小さなライブハウス。スピーカーから吐き出される音に義務的にリズムを刻むたった6人の人たちのためにひたすらにギターをかき鳴らし歌をうたう。
今日のラスト曲。
これは俺が人生で最初に作詞作曲したものだった。確か中学生の時だったかな。
テレビで観たロックスターが歌ってるのを見て、それを皆が笑顔で、すごく楽しそうにリズムにのって飛び跳ねたり手を挙げたりして会場全体で1つの曲を作り上げてるみたいなのがぶっ刺さったんだ。
その興奮冷めやらぬまま勢いに任せて書いたのがこの曲。
高校生の時入っていた軽音部は元々凄く有名でライブをやるとなるとOBOG含め皆の家族や先生たち、友達その他諸々が会場に足を運んでくれた。だからそれが当たり前だと思ってたんだ。
それが大学生になった今。
個人で人を集めてなんとなく趣味の一環で始めたこのバンド。まだまだ景色は寂しい。
でもこれからだろ。
まだ結成して1年もたってないんだ。これから少しずつお客さんを増やして、いつかは全国、いや全世界へ。
そんな気持ちをこめてラスト一曲を歌いきった。
まばらな拍手に4人で深々とお辞儀をしてステージを後にする。
「なあ、俺らいつまでこれ続けてんのかな」
ライブ後、ギターのかなたがそんなことをポロっとこぼした。
「お客さん6人はさすがにくるものがあるしな」
「しかも全員知り合いだろ」
ドラムの渚とベースの健也もボソボソと下を向いている。
誰かが「もうやめよう」というのが怖くて、カラ元気で「いつものラーメン屋行こうぜ! 」と3人を引っ張るのももう何回目だろうか。
まだ終わるわけにはいかない。
でもさ。
今の状態で「やめよう」そう言われても俺にはこいつらを止める根拠も希望も何も持ち合わせていないから、その言葉を言わせないように必死なんだ。
「おばちゃんいつものちょうだい! 」
店に入るや否や4人そろって「いつもの」を注文する。
ここは俺らがバンドを始めてから週3回ペースで通っているラーメン屋。
安いのにとんでもなくうまいからバンドがうまくいかなくて、もれなく金欠の俺らにはありがたすぎる店だった。
「どうしたらお客さん来てくれるのかな」
ラーメンを待つ間に渚が水をくるくると回しながら言う。
「もっとたくさんの人に聞いてもらわないとだよな」
「集客がもうちょっとうまくいけばいいんだけどね」
「路上ライブはなかなか許可がおりないんだよな」
一生解消しない4人の悩み。
それはそもそも聞いてくれる人の母数が少ないと言う事。
仮にどんなにうまくてどんなに魅力的なバンドだってまずは見つけてもらわないことには何も始まらない。
「おまちどうさん」
おばちゃんが4人分のラーメンを一気にお盆に乗せて運んでくれる。
立ち込める湯気からかおる豚骨の匂いがさっきまでバンドの事でいっぱいだった頭の中を食欲で埋め尽くす。
ひとまず話を横に置いて4人で「いただきます! 」これを合図に麺を頬張った。
うまいな~。
疲れた脳と体にラーメンがしみる。
麺に負けじと絡みついてくるスープやシナシナになりきらない青ネギ、油と旨味をぎゅっと詰め込まれたチャーシューは溶けるように体内に注ぎ込まれていく。
「うま~」
言おうと思ってなくても口からこぼれてしまう。体に悪いとわかっていても最後の一滴まで飲み干して大満足で空の器をテーブルに置いた。
「あ、投稿用の写真撮るの忘れてた」
かなたはSNSにかなりこだわりがあっておしゃれな物やいわゆるエモい感じの投稿が多い。フォロワーもそこそこにいるのでいつも少しの宣伝くらいになればとここのラーメン屋をSNSにアップしていたのだ。
「腹減ってたんだろ」
「お客さんが6人でも減るもんは減るな」
「6人にも俺らは全力ってことだ」
「間違いないな」
「俺らはどんなに有名になってもお客さんを大切にしていくのがルールだからな」
そう。これは俺らの絶対ルール。
