制限時間の中、流れる星に、愛を注ぐ


「……はぁ」

 弥生ちゃんが学校に来なくなって、三日が経った。何度かメールを送るも、既読にはなるけど返事はなし。きっと体調不良とかではなく「もう学校に来ない」というメッセージに違いなかった。

「友情って、あっけないものだなぁ……」

 聞けば、弥生ちゃんと付き合っている隣のクラスの男子も、ずっと学校を休んでいるという。きっと今頃、二人で平日デートを思い切り楽しんでいることだろうな。
 地球滅亡の日が近づくにつれ、生徒が一人、また一人と登校しなくなった。当たり前と言えば、当たり前だ。あと一週間くらいで死ぬことが分かっているのに、学校に来る意味はない。
それでも学校に来るのは、よほど行く所がない人か、それとも――
 よほど学校に未練がある人だけだ。

「やぁ、空峰さん」
「……佐々木くん、おはよう」

 俯く私の視界に、突然現れたのは佐々木くん。いまだ登校している数少ない生徒だ。

「いやー、めっきり生徒が少なくなったねぇ」

 今ではクラスも学年もごちゃまぜで、一つの教室に集められている。授業はしないけど教室はかすからお好きにどうぞ、という学校側の意図らしい。と言っても、教室に留まる生徒は少なく、好き放題に校内を探検している。

「俺らも、今日はどこか探検する?」
「……」

 佐々木くんは、私が弥生ちゃんとケンカしたのを何となく分かっている感じだった。相談する内容でもないし、第一、告白してくれた人に「恋愛のことで友達とケンカした」と言うのは、なんだか気が引ける。

「探検、したい」
「おッ」

 いつもは「教室でいい」と言う私の、急な方向転換を佐々木くんは喜んでいるみたいだった。ガタッと勢いよく席を立って、私の手を引っ張る。

「じゃあ行こう!」
「ま、待って。そんなに慌てなくても」

 すると先頭を進む佐々木くんがピタリと止まる。そして「慌ててるんじゃないよ」と。私がいる後ろを振り返る。

「初めて空峰さんとデート出来るって思ったら、嬉しくかったんだよ」
「デ、デート……⁉」

 ボボンと、あからさまに顔を赤くした私に、佐々木くんの口角がクッと上を向く。ニヤニヤがこらえきれない、みたいな顔だ。

「言っておくけど俺、チャンスは無駄にしない主義だから。いくら空峰さんが悩んでいようが、目の前に両手を空けてる空峰さんがいたら、俺は迷わずその手を取るよ」
「佐々木くん……」

 言い終わってすぐ、ぎゅッと手を握った佐々木くん。その手が温かくて……直に伝わる体温に心が揺れる。

「なんか、安心するかも……」
「それは良かった」

 なら、このままで――と佐々木くんが言って、校内探検がスタートする。と言っても、三年間通い続けた学校だから、今さら探検したって面白みはない。入学したての新入生ならともかく……。

「あ、今〝つまんない〟って顔してる」
「う」

 ギクッ。
 気づいてたの、佐々木くん……。

「無言は肯定ととる、ってね。
 今さ、俺は空峰さんの顔が見えない。だから探検に暇してるなら、話してみたら? 自分の気持ち」
「え……」

 佐々木くんの提案に、また心が揺れる。
「佐々木くんに相談する内容ではない」と頭では分かっていながら、他に誰とも話さないから、胸の奥でずっとわだかまりが残ってて。誰かに話すことで、このわだかまりはなくなるんじゃないかって、そう思ってたから。

「佐々木くんにとって、面白い話じゃないかも……」
「まさか、俺をめぐって恋のバトル?」

「それは……、違うけど」
「なら大丈夫だよ。気にせず話してみなよ。時間はたっぷりあるんだし」

 グラウンドにある時計を見ると、時間は九時をさしていた。確かに、時間はたっぷりある。意を決して、口を開いた。

「あのね、友達の弥生ちゃんに彼氏が出来てね。弥生ちゃん、自分で言ってたの。星カップル爆誕だ、って」
「うん」

「星カップルの語源は〝すぐ別れるのが特徴〟って聞いたから、この前、言っちゃったの。まだ続いてるの?――って。そうしたら、恋をバカにしてるって、そう言われちゃった。恋をしてる私のことも見下してるんでしょ、って」
「……そっか」

