――一方その頃母国では。




「フンッ、ちゃんと送って来たみたいだな?」

 自室の書斎で座りながら呟くようにシンは言った。

 ここ最近では珍しく上機嫌に口角を上げていると、初老の執事から「楽しそうでなによりです」と言われてしまう。

 おそらく最近の不機嫌を遠回しに窘めているんだろう。
 が、シンとしては周りが思わず「仕方がないだろ」と言いたくなる有様なんだから仕方がない。


 シンが不服に思っているのは、家ではなく王城内の空気である。
 アルドが追い出されてから今日まで連日、王城内では『アルドが居なくなって良かった派』と『アルドが居なくなって困る派』に二極化された話が出回り、空気も「良くない」を通り越してむしろ悪い。

 噂自体に関しても、シンにとっては前者は無条件に耳障りで、後者に関しては「引継ぎもせずに国を出られて迷惑だ」などと言っているヤツが居る。
 一部の自分の無能を棚に上げて。

「そもそもアルドが『調整役』に収まったのは、お人好しが過ぎたからでしかない。本来のアイツの仕事は『監督役』だけだったんだからな。それを、プロジェクト開始当初だけならともかくとして、動き出した後まで『おんぶにだっこ』だからこんな事になる」

 本来ならば、『監督役』が居なくなったところで止まってしまう仕事場がおかしい。
 確かに必要以上を請け負ったアルドにも非はあるのかもしれない。
 が、その恩恵に与っておきながら指導後にも誰一人としてその仕事を巻き取ろうとせず、いざ居なくなったらそれだけを非難するなんて、なんて理不尽なんだろう。

 惜しむだけなら分かるものの、そこまで来ると腹が立つのは当たり前だ。

「そもそもアイツら『自分がやろう・やらなければならない』っていう気概が足りてないんだよ」

 しかも、だ。
 そうやってアルドの事は悪者にするくせに、後任に収まった筈のグリントの怠慢については口出しをしないんだ大抵は。

「シン坊ちゃま? またイライラし始めましたな? 心の機微に関してはある程度仕方がありませんが、またペンを折ってしまわれては――」

 執事に窘められてシンはハッとした。
 最早癖になっている、書斎に座るとペンを持つという動作。
 
 それを今回も無意識にやっていた上に、そのペンが手の中でミシリと軋んでいたんだから我にも返るというものだ。


 「ふぅ」と深く息を吐き、自分の心を落ち着ける。

 もうアルドが居なくなってから19本もペンを折ってる。
 執事が苦言を呈するだけの事はあるのだ。
 それに。

(せっかく手紙が来たんだから、こんな気持ちで読むのは良くない)

 そんな風に思ったところで、紅茶の香りがふわりと鼻孔を柔らかく掠めた。
 見ればちょうど執事が彼に淹れたばかりの紅茶を差し出したところだ。

 それを一口飲んでから、シンは手紙に目を落とす。


 
 封筒は実に簡素だった。
 裏を返せば無紋のシーリングスタンプと、宛名には『アルド』とただそれだけ。
 それを見て、改めて「あぁアイツはもう王子じゃなくなったんだな」と実感した。

 そこには特に憐憫など無い。
 むしろ喜ばしいくらいだ。

 だって彼は知っているから。
 あいつの神髄は、決して名乗る家名や立場になんて依存しないものだって。

「って、ちょっと臭い事を考えた」

 そう呟いて苦笑しつつ、彼は手紙の封を切った。



 中に入っていた便せんは一枚だけで、それを開くと「元気か?」という簡素な言葉からスタートしていた。
 
 読んでみると、どうやら隣国・ノーラリアの首都を目指したらしい。
 これを書いた日に到着して、当分はそこに留まる予定……と書かれている。


 もう着いたところを見ると、ほぼ休みなしで馬車に乗っていったらしい。
 そのストイックさもさる事ながら、それ以上に「寄合馬車に乗るのが夢だったんだ」と書いてあり、大いに楽しんだらしい。

「また変なところに憧れたものだな。抱くにしても、もうちょっと何かあっただろうに……」

 しかしまぁ、そういう小さな事を「俺の夢!」と言い切ってしまえる辺りが、なんともアルドらしくて笑える。

 が、笑えたのはここまでだ。

「『途中で魔獣と遭遇して、しかもそこで獣人を保護』?! おいおい何やってんだよまったくお前は……」

 「なんて運の悪い」という気持ちと「このお人好しが!」という気持ちでシンは深くため息を吐く。

 正直言って、災難は仕方がない。
 遭遇したからには、どうにかするのも仕方がない。
 が、「廃嫡になって国から出ようとしている人間が更に面倒事をしょい込もうとしてどうするんだ」と思わずにはいられない。

 が、執事の反応はやや違う。

「おや、アルド様らしいではありませんか」

 そう言ったこの執事は、シンが生まれる前からこの家に仕えているヤツで生まれた時からシンのお付きだ。
 当然ながら乳母兄弟のアルドの事も知っているし、何なら成長過程も見てきている。

「アイツの何でも放っておけない所は短所だ」

 執事に抗議するようにそう言葉を返してやれば、彼は微笑ましそうに笑う。
 主人が苦い顔になっているというのに、いい気なものだ。

 
 因みにどうやらアルドと共に、その獣人も無事国境を渡れたらしい。
 が、「クイナはスルーされたのに、俺が危うく国境で捕まりそうになってしまった」って何だコレ。

 色んな所に突っ込みどころが満載だけど、とりあえず怪我も無く追手と交戦する事も無く国外に出られたという事で、「王族の奴ら何やってんだ? 色々バカなの?」と「まぁ無事についたようで何よりだ」という感情がシンの中にそれぞれ生まれた。


 が、全てを読み終わり畳み直した手紙を机の上に置いたシンの口から最後に漏れたのは、こんな一言。

「あの面倒見の良いアルドが、一度助けた子を途中で手放す……ねぇ?」

 アルドが最後に綴っていた予定を思い出し、閉じた手紙をスルリと撫でる。
 その表情は、思わずといった感じの苦笑だった。