《side雪乃 フユナ》
私は幼い頃に起きた事故によって笑えなくなった。
「フユナちゃん。疲れた?」
「いいえ。大丈夫よ」
春の陽気を思わせる満開の笑みを浮かべる彼女は桜野ハルさん。
中学時代からの友人で、いつも私を気にかけてくれる。
誰に対しても優しくて、人形みたいな顔しかできない私とは正反対の人間。
私は私が大嫌いだ。
「もうすぐ入学式だよ。無理しないでね」
「ええ、あなたも別のクラスなんだから早く整列しに行った方がいいわ」
「ふふ、わかってるよ。イザヨイちゃんと一緒だから。怒られちゃうもんね」
秋月イザヨイさんも同じ中学で、誰にでも優しい桜野さんの保護者をしている幼馴染。
彼女も面倒見が良くて、何かと私を気かけてくれていた。
「ふぅ」
誰かと話をすると疲れてしまう。
高校に入ってから、アルバイトの申請をしなければならない。
「おい、見ろよ」
周囲の声が聞こえてくるのはいつものことだ。
「スゲー美人だな」
「ああ、今年は四人も美人が入学してきたらしいからな」
進学校といっても、男子の知能はどこにいっても変わらない。
私はあることがきっかけで表情筋が動かなくなってしまった。
笑うだけじゃなく表情を変えることができなくなった。
お医者様は、過度のストレスによる精神的なトラウマが原因だから、心が癒やされれば笑えるようになると言われたが、十年間私は表情を変えられていない。
「以上を持ちまして、青希高校入学式を終了します」
入学式が終われば、それぞれのクラスに分かれて、担任教師によるオリエンテーションが行われる。
私は自分の教室に入って席についた。
「えっ!」
いきなりとなりから大きな声を挙げられて驚いてしまう。
「何かしら?」
面倒だと思いながらも、無視をする方が難しい。
周りの生徒も、大袈裟に驚く姿をしている彼を注目しているから。
「あ〜、初めまして関西から来ました登《ノボリ》ジュンです。よろしゅうお頼み申します」
変なイントネーションの彼は素朴な顔立ちをしていて、いきなり名乗りを上げられた。内心では驚いているけれど、私の表情は変わらない。
「そう、雪乃フユナです」
私は先生が来るまで趣味であるミステリー小説を読もうとして視線を外そうとした。
「雪乃さん!」
「はい?」
名前を呼ばれて、せっかく外した視線を彼へと戻した。
「俺はモブを目指してるねん」
「は? モブを目指す?」
いきなり意味がわからない言葉を投げかけられる。
確かに素朴な顔立ちをしていて、モブかと聞かれればモブなのかもしれない。
モブキャラはアニメーションやマンガの背景にいる主人公以外のその他大勢の群衆のことを目指している言葉だったはずだ。
「おっ、モブって言葉はわかるんやな」
「えっ、ええ。本を読むのは好きなの。だから言葉と意味ぐらいは知っているわ」
モブは目指すものではなくて、自然になっているものだということも。
そんな意味不明な会話をさせられて私が困惑していると、担任の先生が入ってきた。
「えーと、担任のコノハだ。高校生活の三年間が今日からスタートする。お前らに色々言いたいことはあるが、高校生活は長いようで短い。何もしなければすぐに終わるし、何かをしていてもすぐに終わる。とりあえず、すぐだ! だから青春を謳歌しろよ。それじゃ自己紹介をしていくぞ」
高校教師とは、存外生徒のことを見ていないようで見ているのかもしれない。
だけど、私にはそれすらも関係ない。
早く高校を出て働きたい。
廊下側から順番に自己紹介が始まって、隣の彼が席を立つ。
「えっと、登ジュンです! 関西から親の都合でこっちに引っ越してきたばかりです。関西弁の訛りが抜けていないので、からかったり、いじめたりせんといとください! ホンマに頼みます。あと、俺は高校生活はモブとして生きて行こうと思ってます! せやから、大人しくしとりますわ!」
堂々とモブ宣言をする彼に、教室中が笑い出す。
私に言ったことは嘘ではなかった。
だけど、あまりにも変わり者すぎて、モブで生きていくことは絶対に無理だと思う。
「登、からかったり、いじめたりってフリみたいに聞こえるぞ」
「先生、これはフリちゃいますよ! 俺は本気です! みんなもやで、イジメはあかん! 絶対!」
先生が登君の言葉をイジると、教室の空気がさらに柔らかくなって、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
続け様に彼が返した言葉で、まるでテレビの漫才を見ているようだ。
「はいはい。俺もイジメは絶対ダメだと思っている。みんなも登の言葉に従ってやってくれ」
「「「「は〜〜〜い」」」」
それまで緊張していたクラスメイトも気持ちが和らいだ様子で、それからの自己紹介は変な空気になることもなく進んでいく。
「あなたモブになるつもりではないの?」
つい、彼に話しかけてしまった。
「えっ? なるつもりやけど? まぁ、見ときや。俺ほどモブに相応しい男はおらんってところを見したるわ」
「全然自覚がないのね」
彼ほど目立った人はいない。
もう一人、顔が良い男子生徒が話をした時に女子からため息が聞こえてた程度だ。
「そんなことよりも雪乃さんは笑わないのか?」
「えっ?」
「笑った方がもっと可愛いと思うねんけどな。今は確かに近寄り難い美人って感じやけど、話してみたら面白いし。笑ったらもっと可愛いって思うねんけどな」
「なっ! あなたには関係ないじゃない!」
私は一番言われたくない言葉を言われて、怒ってしまう。
大きな声を出さなかったことを褒めてほしい。
それ以降、彼と話すことはなかった。
