トオカ村ではアカキバボアの肉をどう消費するのかが問題になっていた。

 長期保存のために加工すると野性的な臭いが強くなるし、筋張った肉質が強調されてしまう。

 アカキバボアの塩漬け肉を焼いたものを無理して呑み込もうとしたスティンキーが二日ほど寝込んでしまったところで、ユウキにヘルプがきたのである。

 悪徳で有名だったミュゼオン教団トワノライト支部がかなりの内部改革を進めた結果、法外な上納金から解放されてほとんど自由の身となったサクラも同行している。

 さらには『大精霊の覚えめでたき乙女』として飛び級で一人前の聖女としての活動を許されたらしい。

 ユウキに会いたいがために現し身を飛ばしてきたオリンピアの暴走も、悪いことばかりではないようだ。

 サクラの持っている杖もグレードアップしている。

 その辺で拾ってきた木の棒みたいだった杖は、よく磨かれた木材製になっているし、先端には聖水をたっぷり入れた瓶を抱く精霊の銀彫刻があしらわれており、精霊の額にはトワノライト支部所属の証であるエヴァニウムの結晶も埋め込まれている。

 げっそりと痩せてしまったマイティが呟く。

「俺、胃袋は強いほうだと思ってたんだけどさ……無理だったよ……」

 新鮮なうちに食べ切れればいいのだけれど、そうもいかないのだとか。

 ユウキたちが仕掛けた罠がとても優秀で、山から畑を荒らしに下りてきたアカキバボアをはじめとする魔獣が百発百中で捕獲できてしまうのだ。

 ユウキの付き添いでやってきたアキノが、ふふんと胸を張る。

「塩漬けにするとしょっぱすぎるし、時間が経つと臭みが出てねぇ……という、そのお悩み! ピーターのお手伝い屋さんが解決いたします!」

 アキノが取り出したのは、醤油だった。

 ボトルの三分の一くらいが使われている。

 本当ならもっと大切にケチケチ使いたいけれど、トオカ村の人たちが困っているならば仕方ない……とユウキが持ち出してきたものだ。

「ひぞうの、ちょうみりょうです……っ」

 目の前には切り身になってしまったアカキバボアの肉が積まれている。

 クソマズい塩漬けにするか、このまま腐らせてしまうかの二択になっているのだ。

 氷の魔術があればもっと新鮮なまま保存ができるようだけれど……あいにく、そのツテはない。氷狼の王フェンリルとしてのポチは、力の加減などはできない。

「アキノさん、はーぶをください」

「これね? お茶用のハッカノネなんだけど、いいの?」

「うん」

 ずっとアキノの淹れてくれるハーブティーが「何か」に似ていると思っていた。舌がぴりぴりとする、あの独特の感じ。

 そう、ショウガ湯だ。

 毎日ハーブティーを淹れるアキノは、生薬やハーブについてかなり詳しいようだった。節約のためにと庭で育ててくれているハーブの中に、ショウガに似た味のものがあることがわかったのだ。