お客さんはどんな人でも大切にする。お客さんに少しでも笑顔になってもらえるように歌う。
いつまでも初心を忘れないという意味も込めてバンド名は[インディーズ]と名付けた。
かなたのSNSの話をしていて、ふと思いついた。
「なあ、俺らもSNSにアップしようぜ」
「え?何を? 」
「バンドしてる様をだよ。まずは発信していこうぜ」
3人が「確かになんで今まで気づかなかったんだ」と言わんばかりのニヤッと顔を浮かべる。
そうと決めたら早かった。
今1番世界的に利用率の高い、手軽なアプリ。4人ともアカウントは持っていたがいつも見る専で投稿はしていなかった。
共同垢をつくりプロフィールを書き、過去のライブ映像をはっつけて今日はお開きになった。
****
「なあ! 再生回数見た⁉ 」
次の日、4人集まるや否やその話だ。昨日の夜見た時はいまいちだったから気づかなかった。
「いいねとかは全然少ないけどとりあえずこんだけの人が1回は見てくれたってことだろ? 」
「そうそう。誰かが見つけてくれるまでこのまま投稿しまくろうぜ」
再生回数900という数字にほんの少しだけど希望が見えてきた。今はまだいいね13。これから少しずつ増えていけばいい。
≪こんにちは。インディーズです≫
≪今日はかなた君に30秒耳コピチャレンジしてもらいま~す≫
≪まじで⁉ ≫
≪よーいドン! ≫
こんな投稿含めほぼ毎日投稿をして早1か月。
いいねの数は3桁になっていた。
コメントもつくようになってなかなかの上り調子。
「次のライブの宣伝、してみる?」
言い出したのは渚だった。
▽かなたくんかっこいい!
▽しゅうさんの声好きすぎる
▽今から推せば古参ですか?
▽健也と渚のペア推し~
▽ライブいってみたい!
▽見つけちゃった感! かっこよすぎる
俺らに向けられた言葉たちが心地よかった。今までこんなふうに「推し」とか「かっこいい」とか言われたことなかったから有名人になったみたいで気持ちがいい。
「やってみるか!」
流れに身を任して宣伝動画を作成した。
ここまでとんとん拍子すぎるとちょっと怖い。今までうまくいってなかった分ここで羽目を外して失敗したくなかった。
「いったん落ち着くためにラーメン食べに行こうぜ」
冷静になるために熱々のラーメンを求める。
「うん、いこいこ」
いつものラーメン屋。
次やるライブは俺らの結成1年を祝したライブだった。
だから。
「おばちゃん、はいこれ」
そう言って「いつもの」を運んできてくれるおばちゃんに1枚のチケットを渡す。
「なんだい? これ。ライブチケット? 」
それを手に取り珍しそうにまじまじと眺める。
俺らがバンドをやってるってことは知ってるしうまくいかなくて喧嘩したときもおばちゃんが間を取り持ってくれた。
だから結成1年の今回のライブにはおばちゃんを招待しようと4人で決めていたのだ。
「行っていいのかい? 」
嬉しそうに微笑む顔を見て少し涙腺が緩む。
「待ってるよ、おばちゃん」
「楽しみにしててね」
「もちろんだよ。この日はお店お休みだねぇ」
そう言ってルンルンで厨房へ帰っていくおばちゃんの背を見て4人満足な顔をしてラーメンをすすった。
いつもの味に「幸せ」トッピングでさらにおいしい。そんなラーメンを今日も口いっぱいに頬張った。
****
「どお? 人来てる? 」
「来てる来てる」
「わ、想像以上だな」
だしたライブチケットは全部で50枚。
そのうち30枚しか売れなかったけどそれでも今までマックス6人の景色しか見てこなかった俺らには凄すぎる景色だった。
「あれ、おばちゃんじゃね? 」
健也が指をさす方には確かにおばちゃんの姿が。一番後ろでおどおどしている姿が新鮮で少しくすっとしてしまう。
「さあ、行くぞ」
俺の掛け声に3人が大きくうなずき、一気にステージへと走る。
今までの何倍もの拍手に押されぬよう歌を歌う。
こんな景色見たことがなかった。
