翌日の放課後、ノエルはヒトヤに中庭まで呼び出された。季節の花が咲く小さな花壇がある、落ち着いた雰囲気の場所だ。
ノエルから告白するまでもなく、向こうから告白されるのではないか。そんな成功フラグに、僕は諦めにも似た気持ちを覚える。
「呼び出しって何だろう……タイマンかな」
「そんなわけあるか」
「えー?」
昨日告白すると意気込んでいた割に、呼び出しを受けても浮き足立った様子のない彼女は、一体何を考えているのだろう。誰より側に居るはずなのに、彼女のことが今は何もわからない。
待ち合わせ場所につくと、白神ヒトヤは既に到着していた。
「あ。望月さん、来てくれたんだ」
「白神くん……お話って、なにかな?」
「その……望月さんのこと、実は前から気になってて……良ければ俺と……」
この雰囲気は、間違いない。よかった、これでいい。
一晩経って、僕の心は決まっていた。僕はもう、失恋の痛みを知ったのだ。彼女に同じ気持ちは感じて欲しくない。自分の恋が叶わなくてもいい。彼女には、幸せになって欲しかった。
それでも間近で見たくなくて、そっとその場を離れようとした時だった。彼女の口から、予想外の言葉が飛び出す。
「ごめんなさい……わたし、好きな人が居るんです!」
「……は!?」
片想いの相手からの告白を九十度のお辞儀で綺麗に断わる彼女の様子に、僕は思わず声を出し立ち止まり、呆然とする。好きな人は、そいつだろうに。
「……そっか、急にごめん。前からよく見ててくれた気がしたから、勘違いしちゃった。格好悪いなぁ……」
「そんなことない……! 見ていたのは本当で、わたしも白神くんのこと、憧れてた……だから、夢みたいに嬉しい」
「でも、告白を受け入れてはくれないんだね」
「ごめんなさい……」
「理由を聞いても?」
「えっと、上手く言えないんだけど、白神くんが好きになってくれた今のわたしは……わたしが好きになれた今のわたしは、わたし一人ではなれなかったの」
「つまり……君を変えてくれた恩人がいるのかな」
「うん……わたしは、その人のことが好き」
「……!」
「そっか……わかったよ。教えてくれてありがとう。それなら、せめてその人と上手く行くように祈らせて欲しいな」
「……ありがとう、白神くん。本当にごめんね」
目の前で起きていることに、現実味がわかない。本当に祈るような仕草をして去っていった白神ヒトヤの姿が見えなくなって、取り残された僕とノエルは気まずい雰囲気の中に居た。
「ノエル、さっきのって……」
「うう……ちゃんと言うつもりだったのに! フライングしちゃった」
「あれはフライングっていうのか? ……じゃあ、昨日言ってた告白するってのは、白神ヒトヤにじゃなくて……僕に?」
照れたように頷いたノエルに、どうしようもなく嬉しくなる。自覚した瞬間溢れる初めての両想いの味は、昨夜噛み締めた失恋の味よりも満たされた気持ちになった。
それでも、僕は彼女の気持ちに答えるわけにはいかない。
「……僕は、ずっときみに嘘をついていた。だから、その気持ちに答える資格はない」
「天使だって、嘘ついたこと?」
「……! 知ってたのか……」
「えへへ、昨日の夜、見ちゃったの。空を飛ぶ時の、大きな黒い羽根。もしかしたら、天使じゃないのかもって……」
「……そうだよ、僕は悪魔だ」
「ルキさんが、悪魔……悪魔って、思ったより優しいんだね」
「悪魔は卑劣で残忍な生き物だよ。慈愛に満ちた天使とは程遠い」
「……天使でも悪魔でもいい。わたしは、ルキさんが好き」
「……!」
「ずっとわたしの側に居てくれた、あなたが好きなの」
嘘を受け入れ、ありのままの僕を見て、側に居た時間を信じてくれる。そんな彼女の言葉に、当然心は揺れる。
けれど美しい月明かりに照らされても、僕の羽根は黒いまま。自慢だった悪魔の証はこんなにも苦しいものだったのかと、人の心を散々食い物にしてきた過去の自分が嫌になった。
「それでも、僕は悪魔だ……存在しているだけで、きみたち人間を傷付ける……」
「うーん……もしもルキさんが悪魔の自分を嫌いなら、わたしが天使だって言うよ」
「は……?」
「あなたは、わたしを変えてくれたから。今度はわたしの番。……あのね、そもそも誰かの幸せを本心から願えるあなたは、誰が何と言おうと天使みたいな心を持ってるよ」
「あ……」
自信満々に告げられた言葉に、彼女の幸せのために身を引こうとしたことも、この葛藤も、すべてお見通しだったのだと理解した。
「なんで、わかるんだ……」
「ふふ。わたし、好きな人を観察するのは得意なの」
「……そうだった」
すべて許されたような、包み込まれるような、真っ直ぐで温かな彼女の愛情。素直に受け取ればじんわり胸を満たすその気持ちに、空腹はもう感じない。
「ノエル……こんな僕でも、これからも側に居ていい?」
「もちろん。ずっと、ずっと一緒に居てね……!」
花壇の花が風に揺れて、白い花弁が空に舞う。それがまるで、天使の羽根のように見えた。
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「……やれやれ。悪魔も恋をするなんて、予想外だったな……。でも、想いで欲を抑えられたなら、きっと天使にだってなれるよ」
白い羽根を広げ飛び立った白神ヒトヤは、二人の恋の行方を見守り満足そうに頷いた。
欲望のまま動く悪魔と違い、天使は人間の幸せのために働くものだ。時にこうして人間に紛れて生活し、恋のキューピッドをすることもある。
この学校担当のヒトヤは、とても真面目で模範的な天使だった。
不幸を呼び込みがちだった望月ノエルに悪魔が近付いた時は心配だったものの、前向きに変わっていく二人の様子を見ている内に、彼こそが彼女の幸せに不可欠な最後のピースだったのだと判断した。
その結果、二人の関係を後押しするためにフラれるための告白なんていう不慣れな一芝居を打ったのだ。
「でもまあ、天使だろうと悪魔だろうと……愛の前では皆平等だ。末永く幸せであるようにと、天使の加護付きで祈っておくよ」
やがて日が沈み、もうすぐ夜がやってくる。もう嘘のない二人の夜は、月明かりのような優さに満ちているといい。
ヒトヤはそんな願いを込めながら、大きな羽根を広げ、二人を祝福するように空を舞った。