 思い出したら、悲しくなってきて。なんで、あんな言い方しか出来なかったんだろうって……、自分を責めた。もっと良い言い方があったはずだし、恋をしらないにしても、それなりの気遣いも出来たはずなのに。

「弥生ちゃんを傷つけた。私って、恋において本当にダメだなぁ……」
「それで落ち込んでたの?」

 頷くと「そっか」と、佐々木くんも同じく頷いた。歩くのはいったん中断なのか、見晴らしのいい三階の窓から、グラウンドを眺める。何人かがサッカーを行っていて、ボールを目で追いながら話しを続けた。

「空峰さんはさ、後悔してる?」
「してる、めっちゃしてる……」

「その後悔を抱いたまま死んで、成仏できそう?」
「え」

 質問にビックリするも、頭を横に振る。

「成仏できない。未練がありすぎて、この学校でずっと弥生ちゃんを探しちゃうと思う」
「なら、それが答えじゃない?」

 私のホラーな回答にも驚かず、佐々木くんはグラウンドを見たまま笑った。

「俺たち、死ぬまであと一週間しかないんだ。限られた余命の中で、人生の後悔がないよう行動していくのは、何よりも尊いことじゃないかな?」
「佐々木くん……」

 私たちは、あと一週間しか生きられない。だけど裏を返せば、あと一週間も生きられる。一週間もあるなら、弥生ちゃんに謝る事だって出来るはずだ。

「ほら、行きなよ」

 ぽんッと、佐々木くんが私の背中を押した。その先には、下駄箱に続く階段が見えている。

「空峰さんが立ち止まるなら、いつでも俺が背中を押してあげる。だから、自分なりの答えを見つけておいで。どうせできない、なんて思っちゃだめだよ。だって、」
「当たり前を当たり前と思わないのが、私のいいところだもんね……?」

 潤んだ瞳を、佐々木くんに向ける。すると彼は、滲む視界の中でも確かに頷いてくれた。

「そうだよ、俺が好きになった空峰さんなんだから、自信を持って。出来ないことなんて無いんだからね」
「ふふ、なにそれ。でも、ありがとう」

「じゃあ」と、スリッパの角度を変える。目指すは、階段。

「あ、ちょっと待って。これ」

 差し出されたのは、スマホ。それには、佐々木くんの連絡先だろうQRコードが表示されていた。

「もしも途中で挫けそうになったら、いつでも電話して。何度だって背中を押してあげるから」
「佐々木くん、うん。ありがとう!」

 コードを読みとり、今度こそ階段を下りる。まだ九時なのに学校を抜けるなんて。前の私なら、きっとしなかったと思う。だけど、佐々木くんがいてくれたから。私の背中を、押してくれたから。

「佐々木くん……」

 ありがとう、の意味を込めて、連絡先を受け取った自身のスマホをギュッと握る。すると心臓が、ドクドクと音を立てて唸っていた。これから弥生ちゃんに会うから緊張してる? それとも走ったから心臓がビックリした?
 いっこうに鳴りやまない心臓を時折さすりながら、私は弥生ちゃんの連絡先を表示した。
 そして――

 プルル

「もしもし弥生ちゃん、今どこにいる? その……会いたいの。弥生ちゃんに、すっごく会いたい!」

 こんなことを私が言うなんて思わなかったのか、電話越しで弥生ちゃんが唾を呑み込む音が聞こえた。だけど、数秒後には「私も」と。震える声で返事をしてくれた。


――そして、弥生ちゃんの家に突撃した私は、弥生ちゃんに土下座をする勢いで謝った。すると弥生ちゃんの方も私に謝って来て、一気に謝罪合戦と化した。

「無神経な言葉を使った私が悪いんだから、私に謝らさせて!」
「恋に浮かれて、あんなヒドイことを言った私が悪いんだから、謝るのは私!」

「私だよ、わーたーし!」
「詩織じゃなくて、私!」

 なんて。収集つかない事態になってしまって。高校三年生になってまで、なに子供じみたケンカしてるんだって、一周回っておかしくて、大きな口を開けて二人で笑った。

「じゃあ、せーので謝ろうか」
「それ、いいね」

 そして、二人分の「ごめんなさい」は確かに互いの胸に届いた。その後ハグをして、会えなかった分の寂しさを埋めるように、二人でお菓子を食べたり女子トークをしたりと、かけがえのない時間をたっぷり過ごす。

