「………………ナ…………………………」
何か聴こえる。
「…………………………ガーナ……………………」
懐かしい声だ。
「………………ガーナ………………………………」
誰だったか。忘れてしまった。
「…………ガーナ…………………………」
ずうっと、俺の名前が聴こえる。
「………………ガーナ……………………」
でもその名は、とうにこの世から消えたはずだ。誰も覚えている筈がない。
「……ガーナ…………」
何度も呼ぶので、しょうがなく、起きてみる。
「…………ガーナ…………………………」
パッと目を覚ますと、そこには一人の女性が居た。
少し屈んで、地面に寝ている俺を覗き込んでいる様。
「…………サージュ……………………」
俺は、無意識にその名を囁き、その女性に抱きついた。
女性は、俺の背中に手を伸ばして、俺の名前を囁いた。
俺は、情けない声でおいおいと泣いた。
この匂い。
この声。
この姿。
この雰囲気。
彼女は間違い無く、とうの昔に亡くなった、かつての俺の妻、サージュであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――――――数十年前
大陸の中央部に位置する「メルデス大森林」。その南東部にある、名も知らぬ小さな村で、ガーナ・ケフィアは産まれた。
小さな農村であったので、将来の夢とか、そんな呑気な事を考えている暇も無く。子供は皆、五つになった時から農業の手伝いをして、時々村にやってくる、行商人に作物を売って、家計を立てていた。
ガーナも例外で無く、他の子供達の様に、家業を手伝って、生計を立てていた。
その行商人は、近くにある「オームル王国」と言う場所から来ているらしく、村の子供達は、行商人が暇つぶしにする、オームル王国の話に目を輝かせ、その度、楽しそうにしているのを見るのが、ガーナの日課であった。
「自分は無関係だ。」
幼いガーナは、彼女に出会うまで、そう考えていた。
二十年後
ガーナも二十歳を超え、家業を一人でこなす様になり、この生活について、何か考えることも無くなった。
夢も見なくなった。
親もとうの昔に病気で亡くなり、ずっと一人で暮らしている。
何も感じなくなった。
毎日の仕事が作業の様になり、幼い頃聞いた王国の話など、一つも覚えていなかった。
そりゃぁそうだ。当時も心に残らなかった話なのに、今覚えている筈もない。
この日も、いつもの様に、行商人に米を売り、行商人と別れた時。
村に、見知らぬ女性がいた。
あまり身長は高くないものの、顔立ちが良く、体も細くて、胸もそこそこの女性だった。
少し高そうな布で作った服を身に纏ったその女性は、実に美しかったが、こんなガーナとは縁のない人物だろうと、ガーナはその女性を気に留めなかった。
だが、ついその女性を目で追ってしまう。
そうしてジロジロ見ると、バっと目が合ってしまい、視線をさっと逸らした。
ガーナを見つけた彼女は、少し重たい足取りで、ガーナの元に歩み寄ってきた。
歩み寄る彼女を見て、ガーナは頬を赤らめた。
「……すいません………………」
張りのある声で、彼女は言った。
「この村の村長は何処にいるのでしょうか……?」
ガーナはその問いに対して、少し小さな声で答えた。
「…………あ、あそこの角を右に曲がった所にあるデカい屋敷に居ます……………………」
それを聞いた彼女は、ガーナの手をがっしりと掴み、小さく上下しながら、
「ありがとうございます!」
と、活発な声で言って、また手を上下に振った。
この時のガーナの頭の中は、真っ白だった。
見知らぬ美女に手を握られるなんて。そんな経験、生涯一度も無かったので、その分余計、どうすれば良いのかが分からなくなる。
彼女の去り際、ガーナは聞いた。
「…………あ、貴女の名前は…………!」
彼女は、振り向き、持ち前の長い髪を耳にかけながら、優しい笑みを浮かべて言った。
「サージュです。」
そして彼女は、この場を去り、ガーナの言った道を進んで行った。
サージュ。
その名が、ガーナの頭の中を何度も行き来して離れなかった。
その日の夕暮れ。
いつもの様に夕食の支度をしていた時だった。
コンコン
誰かが、家の扉を叩いた。
「はーい。」
ガーナは、支度の手を止め、扉を開けた。
そこには、昼間にあった女性、サージュが居た。
「いきなり来てしまって申し訳ありません。少し、話があってきたのです。」
サージュは、真面目な顔でそう言った。
取り敢えずガーナは、サージュを家に上げ、茶を出した。
「それで、要件というのは…………?」
茶を飲みながら、ガーナは問う。
「これから暫く、この家に住まわせて頂きたく、参上いたしました。」
ブーーーーー!!!
