正座を崩して、普通に座り直してから、用意していたお茶を一口飲み込んだ。緊張のせいで喉の奥までカラッカラに乾き切っていた。

「でも、イラストレーターさんの絵と音楽に救われてなんとか生きてて。アラタさんと出会ってから、リプライしあったり、DMしあったり、すごい毎日楽しくて」
「そっか、俺もミチルさんとのやりとり毎日楽しくて、助かってる」

 含みのある言い方に、アラタさんも私と同じで生きづらい思いを抱えて、隠して生きてるのかもしれないと思った。それでも、触れるつもりはない。言いたくなったら聞くつもりはあるけど、私から根掘り葉掘り聞くことはしない。

 私の悩みを笑うことなく、真剣に聞いてくれた後はイラストレーターさんの色使いが素敵だとか。あの曲がいいよだとか。新しくできたパンケーキのお店知ってる?とか。普通の友達らしい会話を繰り返していた。

 ふと、アラタさんが思い立ったように軽く言葉にする。

「ミチルって呼んでもいい?」
「もちろん! じゃあ、私もアラタって呼ぶね」
「おけー、今日は俺もう寝るけど。またミチルが時間ある時話そうぜ。愚痴も悩みも、聞くから」
「ありがと、今日は最初から変なこと言い出してごめんね」

 素直に謝る言葉もスラスラと出てくる。アラタと話してる間は、私はまるで普通の人みたいになれた。それなのに、優しかったアラタの言葉が急に鋭い形に変わる。

「変なことじゃないだろ」

 怒りを含んだような声に、ひゅっと喉の奥が締め付けられた。怒らせてしまった。また、やってしまった。そう思って体を縮こめていれば、続いた言葉は私を怒る言葉ではなく……

「ミチルの悩みを変なことって言うやつがいるなら、そいつが間違ってる」
「でも」
「悩みなんて人それぞれだし、ミチルは辛かったんだろ?」

 アラタの言葉に頬を涙が伝っていく。嗚咽を聞かせないように手の甲で無理矢理押さえつけて、ぐっと飲み込む。それでも、声は震えてうまく返せなかった。

「生きてていいんだよ、どんなだって」
「ありがと、誰かにそう言ってもらいたかったのかも」
「少なくても俺は、ミチルとのやりとり楽しくて、ほんっとに楽しみにしてんだから」

 怒りを孕んでいた声は、カラッとした笑い声に変わっていく。安堵と嬉しさから、ひっくとしゃくりあげてしまったけど、アラタは言葉を続けてくれる。

「だから、また話そうな」
「もちろ、ん」
「大丈夫? 寝れる?」
「寝れるよ、アラタ寝るとこだったのに、ごめんね」
「気にしないで、おやすみ」
「うん、おやすみ」

 ツーと通話が切れた音に、心が落ち着かない。ソワソワと無駄に立ち上がって部屋を歩き回る。怒られてしまうから音は立てないように。やけに体が熱いから窓を少し開けて、涼しい夜の風を取り込んでみた。

 体の表面の熱は下がっていくのに、中心がジンジンと痺れるように熱い。まっすぐ私を見てくれる人に、初めて出会った。

 これはもう、きっと恋だ。声を聞く前から、アラタは友だちで唯一無二の親友だとは思っていた。それでも、恋とは思っていなかったのに。

 名前をまっすぐ呼んでくれたこと。悩みをバカにしないで、私の話を聞いてくれたこと。もうそれだけで、恋に落ちるのには十分すぎた。

 友だちと言える人もそもそも少ないのに、ネット上の、しかも、顔も知らない相手に恋をしてしまうだなんて。心がざわめいて、外の空気を深く吸い込んでみる。真夜中なのに、近所の家にはちらほらと灯りが灯っていた。

 私が一人じゃないと伝えてくれてるように感じてしまうのは、さすがに感傷すぎるかもしれない。