♢♦︎♢
〜宿舎〜
「おはようございます。エドさん」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
昨日のレイモンド国王への報告から一夜明け、今日という日が始まったエレン。
エドに挨拶をした彼女はふと宿舎の窓から外を眺めた。
(本当にもう戦争が始まるのかな――)
昨日のローゼン総帥の言葉が脳裏を過る。
アッシュやレイモンド国王、それにあの場にいた者達全員。大の大人が揃って表情を険しくしていた。
戦争。
その言葉を聞くだけで鉛のように体が重くなる。
その言葉を聞くだけであの日の業火を思い出す。
瞬く間に辺りは火の海。
聞こえてくるのは人々の困惑、動揺、恐怖の叫び。
黒々とした煙が皆の行く手を阻むかの如く覆いつくし、焦げた臭いや血の匂いが一気に鼻を通った。
エレンは焼かれ、挟まれ、刺され、殺された人々を沢山見た。
砲撃を一瞬すぎて正直よく分からない。
気が付いたら凄まじい音と衝撃で多くの人が死んでいたから。
だがユナダス王国の兵士達がリューティス王国の民を虐殺するあの光景は、何時まで経ってもエレンの記憶から消える事はない。
ただ怖かった。
これほど時の流れが遅いと感じた事もないだろう。
がむしゃらに逃げ、ひたすら苦しい呼吸をし続けた結果、いつの間にか辺りは静寂に包まれて綺麗な朝日が昇っていた。
エレンと祖父は無事に生き延びたのだ。
逃げるのに必死であったエレンはこの時初めて涙が込み上げてきた。
そしてひたすら祖父に抱き締められながら泣き続けた。
(生きられて良かった……)
宿舎で他の団員達が朝からせわしなく動いている姿を見ながら、エレンは改めて生きている事を実感している。
「こんな所でボケっとしてるんじゃねぇ。さっさと朝食済ませろ」
エレンよりも早く起きていたアッシュはもう朝食を済ませたのか、いつもの口調でそう言うと彼はそのまま先に部屋へと戻って行ってしまった。
エレンはそんなアッシュを見て思う。
(もう君をあんな目に遭わせたりしない)
月の光が差し込夜中、1人新たな決意を抱かせていたエレンは朝食を取るエドの向かいに座り、ある思いを告げた。
「……エドさん」
「おや、エレン君。どうしました? そんなに重い詰まった顔をして」
「あの……実はエドさんにお願いしたい事があります」
なにやら強いエレンの気持ちを感じ取ったエドは1度食べる口を止める。
「お願い? なんでしょうか」
「僕に剣を教えて下さい――」
エレンが何を言い出すのかエドは知らなかった。
だがエドは特別驚きもせず、寧ろ心のどこかで待っていたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「剣術を教えてほしいと? それは別に構いませんが、何か思う事があったのでしょうか」
エドは遠回しにエレンの気持ちが半端なものではないのか確かめたい様子。
「今更だけど、僕はどうしようもなく弱いんです」
「そうでしょうか。エレン君はエレン君なりの強さを持っていると思いますよ」
「ありがとうございます……。だけどそれじゃあ全然足りないんです。僕はもっと強くなりたい。
自分が生き抜く為に、せめて隣にいる大切な人だけでも守れるように――!」
エメラルドグリーンの瞳が強く真っ直ぐエドを捉えた。
「アッシュから聞きましたよ。騎士団に入った理由を貴方に話したそうですね、エレン君」
「はい」
「彼の話を聞いたから、強くなりたいと思ったのでしょうか?」
「はい……一応」
「アッシュを思って、という事ですか?」
「……はい」
別に好きとか恋愛感情がある訳ではない。
しかし第三者のエドから改めて尋ねられたエレンは少し照れくさく感じていた。
「私はエレン君に出会えた事を本当に嬉しく思います。彼の事を思ってくれてありがとう。私で宜しければ剣術をお教えしましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
エレンの突然の大声に、食堂にいた他の団員達が一斉にエレンへと視線を移す。
ふと我に返ったエレンは申し訳なさそうに何度も頭を下げて再び椅子に腰を掛けた。
「エドさん……エドさんは当然最初からアッシュが何をしたいのか知っていたんですよね? 反対した事はなかったんですか?」
「ハハハ。私はただ彼の意志について行くのみ。それ以上もそれ以下もあないのですよ」
穏やかに笑いながら言うエドはどこか儚げな表情にも見えた。
「私に出来る事はせいぜいサポート程度。彼を止める事なんて出来ないのです。しかし……もしかすると、貴方ならアッシュの気持ちを止める事が出来るかもしれません」
「ぼ、僕がですか?」
「ええ。エレン君ならば“同じ立場”でアッシュの隣にいる事が出来ますし、唯一彼の命を救える存在ともなるでしょう。
彼には良き理解者が必要だと以前から私は思っていました。そしてエレン君なら理その解者になれます。
さっき剣術を教えると言ってしまいましたが、どうでしょう? 貴方がアッシュの隣にいてくれるという約束を、剣術を教える交換条件にしても宜しいですかな? 勿論強制ではありません。私の後出しですので断ってもらっても大丈夫ですよ」
冗談っぽくそう言うエドであったが、エレンは強い覚悟をそのままに返事を返すのだった。
「その交換条件、受けます。僕はアッシュを死なせたくない。だから絶対に強くなりたいんです」
エレンの言葉に、エドは優しく笑って頷いた。
**
――カン、カン、カァン!
