一ノ瀬がぐうの音も出なくなったところで校内放送が鳴った。手隙の実習生は全校集会の準備のため、講堂に集まるようにとの指示だった。
三人揃って講堂に向かうと、実技棟が一番近いためか、他の実習生はいなかった。しばらくすると、学年主任の年配の先生が来て指示を出した。
「お、早いね。じゃあ、椅子出して、床の目印見ながら椅子並べてって。あと、舞台袖から演台出してね。って、卒業生だから言わんでも分かるか、ハハハ」
学年主任は笑いながら、できたら声かけてね、と後ろの方の椅子に座った。しばらくすると、力のあり余っていそうな体育の実習生や男性ばかりの理数系の実習生が来たおかげで、準備はあっという間に終わった。
「あれー、もう準備終わっちゃったんですかあ?」
全てが終わった頃に、耳障りな声が講堂に響いた。佐々木美希や他の女性陣が入ってきた。佐々木は教育実習でも高校の延長のように取り巻きを作って幅を利かせているようだ。
「せっかくわざわざ講堂まで来たのにねー」
「本棟から講堂遠かったのに」
遅れてやってきた彼女らは作業を手伝ってもいないのに、なぜか文句を言っていて私は口があんぐり開きそうな思いだった。黒川も驚きながらも冷めた目で見ていたので、私と思いは同じだったようだ。他の男性陣は「今、終わったところだよ!」と明るく声をかけていたので、人間ができているなと感心してしまった。
「一ノ瀬、なんか久々に見たわ!初日以外全然見かけないけど、どこにいんの?」
ノリの良さそうな数学の実習生に一ノ瀬が絡まれていた。
「いや、普通に実技棟にいるけど」
「そういやお前、担当音楽だっけ?楽器とかできんの?そこのピアノで何か弾いてくれよ!」
「講堂のピアノ勝手に触ったらだめだから無理。それに俺は作曲専攻だから」
「音大なのにピアノ弾けねーの⁉」
「いや、普通に弾けるけど、専攻が違うんだって」
「ねー、一ノ瀬くん、たまにはこっちの会議室にも来てよー。こいつらうるさ過ぎなの!一ノ瀬くんの爽やか笑顔で癒されたーい」
「あたしもー」
「スマイルくださーい」
「ちょっと、面倒な絡み方しないでよ。俺、まだ指導案が……」
一ノ瀬の周りにわらわらと男子が集まり、そして女子もその輪に入り始めた。その中には佐々木もいた。私は逃げるようにそそくさと講堂を出た。
「待って、澤村さん」
講堂前の廊下を歩いていると、後ろから黒川が追いかけてきた。彼女もさっさとあの場から退散したらしい。
「小会議室に戻るんでしょう?私も戻るから一緒に行きましょう」
黒川は講堂を振り返って苦笑しながら言った。
「出てくるとき、一ノ瀬くんの視線を感じたような気がするけど置いてきちゃいました」
「懸命な判断だね」
「一ノ瀬くんって相変わらず人気者ですね」
「高校の時から知ってるの?」
「一年の時、隣のクラスだったので。体育祭とか文化祭とかいつも目立ってましたよ」
「へー、そんな感じする。彼、話しやすいもんね。私みたいな絵しか興味ない根暗とも気さくに話してくれるし」
「それを言うなら私も書道ばかりしている根暗ですよ」
似た者同士だね、と黒川と顔を見合わせて笑い合った。
「私ね、澤村さんと二人になったら、聞きたかったことあったんですよ」
「え、何だろう?」
「澤村さんってSNSやってます?絵のアカウントとか」
「あるよ。ほぼ自分用に進捗とか作業工程を写真撮って載せてるだけの味気ないアカウントだけど」
「やっぱり!このアカウント、澤村さんですよね⁉」
いつも物静かな黒川が興奮気味に携帯電話の画面を見せてきた。そこには私のアカウントの画面があった。
「ああ、これ、そうそう、私。フォローしてくれてるんだ、ありがとう。でも何で?」
「何でって去年の澤村さんの絵を見てファンになってフォローしたに決まってるじゃないですか!あの時、フォロワー一気に増えたんじゃないですか?」
「去年……ああ、あれか。そうなんだ、ありがとう。いや、私、SNSあんまり慣れてなくてよく分かってなくて」