 この世界では日常使いするには少々塩が貴重らしく、保存のための塩漬けにするのに使う以外にはあまり浪費できない。

 それで基本的に料理が薄味になってしまうようだ。

 アカキバボアは独特の獣臭さが時間がたつと強くなるという傾向があるらしい。ならば、調理法はひとつ。

「くさみがきになるのなら、しょうがやきにします!」

「ショウガヤキ?」

 ユウキの言葉に村人たちが首を捻った。

 聞いたことのない調理法だから無理もない。

 すでに何度か作っている料理だ。

 ユウキとアキノ、そしてサクラで下ごしらえをしていく。

「うう、聖水をこんなことに使っていいのでしょうか……?」

「おねがいしますっ」

「は、はい! そうですね、美味しくいただかないと魔獣のみなさんにも失礼ですからっ」

 ユウキ秘蔵の醤油とサクラが教団の泉から持ってきた聖水、ピーターが大切にしている酒、そしてすりおろしたハッカノネをまぜる。

 醤油だけでは塩辛くなりすぎるので、水や酒で薄めるのがいい。

 色々と試行錯誤をしている中で、聖水によって肉に残った瘴気を飛ばすと、臭みがマシになることがわかったのだ。

「ちょ、料理に聖水……!? うちの村が破産しちまうよ!」

「あ、あ! 先日から必要なことなら、聖水は無料で持ち出していいことになりましたので!」

 サクラが慌てて訂正する。

「必要……なこと……?」

 料理に使うなんて想定はなかっただろうが、美味しい料理はご機嫌に生きるのに必要だろう。

 さらに。

 今日のために取り寄せたのはオリンピアの結界の中で育ったリンゴっぽい果実だった。よくすりおろして、漬けタレに混ぜることで甘味を加える。

 この世界で口にした中で、もっとも甘くてジューシーな食べ物だ。

 砂糖や蜂蜜がわりになると思われる。

 ちなみに蜂蜜は溜まる前に瘴気に汚染されてしまうらしく、まったく出回らない幻の食品扱いらしい。

「汁気がなくなるまで揉み込んで……っと」

 焚火を起こしてもらって、村で一番大きな鉄鍋を熱してもらう。

 アカキバボアの脂身からジワジワと脂を抽出して、クズ肉は取り出す。

 カンカンに熱したところで臭みの強くなった肉をいれて焦げ目をつける。

 ──ジュアアァ!

 よくつけ込まれた肉が焼かれて醤油が香ばしく焦げる香りが充満する。

 むしろ、食欲を刺激される香りだ。

「おお……? なんだこれ、うまそう……」

「実際にうまいわよ〜。ユウキの料理の味つけ、びっくりするくらい美味しいのよね……おかげで、最近お腹が……」

 ふに、と腹の肉をつまむアキノに、ピーターが「むしろ年頃の娘らしくなっていいよ」と笑ってすねを蹴られていた。

 マイティとスティンキーはじめ、村人たちが今にも涎を垂らしそうな勢いでジュウジュウと音を立てる鉄鍋に釘付けになっている。

 ポチまで「待ちきれないワン!」的な表情でユウキを見つめた。

「おいおい、うまそうだな……」

「見たことない色のソースだけど、なんだろう……この匂い……」

「匂いだけで、いくらでもパンが食えそうだ」

「でも、なんでだ……パンじゃなくて、別の『正解』がありそうっていうか……」

 わかるよ、とユウキは頷いた。

(本当は……真っ白いごはんで食いたいんだよな、これ。豚肉なら味噌漬けもうまいし、砂糖をガッツリきかせて甘じょっぱくしたいし、バター醤油味にすりゃなんでも美味い……基本の調味料だけでも揃えばなぁ)

 野菜も肉も、やっぱり元の世界の味にはおよばない。

 まだまだ成長期のちびっこは、栄養満点の食事が恋しいのであった。

「……まじゅつのべんきょー、してみよかな?」

 ユウキは魔術師リルカの言葉を思い出す。

 幸いにして、魔術の筋がいいみたいなことを言ってもらったし。

 もし、味噌も醤油もお米も元の世界から取り寄せ放題になったら……考えるだけでも、お腹が鳴ってしまう。

「さあ。ユウキ印のアカキバボア肉ショウガヤキ、できたよ!」

 アキノの声に、トオカ村が沸き立った。

 ……この様子を、サクラの杖の先端に取り付けられた聖水瓶を通して見ている者がいた。

 大精霊オリンピアである。

 精霊に縁のある聖水さえあれば、そこに映る様子を見ることができる彼女は、遠い山奥から愛息子の楽しそうな様子を眺めながら、

「ああ、もう! とびきり羨ましいですぅっ!」

 と、隣に座っている旧い友人ルーシー・グラナダスの肩をぽかぽか殴っているのであった。

 ──この時に振る舞われたショウガヤキのあまりのおいしさに、村の収穫物を使って醤油どうにか再現しようという動きが盛んになり、ついに再現された「ユウキ印のショウユ」がトオカ村を一躍有名にするのは、まだもう少し先のお話。