宿舎の直ぐ隣にある訓練場。
そこでエレンとエドが木剣を手に特訓している。
「はあ!」
「踏み込みが甘いです。それじゃあ仕留められませんよ」
とても老人とは思えない軽やかな動きでエレンの攻撃を捌くエド。
一旦距離を取ろうと離れたエレンに対し、瞬く間にその距離を潰したエドが今度は反撃に出た。
腕、腹部、足、首元、鳩尾。
エドの木剣がエレンの体を狙って次々に襲い掛かる。
(くッ……!)
なんとか紙一重で躱すのがやっとのエレン。
エドの連続攻撃はまだ終わらない。
1、2、3、4……素早い攻撃の連続に、遂にエレンがバランスが崩した。
そしてそのチャンスを伺っていたと言わんばかりにエドが木剣を勢いよく振り下ろす。
エレンは咄嗟に身体を捻りながら地面を蹴り、兎に角躱そうと無理矢理横に飛んだ。
「ハァ……ハァ……」
「動きは悪くありませんが、今途中で目を背けましたね?」
2人の動きが止まり、静かな訓練場にエドの声が響いた。
息が荒いエレンとは対照的にエドは呼吸1つ乱していない。
「怖いのは分かりますが、戦場ではその一瞬が命取りになります」
「はい……」
「それにエレン君は一撃で相手を倒せるタイプではありません。速さは悪くないので、後はその動きをいかに最小限に抑えて反撃に移れるかが重要ですね」
「分かりました……」
「私はあえて何度か隙を作っています。強くなる為には恐怖に打ち勝ち、その1歩を踏み込まないと勝てません。遠慮はいりませんので私を殺すつもりで来て下さい」
厳しさの中にも優しさがあるエドの言葉。
正面から剣を交えれば交える程実力差を痛感するエレンだが、それでも彼女の心は簡単には折れない。
エレンは再び木剣を強く握り締めてエドに飛び掛かった。
(躱すだけじゃ勝てない。攻撃を与えなくちゃ……!)
エドの木剣の切っ先が自分の顔面に向かう。
それに反応したエレンは頭を傾けて木剣を躱そうとする。
(ビビるな。ここで目を逸らしたら負けだ……!)
シュバン。
エレンの顔面すれすれを木剣が横切った。
今度は目を逸らさず見切ったエレンがグッと足に力を入れて踏み込んだ。
(ここだ――!)