「最初は同姓同名かなって思ってたんですけど、もしかしてって思って。すごいですね、澤村さん!あの絵も最高でした!」
「いや、凄いのは私じゃなくて、依頼主の……」
「澤村さーん、黒川さーん!」
名前を呼ばれて、私たちは会話を止めて声の方を見ると、飯森が廊下の反対側から歩きながら手を振っていた。
「飯森さん、授業見学だったの?なんかいい匂いするね」
飯森のスーツから甘い香りが漂っていた。
「そうそう、さっきまで調理実習でね。補助もしてたの。ほら、お土産のカップケーキ!」
「え、いいの?やったー!」
「嬉しいです」
「講堂で全校集会の準備してたんでしょ?二人ともお疲れ様。あれ、一ノ瀬は?あいつの分も持ってきたのに」
「講堂で元スクールカースト上位の方々と戯れてたよ」
「じゃ、これはあたしが食べるか」
そこからは三人で話しながら小会議室に戻った。
「もうさ、カップケーキ焼くだけなのになぜかカップケーキがオーブンの中で燃えかけてて、大変だったんだよ。そしたら家庭の先生が、毎年一人は燃やすのよねって呟いてて笑いそうだったけど、教師の立場だと笑えないわって真顔になったわ」
「確かに生徒側だと笑えるけど、先生側じゃ笑えないよね」
「調理実習って準備とか片付けも大変そうですね」
飯森の調理実習の話を聞いていたらすぐに小会議室に着いた。指導案の続きに取りかかろうとして、私は異変に気付いた。
「あれ……ない」
私が作業していたはずの机の上が真っ新になっていたのだ。放送で呼び出されて、筆記具すら仕舞わずに出て行ったのに、書きかけの指導案もペンケースすらなかった。高校の時の記憶が蘇って、嫌な予感がした。飯森と黒川に気づかれないように、部屋の隅にあるゴミ箱に近づいて中を覗いたら案の定だった。
ああ、何度も見たことがある光景だ。懐かしさすら感じる。
破かれた指導案。壊された筆記具やペンケース。既視感があるのは、高校生の時に数えきれないくらい同じ光景を目にしたからだ。怒りよりも諦めに近いようなあの懐かしい感覚がして、私はゴミ箱の前で立ち尽くした。
思い出したくない過去が、あの苦しい日々が、脳内に鮮明に蘇える。
三人揃って講堂に向かうと、実技棟が一番近いためか、他の実習生はいなかった。しばらくすると、学年主任の年配の先生が来て指示を出した。
「お、早いね。じゃあ、椅子出して、床の目印見ながら椅子並べてって。あと、舞台袖から演台出してね。って、卒業生だから言わんでも分かるか、ハハハ」
学年主任は笑いながら、できたら声かけてね、と後ろの方の椅子に座った。しばらくすると、力のあり余っていそうな体育の実習生や男性ばかりの理数系の実習生が来たおかげで、準備はあっという間に終わった。
「あれー、もう準備終わっちゃったんですかあ?」
全てが終わった頃に、耳障りな声が講堂に響いた。佐々木美希や他の女性陣が入ってきた。佐々木は教育実習でも高校の延長のように取り巻きを作って幅を利かせているようだ。
「せっかくわざわざ講堂まで来たのにねー」
「本棟から講堂遠かったのに」
遅れてやってきた彼女らは作業を手伝ってもいないのに、なぜか文句を言っていて私は口があんぐり開きそうな思いだった。黒川も驚きながらも冷めた目で見ていたので、私と思いは同じだったようだ。他の男性陣は「今、終わったところだよ!」と明るく声をかけていたので、人間ができているなと感心してしまった。
「一ノ瀬、なんか久々に見たわ!初日以外全然見かけないけど、どこにいんの?」
ノリの良さそうな数学の実習生に一ノ瀬が絡まれていた。
「いや、普通に実技棟にいるけど」
「そういやお前、担当音楽だっけ?楽器とかできんの?そこのピアノで何か弾いてくれよ!」
「講堂のピアノ勝手に触ったらだめだから無理。それに俺は作曲専攻だから」
「音大なのにピアノ弾けねーの⁉」
「いや、普通に弾けるけど、専攻が違うんだって」
「ねー、一ノ瀬くん、たまにはこっちの会議室にも来てよー。こいつらうるさ過ぎなの!一ノ瀬くんの爽やか笑顔で癒されたーい」
「あたしもー」
「スマイルくださーい」
