「それで今は、冒険者の依頼と並行してその訓練もしているの?」
「そうなんですよ」

 宿屋・天使のゆりかご。
 その食堂で夕食を食べた後、俺はちょっとまったりしつつマリアとそんな話をしていた。

 隣のクイナは今日もモリモリお肉を平らげて、その後嫌いな野菜たちも苦い顔でちゃんと食べて、今は頬っぺた落ちそうになりながらご褒美プリンの真っ最中だ。

 とてもご機嫌なのはフワフワ尻尾がゆるゆると揺れているのと耳がピコピコしているの、そして何より緩み切った顔面から見て明白だ。
 彼女の前に座る店主兼コックのズイードは「これだけ美味しそうに食べてくれれば作った甲斐があるよねぇー」と子供を通り越してまるで孫でも見るかのような目になっている。

 おかしいな、ズイードは見た目の実年齢も俺と比べてそう上じゃない筈なのに。
 もしかしてコレが既婚者と未婚者の雰囲気の違い……なんだろうか。

「それで、どうなの? クイナちゃんは」

 そうマリアに問いかけられて、俺は思考を彼女に戻す。

 彼女は「何が」とは言わなかった。
 しかし何のことを言ってるかなんて、言わなくたってもちろん分かる。



 クイナに「魔法を教えてやる」と約束してから、今日で6日目になった。

 一日中魔力操作ばかりしていると飽きるので、魔法に関する基礎知識と半々で教えているんだが、思いの外熱心な生徒への欲目を除外してみても――。

「才能があるよ、クイナには」

 俺はそう断言できる。


 もちろん俺は、魔法のスペシャリストと呼ばれるには程遠い人間だ。
 特に戦闘中の剣との魔法併用時には細かな出力調整が出来ないくらいには才能が無い。

 持っている魔力が大きいからと言って、使いこなせなければ意味がない。
 そういう意味で、俺には最低限の魔法行使力と自分の中の膨大な魔力を制御する力こそ手に入れても、他人の魔力を感知したりするのは下手だ。

魔法自体の才は乏しい。


 クイナがスライムを爆散させた時に魔力漏れに気が付けたのはあくまでも、自分たちの身を脅かす脅威が迫る可能性がある場所に身を置いていたお陰だろう。
 
 「王子だったのにそんな武人みたいなことが出来るの?」と思われるかもしれないが、「護衛される側だっていつ刈られるか分からないという緊張感も持つべきだ」というのが、彼の信条だ。
 そもそも魔法よりも剣の方に才能があった俺の師は、魔法も合わせてレングラムが請け負っていた。
 彼もそう器用な方ではなくどちらかというと力押しな魔法の使い方をするから、多分この大雑把さは師匠譲りだ。

 その事自体には別に不満なんて無い。
 が、この才能を前にすると、やっぱりきちんと伸ばしてやりたいと思うのは必然だろう。

「コイツは好奇心が強いし、知る事にもどん欲だ。覚えも早い上に目的の為には努力だって惜しまないとなれば、成長速度が速いのも頷ける。そもそも使える魔力量自体が多いから、やる気さえ続けばいつまでも練習できるし」

 まぁその目的というのが食い意地を満たす為だっていうのが、なんともクイナらしいんだけど。
 そう言って笑えば、マリアに「あら親バカね」と言われてしまう。

「親バカって何ですか。大体俺は、クイナの本当の親って訳でもないですし」
「え? そうなの?」
「はい。この街に来る一週間前くらいにたまたま魔獣に襲われてるところを見つけて保護して。で、放り出すのも可哀想だから獣人が虐げられないここまで一緒にやってきたっていう」

 言ってしまえば成り行きだ。
 そう告げると、何故かマリアにものすごく驚いた顔をされた。

「確かにアルドくんって若そうだから『もしかしたら親子ではないのかも』とは思っていたけど、てっきり付き合いは長いんだと……」
「え? そう見えますか? あぁでもクイナはちょっと人懐っこすぎる所があるからなぁ」