自分の作った歌に、俺らが奏でる音に、掛け声に対して目の前で答えが返ってくるんだ。
お客さん1人1人の顔が俺らに「間違ってないよ」と教えてくれているような気がして、この絶景に鳥肌が立つ。
きっと今までよりテンションが上がっているからいつもよりしんどい。息がきれそうになる。
でもそれが良かった。それが最高だった。
「皆さん。今日は集まってくれて本当にありがとうございます」
本音がそのまま声に出る。
ありがとう皆。本当にありがとう。大好きだ。
この景色を一生忘れない。どうかこれからも末永くよろしく。
そうやって普段なら絶対に照れくさい言葉たちが素直に出てくる。
高校生の時は何もしなくてもお客さんが来てくれてたから気づかなった。
聴いてくれる人がいるというありがたみを今日初めて体感した。
「出口にてCDを500円で売ってます! よかったら買っていってください! 」
これも50枚。自分たちの自費で作ったCD。
それでも手に取ってくれる人は10人もいないくらい。実際に買ってくれる人は五人いたかいないか。
それでもわざわざ
「めっちゃよかったです! 」
「応援してます」
「またライブやってください! 行きます! 」
そうやって言いに来てくれる人がたくさんいて4人で1人1人に深く頭を下げた。
うれしいなぁ。結果に出なくても、1人でも笑顔にできるってこんなにすごいことなんだ。
「これ、くださいな」
「はいっありが、、、、おばちゃん! 」
CDを買いに来てくれたのはラーメン屋のおばちゃんだ。
手渡したCDに働き者の優しい手が良く映える。
「年寄りにはどうしても大きな音はびっくりでね。これで沢山沢山家で聞いてくるよ」
「うん、ありがとね。来てくれて」
「今から来るかい? 」
「え? 」
「疲れてるだろ。ラーメン作るよ」
「いいの? 」
「もちろん。こんなにいい経験させてもらったんだから」
そういうおばちゃんに4人は子供みたいにはしゃいでライブ会場を撤収した後にラーメン屋に向かった。
「いらっしゃい」
休みの日のはずなのにおばちゃんは店内を温かくして熱々のラーメンをごちそうしてくれた。
ようやくスタート地点に立てたようなそんな感覚。
この気持ちを歌にしたくてラーメンをすすり終え急いでノートに書き留める。
今しか味わえないであろうこの始まりの合図を、いつもと違って感じるラーメンの香りを忘れないように、他の誰かにおすそ分けできるようノートに1つも漏らさないように書きなぐった。
****
「新曲できたんだ。とりあえず聴いてくれ」
練習場所に集まる3人にさっきできた新曲のデモを聞いてもらう。
インディーズは作詞に作曲も俺がやりそれに他の3人が味付けしていくという方法で5曲の曲を生み出してきた。
「いいじゃん。こないだのライブの興奮みたいなのがめっちゃ伝わってくるわ」
「イントロいいな~。かなた腕の見せ所じゃん」
「うん、このコード好きだから頑張るよ」
結構、聴いた後に色々改善点とか意見とか出るけど今回は自分含めデモの段階から4人とも納得のいく物が完成した。
「じゃあ練習しようぜ! 」
各々がイヤホンをしたり楽譜を眺めたりして練習を始める。今回、全体的にかなり難しく技術がいる曲が出来上がったから皆なかなか苦戦してるみたい。
「ごめん、俺バイトだ」
「おう、おつかれ~」
いつも早ければ1日で楽譜を頭に入れるかなたが今日は半分も行かずバイトに向かった。
この曲は俺が作詞を始めたきっかけになったバンドマンの好きな曲を少し参考にさせてもらって作った曲構成だから、そのバンドマンの演奏している様を見ようとスマホを開く。
フェス映像のダイジェストを観て音楽を感じる。
やっぱりかっこいいな。
俺のロックスター。
力強くて、言葉1つ1つに芯があるのに儚い。
いつか、絶頂で急に消えてしまいそうな危うさが曲を一層大切なものにする。
俺の目標はここだ。
こうなりたい。
おっしゃ、練習するぞ!
