僕は悪魔だ。絶望、失望、悲しみ、妬み。そんなネガティブなエネルギーや人間の不幸を糧とする、心無い卑しい存在。
その中でも僕は取り分け、人間の恋心に関するエネルギーが好物だった。
そして今宵も空腹のまま食事を探しに人間界へと向かったところで、僕は最高のターゲットを見付けた。
「……あの子か。美味しそうな失恋の気配がする」
長い黒髪に、化粧っ気のない顔。膝下スカートに、学校指定の地味な色味のカーディガン。
良く言えば真面目、悪く言えば野暮ったくて地味な印象の少女『望月ノエル』は、学校でも目立つ人気者の『白神ヒトヤ』に叶わぬ恋をしていた。
美味しそうな気配に誘われるままターゲットを彼女に決めた僕は、その恋がどんなものかとしばらく観察することにした。
人間が食事前にレストランのメニューやお菓子のパッケージ裏の成分表を眺めるようなものだ。
グルメな僕は、空腹こそ最高のスパイスだと思っている。
だから望月ノエルの恋をより知るために、一ヶ月と期限を決めて彼女について回ることにした。
恋心から来る一喜一憂も大事な調味料。僕は彼女という料理を余すところなく堪能したかったのだ。
しかしながら、彼女の恋は遠くから見詰めるだけで満足するような、到底叶う見込みのない片想いで、そもそも相手の男とは会話したことだってないようだった。
「話したことすらない相手を好きになるなんて、人間ってのはやっぱり不思議だな……」
たまたまヒトヤと廊下ですれ違う機会があっても、ノエルは顔を上げられず俯いて、足早に立ち去るような引っ込み思案ぶり。
それなのに、完全に通りすぎてから振り返っては溜め息を吐くのだ。そして、前方不注意で他人とぶつかって、慌てて謝ってまた溜め息を吐く。
煮え切らなくて、どんくさくて、暗くて、弱虫。それが、彼女に対する第一印象。
「なんか……僕が何か仕掛けなくても、勝手に失恋しそうだな……こいつ。最悪一週間待たずに失恋するんじゃないか……?」
そんなノエルの恋の相手のヒトヤは、爽やかな笑顔が魅力的な生徒会長にしてバスケ部のエース。顔も良ければ性格も良い、まさに王子様的な存在だった。
そんなヒトヤだから、女子からの人気も凄まじかった。恋人は居ないようだったが、正直時間の問題だろう。
「ノエルを見守ってれば、僕が手を下すまでもなく自然と食事にありつけるな……楽勝楽勝」
天使は人間のために恋のキューピッドをすることもあるけれど、悪魔は食事の楽しみのために恋を壊すこともある。
例えば、プロポーズ間近だった男女の間にちょっとした誤解の種を用意して、お互い疑心暗鬼になった結果隠されていた秘密が浮き彫りになって破局したり。
例えば、何股もしてる男に騙されながらも幸せだと笑う女を、他の女とのデート現場まで連れて行って現実を見せ付けてやったり。
例えば、恋に恋しているような夢見がちな女に、理想の王子様の情けない本当の顔を教えてやったり。
そんな些細な邪魔で、生まれるはずだった末永く幸せな恋なんてものは呆気なく消える。
愛だの恋だのは所詮まやかし。あっという間に消えてしまうふわふわの綿菓子みたいなものなのだ。
「どうせ、きみも思い知るよ」
授業中、ノエルはヒトヤのことを考えているようで、ノートの隅に小さく彼の似顔絵を描いていた。普段から良く観察しているおかげか結構似ていたけれど、授業が終わる頃には消してしまっていた。
昼休み、ノエルは窓際の席で本を読むふりをして、憧れの眼差しで校庭を走るヒトヤを眺めていた。
友達も居らずずっと一人で過ごす彼女の、けれどそんな幸せそうな横顔に、僕はいっそ憐れみを覚える。純粋な恋ほど、失った時の傷は大きいのだ。
「……まあ、僕には関係ないけどね」
そうして僕は、望月ノエルの失恋までをただ静かに見守ることにした。
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