私たちは次の日もいつもの崖に来ていた。お互いに、昨日と同じ服装。

「はづき!」
いつもの笑顔で笑い、手を振る空夜くん。いつも彼は私より先に到着している。

約束は毎回朝9時。今日こそ私が先に来ようといつもより20分も早く出たのに、空夜くんは先に来ていた。

つい先程まで寝転んでいたのか、背中と頭に木の葉が付いている。

「空夜くん、髪に葉っぱ付いてるよ」
「え、ここらへん?」
「んーん、そこじゃなくて右側……そっちじゃなくて、逆」
髪の上で両手を使っているのに、惜しいところまでは行くけれど触れていない。
「はづきがとってよ」
「……分かった」
私は黄緑の小さめの丸い葉をひょいっと掴んで足元に落とした。
「ありがと」
そう言って、また笑う。

そこで私はふと思った。いつも笑っている空夜くんに、悩みはあるのだろうか。なさそうな人ほどあったりするのだということが朝読書の時間に読んだ何かの小説に書いてあった。まぁ私は迷言だと思っているけれど。

「最近暑いよなー……、今日の気温は35度だってさ」
「そうなの?たしかに暑いね」
そこで会話が途切れる。私はどうも会話を繋げるのが苦手らしい。話題を振るのも苦手だけど。今度からは話すことをメモとかに書いとこうかな……。

そんなことを考えていたけれど、慌てて打ち消す。

空夜くんとまた会うことが前提だなんて。本当に、最低。そんなふうに浮かれているから、いつかは裏切られる。私は知っているはずなのに、なんで『今度』という言葉を思ってしまったんだろう。

ほんとに嫌い。

……だけど、裏切られるなんて本心では思って無いことくらい、自分でもわかってる。

自分の気持ちがよく分からない。色々な感情がごちゃごちゃと混ざって、私の頭をかき乱す。

「……どうしたの?」
「えっ?」
「……なんか、悩んでる顔してたから」
そう言って私の顔を覗き込むように見てくる彼の姿が、小学生のカナと何故か重なってしまって、慌ててくるりとそっぽを向いた。
「大丈夫だから、気にしないで」

また、カナと重ねちゃった。なんで、空夜くんとカナを重ねてしまうのだろう。今まで出会った人たちとは重ねたことがないのに。
容姿は、全然似ていない。だけど、性格とか、ちょっとした仕草とか、言葉遣いとか、些細なことが少しずつ似ている。

カナに会いたい。

カナに伝えたいことが沢山ある。
こんなに君が好きだったなんて知らなかった。空夜くんに会うと、いつもカナを思い出してしまう。

「ほら、やっぱり。」
思考の中に浸っていたのに急に声が降ってきて驚いてしまう。
「悩んでるんでしょ?」
「……そうだよ。空夜くんが……私の知り合いに似てるの」
空夜くんがしつこいので思わず口が滑る。そう言うと空夜くんは一瞬目を見開いて、慌てて表情を戻した……ように感じた。
「……そっか、それってどんな人?」
「一言では言えないくらい、大切な、人。」

カナとはたくさんの思い出が詰まってる。その一つ一つがかけがえのない、私にとってこれまでもこれからも最高の思い出。この「最高の思い出」に他のものが追加されたとしても、カナとの思い出はそこから追い出されたりしない。

絶対に。


そんなことを思っていると空夜くんは今までで1番暖かくて、溶けそうな、優しくて嬉しさに満ちた笑顔を見せた。何がそんなに嬉しいのか分からない。尋ねても「なんでもなーい」と嬉しそうな弾ける声で言うだけだった。この一瞬で何かあったのだろうか。

「もう日が沈んじゃう……」
日が段々と傾き、山に隠れそうになっている。早いなぁと感じながら荷物を背負う。
「帰ろう、空夜くん」
「待って」
空夜くんの腕を引っ張ろうとすると動かずに黙って太陽の方を見つめている。
「夕焼け、見て帰ろう」
私はそういう空夜くんの横に再び腰を下ろした。1mほどの距離が何故かくすぐったい。

「見て」
そう言って空夜くんが指をさした先には、綺麗、なんて言葉じゃ足りない、美しすぎるグラデーションがあった。中心は、白。太陽は大体黄色とかオレンジとか赤で表現されるけれど、本当は白色なんだ、と直感的に思った。雪のような白じゃなくて、目に飛び込んできて捉えて離さないような、鮮烈な白。その周りに黄色、オレンジ、赤と続く。その色達も中心から外側に向けて濃くなっていて、グラデーションが、見たことの無いようなものに仕上がっていた。

その太陽を中心として、光に溢れた、静かで明るい町と夜になりかける淡い色の空が混ざりあっている。そしてそれはひとつの絵のようにすとんと成立している。どこにも違和感なんかなくて、ただただ自然の芸術に私は圧倒されていた。

隣を見ると、空夜くんも何か感じるものがあったようで、目には光るものが見えた……気がした。

「綺麗」なんて言わなくても、それが圧倒的にすごいものだったことは、お互いに分かっていた。

その余韻にお互い浸っていたので2人で帰る時も無言だった。気まずさや心地悪さはなくて、まだ夕焼けの優しさが残っていた。

当たり前のように2人で山を降りて。
当たり前のように空夜くんが道路側にいて。
当たり前のように私は相槌を打って。
当たり前のように隣には君がいて。
当たり前のように手を振って別れる。


そんな行動が「当たり前」になっている自分に驚く。まだ、空夜くんと会ってから4日しか経っていないのに。

『君、大丈夫?』
『黒の中でも、空みたいに透き通った黒』

あれからまだ4日しか経っていないのか、もう4日も経ったのか、自分の感情なのに分からなかった。さっきもあった、あのごちゃごちゃの感情が再び頭の中で戦争を始める。

家に帰るのが何故か嫌で、公園に行ってベンチで休む。スマホで有名なSNS系を適当に見た。どれも面白くもないし泣ける訳でもない。ただの暇つぶし。

心配されることはないだろうけど、親からの連絡手段は全部通知を切っているので、うるさくない。快適なのにどこか足りない気がした。

さすがにそろそろ夜遅くになりそうだったので歩き始める。何か足りない気がするのは、気のせいだろうか。

そんなことを思っていたその時だった。

「……カナ……?」
カナに似た、小さい背。お気に入りだと言っていたパーカー。髪の揺れる長さ。

もちろん、カナがこの世界に居ないことは分かっている。だけど、たくさんの点と点が繋がって、そこにカナがいた。

「カナ……!」
私がカナへ伸ばした手は、呆気なく行き場を失った。手が、カナの体をすり抜けたからである。

カナは声が出ないのか、口で伝えた。

ごめんね
大好き

そして何かを決意するように声を絞り出す。


「はづ、僕は君のすぐ近くにいるよ」


笑顔で呼んでくれた、私のあだ名。私はその声を、言葉を、そこに存在するかのようにぎゅっと抱き締めた。

カナを抱きしめられないなら、この言葉だけでも救いたかった。

そして、そこで私の幻は消えた。

カナの背中には白い羽が見えた。その大きな翼を広げて、吸い込まれるように空へ飛んで行った。

私は家に着いたけれど、お母さんは私を見てから何も言わずに自室へ行った。リビングのテーブルには私の夜ご飯もあったけれどそのまま自分の部屋へ行った。