「明日は、学校に行くから」
「……うんッ」

 そう約束をし、弥生ちゃんの家を後にする。長居をしてしまったらしく、外は真っ暗。星たちが、晴れやかな表情を浮かべる私をキラキラと覗いている。
 その瞬きの中に、佐々木くんの姿を思い出す。誰もいない三階で、私の背中を押してくれた、私の――

「私の……ん? その続きは、なんだろう」

 私の友達?
 私の恩人?
 私の相談役?
 私の……――

 そう考えていた時、スマホがブブと鳴る。見ると電話で、なんと発信元は佐々木くん。急いで通話ボタンを押すと「あ」と、聞きたかった声が聞こえた。

『良かった、電話に出てくれた。どうだったかなって、気になってさ』
「佐々木くん……」

 私、今、無性にこの声を聞きたかった気がする。でも、なんでだろう、なんでかな。分からないけど、今、この瞬間。佐々木くんの声を聞けて、嬉しく思う私がいる。

「あのね、佐々木くん……ありがとう。弥生ちゃんと、仲直りできたよ」
『そっか。それは良かった。頑張ったね』

「え……? 私が、がんばった?」
『空峰さんが頑張ったから、二人の友情は戻ったって。俺はそう思うよ』

 背中を押してくれたのは、確かに佐々木くんなのに。どうして、そんな風に言うんだろう。どうして、そんな優しい言葉をかけてくれるんだろう。

「佐々木くんの言葉って、不思議だね」
『どうして?』

「自分ひとりの力じゃないのに、できたんだっていう達成感がすごいの。頑張れたんだって、前よりも先に勧めたんだって――自分が強くなれた気がして嬉しいの」
『そっか。じゃあ、あの課題もクリアできそうかな?』

 佐々木くんの声のトーンが変わった。
 っていうか、あの課題って……。

『恋を知って告白の返事をするっていう課題。急だけど、二つ目のヒントを言っちゃおうかな』
「えぇ、今⁉ ちょ、ちょっと待って佐々木くん!」

 深呼吸をして、佐々木くんの声に集中する。

『じゃあヒント二つ目。
 ②恋とは、順番ができること』
「順番……?」

 順番って、順番? 恋の……順番?
 黙っていると「分からないって顔してる?」と、見事に当てられた。う、その通り……。

「ごめん佐々木くん、実は①のヒントの意味も、まだつかめてなくて」
『ヒント一つで答えが出ちゃったら、それはそれで味気ないからさ。どうせならヒント三つ目まで聞いてから、答えをだしてほしいけどね』

 電話越しにクツクツ笑う佐々木くんの声が、妙に楽しそうで。佐々木くんはやっぱり意地悪だなぁって、そう思ったら私の口角も無意識に上がっていた。

『じゃあ、また明日。おやすみ』
「あ、今日はありがとう、おやすみ」

 ピッと、通話を切る。すると、たちまち静かな世界が帰ってきた。

「②恋とは、順番ができること……かぁ」

 頭の中、ヒントがグルグル回っている。そして、同じくらい佐々木くんの顔もグルグル……あれ? なんで頭の中に、佐々木くんがいるんだろう。それに、心臓が妙にドキドキ鳴ってるのは……気のせいかな?

「お母さんに迎えにきてもらおうかと思ったけど、歩いて帰ろう」

 自分の顔が赤い気がして、手でパタパタ扇いでみる。だけど頭の中をヒントと佐々木くんがグルグル回る度、不思議と体温が上がっている気がした。



 それから数日が過ぎ、一か月前からだんだんと減ってきていた生徒数は、不思議なことに、だんだんと数を取り戻してきた。一人、また一人と空いた席が埋まっていく。静かだった教室は賑やかになり、廊下には、生徒の談笑が響いている。
 廊下を歩く音、移動教室での話し声。トイレの外にて友達を待つ女子、ただ廊下で風にあたっている男子。一度なくなって、初めて実感する。学校とは、こんなに色んな音に溢れていたのだと。