前に出たエレンの鋭い突きがエドの首元を捉えた。
しかし。
――カァン。
「あッ!」
「今の動きはとても良かったですよ」
エレンの渾身の突きはいとも簡単にエドに弾かれ、衝撃で手から抜けたエレンの木剣が地面に転がった。
(嘘、速過ぎでしょ)
「さて、今日はこのぐらいにして紅茶でも飲みましょうか」
エドはそう言って木剣を拾い、エレンに一緒に食堂へ行くよう促した。
「ありがとうございました。また特訓お願いします」
いつの間にか辺りは真っ暗。
訓練場の灯りと月の光だけが外を照らしている。
特訓が終わったエレンとエドが宿舎に戻ろとした次の瞬間、カツンと乾いた音がどこかで響いた。
〜宿舎〜
「おはようございます。エドさん」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
昨日のレイモンド国王への報告から一夜明け、今日という日が始まったエレン。
エドに挨拶をした彼女はふと宿舎の窓から外を眺めた。
(本当にもう戦争が始まるのかな――)
昨日のローゼン総帥の言葉が脳裏を過る。
アッシュやレイモンド国王、それにあの場にいた者達全員。大の大人が揃って表情を険しくしていた。
戦争。
その言葉を聞くだけで鉛のように体が重くなる。
その言葉を聞くだけであの日の業火を思い出す。
瞬く間に辺りは火の海。
聞こえてくるのは人々の困惑、動揺、恐怖の叫び。
黒々とした煙が皆の行く手を阻むかの如く覆いつくし、焦げた臭いや血の匂いが一気に鼻を通った。
エレンは焼かれ、挟まれ、刺され、殺された人々を沢山見た。
砲撃を一瞬すぎて正直よく分からない。
気が付いたら凄まじい音と衝撃で多くの人が死んでいたから。
だがユナダス王国の兵士達がリューティス王国の民を虐殺するあの光景は、何時まで経ってもエレンの記憶から消える事はない。
ただ怖かった。
これほど時の流れが遅いと感じた事もないだろう。
がむしゃらに逃げ、ひたすら苦しい呼吸をし続けた結果、いつの間にか辺りは静寂に包まれて綺麗な朝日が昇っていた。
エレンと祖父は無事に生き延びたのだ。
逃げるのに必死であったエレンはこの時初めて涙が込み上げてきた。
そしてひたすら祖父に抱き締められながら泣き続けた。
(生きられて良かった……)
宿舎で他の団員達が朝からせわしなく動いている姿を見ながら、エレンは改めて生きている事を実感している。
「こんな所でボケっとしてるんじゃねぇ。さっさと朝食済ませろ」
エレンよりも早く起きていたアッシュはもう朝食を済ませたのか、いつもの口調でそう言うと彼はそのまま先に部屋へと戻って行ってしまった。
エレンはそんなアッシュを見て思う。
(もう君をあんな目に遭わせたりしない)
月の光が差し込夜中、1人新たな決意を抱かせていたエレンは朝食を取るエドの向かいに座り、ある思いを告げた。
「……エドさん」
「おや、エレン君。どうしました? そんなに重い詰まった顔をして」
「あの……実はエドさんにお願いしたい事があります」
なにやら強いエレンの気持ちを感じ取ったエドは1度食べる口を止める。
「お願い? なんでしょうか」
「僕に剣を教えて下さい――」
エレンが何を言い出すのかエドは知らなかった。
だがエドは特別驚きもせず、寧ろ心のどこかで待っていたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「剣術を教えてほしいと? それは別に構いませんが、何か思う事があったのでしょうか」
エドは遠回しにエレンの気持ちが半端なものではないのか確かめたい様子。
「今更だけど、僕はどうしようもなく弱いんです」
「そうでしょうか。エレン君はエレン君なりの強さを持っていると思いますよ」
「ありがとうございます……。だけどそれじゃあ全然足りないんです。僕はもっと強くなりたい。
自分が生き抜く為に、せめて隣にいる大切な人だけでも守れるように――!」
エメラルドグリーンの瞳が強く真っ直ぐエドを捉えた。
「アッシュから聞きましたよ。騎士団に入った理由を貴方に話したそうですね、エレン君」
「はい」
「彼の話を聞いたから、強くなりたいと思ったのでしょうか?」
「はい……一応」
「アッシュを思って、という事ですか?」
「……はい」
別に好きとか恋愛感情がある訳ではない。
しかし第三者のエドから改めて尋ねられたエレンは少し照れくさく感じていた。
「私はエレン君に出会えた事を本当に嬉しく思います。彼の事を思ってくれてありがとう。私で宜しければ剣術をお教えしましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
エレンの突然の大声に、食堂にいた他の団員達が一斉にエレンへと視線を移す。
ふと我に返ったエレンは申し訳なさそうに何度も頭を下げて再び椅子に腰を掛けた。
「エドさん……エドさんは当然最初からアッシュが何をしたいのか知っていたんですよね? 反対した事はなかったんですか?」
「ハハハ。私はただ彼の意志について行くのみ。それ以上もそれ以下もあないのですよ」
穏やかに笑いながら言うエドはどこか儚げな表情にも見えた。
「私に出来る事はせいぜいサポート程度。彼を止める事なんて出来ないのです。しかし……もしかすると、貴方ならアッシュの気持ちを止める事が出来るかもしれません」
「ぼ、僕がですか?」
「ええ。エレン君ならば“同じ立場”でアッシュの隣にいる事が出来ますし、唯一彼の命を救える存在ともなるでしょう。
彼には良き理解者が必要だと以前から私は思っていました。そしてエレン君なら理その解者になれます。
さっき剣術を教えると言ってしまいましたが、どうでしょう? 貴方がアッシュの隣にいてくれるという約束を、剣術を教える交換条件にしても宜しいですかな? 勿論強制ではありません。私の後出しですので断ってもらっても大丈夫ですよ」
冗談っぽくそう言うエドであったが、エレンは強い覚悟をそのままに返事を返すのだった。
「その交換条件、受けます。僕はアッシュを死なせたくない。だから絶対に強くなりたいんです」
エレンの言葉に、エドは優しく笑って頷いた。
**
――カン、カン、カァン!