そう意気込んだ時だった。
「おい、しゅう。これ見ろよ」
今まで見たことがない焦燥感漂う健也の視線の、先にあるスマホの画面を見る。
【インディーズギターかなたの本性です】
そう書かれた誰かの投稿が視聴回数五桁を超えていた。
一瞬頭が真っ白になる。目の前にある知ってる名前の羅列に。
俺たちはまだ全然有名じゃない。
ただ投稿しているアプリ内では確かにフォロワーもかなり増えて校内くらいだったらたまに声をかけられるようになった。
でも所詮その程度だ。
ちょっとだけSNSでバズったただの駆け出しバンド。こんな暴露系とかに捕まるはずがない。
「なんだよこれ」
「分かんねぇんだよ。でも動画観たけどこれは確かにかなただ」
渚も不安そうに画面をのぞき込む。
≪おい! なに恥ずかしがってんだよ~≫
≪おもろいことやれって≫
≪あと3秒でやらなかったら服没収な~≫
≪さーん、にー、いーち≫
≪はいアウト~! 服没収~≫
≪やめてくれ、頼むって! ≫
≪抵抗すんなよ。自分のせいだろうが≫
≪やめろって! ≫
「これ、脱がせてんのかなたじゃん」
「うん。高校生の時のだって」
「なんでこれこんな拡散されてんの」
動画の中にいる大勢。1人の子を責めて服を脱がしているのは、紛れもなくかなただった。
投稿には【俺の人生めちゃくちゃにした奴が成功しようとしてるなんて絶対に許せない】
そう書いてあった。
▽え、やばすぎ
▽これ若干バズってるインディーズだよね
▽やば、最低やん
▽だれやねん
▽応援してたのにまじ最悪
▽こんな人推してたなんて無理
コメント欄もそんなコメントで埋め尽くされていた。
かなたと、そのメンバーである俺たちを批判する声。
俺らの事をこの騒動で初めて知った人も賛同して拡散し、コメントをしているようだった。
広まるスピードが尋常じゃない。
俺らの投稿している動画もかなたがたまたまぼーっとしていたその3秒だけを切り取られて
「性格悪そう」「心の中では仲間の事見下してそう」「ギターやってる自分が好きってだけそう」
そんな憶測だけがは飛び交っていた。
「俺怖くて共同垢開けないよ」
「通知えぐい? 」
「えぐいなんてもんじゃないよ」
そう言われて見せられる画面には今まで見たことのない量の通知が来ていた。
「見るしかないだろ」
「かなた抜きで見んの? 」
「あいつバイト中だから、とりあえず終わったら集まってもらおう」
その言葉を最後にただ等間隔で進む時計の針の音だけが妙に空間を埋めた。
自分らの思考が止まっても時は確かに動き続けているし、スマホの通知も留まることを知らない。
俺たちだけが今この瞬間に置き去りにされてた。
「やっぱ見よう」
「え? 」
この空間に落とされた俺の声に2人は小さく言葉を漏らすだけだった。
「逃げてちゃだめだ。今ある問題から向き合っていかないと」
そういうと健也は強くうなずき、渚が通知を開いた。
グワっという強い風に体が傾きそうになる。
風はいつしかとげに変わり、ナイフに変わる。
それでも、それはやむことなく俺たち三人を容赦なく打ち付けた。
もう、立てない。立ち上がれない。
でもかなたにいじめられた奴はもっと痛くて辛くて苦しい思いをしたんだ。
俺らは逃げる権利なんてない。
インディーズとしてかなたと一緒に歩んできたんだから、これはもう俺らの責任でもある。
その攻撃達を一身に浴び続けた。
「かなたから連絡きた。今からこっち来るって」
言葉でボロボロになって涙をにじませてる渚がうずくまりながらそういった。
もう3人ともボロボロだ。
「なあ、お願いがあるんだ」
俯く2人にかすれた声で何とか絞り出す。
「この件についてかなたを責めないでほしい」
この言葉に2人はまっすぐ俺をみるだけで何も言わない。