「おはよー、空峰さん」
「佐々木くんっ、おはよう」

 佐々木くんを見て、小さな音でドキッと鳴る私の心臓。

「ビックリした、前から声をかけてよ」
「その驚いた顔が見たくてね、つい後ろから声を掛けちゃうんだよ」

 今日も今日とて意地悪な佐々木くんは、前よりももっと私に話かけてくれるようになった。それは、たぶん。黒板の右端に書かれている、あの文字が原因。

【 地球滅亡まで、あと三日 】

 そう。ついに、三日後に地球は滅亡する。こんなに賑やかな光景を目の前にしていると、にわかには信じがたいけど。
 だけど、日を追うごとに不安が増している。だからこそ、皆も安心を求めるように学校へ集まるのだろう。今までの日常こそが小さな幸せで溢れていたと、そのことに気付いたから。

「佐々木くん、なに持ってるの?」
「これ? 例の掲示板だよ。張り替えてるんだ」

 係でも、委員会でもないのに自分で掲示物を作り、自分で張り替えてるのだから、佐々木くんって本当に優しいというか律儀というか。
 張り替えると簡単に言うけど、学校中の掲示板を目指して練り歩くわけだから、三十部の掲示物がはける頃には歩き疲れる。この前の私がそうだった。だというのに、そんな苦労は「苦労」と思っていないらしく、佐々木くんは三日間しか目に触れない掲示物を、今日も全て張り替えるらしい。

「て、手伝い、ます……」
「乗り気じゃないのに? でもありがとう、助かるよ」

 ヒヒヒと悪そうな笑みを浮かべて「じゃあ放課後」と、手を振る佐々木くん。その後ろ姿を見ていると、弥生ちゃんが「おはよー」と教室に入って来た。そして目ざとく、佐々木くんを見つめる私を発見する。

「おや? おやおや、まあまあ」
「や、ちがう。違うから……!」

 弥生ちゃんには、佐々木くんのことを話している。告白してくれた、って。
 聞いた時、弥生ちゃんは「えー!」って驚いていた。それはそれは、目が飛び出るんじゃないかってくらい驚いていた。「詩織にも春が!」と言ってくれたけど……、まだ私は解けていない。春が来るのは、まだ先で。雪が溶けるのさえも、まだまだ先の模様。

 恋ってなに?
 恋って楽しい?

 って。佐々木くんから与えられた課題を、全然クリア出来ていない。必然的に、佐々木くんへの返事も保留のままだ。

「にしても、もう三日目には死んじゃうんだから、そろそろハッキリしないと。佐々木くん、かわいそうだよ?」
「うん……。本当に、そうだよね」

 二人で掲示物を張り替える、今日が勝負だ。静かな闘志を燃やす私を見て、弥生ちゃんは首をひねった。

「ぶっちゃけさ、今どのくらい〝恋〟を理解してる?」
「え……、っと。少しくらいは……?」

「……その言い方、全く理解していないとみた」
「えぇ! 採点が厳しい……」

 未だに解ける気がしない。でも、やってみせる。だって佐々木くんが出してくれたヒントは、恋のカケラそのもの。だから私は、それを集めてパズルのように組み替える。そうしたらきっと、正しい恋の形が見つかるはずだから――


――と、なんだかんだで放課後は、すぐに来る。

 佐々木くんは掲示物を手にして、私の机まで来てくれた。そして「行こうか」と、いつかと同じく先頭を歩いてくれる。

「じゃあ、私は前の掲示物をとっていくね」
「うん、よろしくね」

 私が前の掲示物をはがし、佐々木くんが新しい掲示物を貼っていく。剥がしている時に、「みんなが死ぬまでにやりたいことベスト3」の文字が見えた。

「このアンケートってさ、いつとったの?」
「クラスの人から順番にって感じかな」

「大変だったでしょ?」
「そうでもないよ、アンケートはネット上でとったからさ。一度作っちゃえば楽なもんだよ」

 すごい、佐々木くんって学生なのに、もうそんな事が出来るんだ。思えば、佐々木くんって何でもできる。アンケートを取ったり、掲示物を作ったり。それだけじゃなくて、私を励ましてくれて、力強い言葉を何度も与えてくれた。だけど……、三日後。そんな佐々木くんさえも死んでしまう。こんなにいい人なのに。

