「佐伯さんって、肌も白くて鼻も高くて、ほんと美人だよね」
「髪も綺麗だし。それ、地毛なんでしょ? まじで羨ましい!」

 背が高いね、指が長いね、素敵な瞳の色ね……クラスメイトに、通学路で挨拶する近所のおばちゃんに、街ですれ違った知らない人に、これまでそんな言葉を数えきれないくらいかけられてきた。
 みんな、良かれと思ってそう言ってくれているのはわかってる。心から私を褒めてくれているんだってことは。
 だけど、誰かに私の見た目を褒められるたび、私の心は笑えなくなる。
 これは、私が生まれた瞬間から一生消すことのできない傷だから――

 ※

「……どちら様?」
 咄嗟に発した自分の声が、想像以上に冷ややかな響きになったのでちょっと焦った。けど、こんな状況、誰だってびっくりすると思う。
 学校から帰宅後、自分で作った夕食を一人で食べ、ダラダラしていたらすっかり遅くなってしまった。いい加減に食器も片付けてお風呂も沸かさなきゃ……なんて思っていたところに、女手一つでずっと私を育ててくれたお母さんが知らない男の人と腕を組んで帰宅したのだ。
 こんな時にどういう対応をするべきなのか全然分からなくて、私は玄関から入ってきた二人に向かい合う形で馬鹿みたいに突っ立っていた。
「ふふ。璃子、紹介するわね、こちら蒲田さん。実は、少し前からお付き合いさせてもらってるの」
「はじめまして」蒲田と呼ばれた男は、少し照れたようにはにかんだ。
「はあ……」
 お母さんは私のリアクションなんか気にもしてない感じで、隣に立つ男の方に向いて「これが璃子。ごめんね愛想がなくて」なんて夢見る少女みたいな軽やかさで喋り続けている。
 私は改めて蒲田さんを見た。痩せ型で、それなりにおじさんではあるけど白髪もなくこざっぱりとしていて、良くも悪くもごく普通。たぶん、駅ですれ違っても、テレビ中継に映り込んでもきっと気づかれないんじゃないかってくらい、普通のおじさん。
 でも、その『普通』は……私にとっては絶望的なことだ。私が眉を顰めたのをどういう風に受け取ったのか、お母さんは手のひらをこっちに向けてぶんぶん振りながら笑った。
「大丈夫、すぐに再婚するって話じゃないの。今日は一回会ってみて、璃子に彼がどんな人なのか知ってほしいってだけ」
 とっても優しい人だから璃子もきっと仲良くなれると思うわ。まずは食事にしようと思ってたけど、もう今日の夕飯食べちゃったわよね? でもコーヒーくらいは飲むでしょ?
 ……お母さんの声は私の頭上を素通りして、天井にぶつかって砕けていく。
 この人は何を言っているんだろう。
 頭に降り積もる砕けた言葉の欠片を振り払うように、私は首をはっきりと横に振った。
「私、嫌だよ」
「えっ」
「お母さんが彼氏とどこに行こうが何をしようが好きにしたらいいよ。だけど、その人を私に関わらせないで。その上再婚なんて絶対に嫌!」
「璃子、あなたもう高校生なのよ。そんな子供みたいな我儘言わないで、そろそろお母さんの幸せを応援してくれてもいいでしょ」
「嫌ったら嫌! お母さんこそいい加減学習しなよ! どうせまたその彼氏にもすぐ飽きて別れてフラフラするんだから」
「蒲田さんの前でなんて言い方するのっ!」
 ばちん、と大きな音がしたのと、左の頬に熱い痛みが走ったのは同時だった。
「あ、ちょっと、由美ちゃん……」
 私の頬を叩いたままフリーズしていたお母さんの手を、蒲田さんが遠慮がちに取った。
 お母さん、由美ちゃんって呼ばれてるんだ。こんな時なのに頭の隅ではそんなことを冷静に考えている。
 それくらい冷静なはずなのに。高校生相手に大人がマジになっちゃって、って笑ってやればいいと思うのに、私は両目から流れる涙を止めることができない。
 自分でも自分の事が理解できないんだから、私の気持ちなんて、きっと誰にもわかってもらえないんだろうな。
 顔を上げると、お母さんは呆然とした表情で手のひらを見つめていた。その背中を、蒲田さんが優しくさすっている。
 二人の関係はかなり親密なようだった。なるほど邪魔者は私の方ってことね。
 ……ということは。
「そうか。私が消えればいいんだ」
 閃いたと同時に、私は自分の部屋にあった通学用のバッグを咄嗟に掴んで、二人を押しのけて玄関の扉を開けた。背後からはお母さんが「こんな時間にどこに行くつもり?!」とか喚いてるけど、扉を勢いよく閉めて煩わしさごと蓋をする。
 
 全部終わりにしてやる。
 それだけ考えていた。