思わず茶を吹いてしまった。
(え? この家に住む? 俺と一緒に?)
「お、俺と一緒に………………ということでしょうか………………?」
恐る恐るガーナは聞いた。
「はい。そう考えているのですが…………」
ガーナは混乱したが、突然、至極冷静になった。
この家には、ガーナ一人しか住んでいない。
此処に、サージュも一緒に住む。
となると、これからはサージュと二人っきりで過ごすということ。
ガーナは、色々と妄想してしまったが、直ぐに冷静になる。
「…………何故、家に住もうとお考えに?」
「元々、この村には暫く滞在しようと考えていて。それを、クレリア村長に言った所、『この場所にある男の家に住まわせて貰って下さい。』と仰っていたので、此処に来た次第でございます。」
ガーナは、この村の村長、「クレリア・カートル」と仲が良く、度々双方の家に遊びに行っては、他愛もない話をして盛り上がった。
「(あの村長の仕業か。ったく。)」
少しあの村長を恨んだが、よく考えたら、こんな美人と二人で暮らせて、何がデメリットなのか。
断る理由がない。
「………………分かりました。」
「本当ですか?!!」
突然サージュが、そう叫んだ。
「……すいません。取り乱しました。」
そう言って、少し俯く。
「そ、それでは。よろしくお願いします。」
そう言ってサージュは、ガーナに向かって座礼をした。
「こ、こちらこそ……………………」
ガーナは、少し顔を赤らめながら、そう言った。
次の日から二人は、ガーナの家で同居することとなった。
サージュは、率先的に家事を行い、ガーナとの生活を支えた。
その生活の中で二人は互いに惹かれあうようになり、同居を始めて一年後。二人は結婚した。
村でも有名だった二人の結婚は、村民全員で祝い、その祝宴は、夜が開けるまで続いたと言う。
サージュは時々、「買い物に」と言って、オームル王国まで行く事が、度々あった。
特に気に留めたりする事は無かったが、明らかに不自然なのが、買い物に行ったのにも関わらず、帰ってきた時には何も持って帰ってきていない事だった。
財布は持っていたが、中身は行った時と一切変わらず、着ている服も変わらず。
ただ単にオームル王国まで行っただけのようにも見えた。
だがガーナは、この事をあまり追求せず、この日を迎えた。
この日も、サージュは、「買い物に」と、毎度お馴染みの決まり文句を言って、家を出た。
そしていつも通り、ガーナは、その事に何も口出しせず、サージュを見送った。
その日の夕暮れの事だった。
いつも通り、ガーナは、サージュのいない家で、一人用の夕食を作っている最中であった。
「聞け! 村の者!!」
突然外で、聞き覚えのない声が聞こえた。
「この村は、我らオームル王国が支配する! 早速、この村の中央広場に全員集まるように! 時間は三分! それまでに来なかったものは、躊躇なく殺す! さっさと出てこい!」
その後ガーナや他の村民は、中央広場へと集まった。
そこにいたのは、鉄の鎧で武装した、オームル王国兵と思われる、合計三十人ほどの男だった。
どうやら全員が無事広場に着いた様で、殺される村民は居なかった。
その後兵達は、村民の選別を行った。
その理由は、村に居る、オームル王国の戦力となりうる人材を確保する為であった。
なので、「戦力になりそうな筋骨隆々の男」と、「その他の村民」の二グループに分けられた。
ガーナは前者の、「戦力になりそうな男」の方に選ばれた。
そしてガーナ達は、兵によって、オームル王国へと連行された。
もう一方の、戦力にならないであろう村民の方は、数人の兵と一緒に、村に取り残された。
その中には、クレリア村長も含まれていた。
オームル王国に連行された村民は、その王国の街並みに感動した。
