マツル達の住むサラバンドより東、【インキクセー湿原】の最奥にかの者は居城を構えている。

「あぁ......ようやく来ましたね。私の忠実なる部下。バカラ......」

「はっ......ニシュラブ様。本日はどのようなご要件で?」

 魔王ニシュラブ。この世界に君臨する魔王の一柱。

 彼はこの世の贅をこれでもかと詰め込んだ城の一室にバカラと呼ばれる魔人を呼び出した。

「――――私が苦労して集めた200万の魔獣の軍勢......“無眼魔獣(ネメシス)”が全滅した」

 この言葉を聞いて、バカラの眉がピクリと上がる。

「ネメシスは私の恐ろしさを人間共にアピールする為の商材でしかありませんでしたから、計画の三割程しか蹂躙を達成出来ずサラバンドで消滅したとはいえそこは大目に見ましょう......」

 ここでニシュラブの雰囲気が豹変する。

 自身の魔力をその感情のままに放出し、部屋にあったありとあらゆる物をその魔力で破壊しながら話を続ける。

「ノヴァーリスまでのありとあらゆる国を! 聖騎士との激戦の後死ぬ予定だったワイヴァーグリッドウルフが、何故今ノヴァーリスの城にいるんだ!!!!」

 バカラはニシュラブが何に怒っているのか理解出来なかったが、これだけは分かった。

 今のこの状況は思い描いたシナリオ通りでは無かったのだと。

 バカラは考えを整理する。

 本来はサラバンドなど蹂躙の通過点でしか無く、数多のギルド支部のある国を壊滅させた上で本部のあるノヴァーリスを襲撃。

 本部の冒険者達と聖騎士の戦力を限界まで削った上でネメシスとワイヴァーグリッドウルフは彼らに負ける。と言うのがニシュラブ様の考えていた最初のシナリオだったのだろう。

 しかしそうはならずにネメシスの軍勢はサラバンドで全て消滅。何故か生き残っているワイヴァーグリッドウルフは現在生きた状態でノヴァーリスに居る......と。

「では何故私は今ここに呼ばれたのでしょうか......?」

 恐る恐るニシュラブに尋ねるバカラ。
 バカラは先程の魔力の暴威に当てられ完全に萎縮していた。

「バカラ......貴方には一人でワイヴァーグリッドウルフを連れ戻してきて欲しいのです。生きているという事は、まだ利用価値が残っているという事ですからね」

 一人でワイヴァーグリッドウルフを連れ戻す。それが意味するのは聖騎士を一人で相手にしなければならないという事だった。

 バカラは高位の魔人である。それこそ、魔物の等級を当てはめるならAランクの中でも最上位に位置する程に。

 しかし最強の聖騎士を一人で相手取るのは自殺行為と甚だしいというものであった。

 一人でと言うのも、無意味にこちらの戦力を失いたくないという考えの表れだろう。

 バカラは許せなかった。こんなにも忠誠を誓っている私を捨て駒にして獣一匹を取り戻そうとしている事が。

「お言葉ですが、流石に私一人で攻め込むのは無謀という物......何より、そんな獣一匹いなくても、私がいるではありませんか! なのにな――――」

 バカラは一瞬何が起こったのか理解できなかった。気がついた時には横に吹き飛ばされ、壁に叩き付けられていた。殴られたであろう顎を触ろうとするも顎が無くなっている。

「―――ッガ! オ゛ヴ......!」

 バカラは高位の魔人なので再生出来ないことは無いが、それでも痛いものは痛い。

 うずくまるバカラを見下ろしながら、ニシュラブは吐き捨てるように話す。

「何も貴方に死ねと言っている訳ではありません。ちゃんと貴方に向けて切り札を用意してあります......その顎を治し、床に撒き散らした自分の血を掃除してからノヴァーリスに向かいなさい。期待していますよ? 魔人化実験の成功検体さん?」

「はっ......」


◇◇◇◇

 バカラはニシュラブからの“切り札”を受け取った時に確信した。

(この力を使いこなせるようになれば......私が魔王になる事も夢では無いのでは......?)

 バカラはニシュラブに忠誠こそ誓ってはいるが信用はしていなかった。

 だから渡された切り札にも念入りに解析魔法を掛け、支配系の罠が組み込まれていなかった事も含めて心に誓った。

 この任務を遂行した暁には、私がニシュラブを殺し、新たな魔王になってやる......

 バカラはノヴァーリスに向けて飛び立つ。到着は10時間後。マツルの裁判が行われる日の正午である。