彼とのやり取りは、恋心を自覚してから以前のように気軽に出来なくなっていた。もっとアタックするなり、たくさん話したくなったりするものかと思いきや、変なことを言ったりして嫌われたくない、絡み過ぎてうざがられたらどうしよう、なんて殊勝な感性があったことに、我ながら驚く。
何しろ相手は画面の向こうの存在なのだ。幾ら見た目を取り繕おうと、幾ら仕草を可愛く見せようと意味がない。交わす言葉と載せられる写真だけが、二人を繋ぐものだった。
だから返信はおかしなところがないかと何度も読み返したし、送るタイミングも考えるようになった。そして必然的に、一つ返すのに以前よりも随分時間をかけるようになっていった。
『サクラって、好きなものある?』
そんなある日、眠る前のやり取りの中で、不意に彼から質問され心臓が跳ねる。
サクラはわたしのSNSでのハンドルネームだ。そうやって名前を呼ばれるのも珍しい。そして何より、わたし自身に興味を持ってくれたことや、話題を振って会話しようとしてくれたことが嬉しくて堪らない。つい反射的にいいねを押してしまい、慌てて返事を考える。
「え……好きなもの? これ……『蓮だよ』とか言うとあれかな……?」
好きなものは、たくさんあるはずだった。美味しいスイーツ、可愛い小物、新作の洋服、キラキラのアクセサリー、好きなアイドル歌手の曲。
けれど近頃目を惹くのは、ジルコニアの煌めきよりも月明かりの柔らかな光で、純白のレースよりも高い空に流れる雲なのだ。
「……やっぱり、蓮が好き」
わたしは自分の世界にどうしようもなく広がる彼の存在を自覚して、抑えきれずについ、『蓮』とだけ返事をした。それは可愛げも何もない、シンプルな告白だった。
「い……言っちゃった……」
その後の返答が気になって、心臓がばくばくと煩くて落ち着かない。眠気なんて既に飛んでいってしまい、布団の中でごろごろと何度も寝返りを打つ。暗がりで何度もスクロールして、返事を待った。
そして、しばらくして表示された彼からの返信。冒頭の『俺も』という言葉に歓喜したのも束の間、続く文章に思わずベッドに突っ伏した。
『俺も、蓮の花は好きだ。だからアイコンにしてる』
「そっちかー……!」
なるほど確かに、蓮の花だ。けれどこの場合、蓮は蓮だろう。
さすがに改めて告白するだけの勇気は持ち合わせておらず、わたしは脱力しながら返事を打ち込む。
『お花、いいよね、綺麗で好き』
『そうだな。桜の花も、好きだ』
「……!」
蓮にとって、わたしはサクラだ。桜花という本名を知られている訳じゃない。それでも、彼の指先でわたしの名前の文字が打たれたことに、再び鼓動が跳ねた。
「えー……これだけで嬉しいとか、どんだけ……」
思わずスマホを抱いて、布団の中で丸くなる。自然と口許が緩み、この感覚を閉じ込めておきたいような今すぐ叫び出したいような、不思議な高揚感が身体一杯に広がった。
しばらく噛み締めてから、どうしても我慢出来ずにまつりにメッセージでも送ろうかと思った矢先、スクロールしたタイムラインにちょうどまつりの投稿を見付けた。
『骨折って入院しました、ぴえん』
「……えっ!?」
ぴえんとか絵文字を付けつつも、病室からの夜景を投稿している辺り彼女もぶれない。
しかし骨折なんて大事だ。突然の情報にわたしは先程までの高揚も忘れ、慌てて彼女に連絡しようとして、不意にその手を止めた。
「……あれ?」
まつりの投稿した夜景の写真。よく見るとその見切れた窓枠が、いつも蓮が載せている写真に酷似していた。
思わず保存して、拡大して見比べる。窓なんてどれも四角いし、大して違いもないはずだ。そう思うのに、見れば見る程、形も壁や窓枠の色もそっくりだった。
わたしは少し考えて、まつりへとメッセージを送る。
『まつり、入院って大丈夫!? 明日放課後お見舞いに行くよ。どこの病院?』
『わーん、部活の試合前に骨折とかまじぴえん。美空総合病院の三階だよ~、お見舞いはスターミュージアムさんの星空プリンがいいな! あのめちゃくちゃ映えるやつ!』
『わかった、お大事にね!』
ちゃっかり見た目重視のお見舞いリクエストまでしてくる辺り、元気そうで何よりだ。
「美空総合病院……」
まつりが心配なのも、お見舞いに行きたいのも勿論本心だった。けれど、どうしても気になり聞き出した病院の位置と、以前まつりが話していた青い建物の位置を調べて、確信する。
蓮は、この病院に居るかもしれない。
*****
翌朝、蓮からのメッセージに返事をしていなかったことを思い出し、朝の挨拶がてら声を掛けようとして、ふと見慣れない色味が視界に入りその指が止まる。
空ばかり映していた彼のメディア欄に、ぽつんと、色鮮やかな花の写真が投稿されていたのだ。
『綺麗で好き』
「……」
空よりも深い青や紫の小さな花。たくさん咲いたその写真に添えられた一言は、わたしが昨日彼に告げた言葉そのままだった。明らかに、わたしの影響を受けている。
蓮がわたしの生活に溶け込んでいたように、蓮の世界にもわたしが在るのだと、たった一枚の写真と短い文章で精一杯伝えてくれているようで、胸がきゅうっと締め付けられた。
このドキドキがバレてしまわないようにと、文字なのだから伝わる訳がないとわかりつつも、必死にいつも通りを心掛けてメッセージを送る。
『おはよう。綺麗だね! これ、なんて花?』
『おはよう。確かアガパンサス、って聞いた』
返事はすぐに来た。聞き慣れない名前に早速検索をかけると、彼の載せていた物と同じ青や紫や白の小さな花の写真がたくさん表示された。
調べれば簡単に色んな情報が手に入るなんて、本当に便利な時代だ。そんな軽いノリで調べたのだが、ある項目で今度こそ手の動きが完全に止まる。
『アガパンサスの花言葉は「恋の訪れ」「愛の訪れ」』
「!?」
わからない……彼がこの意味を知っているのか。知っていて写真をわたしにわかるように載せたのか。
男の子は、花言葉なんて詳しくないだろう。けれど花の名前を誰かに聞いたということは、調べたとしてもおかしくない。いや、そもそもこんな朝早くに花の名前なんて誰に聞いたのか。
身体は完全に朝の支度を放棄して固まるのに、頭の中はぐるぐると色んな考えが巡る。
結局答えが出ないまま、今朝は遅刻ぎりぎりで登校したのだった。
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