「あの仕合で、ローゼン総帥を相手に奮闘していた貴方はとても格好良かったわ。今のそのエメラルドグリーンの瞳もとても綺麗だけど、投擲をしている時の光る目はまた別の綺麗さだった。私は戦っている貴方を見て直ぐに思ったわ。エレンと友達になりたいって――」

 大きな瞳が真っ直ぐエレンを見つめる。

 同じ女同士の筈なのに、思わずエレンはドキッとしてしまった。

「だから友達になりましょうよ!」

 その純粋なマリア王女の姿を目の前に、エレンは気が付くと静かに頷いていた。

「本当に!? やったわ! “初めて”友達が出来た!」
「初めて……?」

 とても嬉しそうな笑顔を見せたマリア王女。

「ええ! エレンが私の初めての友達! 昔からローゼン総帥とは仲が良いけど、歳の近い友達は貴方が初めてなの。とても嬉しいわ! 戦争が終わったら一緒に買い物に行きましょうよ!」
「え!? 僕が一緒にですか!?」
「当然よ! 友達って買い物に行ったりご飯を食べに行ったりして一緒に遊ぶんでしょ?」
「え、ええ。まぁ……一般的にはそうだと思いますけど……」

 住む世界が違い過ぎる王女様の言動ははっきり言って予測不能。

 でも目の前のマリア王女の嬉しそうな表情だけはエレンも理解する事が出来たのだ。

 彼女はこのリューティス王国という大国の王女。
 エレンとは環境も身分も全く違えど、マリア王女も1人の人間。
 彼女は彼女なりに悩みや不安事を抱えているのかもしれない。

 エレンは喜ぶマリア王女を横目に、勝手にそんな風に思えているのだった。 


「マリア王女がいないぞー!!」


 次の瞬間、既に日が落ちて夜となっていた辺りに大きな声が響き渡った。

「やば。もうバレちゃった」

 全然悪びれた様子を見せず、悪戯に舌を出したマリア王女。

 そんな事をしている数秒の間にも、既にエレンとマリア王女がいるテントの外からは慌ただしい団員達の足音や大声が四方から聞こえていた。

「マリア王女はいたか!?」
「いえ! まだ見当たりません!」

 自分達の王国の王女がいなくなったのだから無理もない。一大事である。

「はあ~残念。今日の“脱獄旅”はここまでね」
(脱獄旅って……。もしかしていつもこんな事しているんじゃ……)
「私と友達になってくれてありがとうエレン! 私戻らないと。またね、おやすみ!」
「あ、おやすみ……なさい。気を付けて戻って下さいね」

 改めて不思議な状況に置かれているなと思いつつ、エレンはマリア王女に釣られてバイバイと手を振っていた。

「……あ、そうだ」

 テントを出かけた瞬間、マリア王女が振り返る。

「エレン。戦争が始まっても、貴方は絶対に死んではダメよ」
「――!」

 エレンを力強く見つめたその瞳は、今までの可愛らしいマリア王女とは全く違うとても真剣な瞳であった。

「いい? 約束して。もし危なかったら戦わなくてもいい! 隠れて、逃げて、どんな手を使ってでもとにかく自分の命を優先に守って。 貴方は私に出来た初めての友達なの。絶対に生きて帰って来て!」

 手をギュっと握って訴えかけるマリア王女の熱意を受け取ったエレンは、コクリと首を縦に動かしたのだった。

「約束よ」
「……分かりました」

 納得したマリア王女は最後に再び笑みを見せると、今度こそテントから去って行ってしまった。

彼女が出ていった数秒後、「私はここよ」というマリア王女の声が聞こえ、無数の団員の足音や声と共にどんどん音が遠ざかって行くのが分かった。

「ふう~、びっくりしたぁ」

 独り言を言いながらエレンはその場に寝転ぶ。

 ――エレンが素敵だから。

 ――友達になりましょうよ!

