結局朱里はその書店にいなかった。和希は本を読むふりをして朱里らしき人物がいないかを見張っていたが、全く姿が見えず意気消沈する。2時間粘ったところで和希は諦め、欲しかった本の会計を済ませてとぼとぼと書店を後にしたが、見覚えのある後ろ姿が見えてハッとした。

(朱里……!)

だがここで声を掛けてしまうと、朱里がはぐらかすかもしれないし、偶然を装って声を掛けるほどの度胸は和希にはない。正確には無い訳ではないのだが、声を掛ける時に自身の表情が引き攣ってしまっても不自然だし、それにその後の受け答えでどもってしまう未来が見えているのだ。つまるところ和希は、自身の口下手を認めてしまったのである。

(朱里……楽しそうだな。そのうち鼻歌を歌いそうなくらい傍目から見てもうきうきとしている……控えめに言って可愛い……)

人混みの中にいても朱里を全く見失っていない和希は、朱里の両手に持っている紙袋を見て、一体何を買ったのだろうかと、怪訝な表情をする羽目になってしまう。しかもその紙袋からは書店のレジ袋がはみ出ており、和希はますます訳が分からなくなってしまった。

(あれ、止まったぞ)

朱里はコーヒーショップの前で立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回す。和希は見つかるといけないので、薬局の外に出ている商品棚に身を隠した。

(誰かと待ち合わせか……? もしや僕以外の男と……?)

みるみるうちにしょんぼりしている和希とは対照的に、朱里は時計を見て何だか嬉しそうにしていた。和希は朱里の待ち合わせ相手がどんな男か見たい気持ちと見たくない気持ちが海流となって渦潮を形成していくのを感じた。まだ男と確定したわけではないのだが、一度膨らんだ猜疑心は、次から次へと疑惑を呼び、コップから溢れてしまうのだ。

(そんな……嘘、だろ、朱里……)

朱里が手を振っていた先には、すらりと背が高く、短髪な人物がそこにいたのだった。

二人が店内に入る前に、和希はスマホのカメラを起動し、ズームしてその様子をカメラに収める。浮気の動かぬ証拠となった。そしてしおしおと薬局を後にする。朱里への疑問や失望が湧き上がってくるものの、心に穴が空いているせいで、どんな感情も抜け出していってしまう。

あまりにもしょげてしまったせいで、和希は自分がどうやって家に帰ったかを覚えていなかった。