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~ビッグイーストタワー~

 話を聞き終えたアーサーはいつの間にかシェリルを抱き締めていた。

「私が……私があの時、パパに言われた通りに゛直ぐ動けてい゛れば、あん゛な事には……ロイを助けられていたかも゛しれないのに……ッ」

 体を震わせ、涙声で語る彼女はもういつものシェリルではなかった。アーサーがシェリルに出会った時から彼女はどこか人と壁を作っている印象であった。感情もあまり読み取れず、常に冷静で無表情。

 だが今のシェリルは違う。
 アーサーの目の前には感情や人としての温もりが伝わってくるごく普通の少女の姿があった。彼女の震える言葉にはちゃんと気持ちが詰まっている。

「それ゛に……私が斬った跡は壁や゛強盗犯達だけではな゛く、パパやママやロ゛イにまで……ッ! 無意識の゛内に私が……私が全て傷付けてしま゛ったのよきっと」

 シェリルの言葉からは深い悲しみと懺悔の気持ちが溢れ出ていた。

(極度の恐怖と混乱で記憶が曖昧になっている部分があるんだろう……。まだ子供の女の子がいきなり勇者の力をコントロール出来る筈もない。シェリルは無我夢中で恐怖に立ち向かっていただけなんだ……)

 アーサーは直ぐには言葉を掛けられなかった。
 だが彼はシェリルに大丈夫だ言わんばかりにただだ抱き締めていた。力強くも優しい温もりがシェリルを包んでいる。

「全部私が悪い……。パパ達は絶対私に怒ってる……」
「そんな事ない。シェリルの家族は誰も君を責めたりしていないよ」
「どうしてそんな事が分かるの……! 私は皆を助けるどころか傷付けてしまった。私を恨んでるに違いない……ごめんなさいッ……!」

 10歳の少女が背負った過去は余りに重すぎる。
 そして彼女は一体どれだけ辛い思いを背負ったまま今日まで生きてきたのだろうか。

 震え泣く彼女を抱き締めるアーサーは不意にリバースフロアでの出来事を思い出す。

 突如パニック状態となったシェリル。
 恐らく彼女は怪我を負った血塗れのアーサーの姿を見て、彼とこの辛い過去の光景が重なってしまったのだ。

 全ての原因に納得したアーサーは徐に自分のウォッチを操作し始める。そして優しい声でシェリルに声を掛けた。

「シェリル。確かに僕には君の家族がどう思っているのか分からない。でも、それはきっと誰にも分からないんじゃないかな? その“本人”を除いては」
「え……?」
「実はね、イヴさんから預かっているものがあるんだ」

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『シェリルがもし過去と向き合ったら、これをアンタからあの子に渡してくれ。頼んだよ――』
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 アーサーがイヴから預かった物。
 それは1つの特殊なアーティファクト。しかも見た目はただの紙切れ1枚だが、そこには魔法陣のようなものが描かれていた。

 “死人の念話”――。

 これはイヴがまだ魔術師の力を失う前、イヴはダンジョンで特殊なアーティファクトを手に入れた。それがこの『会話の紙(E):Lv1』であり、このアーティファクトはこれ以上レベルもランクが上がらない装備だが、特殊効果で誰とでも1回だけ会話が出来るという少し変わったアーティファクトであった。

 数多あるアーティファクトの中にはこういった類の戦闘では到底使えないような物も多く存在する。

 しかし、これもまた運命だったのだろうか。

 この会話の紙には更に「魔術師スキルによって“死者”との会話も可能になる」という特殊効果が備わっていたのだ。ただし条件回数は変わらず1回。

 それもEランクアーティファクトなのにもかかわらず、この会話の紙は滅多に入手出来ない稀なアーティファクトであった。当時のイヴは特に使う予定もなく、その後に魔眼の力で未来を視て力を失った。そしてこのアーティファクトはいつかシェリルに使おうと取っておいたのだ。

「死者と会話……。それはもしかして――」

 そう。
 当時のシェリルの家族の心情は本人達にしか分からない。ならば直接聞く他に道はないだろう。

 心配そうな表情で俯くシェリル。アーサーは彼女の顔を見て静かに頷いて見せた。

 アーサーの真っ直ぐで優しい瞳は見たシェリルは決意を固める。彼女はゆっくりと目を閉じ、会話の紙の握って家族の顔を思い浮かべた。

 すると次の瞬間、会話の紙が淡く光り出し、そこには当時の元気なシェリルの家族の姿があった――。

**

「パパ、ママ……ロイ……!」

 目の前には淡い光に包まれるシェリルの家族の姿が。

 そして。

『シェリル姉ちゃん!』
『シェリル!』
『グハハハ、デカくなったな』

 シェリルは7年ぶりに家族と再会した。

 溢れ出る涙が止まらない。

 信じられない状況ながら……いや、こんな奇跡的な状況だからこそ、シェリルは高まる興奮を覚えると同時に瞬時に悟っていた。

 この瞬間は長くは続かないと――。

 それを感じ取ったシェリルは開口一番に皆に謝った。
 他にも話したい事は沢山ある。だが彼女は何よりもまず謝りたかったのだ。自分のせいでこんな事になってしまってごめんなさいと。

『シェリルが謝る必要なんてこれっぽっちもないぞ。寧ろパパ達が側にいてやれなくてすまない。ずっと1人で辛い思いをさせてしまったな』

『貴方は家族を守ろうとした強い子よシェリル。私は薄れゆく意識の中で、貴方があの強盗犯達を倒したのをしっかり見たわよ。
それに残念な事だけれど、私達はあの時既に助からなかったわ。シェリルが力をコントロール出来ずに家中を斬ったのは、私達が皆死んでしまった後なの。
確かに皆の体に傷跡が残っていたかもしれないけれど、でもそれで私やパパやロイが死んだ訳では決してないわ』

『そうだよシェリル姉ちゃん、悪いのは全部あのマスクの奴らだ! よりによって僕の誕生日に来るなんて最悪だよ本当に! だけどまさかあそこでシェリル姉ちゃんに勇者スキルが出たのはビックリしたな。勇者なんて格好よ過ぎるでしょ!』

 至極当たり前の如く話すその姿は、まるであの日の温かい誕生日会の続きのよう――。

「みんなぁ……ッ!」
『父さん、母さん、シェリル姉ちゃんずっと泣いてるんだけど』
『フフフ。大丈夫よシェリル。ママ達はいつも貴方の事を見守っているから』
『そうだぞシェリル。それに勇者のスキルを授かったという事は、お前にはこれからもっと多くの人達を救うという使命があるんだ。頑張りよシェリル! パパもちゃんとついているからな』

 辛い過去を浄化するように。
 縛り付けられていた重い鎖を破壊するように。

 1人の少女が長年背負っていた辛い罪と罰が、彼女のこれからの未来を力強く後押しするかけがえのない遺産に変わった。

 たった1つの出来事。
 その出来事が彼女を真っ暗闇な絶望に落とし、再び光り輝く希望へと舞い戻した。

 そこにいるシェリルはもうこれまでのシェリルではない。

 家族と、そして信頼出来る仲間と共に過去に向き合い乗り越えたシェリル・ローラインは生まれ変わった――。

「パパ、ママ、ロイ。皆ありがとう。そろそろ時間だね……。会えて嬉しかったよ。皆とのお別れは寂しいけど、私は私で前に進むよ。いつか私がそっちに逝ったらまた会おうね。
本当にありがとう。大好き。またね――!」

 シェリル、ロイ、そして父と母。

 4人は悲惨なあの日と違い、皆が幸せそうな満面の笑顔で別れを告げたのだった――。