気が付くと、空夜くんは今にも泣きそうな目で街並みを眺めていた。
こんな、どこにもあるような景色なのに。なんで。なんで、そんな顔するの?
そこで空夜くんははっとし、慌ててごしごしと目をこすっていた。
蒸し暑い風が吹く。たしかお母さんが今日の気温は34度だから終業式のあとはすぐに帰るように、と言っていた。
「こっちの木陰、行こっか」
そういって空夜くんは手を差し伸べてくれた。
「ありがとう」
やっと、少しまともに話せるようになってきた気がする。なんとなく、空夜くんがたまにカナに似ているような気がして、少し安心できているのかもしれない。
あぁ、私はこんなにカナの事が好きだったんだ。
それは、きっと恋愛でも友達としてでもない「好き」。友達以上恋人未満、そんな言葉が私の頭に流れる。
もしかしたら私の好きは恋愛かもしれないし友達かもしれない。確率は少ないけれど、あるにはある。
自分でも、自分の気持ちが分からない。だけど、カナのことが好きだったのは事実だった。好き。大好き。少なくとも、何年経っても忘れられないくらいに。
そして、知らない他人とカナを重ね合わせてしまうほどに。
「……その、何かを考えてじっと見つめる目、すごい綺麗。あと、同じ色の髪も。」
「え?」
「黒の中でも、空みたいに透き通った黒。漆黒とも言えるのかな。そういう透き通った色、僕はすごい好きだな。」
言われたこと無かった。いや、自分でも考えたことさえなかった。
だって。
「……私の性格にぴったりだよね。暗くて、真っ暗な雲で覆われた嵐の夜にひっそりと孤独に生きていそうな、そんな色。」
ずっとそう考えてきたから。
「それは、はづきがそう思ったの?」
「……どういうこと?」
思わず苛立ちのような声で聞いてしまって焦る。
「あの、怒っては、いないけど……」
「誰かに言われたんじゃないの?」
……その言葉を聞いた瞬間、私の心の中の、ロックしていた扉が自動的に開いた。
『おーいブス、こっちくんなよ。』
『うわ、真っ黒な髪と目。こっちまで陰キャになりそうだわ。』
『お前の真っ黒な性格にピッタリだよなー。』
『真っ黒な雲で覆われた嵐の日の夜、1人孤独に端っこで誰にも相手にされないようなそんな雰囲気だよね』
『どっかの小説の言葉かよ、さすが、理系できない分文系できる人はいいなぁー。』
『はぁ?お前に言われたくねーよ理科この前5点だったくせに。』
そう言ってその人たちは笑いながらどこかへ行った。
それは、私がまだこういう言葉を辛いと思っていた時だった。
今こそ痛いとか悲しいとか全く思わないけれど、この頃はまだ感情が少しはあった。自分から無表情でいるくせに、こんな言葉に傷付けられるなんて、我ながら弱かった。
でも、その言葉は深く私の胸に突き刺さって、一年以上が経過した今でも、まだ消えずに残っている。
「……だって本当のことだから。」
私はそれだけ言った。この場を一時的に凌ぐだけだと分かっていても。質問の答えにはなっていない気がしたけれど、空夜くんは黙っていてくれた。
「はづきは、どんなものが好き?」
しばらくして、私が座って休んでいる時に突然、そんな質問が上から降ってきた。視線を上にやると、立ってこちらを除くように見つめる真っ白な目とかっこいい、いわゆる”イケメン”の模範のような顔があった。
「好きなものなんてないよ。」
答えたかったわけでもなんでもなく、ただ単に自分の好きなものなんか検討もつかないからだ。一瞬”カナ”という文字が浮かんだけれど、すぐに打ち消した。
「僕は、空が好きだなぁ。」
そう言って、私と15cmほど離れた場所に座り、上を見上げる空夜くん。
「……嫌いなとこもあるけど、僕の居場所は空で、好きなのは空だって胸を張って言えるよ。」
私は空夜くんと同じように空を見上げる。
薄く、青く、澄み渡った広い広い空。ぽつりぽつりと浮かぶ、真っ白なふわふわのわたあめみたいな雲。
隣を見ると、そこにも薄い青と真っ白があった。
空夜くんの髪は空と同じ色だった。水色よりもすこし複雑で濃くて、でも青より薄くて透明感のある色。
空夜くんの目は雲と同じ色だった。真っ白で、自分よりたくさんのことを見ているような、でもまっすぐで、優しく温かいような色。
空みたいな人。空夜くんの漢字にも「空」が使われているし、まさに空夜くんと言えば、のようなものだと思う。
『僕の居場所は空で、好きなのは空だって胸を張って言えるよ』
空夜くんの言葉がフラッシュバックする。居場所が空だというのは、壮大で空夜くんらしい例えだなと思った。空夜くんが空が好きなのも、すぐに分かる。
そんなふうにまっすぐな人を、私は人生で2人しか知らなかった。
……空夜くんと、カナ。その、2人だけ。
あぁ、私はこんな些細なことも重ねちゃうんだ。別に悪いことではないのだろうけど、カナを思い出すといつも悲しくなってしまう。
無くなった心は、カナを想う時だけ復活した。
真っ暗しか捉えることの出来ない目は、カナを思い出す時だけは光をもたらしてくれた。
そして、その「カナ」の場所に、空夜くんが自分の意思で追加されそうになっていることに、鈍感な私は今は全く気付かなかった。