思わず保存した花の画像を待ち受けにして、わたしは授業中にも机からこっそりと出してはそれを眺める。
彼がもし美空総合病院に居るとして、まつりのように怪我でもしているのだろうか。それとも、年若いお医者さんや看護師さんだったりするのだろうか。研修医という可能性だってある。
色んな想像を巡らせては、画面越しではない本物の蓮について考える。もし万が一会えたとして、わたしは彼の目にどう映るのか。そもそも彼は、現実のわたしに興味を持ってくれているのだろうか。会う約束もしていないし、そもそも会うなんて話もしたことがない。憶測だけで、本当にそこに居るのかすらわからない。
それでも、もしもの空想は止まらなかった。もしも会えたら、もしも直接気持ちを伝えられたら、もしも彼がわたしを好きになってくれたら。恋がここまで身勝手なものだと、彼と出会うまで知らなかった。
まつりに見せるためのノートは取ったものの、授業の内容はあまり頭に入ってこなかった。
放課後になり、駅から少し離れたまつり指定のスターミュージアムという喫茶店まで足を運べば、ショーケースの中キラキラと輝くスイーツ達に目を奪われた。
その店では名前の通り、星や月をモチーフにしたスイーツやドリンクが売られていて、どれもとても可愛らしい。蓮のお陰で夜空も好きになれた今、それらはとても素敵なものとして目に映る。
その中から星空をモチーフにした青いプリンを二つ、テイクアウトすることにした。
「星空プリンお持ち帰りですね、保冷剤はお付けしますか?」
「あ、すぐそこの病院なんで大丈夫です」
「あら、お見舞いですか?」
「はい、友達が骨折しちゃって」
「それは大変……!」
店員の可愛らしいお姉さんは、プリンがお見舞い用だと聞くと辺りを見回して、こんぺい糖入りの桜色のリボンが結ばれた小瓶を一つ手に取って、一緒にショッパーに入れてくれた。
「えっ、いいんですか?」
「ふふ、こっそりサービスしちゃいますね。お友達さんが退院したら、二人でまた食べに来てくれたら嬉しいです」
「はい、もちろん! ありがとうございます」
お姉さんの温かさに触れて、ずっと落ち着かなかった心が少しだけ穏やかになるのを感じた。
店を出て少し歩き、先程のこんぺい糖を取り出す。陽が段々と長くなり、夕方とはいえまだ青みの残る空へとそれを翳せば、小瓶の中で音を立てる甘い星屑がフライングして空に登ったようで可愛らしい。
わたしはその光景を写真に撮り、SNSに載せた。そして小瓶をカーディガンのポケットに入れて、目的地まで向かう。歩く度に小さな音が響き、それが何だか楽しかった。
*****
「まつりー、大丈夫? 骨折だって?」
「あ、桜花! 来てくれてありがとう! えへへ、余所見してたら盛大に転けちゃった……で、運悪く尖った石がそこに……」
「えっ、こわっ……ていうか危ない……!」
白いベッドの上のまつりは、足を頑丈そうなギプスで固定されていた。それでもその表情は元気そのもので、何なら寝ているにも関わらずヘアメイクも完璧だ。
慣れない入院に退屈していたのだろう、わたしを嬉しそうに出迎えてくれた。
四人部屋の窓際のベッド。パイプ椅子を用意する際ちらりと横目に見た窓枠は、やはり蓮の写真と似ている気がした。
「余所見してたって、何かあった? また映え探し?」
「あ、ううん、そうじゃなくてね……えっと」
不意にまつりは、きょろきょろと辺りを見回してからわたしを手招きする。不思議に思い顔を寄せると、彼女は珍しく、こっそりと耳打ちした。
「実はね……私、一目惚れしたの」
「えっ!?」
思わず大きな声が出て、慌てて口を塞ぎ同室の患者さんへと頭を下げる。幸い一瞥されただけでお叱りはなかった。
