クイナと二人で待ってくれていた馬車へと戻った俺は、御者に「脅威は去った」という事、そして「クイナを拾ったので一緒に乗せていってほしい」という事を伝えた。

 勿論彼女が獣人であるという事は伏せて、「襲われていた。どうやら孤児らしい」とだけ言う。
 すると彼は「それは不憫だな」と眉尻を下げて「よし分かった! 次の町まで乗り賃はタダにしといてやろう!」と胸を叩いた。

 ありがたくそのお言葉に甘えクイナと一緒に馬車に乗れば、多分中にも話が聞こえてたんだろう。

「ありがとうな、お兄さん!」
「獣の断末魔がここまで聞こえてきていたよ」
「お兄さんもお嬢ちゃんも、2人ともここに座りな」

 そんな声が多く掛けられホッとする。

 ずっと森を逃げていたクイナは、お世辞にも身なりが綺麗だとは言えない。
 それもあって俺の外套を頭からすっぽりと着せていた訳なんだけど、どうやら彼女がそういう意味で周りから白い目で見られる事はなさそうだ。
 

 因みに今、獣人の特徴である彼女の可愛い耳と尻尾は、貸したそのコートによってきちんと全て隠されている。
 それも大丈夫、バレてない。


 馬車に乗ってしばらくすると、クイナは安心したのだろうか。
 スヤスヤと眠り始めた。
 それは次の町に到着する3時間後まで続き――。

「クイナ、おいクイナ」
「……んー……」
「着いたぞ下りなきゃ」

 俺に寄りかかっていたクイナを起こす。
 すると彼女は一応起きた。
 が、宿までどうにか歩かせようと思ったものの、まだちょっと夢見心地で足元が覚束ない。

 もし何かの拍子に転んで、否、転ばなくても外套が翻ったりして耳や尻尾が見えてしまったら。
 そんな想像が駆け巡り、俺は「はぁ」とため息をつく。

(仕方がないか、今回は)

 そう自分を納得させて、俺はクイナを抱き上げた。
 その時だ、ちょうど全員下りたか確認しに来た御者の男が最後に残った俺達を見つけた。

「おやおや、抱っことは。こりゃぁまたえらいVIP待遇だなぁ」
「いやまぁ危なそうだったので」
「ただウトウトしてるだけだろう? そのくらい、転んでも怪我の内には入らんよ」

 そう言った彼にはまさか言えない。
 「いやいや気にしてるのは怪我じゃないから」なんて。
 そんな事を言ってしまったら「じゃぁ何なんだよ?」と聞き返されるのがオチだ。
 仕方がないので、適当に笑ってやり過ごした。


 彼女を胸の前で抱いて、俺は町中を歩く。
 泊まるところを探す為……なんだけど、こんなにもすれ違う人にガン見されるのは、多分クイナを抱っこしているからなんだろう。
 
 分かってるよ、俺だって。
 見た目年齢大体6、7歳での女の子を運ぶなら、普通はもぅおんぶだろう。
 少なくとも赤ん坊の様に前抱きは無い。

 しかし、だ。

(後ろに背負ったら万が一クイナのフードが取れた時に正体を喧伝して回る様な事になる。だから論外。でもお姫様抱っこは、俺もするのはちょっと恥ずかしいし……)

 そうなると結局、こんな選択肢しかない訳だ。
 これでも俺だって、色々と考えているのである。



 どうにか無事に宿を見つけた俺は、まずクイナを部屋のベッドに寝かせてから、腹を満たすための食事を摂る事にした。

 本当はその辺で買ってきたかったけど、もし俺が居ない間に起きてしまったら「気付いたら全く知らない所だった」状態で、さぞ心細い事だろう。
 そう思うと、流石に寝ているクイナを一人で置いておく訳にもいかない。