「……くしゅん!」



 ショウガヤキを食べ終わったユウキがポチと遊んでいると、急に大きなくしゃみが出た。季節のかわりめかしら、と思っているとサクラが青い顔をして飛んできた。

「大丈夫ですか、ユウキ様! い、今、魔力を」

「だ、だいじょうぶだよ、サクラさん!?」

「ハーブティーが足りなかったかな」

「ありがとう、アキノさん。もうおなかいっぱいだよ」

「無理しちゃいけないよ、ユウキ殿。風邪なんてひかれたら、隊長はともかく……オリンピア殿が取り乱すからね」

 それはそうかも、とピーターの言葉にちょっと心配になってしまった。

 寒気もしないし、喉も鼻も痛くない。

 これなら大丈夫だろう。

「だれかが、ぼくのうわさをしてるのかもね」

 念のため、ポチに寄り添って暖をとっておこう。



 ◆



 最大級の都市国家アルテルの若き王子は、今日も体調がすぐれなかった。

 どんよりした表情のままやってきたのは、魔術師であり賢者であり予言者である智恵の権化、魔術師リルカの住む図書館の塔である。

「はぁ……」

「お疲れですねぇ」

「まあな、魔王さえ倒せばどうにかなるという単純な希望があった時代がうらやましいよ」

 今の時代を生きる人間たちは、瘴気に汚染された生活への対応で頭の痛い日々を送っている。先行きの見えない問題は、心も体も疲弊させる。

 魔王を撃破したのちに、「ひとつ功績をなしとげた者が、いつまでも大きい顔をしているべきではない」といって身を隠してしまったかつての英雄たちがいれば……と何度考えたかわからない。

「何か景気のいい話はないのか?」

「そうですね。まあ、与太話ですが……大精霊オリンピアとかの英雄グラナダスが育てた男を、トワノライト隆興の立役者ピーター卿が教育しているとか」

「……ぷっ」

「しかも、魔王時代を生き延びた魔獣の王フェンリルを従えているとか、いないとか!」

 従者の冗談に、アルテルの王子はやっと笑った。

「面白い話だが、少々話を盛りすぎだな」

「ですよねぇ、あはは! 先日酒場で一緒になった、トワノライトから流れてきたとかいうミュゼオンの聖女崩れから聞いた話なんですが……吟遊詩人か何かを目指してるのかもしれないですね」

「どちらにせよ、話をでかくしすぎだ。ふふ、ははは!」

「色々と情報網を持っているとか、元は学者の一族の出だとか色々言ってましたけど……あでる? あべる、って言ったかな。変な女ですよ」

「なるほどな。はー、笑わせてもらった」

 図書館の塔、その最奥部に住む魔術師は扉を一枚隔てた向こう側にいる。

 気難しくて偏屈で、人嫌い。

 そんな魔女と対するのは、それなりのストレスだ。

 国として重要な相談があっての訪問を、「なんで来た」だの「邪魔だ」だの酷い言われようでなじられ、悪くすると追い返される。

 ……だが、今日は様子が違った。

 扉を開くと、魔導師リルカは満面の笑みを浮かべていた。

「やあ、やあ! 王立学院の魔術学科に特待生を招聘してほしいのじゃが」

 開口一番にまくしたて、リルカは推薦状をぺらりと王子に見せつけた。

 ──ユウキ・カンザキ。

 そこには、聞いたこともない名が書いてあった。

「……誰?」

 王立学院の特待生といえば、すでにめざましい功績をあげていて、親族や縁者にアルテルあるいはこの世界そのものに多大な貢献をした者くらいしか招聘できないのだ。

 どこの馬の骨ともわからない者を特待生に、などリルカといえども無理難題ではないだろうか。

「失礼ですが、リルカ様。一体どこの出身の者でしょうか。生まれでも、育ちでもよいですが……」

「ん? 難しい問いだな、本質は旅人だし。だが……」

 王子の問いに、リルカは機嫌を損ねることもなく楽しげだ。

 世界最高の魔術師は、にんまりと笑った。

「……山奥育ち、とでも言っておこうかな」



【完】