また、朝が始まる。カーテンを開けると太陽の光が目に飛び込んできた。夏らしく、セミの大合唱が窓を開けなくても部屋まで聞こえてくる。
今日は朝がそんなに悪いものではない、そんな気がした。いつもは絶対に思わないのに、何故だろう。
今日も白いワンピースを着た。と言っても、全く同じものでは無い。腰には青いリボンが巻かれている。
「昨日、なんであんなに遅くなったの?」
お母さんから聞かれた。なんと言い訳すればいいだろう。そう考えたのは一瞬で、自分でもびっくりするくらい簡単に嘘が出てきた。
「勉強して夕方くらい帰ろうと思った頃に小学校の頃の友達に会って、話してたら夜になっちゃった」
私の方を睨むように見つめてくるお母さん。
「誰と会ったの?」
「……ゆいたん」
私が小学生の頃にカナの次に仲の良かった友達の名前を出す。彼女の名前は結楓と言うけれど全員「ゆいたん」と呼んでいた。頼もしいお姉さん気質の彼女はみんなから好かれていた。私も例に漏れず、幼い頃からずっと「ゆいたん」呼びだった。
「そう。今日は?」
「昨日また明日も会いたいって言われちゃったから今日も行く。昨日よりは遅くならないようにするから。」
お母さんは無言だった。それは肯定ということだろう。私は無視してダイニングテーブルに置かれたお皿とその上の1枚のはちみつかけ食パンを口に入れた。
はちみつの口の中にべっとりと貼り付く感覚と甘ったるさが、夏の部屋にこもる熱気が、早く家から出たいと思わせた。
3分もかからずに食パンを全て口に入れ終わると逃げるように家を出た。そんな私のことを、お母さんは何も言わなかった。
いつもの崖に行く一本道の前に、空夜くんが立っていた。いつもは絶対崖の上なのに。
「おはよう、はづき」
会うなり一番に笑顔で挨拶され、一瞬戸惑ってから慌てておはよう、と返す。
「なんで、今日はここに?」
「あぁ……一昨日言ったけれど、公園に行きたくて。」
なるほど、だからわざわざ上まで行かなくていいってことか。いつも山を登るのは体力を大量に消費し、それだけでバテてしまう私にとっては願ってもない話だ。
「いいよ、行こう」
私は空夜くんの後ろを着いて行った。
「……綺麗だね」
私は独り言のように呟いた。公園は様々な色で彩られている。紫色のラベンダー、赤色のチューリップ、青色の名前の知らない花、緑色の四つ葉のクローバー、まだ枯れていない黄色のたんぽぽ、そして先がほんのり赤紫がかっているシロツメクサ。
「ほんとに、綺麗」
空夜くんの目には彩りと輝きが映っていた。
「はづき……一緒に来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ、もうずっと来ることの無い場所だと思ってたから。だから、来れて嬉しい。」
自然に、何も意識せずに、私は空夜くんに向かって笑顔をこぼしていた。
ベンチに座ろう、と空夜くんが言って、私達は木でできた古いベンチに腰掛ける。周りにまで花が咲いていて、本当に綺麗だと思った。それなのにこんなに人が少ないのは、やっぱりここが田舎で、高齢者が多い分、子供が少ないからなのかな。それを少子高齢化って言うんだっけ。そんな考えを巡らせてると、50cmほど隣に座っていた空夜くんが不意に口を開いた。
「……懐かしい。僕が小学生の頃、色んな友達と……遊んでた。」
なんとなく、自分とカナのことを聞いているみたいだった。空夜くんは、カナに似てる。きっと空夜くんとカナは境遇が似ているんだと思う。だからカナと空夜くんをたまに重ねてしまうんだ。私は1人で勝手に納得し、そういうことだと思うことにした。
「高校、楽しい?」
突然、空夜くんからそんなことを聞かれて少し焦る。そういえば年齢を偽ったんだっけと今更ながらに思い出す。流石にこんなに会っている人に嘘はもうつきたくない。そう思って本当のことを話すことにした。
「ごめん、高校1年生って言うのは、嘘。ほんとは、中学3年生。14歳。」
「……そう、なんだ」
少しその声に寂しさと悲しさが含まれていると思ったのは私の気の所為なのだろうか。
「……じゃあ、中学校は?あと一年もしないうちに卒業でしょ?受験はどこ受けるの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。保護者じゃないんだから……。中学校は……南で志望校は東。」
そう言った時、空夜くんは少し懐かしそうな目をした。
「……南、か……」
「もしかして、通ってた?」
私は少し期待を込めて言ったのだけれど空夜くんは首を横に振った。
「通ってはいないけど……僕の、行くはずだった中学校。」
行くはずだった?それはどういう意味なんだろう。
「……小学校はこっち。で、ほんとは南に行く予定だったんだけどさ、親の転勤で都会に行っちゃって。けど訳ありで高校はこっちにしたってこと」
「……ふーん」
踏み込めない壁がある。私は直感的にそう感じた。わざわざ『訳あり』という言葉を使ったということは聞かれたくないっていうこと。そのくらい私も分かるので深くは聞かない。
……これじゃあ、私が空夜くんと親しくなりたいと言っているみたいじゃない?私は心の中で全力で否定する。踏み込めない壁があって当然でしょう。私はそんな簡単に誰かと一緒になれるような人じゃないし、なってはいけない。また裏切られたら、そう思うだけで心臓が潰されるように痛くて、怖かった。
しばらく会話を放置していたことに気付き、慌てて続く言葉を探す。
「戻ってこれて、嬉しい?」
「……んー、うん、すごく嬉しい」
少し間が空いた後に、空夜くんは空を見上げていつもの笑顔を作った。けれど、一瞬、瞬きよりも少ない時間、どこか切ない笑顔になっていた気がした。
でも、と空夜くんは続ける。
「その分、別れが怖い。寂しい。」
……また、ここを離れるということなのだろうか。でも、『怖い』って?ここから離れると怖いことがあるの?自分なりに考えたりはしてみたけれど、私には意味を理解することはできなかった。