人々は皆、高そうな布の服を纏い、建造物は皆煉瓦。
村民は目を丸くし、その街並みを眺めた。
だがガーナは動じなかった。
サージュから、オームル王国の話はよく聞いて、どれもこれも、話と内容と一致していた。
なのでガーナは、困惑する他の村民とは違い、至極冷静であった。
その後、オームル王国兵舎の一角に連れられた一行は、徴兵の義務を課された。
初めは皆反対したが、日に日にその反抗心は消えていった。
理由は至極簡単であった。
反逆者の一人が、皆の目の前で殺されたのだ。
腹を斬って、その踠き苦しむ様を目の当たりにすれば、反逆の意思も消えるというもの。
それから、毎日の様に筋トレと剣の稽古の日々。
それはもう、吐血する程にハードなものであった。
だが、出来なければ、慈悲のない兵に殺される可能性があったので、皆必死に喰らいつく。
ガーナも、その内の一人であった。
ある日、朝礼で集められた一同は、王国兵から、ある事を告げられた。
それは、「この稽古を生き抜き、全ての過程を終了した者は、この束縛から“解放される”。」という内容であった。
“解放”というのは文字通り、徴兵の義務から解放され、自由に暮らせる様になるという事であった。
この事を聞いた一同は、困惑を隠せなかった。
当然である。
王国の戦力になる為にこうやって稽古をさせられているのに、それらを終えれば、“兵役に就く”のではなく、“徴兵から解放される”のだ。
兵役に就かせた方が確実に国としても有利なのにも関わらず、敢えて真逆の選択をしたのか。
一同は益々混乱した。
だがこの条件。徴兵村民からすれば、この上無い好条件であった。
この辛い道筋の中で、遂に活路が見えたのだ。
皆、この状況から脱して村に帰るのだ、と息巻いていた。
だがガーナは目的が違った。
ガーナの目的は、「この状況から脱して、もう一度サージュと出会う」事であった。
此処に来てから、未だに一度もサージュと会っていない。
最後の交わした言葉ももう、忘れてしまった。
早く会いたい。
その一心でガーナは、解放へと必死に努力した。
数ヶ月後。
ガーナは、全課程を修了した。
そして、解放を言い渡される。
村民訓練兵の解放者の、最初の一人だった。
皆が、「あの解放令は、政府の戯言では無かった」という事実に、歓喜した。
ガーナも、全課程を修了したという達成感と、サージュに会えるという期待に、胸を膨らませていた。
その夜。
ガーナは、兵舎での最後の夜を過ごした。
最後なので、勿論、一切寝ずに、皆と話をして過ごした。
その時である。
寝室のドアが開き、三人の兵が部屋に入ってきた。
そしてその兵は、優しい笑みを浮かべながら、
「解放者であるガーナさんを、少しお借りしてもよろしいでしょうか。」
と言った。
この時には既に、王国に対する疑心は一切消えていて、皆快くガーナを見送った。
ガーナ自身も、それを良しとしていた。
ガーナは、その王国兵三人に連れられて、満月の照る広場へと着いた。
「此処で何を………………?」
着いた場所には何もなく、来た意味もいまいち理解出来なかった。
するといきなり、兵の内の二人が、ガーナの両手を押さえ、拘束した。
「な、なんで?!」
困惑を隠しきれないガーナ。
その後、必死に暴れるガーナの前にいた兵が、持っていた剣を抜刀した。
そして、足でガーナの頭を踏みつけにし、ガーナの頸を天に向けた。
そしてその兵は、持っていた剣を両手に持ち替え、高く掲げた。
この時点で、ガーナは悟った。
「王国兵など、信じてはいけない」と。
それを他の村民にも伝えたかったが、今はそれも叶わない。
今頃村民達は、ガーナの帰りを待っているだろう。
話の続きを早くしたくて、ウズウズしているだろう。
だが、すまない。