 幸いにも、手持ちの干し肉とパンはまだ残ってる。
 それを齧りつつ、クイナのための準備を魔法でちょっとずつ始める事にした。


 まず使う魔法は土系統。
 野宿用の天蓋を床に敷き、その上に桶状の形をイメージして。

「『土よ、象れ』」

 そう詠唱し、石の器を作り出す。

 そして次は水系統。
 パンをモシャモシャ食べながら「『水よ』」とだけ呟くと、伸ばした手のすぐ向こうに魔法陣が浮き上がり、そこから水が流れ出す。

 その水をある程度器に溜めた所で水中に手を突っ込んで「『火よ』」と言えば、水がボコリと音を立てた。
 そして次の瞬間、水から湯気が立ち上って――。

「あ、起きたか」

 モソリと後ろで物が動いた気配がして振り返れば、ちょうどクイナがムクッと起き上がったところだった。
 目をコシコシしてると被っていたフードが取れて、あの金色のケモ耳が露になる。

(彼女を最初に見た時からずっと思っていた事だけど、やっぱり日々の疲れが毛並みに出てるな)

 それは多分日々のストレスもあれば、食料の問題もあっただろう。
 しかし一番は、もっと物理的な問題だ。

「クイナ、こっちにおいで。お風呂に入ろう」

 行水できるところはあるが、獣人であるクイナを外で洗うわけにもいなかい。
 だから今日は暫定策で、突貫工事の室内お風呂……なんだけど。

「おふろ?」
「うん。えーっと……水浴び、かな?」
「えー……」

 すぐさま難色を見せたクイナに、もしかして水嫌いかと思い至る。
 だとしたら、ちょっと面倒かもしれないが。

「だって水浴び、寒いもん……」
 
 その言葉を聞いた俺は納得と安堵を同時に抱いた。

「確かに最近肌寒いもんなぁー。でも大丈夫」

 そう言いながら手を差し出せば、クイナはおずおずとやってきた。

「ちょっと水触ってみ?」
「うん……」

 嫌そうに、しかしそれでも跳ね除ける事はせずに、俺が用意した大きな桶の水にそろそろと手を付けて……。

「あったかいの!!」

 パァッと顔が華やぐ彼女に、俺も思わず得意げになる。
 
「大丈夫だったろ?」
「うんなのっ!」
「着替えもあるから、もぅ服ごと中に入っちゃえー?」

 どうせ服も洗わなきゃだし。
 俺がそんな風に言うと、彼女は今度は躊躇なく、ちゃぽんちゃぽんと桶の中に足を入れ、座って「ふいーっ」と息を吐く。
 水嵩は丁度いいし、顔を見るに彼女もどうやら気に入ってくれたらしい。
 俺も一安心。

「じゃ、頭洗うぞー」

 そう言って、クイナに目を瞑らせる。



 バッグの中から出したシャンプーを出して頭をゴシゴシ。
 モクモクと泡が立つ中、さりげなくクイナにこんな質問してみる。

「なぁクイナ、好きな色は?」
「んー、グイの実の色」
「赤か。じゃぁズボン好きとかスカート嫌いとかは?」
「んーん。でも尻尾がキツキツだとやーなの!」
「ふーん、なるほど。よしじゃぁシャンプー流すから目と口ちゃんと閉じとけー?」

 そう言って、頭にまたバシャァッと水を掛けて泡を落とす。
 よし、これで大分綺麗に――。

 ブルブルブルブル。

「……」
「……アルド?」

 俺が思わず固まると、振り向いたクイナがキョトン顔で首を傾げた。
 どうやらクイナは気付いてないらしい。
 クイナによって高速散布した水のせいで、俺がずぶ濡れになった事を。

「あ、や、良い良い。ちょっとビックリしただけだから」

 そういうと、やっと時間差で気づいた様だ。

「あーっ、アルドびっちょんこー!」
「こんなに至近距離だからなぁー」

 楽しそうに笑う彼女に、俺もハハハッと笑って返す。

 楽しそうで何よりだ。
 けど、俺はクイナが言った通りびっちょんこ。
 ついでに部屋もびっちょんこだ。
 
「あー、まぁいいや。俺ちょっと出かけてくるから、クイナはちゃんと服を脱いで体を洗っておけよ? 出来るか?」
「出来るのー!」
「じゃぁ頑張って。服は脱いだら湯船の中に入れっぱなしで良いからな?」