「ちょっと、面倒な絡み方しないでよ。俺、まだ指導案が……」
一ノ瀬の周りにわらわらと男子が集まり、そして女子もその輪に入り始めた。その中には佐々木もいた。私は逃げるようにそそくさと講堂を出た。
「待って、澤村さん」
講堂前の廊下を歩いていると、後ろから黒川が追いかけてきた。彼女もさっさとあの場から退散したらしい。
「小会議室に戻るんでしょう?私も戻るから一緒に行きましょう」
黒川は講堂を振り返って苦笑しながら言った。
「出てくるとき、一ノ瀬くんの視線を感じたような気がするけど置いてきちゃいました」
「懸命な判断だね」
「一ノ瀬くんって相変わらず人気者ですね」
「高校の時から知ってるの?」
「一年の時、隣のクラスだったので。体育祭とか文化祭とかいつも目立ってましたよ」
「へー、そんな感じする。彼、話しやすいもんね。私みたいな絵しか興味ない根暗とも気さくに話してくれるし」
「それを言うなら私も書道ばかりしている根暗ですよ」
似た者同士だね、と黒川と顔を見合わせて笑い合った。
「私ね、澤村さんと二人になったら、聞きたかったことあったんですよ」
「え、何だろう?」
「澤村さんってSNSやってます?絵のアカウントとか」
「あるよ。ほぼ自分用に進捗とか作業工程を写真撮って載せてるだけの味気ないアカウントだけど」
「やっぱり!このアカウント、澤村さんですよね⁉」
いつも物静かな黒川が興奮気味に携帯電話の画面を見せてきた。そこには私のアカウントの画面があった。
「ああ、これ、そうそう、私。フォローしてくれてるんだ、ありがとう。でも何で?」
「何でって去年の澤村さんの絵を見てファンになってフォローしたに決まってるじゃないですか!あの時、フォロワー一気に増えたんじゃないですか?」
「去年……ああ、あれか。そうなんだ、ありがとう。いや、私、SNSあんまり慣れてなくてよく分かってなくて」
「最初は同姓同名かなって思ってたんですけど、もしかしてって思って。すごいですね、澤村さん!あの絵も最高でした!」
「いや、凄いのは私じゃなくて、依頼主の……」
「澤村さーん、黒川さーん!」
名前を呼ばれて、私たちは会話を止めて声の方を見ると、飯森が廊下の反対側から歩きながら手を振っていた。
「飯森さん、授業見学だったの?なんかいい匂いするね」
飯森のスーツから甘い香りが漂っていた。
「そうそう、さっきまで調理実習でね。補助もしてたの。ほら、お土産のカップケーキ!」
「え、いいの?やったー!」
「嬉しいです」
「講堂で全校集会の準備してたんでしょ?二人ともお疲れ様。あれ、一ノ瀬は?あいつの分も持ってきたのに」
「講堂で元スクールカースト上位の方々と戯れてたよ」
「じゃ、これはあたしが食べるか」
そこからは三人で話しながら小会議室に戻った。
「もうさ、カップケーキ焼くだけなのになぜかカップケーキがオーブンの中で燃えかけてて、大変だったんだよ。そしたら家庭の先生が、毎年一人は燃やすのよねって呟いてて笑いそうだったけど、教師の立場だと笑えないわって真顔になったわ」
「確かに生徒側だと笑えるけど、先生側じゃ笑えないよね」
「調理実習って準備とか片付けも大変そうですね」
飯森の調理実習の話を聞いていたらすぐに小会議室に着いた。指導案の続きに取りかかろうとして、私は異変に気付いた。
「あれ……ない」
私が作業していたはずの机の上が真っ新になっていたのだ。放送で呼び出されて、筆記具すら仕舞わずに出て行ったのに、書きかけの指導案もペンケースすらなかった。高校の時の記憶が蘇って、嫌な予感がした。飯森と黒川に気づかれないように、部屋の隅にあるゴミ箱に近づいて中を覗いたら案の定だった。
ああ、何度も見たことがある光景だ。懐かしさすら感じる。
破かれた指導案。壊された筆記具やペンケース。既視感があるのは、高校生の時に数えきれないくらい同じ光景を目にしたからだ。怒りよりも諦めに近いようなあの懐かしい感覚がして、私はゴミ箱の前で立ち尽くした。
思い出したくない過去が、あの苦しい日々が、脳内に鮮明に蘇える。