ガーナはそう、心の中で呟いた。
「全ては、我が王、サージュ様の為。」
剣を握る兵は、静かにそう言った後、その剣を、ガーナの頸目がけて、目一杯の力で振り下ろした。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
気付くとガーナは、何も無い、只々真っ暗な場所に居た。
此処が死後の世界なのか。
何処なのかは、ガーナにも分からなかった。
「……………………」
何か、声が聞こえた気がした。
人影が見えた気がした。
嗚呼、幻覚すら見えてしまう様になってしまったのか。
まぁいい。
そこでガーナは考えた。
ガーナを殺す前、「サージュ様の為」と、あの兵は言っていた。
サージュとこの兵に何か関係があるのかは分からないが、ガーナの殺害が、サージュの意思なのであれば、それこそ、サージュがガーナを裏切ったという事になる。
サージュは何者なのか。
何故ガーナは殺されたのか。
何も答えが見つからないまま、オームル王国兵に殺害された「ガーナ・ケフィア」は、完全にこの世から消滅した。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
気付くと、ガーナは、見知らぬ場所に居た。
目の前には、「サージュ・ケフィア」と呟く男が居た。
この男。
ガーナは知らない筈なのに、何故か知っている。
名は確か、「ダイナス・オームル」だったか。
「…………?」
何故目の前の男の名前が分かるのか、ガーナは分からなかった。
会ったことは無い。
喋ったことも無い。
声を聞いたことも無い。
なのに知っている。
だが、その記憶は、誰か別人の記憶の様だった。
ガーナは、思い出した。
自分が殺された後、「エルダ・フレーラ」という別の男に転生した事を。
エルダは思い出した。
ガーナとして生きた記憶を。
エルダは思い出した。
前世の記憶を。
王子で平民な浮遊魔法師の世界放浪記
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
魔法。
一部の者にしか使うことの出来ない、化学的に説明できない人為的な現象の総称。
一概に魔法と言えど、その種類は様々。
水魔法、炎魔法、雷魔法。
その三つが、主に発現する、基本的な三大魔法である。
そしてその力を使えるかは、生まれつき魔力を保持しているかで決まる。
そしてその力を持つ者のほぼ全てが、王族や貴族など、権威の持つ者であった。
だが稀に、平民の中にも、その力を持って生まれる者もいる。
その様な異端者は、他人に蔑まれ、厳しい生活を強要されたのだ。
――――――――――――――――――――――――
ある日、あるスラムの家で、ある男児が産まれた。
その家は、そのスラムの中では少し裕福な方であり、毎日の食事には、あまり困らない程の収入は得ていた。
その家に住む夫妻は、いつも仲睦まじく、平穏な暮らしをしていた。
近所付き合いも良く、皆に好かれていたその夫妻に子供ができたと言って、皆喜んだ。
妻の名は、ラーナ・フレーラ。
夫の名は、マグダ・フレーラである。
出産を終えた次の日の夜、皆はその夫妻の家で、小規模な宴会を行った。
裕福でもスラムなので、そこまで大規模なものは出来ない。
だが、何とか酒は入手出来た。
その酒は、それ程高い酒では無かったが、その祝いの場で飲んだその酒は、今まで飲んだどんな酒よりも美味しかったと言う。
そして皆が酔い潰れ、そろそろお開きかと話をしていた時、悲劇が起きた。
その赤子が泣き出した瞬間、酒の入っていた空き瓶が、突然宙に浮いたのである。
それを見た皆は、一気に酔いが醒め、その様子に、自分の目を疑った。
そしてその現象は、他の空き瓶でも起きた。
