――一方その頃母国では。


 僕、グリント・ルドヴィカの生活は順風満帆と言っていい。

 だって前王太子・アルドが平民に落ちこの城を追放されてから、僅か9日。
 既に昨日の内に立太子の儀が盛大に行われ、国民たちに祝福されながら無事王太子の地位に納まった僕なんだから。

「フフフッ、やっぱり僕の方がアイツより優れてるんだ!」

 ソファーに腰を掛け窓の外に出ている丸い月を眺めつつ、赤ワインをスッと煽る。


 実に美味しい。
 こんなに美味しい酒なんて初めて飲むかもしれなかった。

 その理由は分かっている。

「アイツの全てが今や僕のものになった。アイツの持っていた立場も権力も、父上からの期待さえも」

 実はその立場の内の一つにアイツの婚約者だった女も入っている、というのは昨日の立太子の儀でお披露目になった新事実だ。


 バレリーノはとても美しくていい女だ。

 夫になる僕を立てて一歩後ろに下がれる従順な女でもある。
 が、何よりもついこの間までアルドのモノだったという所が良い。


 最近少し増長し始めた母上が僕にも口を挟んでくる辺りは少し面倒だけど、そんなものは僕がいずれ王になればどうにでもできる。

 そもそも父上には、アルドが王太子の座についていた時から「そろそろ隠居しよう」という動きがあった。
 僕に変わる日も近いだろう。

「まぁその分書類仕事の負担はかなり増えてしまったが、そんなものは全て臣下どもに丸投げしておけばいい」

 僕はそうほくそ笑んで、再びワインをグイっと呷った。

 臣下は僕の手足である。
 僕からの命令を喜んで受ける傀儡、僕の役に立つ事こそがヤツ等の存在意義なんだから使ってやるのは当たり前だ。


 そう言えば当初、「アルド殿下に追手を放っておいた方が良いのでは……?」などという無駄な進言をしてきたヤツが居たが、そんな生意気なのはその日付けで閑職へと飛ばしておいた。

 この僕に、自ら平民へと下ったあのバカを警戒しろと?
 僕がわざわざ手を回さねばならないようなヤツじゃないだろ。
 それなのに「いずれ殿下の脅威になるかもしれませんから」なんて言うんだから、俺をバカにしてるよな。
  

 まぁどちらにしても、王城に出入りする上流貴族達への根回しは完璧に近い。
 あのバレリーノにも裏工作を少し手伝わせているんだが、流石というべきか手際はかなり良い。

「――前殿下とは大違いで、グリント殿下は話が分かるお方なのですね。今後も誠心誠意支えさせていただきますわ」

 あの女はそう言って微笑んできた。
 もうアイツも僕の手足だ。
 アルドが掌握できなかった女を、だ。
 やはり僕の方がアイツより、よっぽど優れてる証拠だろ?

 実はその際「根回しの為の金を幾らか国庫からお借りしました」と報告を受けたが、どちらにしても回り回って国の為になる事だ。
 まぁ問題ないだろう。

 僕の治世が安定した時、この出費をみんな泣いて喜ぶさ。


 とりあえず明日は寝坊したいから、机の上に積みあがってるこの書類にはとっとと承認印をついておこう。

 ……内容?
 そんなもの、見る筈が無い。
 どうせ僕の手元に来るまでに何人もの人間が確認してる。

 僕は現場の事は現場に任せる主義だからな。
 奴らの自主性というやつに任せるさ。


 あー、それにしてもワインが美味しい。

 えーっと……承認印、どこだっけ?


 ***

 
 グリントが酔いつぶれかけているのと、ほぼ同時刻。
 ツィバルグ公爵家の執務室にて、初老の男が見目麗しい娘と机越しに向かい合っていた。

「どうだバレリーノ、首尾の方は」
「もちろん順調ですわ、お父様」

 シャンと胸を張り美しく微笑むその令嬢は、揺れる事など微塵も無くそう告げる。

 よほど自信があるらしい。
 が、それも当たり前かと父の方はニタリと笑う。

「アルドの時は随分と懐柔に手こずったようだがな」
「手こずったどころか見事に失敗しましたわ。だってあの人、私の外面や影響力だけじゃなく、金にも権力にも惹かれてはくれないんだもの」

 あれほど扱いにくい男も居ない。
 彼女はそう言い切った。
 
 これは紛れもないバレリーノの失策報告だ。
 靡かなかっただけじゃなく、アルドはその後ツィバルグ公爵家に弓まで引いた訳だから、父としては到底許せる失策じゃない筈だ。

 にも関わらず、結局事なきを得たからか。
 娘のその言い切りに男は可笑しそうに笑う。
 
「バレリーノよ、それでは《《今の》》が小物のように聞こえてしまうではないか」
「あらお父様、いけませんわ。私はたったの一言だって、そんな事など言ってませんのに」

 父の軽口にバレリーノもまた、クスリと口元に笑みを浮かべた。
 しかし先程までとは違い、そこには何かを卑下したような色がチラつきくすぶっている。

「大丈夫ですわよ、お父様。今代の王もそうですが、それ以上に《《今の》》は稀に見る逸材です」
「ククッそうか、逸材か。それはさぞ――操りやすい事だろう」