 この警戒心の無さじゃぁそう思うかも。
 今までの彼女を思い起こして、俺は思わず苦笑する。

 が、どうやらマリアは別の考えを持ってるようだ。

「そう? 私には、アルドくんだから懐いてるように見えるけどなぁ」
「えー、どうなんだろう」
 
 俺だけ特別……みたいな実感は特にない。
 まぁ確かに俺には駄々を捏ねるけど、それは他の人に駄々を捏ねる機会が無いっていうだけだろうし。


 実際には、『懐かれている』と言われて悪い気はしない。
 王太子時代の俺には決してあり得ない評価だからちょっとくすぐったくはあるけれど、嬉しい事には変わりない。

 が、それと同じくらいクイナにはクイナの自由がある。
 それを尊重してやりたい。
 

 大方の準備が整いつつある今、もしかしたらクイナの裏事情をスムーズに聞いてもらえた今が、相談を持ちかけるにはちょうどいい時なのかもしれない。 

「あの、マリアさん。後でちょっと聞きたい事があるんですが……」

 ちょっとだけ声を潜めてそう言えば、マリアはキョトンとした顔になる。

 多分「別に今聞いてくれても良いのよ?」という事なんだろうが、出来ればクイナの居ないところで話がしたい……という気持ちは、まだプリンに夢中なクイナを俺が気にした事でどうやら伝わってくれたらしい。

 もう大分見慣れたエンジェルスマイルで「分かったわ。じゃぁ後で」と俺の願いを聞いてくれる。


 ここに泊まり始めてから、今日でちょうど一週間目。
 宿泊を延長する話だけは先にマリアにしていたが、まだお金は払ってない。
 後で持ってくる時に、ちょっと話をしてみようと思う。




 俺の目の前では今まさに、ある種の命の駆け引きが繰り広げられている。


 こちらに背中を向けたままの、薬草類をモグモグ中の敵。
 にじりと距離を詰めるクイナ。
 
 敵の方はこちらを気にする必要も無いくらい強い――という訳では無く、単に気付いていないだけの最弱種だ。
 しかしクイナは戦っていた。
 自らの欲望と、内包魔力と。

 が、多分それが良くなかった。
 魔力に手こずるあまり足元が疎かになり、結果落ちていた細い木の枝をパキンッと踏んでしまう。


 一体どこから聴力を確保しているのかは分からないが、この音でスライムがクイナの存在に気付いた。
 ピヤッと驚き、逃げようと慌てて地面から大きくポヨヨンと跳ねる。
 
 しかしクイナも負けてない。
 逃げかけた獲物に、「ふのーっ!」という掛け声なのか何なのかよく分からないものを上げながら、逃げる背中に襲いすがる。

 そして血相を変えた丸くて瑞々しくてプニュンとした緑色のソレを、腕の中にギュッと閉じ込めて――。
 
「スライム、取れたのぉー!」

 きちんと原型を留めたまま捕まえられたそれを覗き込んだクイナがパッと、俺に向かって顔を上げる。

 キラッキラの得意げな瞳と目がかち合った。

 嬉しそうな表情に、教え子の急成長。
 そんなもの、保護者としても先生としても嬉しくない筈がない。
 頑張りが報われた成果に、俺も「おぉーっ!」と声を上げた。

 
 魔力制御を教え始めて、まだ僅か8日目。
 俺が3か月はかかったソレを、彼女はこの短期間で習得してみせた。

 まだかなり気を張っていないとダメなようで、多分この状態も短時間じゃないと維持できない。
 現に既にもうコントロールが揺らぎ始めているところだが、進歩が凄まじいのは確かである。
 やはり彼女には魔法の才があるんだろう。


 今まで何度もチャレンジしてきて、その度に爆散させたスライムの魔石を見回すへちょりとさせながら拾っていたクイナ。
 お陰様でその度に魔石を冒険者ギルドに持ち込んで小金稼ぎをしていたが、それも今日で卒業か。

 そう思えばちょっと……いや、かなり感慨深い。

「良くやったなぁ、クイナ」

 記念すべき初勝利に、頭をナデナデしてやると、少し照れたように「えへへーっ」と言ってクイナがすり寄ってくる。

 見下ろせば、腕の中に居るスライムが今もなお逃げようと懸命にもがいているのが見えた。
 が、まさかやっと捕まえた獲物をクイナが逃がす筈はない。

 大切そうに抱きしめられたスライムの脱走より、魔力制御の集中が切れて再び爆散の憂き目に合う可能性のほうが高い。
 そう判断し、スリープの魔法でスライムの抵抗力をゼロにする。

 と。

「これでスライム、食べられるの!」

 ちょうどタイミング良く、クイナがそうニコッと笑った。
 ここでスライム、ついに終了のお知らせである。



 因みにあれから調べたんだが、スライムは食用に出来るらしい。
 冒険者ギルドでお世話になっているあの受付のお姉さん・ミランに至っては、「あぁアレとっても美味しですよね」と軽い口調で言っていた。