私は幼い頃に起きた事故によって笑えなくなった。
「フユナちゃん。疲れた?」
「いいえ。大丈夫よ」
春の陽気を思わせる満開の笑みを浮かべる彼女は桜野ハルさん。
中学時代からの友人で、いつも私を気にかけてくれる。
誰に対しても優しくて、人形みたいな顔しかできない私とは正反対の人間。
私は私が大嫌いだ。
「もうすぐ入学式だよ。無理しないでね」
「ええ、あなたも別のクラスなんだから早く整列しに行った方がいいわ」
「ふふ、わかってるよ。イザヨイちゃんと一緒だから。怒られちゃうもんね」
秋月イザヨイさんも同じ中学で、誰にでも優しい桜野さんの保護者をしている幼馴染。
彼女も面倒見が良くて、何かと私を気かけてくれていた。
「ふぅ」
誰かと話をすると疲れてしまう。
高校に入ってから、アルバイトの申請をしなければならない。
「おい、見ろよ」
周囲の声が聞こえてくるのはいつものことだ。
「スゲー美人だな」
「ああ、今年は四人も美人が入学してきたらしいからな」
進学校といっても、男子の知能はどこにいっても変わらない。
私はあることがきっかけで表情筋が動かなくなってしまった。
笑うだけじゃなく表情を変えることができなくなった。
お医者様は、過度のストレスによる精神的なトラウマが原因だから、心が癒やされれば笑えるようになると言われたが、十年間私は表情を変えられていない。
「以上を持ちまして、青希高校入学式を終了します」
入学式が終われば、それぞれのクラスに分かれて、担任教師によるオリエンテーションが行われる。
私は自分の教室に入って席についた。
「えっ!」
いきなりとなりから大きな声を挙げられて驚いてしまう。
「何かしら?」
面倒だと思いながらも、無視をする方が難しい。
周りの生徒も、大袈裟に驚く姿をしている彼を注目しているから。
「あ〜、初めまして関西から来ました登《ノボリ》ジュンです。よろしゅうお頼み申します」
変なイントネーションの彼は素朴な顔立ちをしていて、いきなり名乗りを上げられた。内心では驚いているけれど、私の表情は変わらない。
「そう、雪乃フユナです」
私は先生が来るまで趣味であるミステリー小説を読もうとして視線を外そうとした。
「雪乃さん!」
「はい?」
名前を呼ばれて、せっかく外した視線を彼へと戻した。
「俺はモブを目指してるねん」
「は? モブを目指す?」
いきなり意味がわからない言葉を投げかけられる。
確かに素朴な顔立ちをしていて、モブかと聞かれればモブなのかもしれない。
モブキャラはアニメーションやマンガの背景にいる主人公以外のその他大勢の群衆のことを目指している言葉だったはずだ。
「おっ、モブって言葉はわかるんやな」
「えっ、ええ。本を読むのは好きなの。だから言葉と意味ぐらいは知っているわ」
モブは目指すものではなくて、自然になっているものだということも。
そんな意味不明な会話をさせられて私が困惑していると、担任の先生が入ってきた。
「えーと、担任のコノハだ。高校生活の三年間が今日からスタートする。お前らに色々言いたいことはあるが、高校生活は長いようで短い。何もしなければすぐに終わるし、何かをしていてもすぐに終わる。とりあえず、すぐだ! だから青春を謳歌しろよ。それじゃ自己紹介をしていくぞ」
高校教師とは、存外生徒のことを見ていないようで見ているのかもしれない。
だけど、私にはそれすらも関係ない。
早く高校を出て働きたい。
廊下側から順番に自己紹介が始まって、隣の彼が席を立つ。
「えっと、登ジュンです! 関西から親の都合でこっちに引っ越してきたばかりです。関西弁の訛りが抜けていないので、からかったり、いじめたりせんといとください! ホンマに頼みます。あと、俺は高校生活はモブとして生きて行こうと思ってます! せやから、大人しくしとりますわ!」
堂々とモブ宣言をする彼に、教室中が笑い出す。
私に言ったことは嘘ではなかった。
だけど、あまりにも変わり者すぎて、モブで生きていくことは絶対に無理だと思う。
「登、からかったり、いじめたりってフリみたいに聞こえるぞ」
「先生、これはフリちゃいますよ! 俺は本気です! みんなもやで、イジメはあかん! 絶対!」
先生が登君の言葉をイジると、教室の空気がさらに柔らかくなって、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
続け様に彼が返した言葉で、まるでテレビの漫才を見ているようだ。
「はいはい。俺もイジメは絶対ダメだと思っている。みんなも登の言葉に従ってやってくれ」
「「「「は〜〜〜い」」」」
それまで緊張していたクラスメイトも気持ちが和らいだ様子で、それからの自己紹介は変な空気になることもなく進んでいく。
「あなたモブになるつもりではないの?」
つい、彼に話しかけてしまった。
「えっ? なるつもりやけど? まぁ、見ときや。俺ほどモブに相応しい男はおらんってところを見したるわ」
「全然自覚がないのね」
彼ほど目立った人はいない。
もう一人、顔が良い男子生徒が話をした時に女子からため息が聞こえてた程度だ。
「そんなことよりも雪乃さんは笑わないのか?」
「えっ?」
「笑った方がもっと可愛いと思うねんけどな。今は確かに近寄り難い美人って感じやけど、話してみたら面白いし。笑ったらもっと可愛いって思うねんけどな」
「なっ! あなたには関係ないじゃない!」
私は一番言われたくない言葉を言われて、怒ってしまう。
大きな声を出さなかったことを褒めてほしい。
それ以降、彼と話すことはなかった。