1年間ただぼーっと楽器をかき鳴らしてたわけじゃないんだ。
ぶつかり合ったりもしたし、沢山笑ったし、皆で一つ一つのパズルのピースをはめていってこれまで曲を作り上げてきた。
俺の言いたいことも多分なんとなくわかってるんだと思う。
かなたを責めるのは俺らじゃない。
かなたを責める権利があるのは俺達でもコメントしてるやつらでも誰でもない。
過去、かなたにいじめられていた張本人だけだ。
ガチャンという慌ただしい音がシンと静まり返った部屋の中に大げさに響きわたる。
「あの、、、、。あのさ、、」
俺らの知ってるかなたは素直で、ちょっときざな所があって、ギターが大好きで、不器用ないいやつだ。
だからここで何を言えばいいのか、何から話し始めたらいいのか、頭がぐちゃぐちゃになってるのが分かる。
「言い訳するか? 」
だから渚が助け船を出す。
この言葉を聞いてかなたはハッとしてまっすぐに俺らを見た。
「迷惑かけて、本当にごめん。ネットに書いてあることは、事実だ」
分かっていたけど、でも耳をふさぎたくなる。
かなたはいじめをやっていたんだ。
「高校生の時、調子乗ってたんだ。学校でも頭いい方で、部活でもキャプテンとか任されてさ。トロイやつとか、効率悪いやつ見るとイライラしちゃって、間違ってることをしてるっていう自覚もないままやってたんだ」
視線はだんだん下がっていく。
自分の過ちに気づけても過去は変えられない。
やってしまったことは変えられない。
負わせた心の傷は治らない。
被害者の子はかなたたちのストレスを発散させる道具じゃない。
俺がかなたにぶつけた言葉をかなたはまっすぐに受け取っていた。
きっと何かがあってかなたは変わったんだ。
昔の自分に蓋をして、もう封印していたんだ。
でもそれはかなただけで、被害にあった子は今日この瞬間も昨日のことのように恨んでいる。
最後にってかなたは俺たちに頭を下げた。
「インディーズは残してほしい。俺は抜けるけど、3人で夢つかんでよ」
「お願いだよ」ともう一回深く頭を下げた。
健也と渚がこっちを見る。
俺たち3人の中ではもう答えは決まっていた。
頭を下げるかなたの肩をポンと叩いて頭を上げさせる。
頭を下げるべきは俺らじゃないでしょ。
「かなた、インディーズは解散だよ」
その言葉を吐いた瞬間、健也が手で目元を覆うのが視界の端で分かった。
自分たちの夢の終わりの鐘を俺は自分で鳴らしたんだ。
「待ってよ。なんで、だって、お前らこれからじゃん」
何かにおびえたような顔で服をつかまれる。
「俺らがもし有名になれても、暴露した人は辛いだけだ」
「人を苦しめてまで自分たちの夢を追うなんてインディーズのやり方じゃない」
3人がかわるがわる思いのたけを話すのを聞いてかなたの手に籠っていた力がどんどん抜けていくのを感じた。
この力が全て抜けた時、俺たちの夢は終わりを告げる。
狭くて小さな部屋の中、さっきまで手の中にあった次の一歩が転がるだけのその部屋で、今、一つのバンドが終わりを告げた。
「ラーメン食べに行こうぜ」
その部屋にポツンと小さな言葉。
3人とも小さくうなずいて機材をもってラーメン屋に向かう。
「いらっしゃい~」
温かいラーメンの香りとおばちゃんの声が唯一俺たちを迎えいれてくれる。
「いつものでいいかい? 」
「うん。いつもの4つでお願い」
何かしゃべらなきゃ、この気まずい空気をどうにかしないと、頭はぐるぐると回るのに今にふさわしい言葉は全く出てこない。
このまま終わっちゃうのかな。
これから先、こいつらと大学内であっても気まずくて声かけられないのかな。
1年、短かったな。もっとやりたかった。まだ、これからだっただろ。
新曲、完成させたかったな。
考えないようにしようとしても後悔とか悔しさが立ち込めてくる。