 スライムは、どうやら特に獣人たちが好んで食べるものらしく、お菓子感覚なんだとか。

 外見的特徴が特に無いのでてっきり人族だと思ってたんだけど、実はミランは獣人とのハーフだったらしい。
 家ではおやつに頻繁にスライムが登場していたらしくって、彼女自身も好きなんだって。

「種類によって味わいも違うので、色々な食べ方がありますよ? まぁ一部のスライムには毒がありますから、食べる時には気を付けないといけませんが」

 そう言って笑った彼女に俺は「クイナに危ないものを食べさせるわけにはいかない」と、姿勢を正して詳しく聞いた。


 すると、特に気を付けるべきなのはポイズンスライムとパラライスライムの二つらしい。

「ポイズンスライムは毒を内包しているので、きちんとそれを取り除く手順を踏まないと後で毒に当たります。パラライスライムも同様ですが、こちらについてはあのピリッと感が堪らないという事で、敢えて解毒はせずに大人の方々の酒のおつまみになる事もありますよ」

 とはいえ、そもそもが最弱種なので毒性もそれほど強くない。
 万が一解毒に失敗してもすぐに命に係わるような事は無いらしく、健康体な大人にとってはちょっと調子が悪くなる程度、子供やお年寄りなどが当たってもポーションで十分対処できるくらいとの事。

 その答えにちょっとだけ安心しつつ、「ふむなるほど、パラライスライムか」と俺は密かに独り言ちる。
 今度、一度くらいはチャレンジしてみないといけないな。

「この辺でいうと出会える可能性が高いのはブルースライム・グリーンスライム・ロックスライムの三つですが……ロックスライムはあんまり食用向きではありませんね、何せ固いですから。でもあとの二つなら、普通に美味しく頂けますよ」
「そうなんですね、安心しました」

 とりあえず、クイナが狙っているグリーンスライムは大丈夫そうだ。
 そう思いながらお礼を言えば、彼女は「いいえ」と微笑んで「また分からない事があれば何でも聞いてくださいね」と言ってくれた。

 流石は人気の受付嬢、こんな質問にも丁寧に答えてくれる上に「またどうぞ」と言えるこの余裕。

 受付嬢の鏡だよなぁ。
 お言葉に甘えて、何かあったら今後も遠慮なく頼らせてもらう事にしよう。



 という事で、その時に一緒に『ちゃんと俺でも作れる「甘くておいしいの」のお手軽調理法』は聞いてきた。
 材料だって揃えて準備は万端、あとは実践あるのみだ。

「じゃぁ行くぞー。『スライム、美味しくクッキングー!』」
「のーっ!」

 掛け声と共に片手をグーに握って空に向かって突き上げると、クイナが俺の後に続く。
 片手持ちになるが、スライムはぐっすり夢の中で最早逃げる手段を持たない。
 哀れ、スライム。

「まずスライムから核になる魔石部分を取り出します!」
「の!」

 あらかじめ買っておいたまな板をマジックバックから取り出して、クイナに「ここに乗せろ」ジェスチャーで示す。
 するとまるで餅つきの相棒かのようなスムーズさで、スライムをそこにポテンと置いた。



「魔石を中で先に砕くとスライム消滅しちゃうからな。砕かないように、こうやってナイフで――」

 言いながらクルンッとナイフで核の部分をくり抜くと、特に何の抵抗も反発も無く核は綺麗に摘出できた。 
 後にはプルンっとしたボディーだけがまな板の上に残っていて、それを見たクイナが小さく「おぉーっ!」と声を上げる。

 因みに核は、討伐部位として後でギルドに提出する。
 これで実入りも少しは入る。
 一石二鳥のおやつ時間だ。
 
「で、これを一口大にスライスしていく。クイナ、お皿出しといてー」
「分かったのー!」

 クイナの口は俺よりずっと小さいので、彼女に合わせて2センチ四方に切っていく。
 角切りにして小さな声で「『水よ』」と唱え、ちょうどクイナの顔の大きさと同じくらいの水球を一つふわりと浮かせた。