「よし、じゃあ次の場所に移動しようか……って。空峰さん、どうしたの?」
「え……」

 どうしたのって、私……どうなってるの?
 不思議に思っていると、佐々木くんが私の頬へ手を伸ばした。そして「泣いてる」と。温かい指が私の目じりをなでる。

「どうして泣いてるの? 何か新しい悩み?」
「私は、ただ……」

 佐々木くんが死ぬのは嫌だなって、そう思っただけなのに。どうして泣いてるんだろう。私だって死ぬのに、自分の事よりも佐々木くんが死んじゃうことの方が、悲しくてツライ。

「悩み事……、ある」
「よしよし、話してみなさいな」

 いつもの調子で聞いた佐々木くんは、次の私の言葉で固まった。

「佐々木くんだけ死なない方法、探したい」
「……え? なんで俺だけ?」

「だって……」と言葉を詰まらせる私は、はがした掲示物を胸の中で抱きしめた。

「佐々木くんは、死んじゃダメだよ。生きなきゃダメ。こんな優しい人が死ぬなんて、間違ってる」
「空峰さん……」

 私がこんな事を言うなんて、たぶん佐々木くんはビックリしてる。でも、私もビックリだよ。まさか私が、こんな事を思うなんて。

「ありがとう、空峰さん。だけど、俺だけ生き残るなんて嫌だなぁ。だって俺は生きて、空峰さんは死ぬんでしょ?」
「え……、うん。そうだけど」

「なら、その〝生〟は俺にとって意味がないよ。好きな子がいない世界なんて、俺にとっては価値がないもん」
「佐々木くん……」

「価値がない」と言い切ってしまうところが、なんとも佐々木くんらしい。そんなに力強く自分の気持ちを言えるなんて……羨ましい。

「ごめん、変なこと言っちゃった」
「ううん、全然。むしろ嬉しかった」

 嬉しい?と反復すると、掲示物を握る私の手に、佐々木くんはソッと手を重ねた。

「俺だけ生きててほしい――っていうのは、ともかく。空峰さんが俺のことを考えてくれてたっていうのが、嬉しい。空峰さんの頭の中に、俺がいるんだなって分かって……ごめん、顔がにやける」
「い、いつもの顔……だけど?」

 すると「必死で隠してるんだよ」と、佐々木くんが笑った。その笑顔にドンッと体の内側を何かが叩いた感覚を覚える。……なに、今の衝撃。気のせいかな?
 顔に熱が集まった気がして、パタパタ扇ぐ。すると佐々木くんは「あ」と、何かを思い出したようだった。

「俺らの余命もあと三日なわけだし、最後のヒントを言っちゃおうかな」
「えぇ、今⁉ 佐々木くんは、いつも急だよッ」

 急いでスマホにメモを取ろうとする私を、佐々木くんはケラケラ笑って見る。そして――

「ヒント三つ目。
 ③恋とは、始まりがあっても、終わりがないこと」

 全てのヒントを言い切った後、佐々木くんは真っすぐ私を見た。私の頭の中は、さっきのヒントよりも佐々木くんの顔がグルグル回っている。

「これでヒントは終わり。どう、恋について何か分かった?」
「……まだ、分からない」

 呟くと、佐々木くんは少し目を開いた後。何事もなかったように「そう」と笑った。

「焦らなくていいんだよ。と言っても、三日後には死んじゃうから……そうだな。三日後。良ければ、またここに来てよ」
「え、学校に?」

「俺も来る。空峰さんさえ良ければ……って、人生最後の日に、なんで学校にって感じだよね。ごめん、忘れて」
「……ううん、行くよ。私、学校に行きたい」

 学校に来てほしい。それは、裏を返せば「告白の返事を聞かせてほしい」という意味だと分かって。私は静かに頷いた。

「でも普通は、家族や大事な人と一緒にいるもんじゃないの?」
「佐々木くんも知ってるでしょ。私が当たり前を当たり前と思わないこと。それに……佐々木くんは、もう私の中で大事だもん」

