それから、今後はあらかじめ待ち合わせをして、蓮に会うことになった。
 わたしをサクラじゃなく桜花と呼ぶ声に、画面越しではなく直接同じ世界を見られる時間に、わたしの恋はより明確なものになっていった。
 リアルでもSNSでも、彼との時間は愛おしくて、かけがえのない大切なものだった。

 時々お見舞いの時間が被って会うこともある連の母親とは、彼に内緒で情報交換をした。
 先の長くない息子に付き合わせてしまうなんてと申し訳なさそうにしていたけれど、彼と居るのはわたしの意思だった。

 蓮見先生にも病気のことや手術のことを教えて貰って、まつりに入院生活の話を聞いて、わたしは蓮の負担にならない範囲で彼との交流を続けた。

 初めて会った時よりも痩せたように見える彼とのお別れまでの時間は、見て見ぬふりをした。
 言葉を重ねて、時間を重ねて、彼のことを知る度に、何故この人なのだろうと悔しさにも似た気持ちを覚えた。
 けれど限られた時間、その先の悲しみよりも、今目の前の彼と居られる喜びを謳歌したかった。


 その日の会瀬は中庭ではなく、彼の病室だった。初めて訪れたそこには、見慣れた窓に切り取られた青空。
 窓際のベッドに寝転んだままの蓮は、わたしに気付いて身体を起こした。

「……なあ。この空、どう思う?」
「綺麗だけど……窓枠って、絵の額縁みたい」
「だよな……やっぱり狭い。中庭の空も、屋根で遮られてるし」

 肩を竦めた蓮は、窓の外の広い世界に焦がれるように、点滴に繋がれたその白い手を伸ばす。

「手術が成功して、少しでも元気になったら……広い空の下で日向ぼっこしたい」
「いいね。芝生のある公園とか?」
「ん……それから、綺麗な桜の花を見に行きたい」
「うん。大きな桜の木がある神社に、一緒にお花見に行こう」
「あとは……海に行ってみたい。あんたの好きな喫茶店にも行きたいし、秋になったら落ち葉を踏んで歩きたい。満点の星空も見に行きたいし……それに……」

 彼が希望を語る度、僅かにその指先が震える。手術を受けるのは、明後日だと聞いた。きっと希望と同じだけ、不安なのだろう。けれどその不安を、彼は決して口には出さない。

「いいよ、全部行こう。わたしが案内する」

 あの日涙に濡れた小指のリボンの代わりに、今日はそっと指切りを交わす。絡めた指先の震えは、次第に収まっていった。

 彼の手術は、病状を緩和させるものだ。完治する訳じゃない。彼に残された時間が、大幅に延びるわけでもない。
 それでも、少しでも元気になる見込みがあるのなら、わたしは彼の傍でその時間を彩りたいと思う。
 わたしはこの始まったばかりの恋に、寿命をつけたくなんてなかった。

「……ねえ蓮。手術が終わったら……わたしが一番好きなものの話、聞いてくれる?」
「あんたの、一番……?」
「そう。今まで話したものの中でも、一番好きだって自信を持って言えるもの!」
「……わかった。なら、俺の好きなものも、その時話す」
「蓮の好きなもの……? 空じゃなくて?」
「空も好き、だけど……それより好きなものが、最近出来た」
「へえ……なら、それを聞けるの、楽しみにしてるね!」

 そう語る彼の瞳は、愛おしそうに和らぐ。本当に好きなのだろう。少し妬いてしまいそうにもなったけれど、彼の世界を知れるのはとても楽しみだった。

「あ、あとね、退院したらまつり……友達に蓮のこと紹介したいし……伝言してくれた蓮見先生にも改めてお礼して……あ、蓮のお母さんにもまたご挨拶したい!」
「……やりたいこと、たくさんだな」
「うん! 全部やろうね!」
「ん。……約束」

 これから先の日々、彼の撮る写真が、彼の瞳に映る景色が、切り取られた空と白い部屋ではなく、限りなく広い空色と鮮やかな世界であるようにとわたしは祈る。

 わたしとの時間が彼に一歩踏み出す勇気を与えたように、彼がわたしの世界を彩ってくれたのだ。その彩りを、傍で共に感じたかった。

 この先、どんな瞬間も彼の一番傍に居られるようにと希望を込めて。始まりの四角い空の下、命を燃やす熱い指先と、わたしは何度も約束を交わすのだった。