「おぉーっ! 水魔法なの!」
「クイナも魔力制御を覚えたからな、もうちょっと練習すればこのくらいは普通に出来るようになるぞ」
「えーっ! クイナやりたいの!」
「じゃぁまた練習しようなぁー。とりあえず今はそれで手を洗ったら切ったやつをお皿に入れるの手伝って」
「はーいなの!」

 元気よく返事をしたクイナは手洗いタイムを終えるとすぐにスライムを切り続けている俺の隣にやってきて、せっせとお手伝いをしてくれる。

「スッライムー、スッライム―、スラスラスラスラ、スラスラリー!」
「何だそれ」
「スライムの歌!」
「誰の作曲?」
「クイナ! 渾身の一曲なの!」
「『渾身』とか、一体どこで覚えて来るんだか」

 「難しい言葉を知ってるな」と思わず笑ってしまいながら、俺は地道に角切りを続けクイナはそれを木をくりぬいて作った椀にポトポトと入れていく。
 そして一足先に全部を切り終えた俺は、またカバンの中を漁ってとある小瓶を取り出した。

「花蜜っ!」

 それを見て、クイナの尻尾がビビンッと立つ。
 喜んでいるのは一目瞭然。
 その反応にクスリと一つ笑いながらクイナが盛ってくれたスライムの上から小瓶の中身を円を描いてかけていく。

 とろぉりと落ちていく金色の蜜が、陽光に照らされてキラキラと輝いた。
 ソレを掛ければ、出来上がり。
 『甘くておいしい』スライムの完成だ。

「ほらクイナ、スプーン」

 そう言って木のスプーンを手渡すと、クイナは薄紫色の目を花蜜に劣らずキラキラさせてこちらを見てくる。
 まるで『待て』されているワンコのようだ。
 ……いやまぁキツネなんだけど。

「食べて良し!」
「いただきますなのーっ!」

 俺の号令に被るくらい食い気味に叫び、スプーンを振り上げ勢いよく掬ってパクリといった。
 そして「うぅぅぅーん!」と、モグモグしながら両頬を押さえる。

「支えてないと、絶対頬っぺた落ちちゃうのー!」

 うっとりしすぎて耳までヘチャァンと蕩《とろ》けている。
 どうやらめっちゃ美味しいらしい。
 
 ミランから教えてもらった、切って花蜜をかけてみただけの簡単レシピ。
 お気に召したようで良かったが、そんな風に喜ばれると俺だって期待しちゃう。

 ドキドキしながら、俺も一つ食べてみた。
 瞬間、花蜜の甘くて柔らかい香りが鼻を駆け抜ける。

「んっ、これは……!」

 スライム自体には、それほどの甘さは無い。
 が、ひんやりプルルンとしたスライムは瑞々しくて、歯触りとしては思ったよりも弾力があるけど歯に纏わりつく事も無い。
 それでいて最後に爽やかな草の香りが最後に口内を浚い、食後はサッパリ。
 ついもう一口食べたくなるような、シンプルながら飽きない味だ。

 思いの外美味しくて、俺は思わず驚いた。
 が、すぐに「これは良い」とモグモグモグモグ咀嚼する。

 
 が、そんな俺よりも尚喜んでいるのがクイナである。
 念願のスライムだ。
 俺が一匙食べる間に三匙食べているクイナの喰いっぷりを思わず苦笑しながら見ていると、不意に彼女の視線が上がる。

 俺の目に気付いたのか、目が合った瞬間彼女は満面の笑みで「美味しいのーっ!」と言ってくる。
 
 嬉しさが弾けたような笑顔だった。
 まぁ爆散させて泣いてしまったくらい『甘くておいしい』スライムをご所望だったクイナである。
 きっと苦労してやっと食べられたこのおやつには、嬉しさも美味しさも一入《ひとしお》だろう。
 

 面倒な工程があるのならともかく、ただ核をくり抜いて切るだけだ。
 調理自体もそう大変な事じゃないし捕まえる事への危険性もかなり低い。
 微々たるものとは言っても核は実入りになるし、必要経費と言えばせいぜい花蜜くらいという実に経済的なおやつだ。
 甘いもの好きのクイナの為のご褒美おやつに、今後採用していこう。 

「今度はクイナにも作り方を教えてやろう」
「やったーなの!」

 教えると言ってもちょっとナイフの使い方を教えるだけだ、そう難しい事でもない。
 冒険者をしていれば、討伐部位を取るためにいずれはナイフ使いも必要になる。
 自立の為の第一歩として、教えてやるのが良いだろう。