 すると驚いた顔をした佐々木くんは「ありがとう」と、笑って、何度か頷いた。そしてお互い何を話すでもなく、掲示物の張り替え作業に戻る。
 その後は、ずっと沈黙だった。だけど、それを心苦しいとか気まずいとかは一切思わなくて――むしろ佐々木くんといるからこそ心地よくさえ感じた。

「じゃあ、また明日ね」
「うん、また」

 学校から帰った後も。私の頭の中には、佐々木くんと佐々木くんのヒントでいっぱいだった。ヒントは全て揃った。三つのヒントから、私は「恋の正解」を見つけないといけない。

 ①恋とは、音が違うこと
 ②恋とは、順番ができること
 ③恋とは、始まりがあっても、終わりがないこと

「……佐々木くんを前にすると、いつもの私じゃなくなるのは分かるんだけど。これが、恋っていうことなのかな?」

 佐々木くんといたら嬉しいし、楽しい。話し掛けてくれたら喜んじゃうし、帰る時は寂しくなる。こういうのが、恋ってこと? だけどヒントを何も活かせてない気がする。佐々木くんが私に言いたかったことって……こういう漠然とした答えではない気がする。

「う~ん……」

 と悩んでいた、その時だった。けたたましい音で、自分のスマホが鳴り始める。それは私だけではないようで、家中から聞こえてくる。家族みんなのスマホが、同時になったらしかった。

「え、っていうことは……――」

 会社も機種も違うスマホが、同じ時刻にアラームを鳴らすということは……非常事態の通知。まさか、と思って画面を見ると、そこには「巨大隕石飛来」と大きく文字が出ていた。

【 ただちに地下や建物内に避難せよ 】

 この文字を見て、頭が真っ白になる。だって、予定では三日後じゃないの? あと三日、私たちの命は残ってるんじゃないの?

「詩織! こっちに来なさい!」
「お、母さん……!」

 慌てて部屋に入って来たお母さんが、私の腕を引っ張る。なすすべもなく、皆でリビングに一つになって固まった。ニュースはずっとつけてる。だけど聞こえてくるのは落ち込む内容ばかり。日本を簡単に飲み込む大きさの隕石が、各国の上空から飛来していること。宇宙から隕石の映像が届くも、カメラのフレームにおさまりきらず、映像は途中で中止になった。アナウンサーは毅然とした態度で原稿を読み上げているけど、目には涙がたまっている。……我慢してるんだ。このアナウンサーだって、本当は原稿なんか読みたくないはずだ。家族や大事な人に電話をして、安心する声を聞きたいはずだ。
 その時。佐々木くんの言葉を思い出した。

――限られた余命の中で人生の後悔がないよう行動するのは、何よりも尊いことじゃないかな?

「……っ」

 そうだよ。私、ここで固まってちゃダメだ。

「行かなきゃ」

 スッと立ちあがる私の腕を、お母さんが掴んだ。「どこに行くの!」と、その目には涙が浮かんでる。

「お母さん……」

 ……そうだよね、私だってお母さんともっと長く生きたかった。大人になったら、お父さんとお酒を飲みたかった。だけど……もうかなえられそうにないから……。かなえられない未来を憂うより、かなえられる今を、私は大事にしたい。

「詩織、行きたい所があるなら行きなさい」
「お父さん……」

 お母さんが、すごい剣幕でお父さんを見た。だけど、お父さんは考えを変えなかった。真っすぐ私を見て、不器用にハグをした。

「お前が娘として生まれて来てくれた事が、お父さんお母さんの人生で一番の幸福だった。そんなお前が、自分の進みたい道を最期に進むのであれば、またそれも、お父さんお母さんにとっては幸福なんだよ。だから悔いのないよう、行っておいで」
「……っ、はい」

 手を回し、ハグをし返す。するとお母さんが「詩織ぃ」と、泣きながら私の腕を掴んだ。

「いつもありがとうお母さん、ずっと大好きだよ」
「~っ、……っ」

 お母さんは言葉にならなかったらしく、何度も、何度も頷いた。そんなお母さんの肩を、お父さんが支えている。そして私に目くばせした。行きなさい――と。

「うん。行ってきます」

 最後の挨拶をして、家を飛び出す。見上げると、まだ隕石は見えない。なら、まだ時間はあるということ。

「学校へ、行かないと!」

 走って、走って。走って走って、やっと学校にたどり着く。その時に「佐々木くんに先に連絡するべきだった」と、遅すぎる後悔をした。効率よく時間を使わないと、最後に佐々木くんと会えるか分からないのに――と震える指で佐々木くんの連絡先を呼び出した、その時だった。

