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 翌日。
 ブリンガー伯爵が手配してくれた馬車がアッシュの家の前に着いた。

「行くぞ」
(やっぱり本当に行く気なんだ。勝手に動いて大丈夫なのか?)

 エレンは昨日からずっとアッシュの行動に疑問を思う。王国騎士団員でマナ使いでブリンガー伯爵に仕えている筈なのに、何故単独で行動しようとしているのか未だにエレンは謎のまま。

 そんなこんなで流れに身を任せるまま、エレンとアッシュ、そしてエドは馬車に乗り込み南部の街を後にした。

**

「あのさ、もう今更なんだけど、本当に勝手に出てきて良かったの?」

 馬車に揺られる事数分、やはり気にせずにはいられなかったエレンが沈黙を破ってアッシュに聞いた。

「関係ねぇよ。2度と戻らないしな」
(うわ。めちゃくちゃ勝手な理由)

 アッシュは流れる外の木々を見ながら当たり前のように答えた。

「折角あんないい家に住んでいたのに勿体ないな。しかも伯爵に仕えてるなら一生安泰なのに」
「フフフ。確かに勿体ない事をしてますな」
「ですよね。僕だったら絶対にあの生活を捨てたりしませんよ」
「うるせぇな。黙ってろよ」

 アッシュは本当に何を考えているのか分からない。
 しかし、そんな謎だらけのアッシュの素性を1つだけ聞いたエレンは昨晩驚いた。

 そう。
 目の前に座るこの青髪の青年もなんとエレンと同じ“難民”出身。
 難民街で仕事に困りながら今日という日を生き抜いてきたエレンと、何不自由ない豪華な家と一生仕事に困らない騎士団員のアッシュ。

 同じ難民出身であったとしても、世界に抗う“力”がある者とない者ではこうも如実に差が出るのだ。

「じゃあこの推薦状あげるからさ、僕にあの家頂戴」
「アホか。もう無理だ」

 偽りない本音を堂々と言い放ったエレン。
 なんとなく無理だとは分かっていても取り敢えず言ってみたかった。

(こんなコソコソ動かないといけないぐらいやっぱ騎士団は規則とかルールが厳しいのかな? まぁ例えあったとしても、アッシュみたいな人がいたら意味無いよね。それに結局僕はまだ知らない事だらけ……。

そもそもアッシュとエドさんってどういう関係? 親子……ではないよな確実に。顔似てないし、根本の人間性が違う。
ってなると友達? それとも同じ騎士団員仲間かな?)

 エレンが何気なくアッシュとエドを見ながら悶々と考えていると、突如“それ”は起きた。

 ――ガガガガッ!
『ヒヒィィィン!』

 激しい揺れと共に馬車が急停止し、進んでいた馬が何かを訴えるような鳴き声を上げた。

「どうしたんですか!?」

 エレンは客車の窓から顔を出して御者さんを確認する。

「わ、分かりません! 急に馬が怯えだして止まってしまったんですッ……!」

 突然の事態に御者さんも状況を把握出来ていない。

 しかし。

 ブシュ。グチャグチャ。

 エレンと御者さんが戸惑っていたとほぼ同時、通っていた山道の木々の奥から気持ち悪い生々しい音が聞こえた。

「あれ? アッシュとエドさんがいない……!」

 気が付くと、数秒前まで目の前に座っていた2人の姿がない。
 エレンは無意識に生々しい音がした方向に意識を向けると、そこに木々の間から剣を振るうアッシュとエドの姿が確認出来た。

 しかも2人の向かいには“レッドウルフ”と呼ばれる朱色の毛並みが特徴の獰猛な魔物の姿もあった。

 馬が止まった理由は他でもない。
 獰猛な魔物の気配を察知した野生の防衛本能だ。

「アッシュ! エドさん!」

 ザシュン。シュバン。

 アッシュはレッドウルフの硬い首を一刀両断し、エドは鋭い牙があるレッドウルフの開いた口に剣を突き刺した。

 獣を引き裂く音と、滴り落ちる血にべちゃりと沈む肉の音が静かに響く。今アッシュとエドが倒した2体のレッドウルフの他に、既に討伐されたものが1体地面に倒れていた。

(強い……! いつの間に動き出していたんだ!?)

 魔物を倒すどころか反応も出来なかったエレン。終わった頃に震えが押し寄せて来る。
 
「何で“火山地帯にしか生息しない”レッドウルフがこんな所に」

 剣に付いた血を払いながらアッシュはレッドウルフの亡骸に視線を落とす。だが次の瞬間、何かの気配を感じ取ったアッシュとエドは馬車の反対方向に視線を向けた。

「嘘でしょ……」

 2人に釣られてエレンも同じ方向に視線を向ける。
 すると一行の視線の先には10体ものレッドウルフの群れがいた。

『グルルルッ』

 涎を垂らしながら睨むレッドウルフは今にも飛び掛かって来そうな勢い。

「や、やばいってあれは……」
「怖ぇなら動かず寝てろ」

 アッシュはそう言いながら自らレッドウルフの群れに向かって歩いて行く。

「面倒だな。私が殺ろう――」

 向かうアッシュを遮るように前に出たのはエド。
 彼はこれまでの穏やかな雰囲気から一変、殺伐とした冷酷なオーラを醸し出すや否や、力強く地面を踏み込みんだエドは微塵の躊躇なく一瞬でレッドウルフの群れとの間合いを詰めた。

 ズシャン。グチャ。シュバッ。

 1体、2体、3体……。
 無駄のない流れるような動きから繰り出す剣術で、エドは次々にレッドウルフを狩っていく。

 エドの身体には淡い青白い光。マナ使い特有のオーラである。
 
 気が付けばもう残り1体となったレッドウルフの群れ、エドは最後まで表情を変える事なく洗練された動きで全てを討伐するのだった。

「これで終わりのようですね」
「ご苦労だったな、エド」
「ありがとうございます……エドさん」

 辺りに散らばるレッドウルフの亡骸。
 心地良い風と共に生臭い血の香りも鼻に届く。

 深く吸い込むだけで吐き気がしそうだ。

 エレンはまた何も出来なかった。

 ただ2人の凄さを眺めていただけ。

(本当に情けない。僕は何も出来なかった……。しっかりしろよ。男として生き抜く覚悟をしたんだから――)

 自分の不甲斐なさに悔やむエレンの強い気持ちとは裏腹に、彼女の体はそれから少しの間、小さな震えが止まらなかった。