宿舎の直ぐ隣にある訓練場。
そこでエレンとエドが木剣を手に特訓している。
「はあ!」
「踏み込みが甘いです。それじゃあ仕留められませんよ」
とても老人とは思えない軽やかな動きでエレンの攻撃を捌くエド。
一旦距離を取ろうと離れたエレンに対し、瞬く間にその距離を潰したエドが今度は反撃に出た。
腕、腹部、足、首元、鳩尾。
エドの木剣がエレンの体を狙って次々に襲い掛かる。
(くッ……!)
なんとか紙一重で躱すのがやっとのエレン。
エドの連続攻撃はまだ終わらない。
1、2、3、4……素早い攻撃の連続に、遂にエレンがバランスが崩した。
そしてそのチャンスを伺っていたと言わんばかりにエドが木剣を勢いよく振り下ろす。
エレンは咄嗟に身体を捻りながら地面を蹴り、兎に角躱そうと無理矢理横に飛んだ。
「ハァ……ハァ……」
「動きは悪くありませんが、今途中で目を背けましたね?」
2人の動きが止まり、静かな訓練場にエドの声が響いた。
息が荒いエレンとは対照的にエドは呼吸1つ乱していない。
「怖いのは分かりますが、戦場ではその一瞬が命取りになります」
「はい……」
「それにエレン君は一撃で相手を倒せるタイプではありません。速さは悪くないので、後はその動きをいかに最小限に抑えて反撃に移れるかが重要ですね」
「分かりました……」
「私はあえて何度か隙を作っています。強くなる為には恐怖に打ち勝ち、その1歩を踏み込まないと勝てません。遠慮はいりませんので私を殺すつもりで来て下さい」
厳しさの中にも優しさがあるエドの言葉。
正面から剣を交えれば交える程実力差を痛感するエレンだが、それでも彼女の心は簡単には折れない。
エレンは再び木剣を強く握り締めてエドに飛び掛かった。
(躱すだけじゃ勝てない。攻撃を与えなくちゃ……!)
エドの木剣の切っ先が自分の顔面に向かう。
それに反応したエレンは頭を傾けて木剣を躱そうとする。
(ビビるな。ここで目を逸らしたら負けだ……!)
シュバン。
エレンの顔面すれすれを木剣が横切った。
今度は目を逸らさず見切ったエレンがグッと足に力を入れて踏み込んだ。
(ここだ――!)
前に出たエレンの鋭い突きがエドの首元を捉えた。
しかし。
――カァン。
「あッ!」
「今の動きはとても良かったですよ」
エレンの渾身の突きはいとも簡単にエドに弾かれ、衝撃で手から抜けたエレンの木剣が地面に転がった。
(嘘、速過ぎでしょ)
「さて、今日はこのぐらいにして紅茶でも飲みましょうか」
エドはそう言って木剣を拾い、エレンに一緒に食堂へ行くよう促した。
「ありがとうございました。また特訓お願いします」
いつの間にか辺りは真っ暗。
訓練場の灯りと月の光だけが外を照らしている。
特訓が終わったエレンとエドが宿舎に戻ろとした次の瞬間、カツンと乾いた音がどこかで響いた。