向かう。本当に彼が乗っているのか。いたら、どんなふうに声をかければいいのだろうか。
車に近づくと、久美さんが降りてきた。そして、後方の席のドアを開けた。
「ごめんね〜。優介、こんなんで。」
声も出なかった。およそ半年ぶりに実際に見た彼は座席の上でうずくまって、顔が見えない状態だった。声も出さず、ただそこにいた。
「修学旅行、楽しんで来てね。」
その一言で理解した。
優介は修学旅行に来ない。
私たちは、はい。とだけ答え、みんながいるところへ戻った。
私はたまらなく悔しかった。優介が修学旅行に来れなかったこと。学校に来れない環境にしてしまったこと。提案書をなくしてしまい、今の今までまだ先生に提案書を渡せていないこと。
提案書をなくしさえしなければ、優介は修学旅行に行けたかもしれないのに。と自分を責めた。悔しくて悔しくて、私はバスに乗ってから泣いてしまった。小学校の最高の思い出を、優介だけ作れない。その事実が自分に突きつけられた。
修学旅行中、もちろん楽しかったが、時折、龍之介のことが頭をよぎった。どうすれば良かったのか、そう考えていると後悔だけが押し寄せた。

小6 12月

修学旅行が終わり、普通の生活が戻ってきた。依然として優介はいない。
提案書はいくら探しても見つからなかったのでもう一度書き直した。
意外とすぐに提案書を提出するチャンスがやってきた。教育相談が始まったのだ。
そして、教育相談で私の順番が回ってきた。提案書はもっている。この教育相談で渡すしかない。私は教育相談の行われる理科室へ入って行った。
教育相談が終わった。いつものように先生からの質問に答え、その後、先生から、他に何かありますか、と聞かれた。今しかない、と思い、私は先生に提案書を渡した。読み終わった先生は、
「わかりました。でもこれは校長先生とも話し合わないといけないので少し待っててください。」
期待はずれの返事だったが、少しでもこの状況が変わるなら少しは待とうと思った。
数日後。あの日私は帰宅後、母さんに提案書を渡したことを報告した。少し待ってて。その言葉を信じて私も母さんも待っていたのに、なかなか結果が出ない。学校でも全く動きはない。そして今度は個人懇談会が始まった。もちろん母さんも行った。母さんはその時先生に、私の書いた提案書について聞いたそうだ。そして、先生からの返答は、
「まだ、校長先生に見せてません。」
だったそうだ。この日までおそらく10日ほどあった。なのに、まだ見せていない、ですって?ふざけるな。腹の底から怒りがふつふつと湧き上がった。母さんは気の強い人だからもちろん、早く見せてください。と言ったそうだ。
その日から2日後。学活の時間にて、ついに、やっと、私の提案した優介へ手紙を書いて渡そうという企画は実行された。そして、書いた手紙は優介のところへ届いた。
久美さんによると、読んだ優介は、泣いて自室へ逃げ込んだそうだ。久美さんは私が提案したことを知っていたので、優介に、これは美空の提案なんだよ、と伝えたそう。彼は、
「美空は俺の妹みたいな存在だから、嬉しい」
と言ったらしい。それを聞いた私は、嬉しくて仕方がなかった。優介がそう思っているとは思わなかった。優介は私に対して怒っているかと思っていた。だから余計に涙が込み上げてきて、また、泣いてしまった。


小6 12月21日月曜日

いつものように学校へ向かう。習慣付いてしまった、今日こそ、優介が来ますように、と祈りながら。
いつものように階段を登り、いつものように教室に入り、いつものように友達に挨拶をする。
しかし、挨拶をしたところで違和感を覚えた。
そこには、あの大好きな、懐かしい、彼がいた。友達に囲まれて楽しそうに喋っている彼が。半年ぶりに登校してきた彼が。私がずっとずっと待ち望んだ、毎日、来ますようにと祈り続けた、
優介が。
みんなに馴染んでいて、一瞬気づかなかったから思わず2度見してしまった。そして、彼がいることを確信し、小さく、ガッツポーズをした。私の提案が、いや、みんなの手紙が、優介に最後の勇気を与えた。そう感じた。


現在 中2

あの出来事は今も、これからも忘れはしない。忘れてはならない。
そして私は、当時の自分と優介に
「ありがとう」
と、このたった一言を伝えたい。
優介のために、きっかけが母さんとはいえ行動を起こした彼女に。
恐怖を乗り越えて学校へ来た彼に。
私が行動を起こさなければ今の優介はなかったかもしれない。
優介が来なければきっと今の私はなかった。まだずっと、願い続けていたかもしれない。いや、優介が転校していたかもしれない。

この経験から1つの言葉や好奇心、遊びのつもりの言葉でも人は大きく変わってしまうということを知った。
言葉は薬にも毒にもなる。
この現代のネット社会、匿名でいくらでも言葉を発せられる。それが、薬になるのか、毒になるのか。そういったことを考えながら私はこのネット社会で生きています。それは、ネットに限ったことではありません。そして、悲しいことに、毒になる言葉を気づかずに発したり、あろうことか、毒だとわかっていて発している人たちがいます。これを読んでくださった方が、少しでも言葉について考えてくれることを私は切に願います。