栞恩は翌朝、いつになっても起きてこない居鶴を起こしに部屋へ呼びに来た。
 そこで初めて冷たくなった彼と対面した。

 ――少女は泣かなかった。ただ居鶴の手を握り続けていた。

 その日は偶然にも医者の診療日だった。
彼はいつも通り夕方に訪ねて来てみると、すでに亡くなっている居鶴とその隣を離れず固まっていた栞恩を見つけた。
 栞恩は翁に気づくと、ようやく口を開いた。

「お医者さん、いっちゃんは……もう、起きないの?」
 そう抑揚を殺した声で尋ねた。その痛々しい背中は見るに耐えなかった。
 ワタシは栞恩が居鶴の死を受け入れるまで、見守ることに徹していた。
 それはワタシが彼女から奪ってしまった居鶴と過ごす最期の時間、その罪滅ぼしのつもりだった。
 決して邪魔をすべきではないと思った。
 それが……たった今、終わったのだ。

 そう解釈し、栞恩をそっと抱きしめた。
 それから緊張の糸が切れたのか、感覚的に「死」を認識したのか、彼女は泣きじゃくった。
 その小さな体にあった水分全てを外に出す勢いで、涙が数日止まることはなかった。
 
 
 栞恩とワタシに変化が訪れたのは居鶴の死後、再びこの家で暮らすようになってからだ。
 見るからに少女は衰弱しており、精神面が非常に不安定になっていた。
 そして、ある日を境に私の存在はかなり貧弱になった。

 もともと目に見えない物から生まれたワタシは、普通の付喪神より曖昧な生命のため、栞恩の加減一つで存在の有無が左右されても不思議ではなかった。
 存在意義が無くなれば、実態を保つことは困難となる。

 この隙に付け込まれて、何者かが我が家に侵入し、栞恩を連れて行こうとした。
 以前ならば、そうなる前に撃退し防ぐことも出来たが、今はもうそのような力もない。
 
 しかし居鶴と交わした約束は、ワタシにとって強烈な呪いとなっていた。
 それがこの露命をつき動かし、どうにかして彼女の後を追った。

 その先で見た光景は、栞恩が何か忌まわしい祠の封印を解こうとしている姿だった。