話が終わって俺はクイナと手を繋ぎ、祝福の間を後にした。
目下の予定が終わったと思っているクイナはスキップしながらこの後食べる串焼きの事を考えているような顔をしてる。
いつものあの串焼き屋に今日も帰りに寄っていこうと、話をしていたからだろう。
だけど実は、用事はまだ終わっていない。
「次はクイナ、遊びに行くぞー」
「遊びにー?」
「あぁそうだ。クイナと同い年くらいの子たちが居るんだよ、ここにはな」
そう言って、彼女の手を引いていく。
あらかじめ教えておいてもらった道を進むと、やがて視界がサァーッと開けた。
視界いっぱいの白から解放されて、廊下と外を隔てる白い壁が視界から消えて。
その代わりに見えたのは、若草色と色とりどりのお花たち、そして空の青さが眩しい世界だ。
「ふわぁーっ、広くてとっても綺麗なのー!」
そう言った彼女は、目をキラキラとさせながらキャッキャと遊ぶ子たちを見ている。
すると先程の声でクイナに気付いたのだろうか。
何人かの子供たちが俺達の方へと駆けてきた。
「あー、新しい子だー!」
「獣人の子だー!」
「ねぇ遊ぼー?」
口々にそう言ってくる子供たちの圧に、クイナは少し押され気味。
しかし『遊ぼう』と言われ、窺うように俺の方を見上げてくる。
「良いよ行っといで。俺はここで待ってるから」
そう言ってポンッと背中を押してやると、一歩二歩と軽くたたらを踏んだ後再度こちらを振り返った。
それを笑顔で見送れば、今度こそクイナは子供達とタターッと走って行ってしまう。
流石は他種族国家と言うべきだろうか。
白色の服に身を包んで思い思いに遊び回る子供たちには色々な種族が混じっている。
多分ここでは人族の子供が最も少数派だろう。
獣人・ドワーフ・エルフ・竜族。
魔族や天族だって少なくない。
それが互いに仲違いする事無く楽しそうに遊んでいるんだから、「ここはまるで理想郷のような場所だなぁ」という感想を抱いてしまった俺を訝しむ者は多分、ただの一人も居ないだろう。
白い床の廊下エリアから、サクリと若草色を踏んだ。
その瞬間、ふわりと柔らかな風を感じる。
「……温かい」
「ここにも結界を張っているのですよ」
後ろからそんな声が掛けられて振り返ると、そこには先ほど祝福の間で別れたばかりのエルフ神父の姿があった。
「さっきの今でまた会うなんて」と俺が少し驚いてると、笑いながら彼が言う。
「結界周辺に普段は無い人間の反応がありましたから、少々気になりましてね。マリア殿からお話は頂いていましたから、おそらくその方だろうと思いながら見に来たのですよ。しかしまさか貴方だとは」
奇遇ですね。
そう言って笑った彼に俺は「結界の反応って……」と尋ねる。
「もしかしてこの結界、神父様が張ったものなんですか?」
「ご明察。まぁこの結界の内側を春にしているのは魔道具ですから、私はこの結界でただ単に善良なる人以外の行き来を拒んでいるだけですけれど」
そう言って穏やかに笑う彼に、俺は思わず「それだけ出来れば十分だ」と言いたくなった。
言わずもがな、その技術はかなりの高等テクニックだ。
少なくともその辺の人間がそう簡単に出来る訳じゃない。
「ハッ! も、もしかしてこの教会全体の保護結界も……?」
「いえいえ、流石にそんな大規模なものは無理です。私にはこれが精いっぱいですよ」
そう言って笑った彼に、俺は安堵のような残念なような妙な気持ちを抱いてしまう。
視線を子供たちの方へと向ければ、思いの外クイナが目立ちまくっていた。
それもその筈、他の子たちはみんな教会から支給される純白の服なのに、クイナだけ会ったばかりに買いに走ったあの赤いコートを着ているのである。
色的に、目立つのは当然だろう。
俺の視線に気付いたのだろうか、こちらを振り返ったクイナが満面の笑みでブンブンと手を振ってくる。
それに笑顔で返しながら「でもそれ以外は、もう早くもなじみ始めているよなぁ」と思う。
元々クイナは人懐っこい性格だ。
物怖じするような事も無いし、好奇心も旺盛だから新しい場所や物にも楽しみを見出せる。
そういう子だから、きっとどこでも上手くやっていけるだろう。
さっきの祝福の儀の時、神様から授かった恩恵が既に3つもあったのは、彼女の経験のお陰だろう。
『豊穣』はともかくとして『忍耐』と、もしかしたら『直感力』もそれが無いと生き延びられないくらいの環境下に彼女が置かれたせいなんじゃないだろうか。