何十本もの瓶が、空中に浮き、暴れ狂う。
赤子は泣き止まず、それどころか、その声を大きくしていった。
そしてその声量と比例する様に、空き瓶の動きも荒くなっていった。
壁に当たり砕け散り、天井に当たって砕け散り、その破片が散らばって皆血を流し。
食器棚は倒すわ、机には穴を開けるわ、その惨事はどんどんと大きくなっていった。
そしてその赤子が泣き止むと同時に、その謎の浮遊は終わり、浮いていた瓶が、床へと落ちた。
壁には血が付き、床には血が溜まり。
倒れる者もいれば、さっさと外へと逃げ出す者もいた。
その惨事は、瞬く間にスラム中に知れ渡り、そのフレーラ家は、皆から軽蔑される様になった。
そしてあの惨事で、赤子の父、マグダは死に、母、ラーナも、重傷を負った。
暫く赤子と母は離れ離れとなった。
そして、母が帰ってきたと思えばその翌日、母は病気で寝込んだ。
顔を真っ青にして、ベッドに寝込む。
その時にはもう、赤子は少年となり、日々、母の療養に努めた。
朝は水を井戸まで汲みに行き、食事は自分で作る。
週に一回は市場に出て薬を買い、夜はひっそり家を抜け出し、働いた。
なんとか生活は出来ていたものの、あの惨事があった事で、少年の生活には、頻繁に邪魔立てが入った。
汗水垂らして必死に稼いだお金を、留守の間に盗まれたり、薬を床にばら撒かれたり。
それは、あの惨事があったからでもあるが、その原因の多くは、その少年が、魔力を所持していた事にあった。
あの惨事は、少年の魔法によるものであった。
平民の中で魔力を持つ者は、皆に軽蔑される。
それはその少年も、例外では無かった。
苦しい生活だったが、何とか生きた。
母の容態は、一つも変わらない。
よくもならないし、悪化もしない。
ずっとベッドの上で眠っている。
悪化しないのは、少年の買ってくるあの薬の影響が大きい。
あの薬が無ければ、母はとっくに死んでいただろう。
一見死んだ様に見えるが、脈はあるので、生きている事に間違いは無い。
そうして、毎日を必死に生きていた時、悲劇が起きた。
少年は青年となり、いつものように出稼ぎに行って帰ってきた時の事だった。
薬が全て、盗まれていたのだ。
いつもは床にばら撒かれる程度だったのに、今日は、薬が盗まれた。
一体誰が。
今はもう夜で、その薬屋など開いているはずも無い。
今行っても、薬を買う事は叶わない。
そして、今薬を投与しないと、母の身が危ない。
何とか、盗まれた薬を取り返しにいかなくては。
青年は、稼いできたお金の入った封筒を床に投げつけ、駆け足で家を飛び出た。
翌日、母は死んだ。
薬は見つからなかった。
青年は、滝のように汗をかきながら、母のベッドの傍で泣き続けた。
その後青年は、呆然と生きていた。
悪戯も、もう何も感じない。
母が死んだなら、もうする事はないと、生きる意味を見いだせなくなった。
そしていつも通り暮らしていたある日の事だった。
「はいっ、これ。」
突然、自分より少し年上の男が、話しかけてきた。
そして、青年は、男の渡したものを受け取り、中を見た。
そこには、あの時盗まれた薬があった。
「無様な死に様だったな。屑な子の母も、所詮は屑か。」
男はそう言って、青年とその母を愚弄した。
その瞬間、青年は、人生で初めて、怒りを覚えた。
そして、怒りどころか、殺意さえも芽生えた。
此奴は殺してやる。
青年がそう強く願った時、その男の体が、宙に浮いた。
そしてその男は落ち、体を地面に強打した。
あの時の惨事のように、男が浮いたのだ。
男の腕が折れ、痛みで絶叫し、男は地面をのたうち回った。
青年は、これを良しとし、もう一度行った。
今度は、逆の腕を折った。
そして今度は、もっと高い位置から落とした。
そして、両足が折れた。
男はもっと絶叫する。