「はいお待ちどーさん」
運ばれてくるラーメンを目の前にして笑ってしまう。
こんな時でも腹は減るんだな。
「おばちゃん」
厨房に戻ろうとするおばちゃんを呼び止めてしまった。仕事中なのに申し訳ない。
それでも「どうしたんだい? 」といつもの優しい笑顔でこっちに来てくれる。
口が震える。
まだ、覚悟ができていないのかと自分で自分が嫌になる。
それを察したのか、この辛い役目を請け負うのは自分だろうと思ったのかかなたが続きを言った。
「俺たち、解散するんだ」
「あれまぁ。どうしちゃったんだい」
今まで見たことがないおばちゃんの悲しそうな顔が余計胸を締め付ける。
1番近くで俺らを応援してくれていた人だから。何も恩返しできないまま朽ちるのが情けなかった。
「俺のせいなんだ。高校の時人を傷つけて、バカやったせいでネットで炎上して。,,,,だから俺のせいなんだ」
そうやって自分を責めるかなたの肩に優しくおばちゃんの手が乗る。
「そうか,,,,。かなた君、いい友達をもったね。みんなも辛かろうにねぇ」
かなたの肩に手を置いたまま俺らの顔を見てそういった。
「かなた君が昔にやってしまったことは何か分からないけど、間違えない人間はいないから。もし誰かを傷つけてしまったのなら、その人がちゃんと、面と向かって叱ってくれる日が来るまで懸命に生きなさいね」
そう言っておばちゃんは「さっ冷めないうちにお食べ」と言って厨房に歩いて行った。
「かなた、食べるぞ」
健也が肩を震わせるかなたの背中をドンっと叩き渚が箸をわたす。
4人そろって勢いよく麺をすする。
今日はいつもの味がちょっとしょっぱい。
“悔しい”
“後悔”
“やるせない”
“もっと”
四人それぞれ、今日は違う味のラーメンを食べた。
「年寄りからわがままなお願いをしてもいいかい? 」
空になった器を回収しに来てくれたおばちゃんが少し控えめに言った。
「どうしたの? 」
「最後に1曲だけ、聴かせてほしい曲があってねぇ」
4人の顔が上がる。
「しゅう君が初めて書いた曲、また聴かせてくれるかい? 」
おばちゃんにできる最初で最後の恩返し。4人の答えは決まっていた。
小さな小さなライブハウス。スピーカーから吐き出される音を楽しみにしてくれる1人のために音を調節して整える。
ここは俺らが好きな時に好きなだけ音楽ができるように作ったあまりにも小さすぎる空間。
椅子にちょこんと座るおばちゃんはうきうきした様子でかわいらしい。
これが正真正銘最後のインディーズだ。
これを歌い始めてしまったらあと待っているのは終わりだけ。
手が震える。
嫌だなあ。
やっぱりやだよ。
こいつらの事、大好きだし、おばちゃんにもっと成長した姿見せたかったし、もっとたくさんの人に届けたかった。
今までやってきた思い出が沢山あふれてくる。
あぁ、終わらせたくない。
俺が曲名を言って演奏を始めてしまったら終わっちゃうんだ。
メンバー1人1人の顔を見て願ってしまう。
誰かが「やっぱり続けよう」というのを。
でもそれは俺らのエゴで、それを絶対に許していない人がいるというのがまぎれもない事実なんだ。
今までありがとう。かなた。健也。渚。
今までありがとうおばちゃん。
「しゅう。今までありがとな。最高だったぜ」
「しゅう。誘ってくれて、おれにバンドの楽しさを教えてくれてありがとう」
「しゅう。本当にごめんな。俺にはもったいないくらい楽しい時間をもらったよ。ありがとう」
「しゅう君。頑張れ」
4人からの言葉にグッと涙をこらえる。
終わりは突然に。
儚く散ることも出来ず。
俺ららしいね。
「じゃあ始めようか」
大きくうなずく3人を確認しておばちゃんに届ける。
「聴いてください。最後の”晩餐”」