出会った時にも少し思った事だけど、きっとクイナは年齢《とし》以上に大変な思いをしてきたに違いない。
そしてそれは、彼女自身のせいじゃない。
生まれや環境や情勢や、そういうものがクイナを追い詰めたのだ。
かつては自分も、それを作る側の人間だった。
もうそちらに回る事は無いけれど、それでもやっぱり今自分の目の前に居る少女一人くらいは助けたいと思うじゃないか。
「……この教会には、クイナちゃんと同じように何らかの理由で家族を亡くした子たちが沢山居ます」
だから今目の前で遊んでいるこの孤児たちには、人族以外の子供が圧倒的に多い。
他国では、彼らは差別の対象にされる。
だから身寄りが居なくなった時に助けてくれる可能性は低くなるし、親子でこの国にやってくる途中で親が死んでしまったり、辿りついても今までの無理がたたって……という事も多い。
「ですが、本当に良いんですか?」
「ええ、元々の約束ですからね。『この国に着くまでは』って。選択肢は必要ですよ」
この国に着くまでは。
それは初めて会ったあの時に、互いに交わした約束だった。
俺は安全地帯まで連れていく。
クイナには正体がバレない様に気をもんでもらう事になるけれど、それを我慢してもらう。
そういう約束を俺達はしたんだ。
だからこの街に着いて、ずっと色んな準備をしてきた。
治安的に問題は無い。
冒険者登録させて親か居なくても身分が保証できるようにしておいて、食い扶持を稼げる窓口を作り、危険の少ない依頼を熟させてお金を稼ぐ事を教えた。
魔法についても初期の初期はレクチャーした。
それこそここには俺なんかよりも、余程魔法に精通している人が居る。
目の前のこの神父が良い例だ。
ここならば、今後の先生に困る事も無い。
生きていくための最低限のスキルは伝授したつもりだ。
街の中に少しだけどクイナの顔見知りだって作れたし、祝福だって受けさせた。
そもそも俺は子育てどころか年下の子の相手さえろくにした事が無い。
そんな奴よりここに居た方がきっとクイナの為だろう。
「そうですか」
静かにそう告げた神父は、何故か困ったような笑顔だった。
何だろうと思ったが、聞き返す前に彼が暇を告げてしまう。
去っていく彼の背中から視線を戻すと、クイナがちょうどこちらに走ってきているところだった。
右手には、花冠を持っている。
ここの子達と作ったのだろう。
「アルドーっ! 良いものあげるのー!!」
そう言って右手をブンブンと振り回すから、折角の花冠の花びらがヒラヒラヒラヒラ散っている。
終いには花びらが全部剥げてしまいそうだ。
そう思えば「仕方がないな」という気持ちと愛おしさが同時に押し寄せ胸が痛む。
今まで一度もクイナを見てこんな事を思った事なんて無かったのに、今更ながらにそう思ったのはきっと「今日言う」と決めているからなんだろう。
「アルドしゃがむのっ!」
そう言われて中腰になれば、背伸びをしたクイナによって頭の上にパサリと花冠を置かれる。
「ふふんっ、似合うの」
クフクフと笑いながらそう言ったクイナは可愛くて、彼女の頭をナデナデとした。
耳のモフみが暖かい。
いつまでも触っていたいと思わせる触り心地だ。
でも、それでも。
「なぁクイナ」
俺は多分、いつにもなく真面目な顔でこう言った。
「お前にはここで生活するっていう選択肢がある」
その瞬間、クイナの両目がゆっくりと見開かれた。
「……それはアルドも一緒なの?」
「いいや、ここに居られるのはお前だけだよ」
成人したら、神官職以外の人間はここには住めない。
「アルドはどこかに行っちゃうの?」
「いいやこの街に居るよ。中々いい街だしな」
家を買って、定住しようかなと思ってる。
「アルドと前に約束してた『正義の味方』は?」
「そんなのいつでも出来るって。永遠の別れって訳じゃない」
ただ単に、寝泊まりする場所が違うだけ。
すぐ近くに居るんだから、いつでもすぐに会えるんだ。
「俺は子供の世話にも慣れてないし、男だから女の子のクイナを察してあげられない事もこの先沢山あるだろう」
驚き……否、困惑か。
クイナの顔にそんな色が浮かんでいる。
だけどそれでも、俺の口は止まらない。
「心配するな。クイナが望むんなら会いに来るし、心細いんなら当分は、冒険者家業も一緒にやればいい」
口角が引きつっている様な感覚がある。
それでもクイナを安心させてやろうと思って、だからゆっくり話そうと思って。