 服は後で洗うから、そのまま置いておけばいい。
 そう言ってから、俺は部屋を後にする。

 去り際に、飛んだ水はひっそりと魔法で浮かせて集めて燃やしておいた。


 
 それから15分くらい時間を置いて、俺は再び部屋へと戻る。

 コンコンコンッ。

「クイナー? 体洗えたか?」
「洗えたのー!」
「入ってもいい?」
「いいよ?」

 何でそんな事を聞くの?
 そう言いたげなその声に、俺は少し苦笑する。

 一応俺は男だし、気を使った方が良いかなと配慮したつもりなのだが、どうやらその手の羞恥心は彼女にはまだ無いらしい。
 まぁそれでも、一応な?

「今は、さっきの桶の中?」
「そうだよ?」
「じゃぁそのまま立ち上がって? ……立ち上がった?」
「うんなの」
「じゃぁそのまま、目を瞑って口も閉じてー? 3、2、1……」

 カウントダウンのすぐ後に、あらかじめマークしておいた場所で魔法を幾つか発動させた。

 発動魔法は土、風、火、そして水。
 土魔法で網目状の鉄の板を作り、風で浮かせて火で板を温め、そしてその上から水を落とす。
 すると温かい水が彼女を、頭の上から流すという戦法だ。

 実はさっき思いついたやつで、やるのも初めてなんだけど、さてどうだろう……?

「んなっ! 突然頭の上から温かい水がー!」

 ブルブルブルブルッ

 ……どうやら手段そのものには問題は無いようだ。
 が、またブルブルしちゃったか。
 うん、仕方がない。
 後でまた部屋全体に乾燥魔法掛けとこう。

「すぐ近くにタオルがあるからそれでまず体を拭いて風呂から上がって、そしたらこれを着るんだぞ? ここに置いとくから」
「分かったのー」

 ちょっとだけドアを開けて、出来た隙間から彼女の着替えを差し入れて、待つ事1、2分。
 ガチャリとドアが開いたので見れば、クイナが「出来たの!」と言ってきた。
 そしてドアが大きく開く。

 そこには頭が濡れたお風呂上がりのクイナが居た。
 かなり上機嫌である。
 理由は一つしかないだろう。
 
「グイの実の色なのっ!」
「うん似合ってるぞー」

 そう言ったクイナのズボンは紺色、インナーは白。
 しかし靴と上着とは、両方とも赤色だ。
 それが嬉しいんだろう。

「クイナの好きな色!」
「あぁ、偶然ダナァー本当ニ」

 フフンッと胸を張るクイナにそう答えながら、とりあえず簡単に部屋をカラッとさせてベッドに座る。

「クイナー、来い来い」
「んー?」

 トタトタと寄ってきたクイナの頭をまず風魔法で乾かして、後ろを向かせて尻尾も乾かす。

 それでやっと、モフモフふわふわなクイナの完成だ。

(おぉー、尻尾……ふわふわ尻尾……)

 目の前に出来上がった立派な尻尾は、黄金色のふわふわ尻尾。
 今までで一番手触りが良さそうなその仕上がりに、ちょっと感動してしまう。

 が、ひとりでに伸びた手は、モフモフする直前で止まった。

 ちょっと待て、獣人的にコレって触って大丈夫なやつ?
 もし万が一嫌がられたら、俺ちょっと傷つくんだけど。
 
 そう思い、一度はその手を引っ込めた。
 が。

「……ん? クイナさん?」
「ここが一番落ち着くの」
「そ、そうなの?」
「そーなの」
「うーん、そっかぁー……」

 クイナが腰を下ろした場所は、なんと俺の膝の上だった。

 まぁそれ自体は別に良い。
 そんなに重くもなかったから。
 問題は、目の前でゆらゆら揺れるモフモフの誘惑だ。

(ち、ちょっとだけなら……)

 遂にその誘惑に負け、俺はそれに手を伸ばす。

 結果を言えば、幸いにも嫌がられるようや事は無かった。
 そしてその触り心地は、神尻尾だった……とだけ言っておこう。