「え――?」

 アンデットキマイラの鉤爪が当たる寸前、アーサーは剣を構えながらも反射的に目を瞑っていた。

 直後に鳴り響いたのは衝突音。しかもそれは自分の体ではなく“他の何か”であった。

 アーサーが奇跡的に攻撃を防いだ?

 違う。

 モルナやシェリルが動いた?

 違う。

 もしかして他のハンター達が?

 それも違う。

「あ、貴方は……」

 目を開けたアーサーの目の前にいた“人物”。それはモルナでもなければシェリルでも他のハンター達でもない。そこにいたのはこのフロア69に“存在しない”筈の人物。

 金色の髪を靡かせ、どこか掴めない空気を纏うその1人の男は、アーサーよりも年上だが背丈は少し低い。しかしその背中と存在感は、アーサーがこれまで出会ったどの人物よりも強く優雅で大きく、自然と周りの者を惹きつけてしまう様な圧倒的存在感を放っていた――。

「久しぶりだね、アーサーちゃん。後は任せときな」
「ジャ、ジャックさん……!?」

 そう。
 どこからともなく忽然と姿を現してはアンデットキマイラの攻撃をいとも簡単に防いだのは、今この世界で間違いなく“最強”と謳われる神Sランクハンター――“ジャックヴァン・ジョー・チックタック”であった。

 更に。

「本当にこんな所にアンデットキマイラがいるじゃねぇか」
「よく頑張ったわね。もう大丈夫よ」
「これが新たなリバースフロアの条件ですね。詳しく話をお聞かせ下さい」

 ジャックに続いて姿を現したのは世界最強ギルド『精霊の宴会』のメンバー達。この思いがけない救世主の登場に、死にかけていたフロア69は瞬く間に息を吹き返し雄叫びを上げたのだった。

「精霊の宴会だぁぁぁ!」
「俺達を助けに来てくれんだ!」
「ジャック様ぁぁッ!」
「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」

 皆の歓声と同時に全身の力が抜けたアーサー。目の前に現れた絶対的な希望に安堵した。

 恐らくこの場にいる全員が同じ思いだろう。

 もう大丈夫だと――。

「やろうか?」
「いや、いいよ。俺がやる」

 仲間と一言そんなやり取りをすると、ジャックは1人前に出た。

 その後は一瞬。

 『精霊使い』のスキルを持つジャックは風の精霊“シルフ”を召喚。すると次の瞬間、凄まじい突風が吹き荒れるや否やジャックは一撃でアンデットキマイラを消滅させてしまったのだった。

「すげぇ……」

 次元の違う実力に、アーサーは興奮を超えて最早感動していた。

 これが前人未到の地へ足を踏み入れた『精霊の宴会』の力。そしてこれが世界最強ハンターと謳われるジャックの実力。

 (僕もいつか……この人のようになれるだろうか……)

 アーサーが1人そんな事を思っていると、遂にこの慌ただしかったフロア69に平和が訪れる。

『アンデットキマイラ討伐成功。リバースフロアの全てのボスを討伐しました。フロアロックを解除します』

 流れる無機質な音声が本当の終わりを告げた。絶望から解放されたハンター達はこの日何度目か分からない歓喜の声を上げる。

 誰かの「サークルが使える!」という叫びで更に盛り上がりを見せたフロア69。

 この状況でも冷静な精霊の宴会メンバーは誰よりも早く重傷者や怪我人の確認をし、的確な指示で皆を避難させる。既にフロアの外では多くの関係者やハンター評議会の者達が駆けつけ待機していた様だ。

 ダンジョンは一気に慌ただしい雰囲気に。多くの者が行き交う中、今度はダンジョンからではなくアーサーのウォッチから音声が流れた。

『リバースフロアの攻略成功。報酬がドロップされます』
「え、報酬?」

 突如流れた音声に戸惑っていると、精霊の宴会のメンバーがアーサーに説明した。

「リバースフロアはある一定の条件を満たした時に出現する特別なフロアです。今回の条件はアーサー君、恐らく君のフロア周回数が要因でしょう。リバースフロアは攻略を成功すると報酬が与えられるのです。勿論その条件を発動させたハンターやギルドにね」

 丁寧な説明を受けたアーサーは自然と納得する。何せ初めての事だから未だに気持ちの整理が出来ていなかった。そんな話をしていると、ウォッチの音声通りアーサーの目の前に2つのアーティファクトが出現した。

 一瞬手に取ろうとしたが、その手を引っ込めるアーサー。
 確かにリバースフロアの出現条件を満たしたのは彼であったが、アンデットキマイラを倒したのは他でもないジャックだ。アーサーはドロップされたアーティファクトが自分なんかに貰う権利があるのかと疑問を抱いた。

「早く取りなよ。それは紛れもなくアーサーちゃんの物なんだから」
「え、でも……?」
「遠慮する事ない。アーサーちゃん達だって1体倒したんだろ? それに、悪いけど俺には必要なさ過ぎるしねそれ」

 確かにジャックの言う通り。
 リバースフロアの報酬は通常よりも希少価値の高いレアなアーティファクトを手に入れられる様だが、それでもここはフロア69。

 既に遥か上を行くジャック達にとっては余り意味をなさない報酬なのだろう。

「そうですか……。じゃあ何か申し訳ないですけど、本当に貰っちゃいますよ?」
「勿論」

 ジャックに今一度確認したアーサーは遠慮しながらも報酬のアーティファクトを受け取った。

『アンデット獣の毛皮(A):Lv1』

『聖なる剣(C+3):Lv1』

 アーサーが手にした2つのアーティファクト。1つはまさかのAランクアーティファクトだ。

 少し前のアーサーにとってはCランクですら夢のまた夢であったのに、今ではBランクアーティファクトまで自らの力で召喚出来るようになった挙句に遂にAランクアーティファクトまで手にしてしまった。

 キマイラとの激戦で忘れていたが、今のアーサーはBランクアーティファクトを装備した状態。改めてその現実を受けれた瞬間、アーサーは信じられない現実に体中が震えているのだった。

「す、す、凄い……! これがAランクアーティファクトかぁ。しかも僕は自分でBランクまで召喚出来るようになったんだよね? ちょっと待って。これやばくない? 滅茶苦茶稼げるじゃん――」

 これで治療費を稼ぎながら生活に余裕も出来る。
 いや、アーサーは超がつく貧乏人から富豪にまで上り詰めたのだ。

 アーサーは嬉しさで涙が溢れそうになったが、今はまだグッと堪える。母親とエレインにも早く伝えたい。もう一切お金の心配はしなくて良いと。アーサーはそう思いながら、ふと手に入れたもう1つのアーティファクトに視線を落とした。

「聖なる剣……。ランクの横の“+3”って何だ? こんな表記見た事ないな」

 通常とは異なる珍しい表記。
 アーサーはその表記にまるで見覚えがなかった。

「ジャック、私達も帰りましょう」
「そうだな。もう用も済んだ事だし。って事でじゃあね、アーサーちゃん。また遊ぼう」

 そう言ったジャックはひらひらとアーサーに手を振り、精霊の宴会の仲間達と共にその場から去って行った。

「あ、ジャックさん! ありがとうございました! それに他の皆さんも! お陰で僕達は皆助かりッ……あれ……?」

 バタン。

 そこでアーサーは力尽きた。

 きっと血を流し過ぎたのだろう。

 彼の体はとっくに限界を超えていたのだから――。