しかしながら、恋よりも映えを追い求めていた彼女からの突然の恋話に、自らも恋をしている手前何だかドキドキとする。
「え、なに、詳しく!」
「えっとね……おばあちゃんがこの病院に入院してて、お見舞いに来てたの。それで、帰りに偶々中庭に寄ったら……もうすっごい格好いい人が居て」
「わあ……一目惚れとか本当にあるんだ……。えっ、その人とは? 連絡先とかは!?」
「うう……そこまで聞く前に転けて大惨事だったから」
「た、確かに……」
通りで彼女の入院先が隣町の総合病院だった訳だ。入院施設のある外科なら近所にもある。病院で怪我をしてそのまま入院となるのは中々のレアケースな気がするが、すぐに処置して貰えたのならきっと治りも早いだろう。
「でもね、その人、転けた私に真っ先に駆け付けてくれて……もうほんと、優しくて、素敵だった……」
「何それ王子様じゃん……名前とかは聞けたの?」
「うん、蓮見せんせー!」
「……先生?」
「うん、研修医なんだって。ちょうどお昼休みだったらしいんだけど……お休み邪魔しちゃった」
少し落ち込むまつりの頭を撫でつつ、一瞬スルーしかけた事実に気付き、心臓が跳ねる。まつりの想い人の名前にも『蓮』という漢字が含まれている。
「……その、蓮見先生とは、そのあとは?」
「えへへ。実はね、目の前で怪我したからさすがに気になったみたいで、忙しい合間に様子見に来てくれたりするんだぁ……これって、怪我の功名ってやつだよね!」
「その例えをするには怪我が物理的過ぎる……。でも、優しい人なんだね」
「うん! この入院期間に何としてもお近付きになりたい……!」
「わあ、骨折ったのに凄いポジティブ……」
すっかり忘れていたお土産のプリンを鞄から出しながら、目の前の映えスイーツよりも憧れの蓮見先生について語る、まつりの恋する乙女の瞳を見る。
やはり恋は人を変える。世界の色が変わるような、価値観をひっくり返されるような、そんな不思議な感覚。
まつりの恋話を聞けたのが、今でよかった。わたしも恋をしていなければ、きっとこんな風に親身に話を聞けなかっただろう。
「あれ、桜花待ち受け変えた? 最近青空だったよね?」
「あ、うん……今朝変えたんだ」
せっかくなので青が鮮やかな可愛らしいプリンを撮影するためにとスマホを取り出した瞬間、横から目敏く覗き込まれる。さすが、写真についてはうるさいまつりだ。そこは変わっていないようで、少し安心した。
けれど不意に、彼女の指先が新しい待ち受け画面の花へと向けられる。
「この花、中庭に咲いてたやつ!」
「……え?」
「蓮見せんせーがね、これ見て笑ってたの。私、その笑顔にきゅんってしたんだ!」
「そう、なんだ……?」
この花を見て微笑む、名前に『蓮』の付く若い男の人。その光景がまだ見ぬ蓮と重なって、胸が締め付けられた。
もしも、『蓮』が『蓮見先生』で、まつりの好きな人だったら。
まつりの恋心を知ってしまった以上、そんな想像をして平静を保てる程、わたしは大人ではなかった。思わず音を立てて、パイプ椅子から立ち上がる。
「桜花?」
「……ごめん、まつり。わたし、今日はそろそろ帰るね」
「あ、うん……来てくれてありがとう! 玄関までお見送り出来なくてごめんね」
「ううん、大丈夫、お大事にね」
半ば逃げるようにして、わたしは病室を出る。そしてそのまま、玄関ではなく中庭へと向かった。
偶々、同じ種類の花なだけかも知れない。まつりは遠目に見ただけで、実際は違うかもしれない。
そんな期待を胸に解放された中庭へと出ると、今日だけで何度も見た花と同じ色味のそれが、同じ色のレンガの花壇の中で、綺麗に咲き誇っていた。
*****