「空峰さん」
「え……、佐々木くん?」

 校門を少し歩いた先に、その人はいた。会いたかった人、本当は三日後に会う約束をしていた人。全く連絡をとっていなかったのに、私たちは奇跡的に再会できた。思い出のある、この学校で――

「良かった、空峰さん来てくれたんだね」
「佐々木くんこそ……、どうして?」

「分からない。だけどアラームを聞いて〝行かなきゃ〟って。そう思ったんだ」
「……っ、同じだよ」

 ぽたりと零れた涙が、佐々木くんの姿をぼかしていく。最期の最後、佐々木くんをずっと見ていたくて、急いで涙を拭く。
 そう、私は泣きにきたんじゃない。佐々木くんのくれた課題を解きに、そして告白の返事をしに来たんだ。

「私、私ね……っ」

 だけど、言いたいことが渋滞してて、全く言葉にならない。たくさんの事を伝えたいのに、いざ言葉にしようとすると何から話していいのか分からない。
 急げ、急げいそげ。時間は無限じゃない、制限時間がある。その中で、ちゃんと伝えないといけないのに――

「空峰さん」
「はい……っ」

 嗚咽をもらすほど泣く私の背中を、佐々木くんがポンと叩いた。そして何度も何度も、撫でてくれる。

「空峰さんの心臓、今どんな音がしてる? 手をあててみて」
「え……?」

 いきなり聞かれて驚く。だけど言われた通り心臓に手を当て、自分の音を聞いてみた。すると、自分でもビックリするほど早く動いていて……息つく暇もないほど忙しない。これが、今の私?

「走ってきた、からかな。でも……」

 この心臓の音、今まで何度となく聞いた。主に佐々木くんと一緒にいる時が多かった気がする。

「佐々木くんと一緒にいるから、ドキドキしてる……ってこと、だよね?」
「うん。それがヒント①恋とは音が違う、ってことだよ。
 じゃあ、次。
 今、空峰さんがここにいるのは、どうして? どうして家族と一緒にいないの?」

「それは……」

 佐々木くんと会わなきゃって、その想いだけで来た。だから家族に別れを告げて、学校に走った。……そうか、私の中で優先順位が出来たんだ。家族よりも大切な人が、出来たんだ。

「最期に過ごすのは佐々木くんがいいって……、そう思った」
「……そっか。うん、それがヒント②恋とは順番ができる、ってことなんだ」

 ふッと笑った時、佐々木くんの目が光った気がした。その光る物は、私の目からも溢れていて――お互い止めることが出来ないまま、何も言葉を交わさないまま。ぎゅッと、優しく抱きしめ合う。

「佐々木くん、これが恋なんだね……?」
「そうだよ。今、空峰さんの中にあるものが恋なんだ。俺を抱きしめてくれる、この君の手こそが、恋の証なんだよ」

「そっか、そうなんだ……。ふふ、素敵だね」
「うん」

 喉の奥から、鼻をぬけてキュッと切ない気持ちが湧きあがる。何度も何度も湧き上がって、その度に私は涙を流す。だけど、その涙を受け止めてくれるのは、必ず佐々木くんで――彼の肩に落ちる私の涙が、まるで浄化されるように消えていく。私の気持ちを、佐々木くんが受け止めてくれているようで、切ない気持ちが幸せへと変換される。
 だから、切なくてもいい。悲しくてもいい。佐々木くんがそばにいてくれるなら、私はどんな感情だって受け止められる気がするから。

 ねぇ、佐々木くんも、こんな気持ちなの?
 今、なにを考えてる?

「あ、きたよ」

 その声と一緒に夜空を見上げると、瞬く星の中に、一つだけ一際明るい星があった。それは時間を追うごとに大きくなっていて……。ついに隕石が、見える距離にまで来たのだと実感する。
 あと何分、こうして二人でいられるだろう。この限られた時間の中、私たちは何をするべきなの? ……って考えたところで分からないから、頭の中にある言葉を、素直に声に出そうと思う。