 ――絶対に生きて帰って来て! 約束よ。

 たった今話していたマリア王女との会話が頭を駆け巡る。

 数分前までは騎士団から抜け出す事を考えていたエレン。

 生き抜く為には戦争を避けなくてはいけない。
 戦争を避けるには騎士団を抜けなくてはいけない。

 だがもし騎士団を勝手に抜けたとなれば、エレンは当然罪人となって追われ身に。

 そうなれば王都に近付くどころか一生マリア王女とも会えないだろう。

「逃げてもいいから生きて……って。僕だって出来る事ならそうしたいよ……」

 色んな感情が複雑に絡み合ったエレンは結局その答えが出る事もなく、いつの間にか眠りについていた――。

**

 翌日。

 マリア王女が脱獄したという以外は特に何もなかったエレン達騎士団一行。

 その後は計画通りに険しい渓谷を超え、大きな川を渡る為に橋の架かる関所を目指して迂回して行った。

 一行が王都を出発してから早4日が過ぎ、橋を渡った一行は遂に西部区へと辿り着いた。残るは目の前の山岳地帯を超えれば目的のツリーベル街に到着する。

「やっとここまで来たのか」
「もう少しですね」
「長ぇ任務だな」

 比較的緩やかな山岳地帯を進む一行。
 このまま順調に進めば日が沈む前にはツリーベル街。

 と、多くの者が思っていたであろう次の瞬間。

 突如エレンは斜め後ろに振り返った――。

(何だろう……。今後ろの方からなんか“聞こえた”ような……)

 エレンが不意に感じ取った気配を、隣にいたアッシュとエドも感じ取っていた。2人は馬を止めて辺りを見渡し始める。

(え、嘘でしょ……)

 嘘ではない。
 
 エレン達が感じ取った音は遠くから徐々にこちらに近付き、同時に大地からも震えが伝わって来ていた。 

「全員走れぇぇぇッ!!」

 アッシュが珍しく大声を出す。
 そしてその数秒後には列の後方にいた団長達から「逃げろ!」という叫び声が響いてきた。

 騎士団一行の列は一斉に前方へと動き出す――。

『『ヴゴォォォォッ!』』

 直後、列の最後方から地響きを起こす程のけたたましい咆哮が響き渡ったのだった。

「魔物の群れだ!」
「“マウントゴブリン”だぞ!」

 一行の前に出現したのは魔物、マウントゴブリン。
 マウントゴブリンは通常のゴブリンよりも数倍凶暴で体もかなり大きい危険な魔物である。

 本来であれば厳しい極寒地帯や標高の高い山に生息する魔物であり、一行が通っている山岳地帯には絶対に存在しない。いや、仮にいたとなるならば、絶対に王女を移送するルートには選ばない。

「右翼隊と第5、第6護衛隊は武器を取れ! このままだと追いつかれる! マウントゴブリンを討伐するぞぉぉぉ!」

 後方に配列されていた団長が指揮を取り、幾つかの隊が戦闘態勢に入った。

(大丈夫、乗り越えられる……!)

 馬車を守るエレン達は変わらずひたすら前へと走り続けている。

 幸いこの山岳地帯はそこまで険しくない。
 当初の計画通りならばこの山岳地帯はもうすぐ抜けられる。


 ……筈であった。


『ヴガアアアッ!』
「「ッ!?」」

 刹那、前方の列の隊が真横から現れた1体のマウントゴブリンに襲撃された。

 ――ズガァァン!
「「うわあああ……ッ!」」

 爆発のような鈍い衝撃音と、響く団員達の断末魔。
 マウントゴブリンから振り下ろされた巨大な棍棒が数人の団員を虫のように潰した。

 マウントゴブリンの大きさはビッグオークよりも更に大きい。
 手にする棍棒は馬車をも一撃で破壊するだろう。

 “マウントゴブリンを相手にするには団長クラスが5人”。

 そう言われる程魔物の中では強いランクのモンスターだ。
 
 遥か後方では複数の隊でやっと1体を相手にしている。

 しかし。

 エレン達の前に現れたマウントゴブリンが1体ではなく、全部で3体いた――。