そうして何度目かの椿が庭に咲いた頃、アレが起きた。
 その日いつもと違った事と言えば、栞恩が泣いた。
 居鶴の死以降、初めて見せる涙だった。
 そして心底嬉しそうに笑っていたのだ。

 会話の内容までは聞き取れなかったが、栞恩の中で大きな心情の変化があったのは明白だった。
 何も知らなかったワタシは安心してしまった。
 良かった、ようやく……心の底から笑えるようになったのか、と。
 
 ――まさかそれが呪いだったなんて、誰が想像出来る?
 
 ワタシはあれだけ近くにいたのに、居鶴との約束を果たすことは出来なかった。
 ……酷い惨状だった。
 

 突然家が揺れ出して、多くの家具が倒れ、ガラス戸は割れ散った。
 そして彼らを的にしたかのように、容赦無く突き刺さっていた。
 明らかな殺意を感じる異常事態だった。
 到底自然に発生した現象とは思えない。
 正気を取り戻し、憑代から離れて栞恩らの近くに駆け寄った。
 しかし実態のないワタシには物を退かすことも、二人を救出することも出来なかった。
 無力な自分が歯痒かった。

 我が家から聞こえた騒音により、隣人が尋ねてきたおかげで、二人は早急に病院へ担ぎ込まれた。
 それからの日々は、正直見るに耐えなかった。
 
 彼女が死にたがっていたのは察していた。
 それでもワタシには最後まで見届ける責任があると思い、懲りず栞恩のそばに居続けた。
 もしその瞬間が来たら、自分に何が出来るのか、何が正しいのかを葛藤する毎日だった。

 栞恩が病室を抜け出したあの夜。
 ……ついに来てしまったかと身構えた。
 しかしワタシの全く予期せぬ方向へ、これらは収束していった。


 現在、栞恩は半世紀ほど眠り続けている。
 彼女はもう、生身の人間ではない。
 体はあの夜、ダメになってしまった。
 でもこうして、消えることなく、目の前にいる。
 此処はワタシ達に与えられた隠れ家。
 あのホウゲツと呼ばれていた男曰く、「出なければ一生いられる」そんな都合の良い空間らしい。
 
 だから、()()()()はもう戻ってこれない。
 別離した日を境に、栞恩から苦痛の表情は消えた。

 ――ご主人、ワタシだけは何があっても、味方でいますよ。
 選択の重荷は、共に背負いましょう。