なのに声は独りでに、どんどんどんどん加速していって。
「待ち合わせなんてどこでもできる。メルティーの所にだってもちろん連れて行ってやるし、串焼き屋にも『天使のゆりかご』のプリンだって――」
「アルドは……」
遮るようなクイナの声は、迷子になった子のようだった。
「アルドはクイナが要らないの……?」
胸の奥が、ドクリと鳴った。
そんな筈が無いじゃないか。
たった3週間弱だ、クイナと一緒に居た時間は。
それでもクイナとの思い出なんて、数えきれないくらいある。
ちょっとした事でコロコロと顔が変わるのが可愛くて、チョロすぎる所が心配で、将来が楽しみで、一緒に居るといつも温かかったのだ。
要らない筈なんかない。
むしろ居ないと寂しいだろう。
だけど、それでも。
「ここに居た方が、きっとお前の為になる」
「あのねアルド」
見ればクイナは怒っていた。
いじけている訳じゃない。
ただ静かで大人びた怒りを薄紫の瞳に宿して、静かにこちらを見つめてきている。
「クイナはね、クイナがどうとか聞いてないの。《《アルドが》》どうかを聞いてるの」
見ればすっかり尻尾は下がり耳だって不安にちょっと震えて、両の手の拳はギュッと握られ大きな瞳には涙が溜まり切っている。
――一体どの口が「クイナの為」とか言ったんだろう。
俺はそう静かに思った。
今クイナがこんなに悲しそうな勇気を振り絞っているっていうのに、それでも縋る事はせずに俺の気持ちを尊重してくれようとしてるのに。
俺はなんてズルいんだろう。
言い方を、間違えた。
「クイナの為」だなんて、そんなのクイナを理由にして逃げてるだけだ。
確かにクイナを尊重する気持ちは大切だ。
選択肢を与えるのも必要だろう。
でもその前に、まずは俺の気持ちをきちんと伝えるべきだったのだ。
「俺がそう言えばきっとクイナが気にするから」とか、そんなのただの逃げでしかない。
クイナはちゃんと、自分の意志を持っている子だ。
誰に何を言われても、大切な事はきちんと自分で主張できる子なのである。
ならばこそ、もし本当に「クイナに選択肢を与えたい」と思ってるんだとしたら、まずは俺の気持ちをきちんと伝えてやるべきだった。
「……寂しいよ。クイナが居なくなっちゃったら、俺はとっても困るよきっと」
騒がしくも笑いが絶えない日常に、もうすっかり慣れてしまった。
だからそれをくれたクイナが居なくなってしまったら、きっとふとした瞬間に寂しくなる。
「もっと教えてやりたい事だってある。もっと一緒にやりたい事だって。勿論それは、離れて住んだって叶う事ではあると思うけど」
それでもきっと。
「俺はクイナと一緒に居た方が幸せだ。要らない筈なんかない」
そう思うんだ、心から。
それが必ずしも、クイナの為にはならないって分かっていても。
「要らない筈なんてないよ」
そう言って、こちらを見上げるクイナの頭に手を乗せた。
「クイナはアルドに要らなく、ない……?」
その声に、縋る様な甘えるような色があったのを俺は見逃しす事は無かった。
だからいつも以上に優しくその頭を撫でる。
「ないよ、ない」
あやすようにそう言えば、クイナは顔をクシャリと歪ませて「……ぅうーっ」と少し控え目な唸り声を上げた。
お世辞にも「可愛い」なんて言えやしないような顔で目をギュッと瞑ればいっぱいまで溜まっていた涙がその瞳から筋になって零れ落ちる。
まるで堰を切ったかのようにエグエグと泣き始めた彼女は、お世辞にも「可愛い」なんて言えやしない。
でも、それでも良い。
そんな彼女をやんわりと手繰り寄せると、しゃがんだままの俺の肩口にコツンと彼女のおでこが当たる。
すぐに、肩が湿った。
が、その湿り気さえ愛しく思える。
「クイナを捨てたら許さないのぉ……!」
「そういうつもりは無かったんだけど……あー、ゴメン。痛っ、だからゴメンって」
いつの間に父性なんてものに目覚めたんだろう。
そんな風に思いながら、俺はクイナからお見舞いされる両手のジャブを甘んじて胸で受けた。
「なぁクイナ」
「……」
答えは帰ってこなかった。
しかしモゾリと動いたので、聞こえてない訳じゃない。
「花冠、ありがとう」
さっきは言えなかった事を、俺は改めて彼女に言った。
恥ずかしながら、ほんのちょっとだけ涙声になってしまったような気がする。
それでもクイナが肩口で、小さく頷いたような気がした。
だからもう、それで良かった。