青年はそれが楽しくなり、永遠に続けた。
そしてある時、落とす高度を高くし過ぎてしまい、地面に接触した瞬間、その男の体は爆裂四散した。
内臓が地面に散らばり、返り血が体いっぱいにかかる。
周りの住民は、絶叫して逃げ回る。
母を散々愚弄した男は、ひ弱な叫び声をあげながら死んだ。
それが青年にとって、何よりも楽しく、狂気の笑いを高々とあげた。
次の日、青年は集落を発とうと決心した。
居心地が悪くなったのだ。
冷静に考えると、おかしな話である。
何も悪いことをしていないのにもかかわらず、皆に蔑まれ、軽蔑され、虐められた。
皆が自分を異形のもののように見て、避けられた。
もう、この毎日に飽きた。
ありったけの金と服を鞄に雑に入れ、皆が寝ている満月の煌めく深夜、青年はスラムを発った。
青年の名はエルダ・フレーラ。
行先に当てなどない。
エルダは、スラムの入り口の前にある樹海に、足を踏み入れた。
樹海に足を踏み入れて、一体どれだけ経ったのだろうか。
特に変わり映えしない風景を何日も見ながら、森の中を歩いていた。
エルダは、持ってきた大量の食料を少しずつ消費しながら、森を歩いていた。
そしてある日、高い門が聳え立つ場所に出た。
その横には、高い壁がズンと佇んでいる。
人間一人では到底登れないような高さで、その門の前には、鉄の鎧を着た男が二人立っていた。
門を覗くと、そこには、レンガや石でできた立派な建造物が、無数に立ち並んでいるのが見えた。
エルダは、その光景に唖然とした。
自分が育ってきたあの集落が普通だと思っていたので、こんな立派な建物を見てエルダは、これらはきっとお偉いさんの家なのだろうと、勝手に解釈した。
エルダは、何の躊躇もなく、門にいた門兵に近付いた。
すると、門兵の持っていた槍で、道を塞がれた。
「通行証や身分証明証は?」
兵の一人が、エルダにそう言った。
「通行証…………って、何ですか?」
エルダは、兵に問い返した。
スラムで育ったエルダには、当然一般教養や一般常識など一切身についておらず、通行証どころか、その存在自体理解していなかった。
「………………はぁ。」
それを聞いた門兵の一人が、深いため息をついた。
「そんなもんもわからないなら、話にならねぇ。さっさと帰んな。」
兵がそう言い、手で追い払うような動作をした。
エルダは、何故帰されなきゃならないのかが理解出来ず、疑問に思いつつも、帰れと言われたので帰ろうとした。
その時だった。
「あのー………………」
門の奥から、別の兵が、帰ろうとするエルダに声をかけた。
「すまんが、名前を教えて貰っても良いかね?」
少し歳のとったその兵が、エルダに問うた。
「…………エルダ・フレーラですが……………………」
エルダが、少しとぼけながら言うと、その男が慌て出した。
そして道を阻んでいた兵の肩を強く叩き、早口で言った。
「おい! 早く道を開けろ!」
「でも此奴、通行証も身分証明書も持っていないんだぜ?」
「良いから! 言う通りにしろ!!」
「………………分かりました。」
そう言って道を阻んでいた兵は、槍を下ろし、道を開けた。
「どうぞお入りください、エルダ様。」
そう言って、名前を聞いた兵が一礼した。
「ようこそ、アルゾナ王国へ。」
困惑を隠せないまま、エルダは、門をくぐった。
そして道を阻んだ兵は、問うた。
「何で入国を許可したんだよ。」
その問いに、名前を聞いた兵は、小さな声で教えた。
「あの方は、マグダ様のご子息だ。」
「マジで? …………あの方が………………」
二人は、呆然と、奥へと進むエルダを眺めていた。
エルダは、あてもなく、街道をトボトボと歩いた。
先ず、此処が何処なのかも分からないし、自分が何をしているのか、あの門兵の対応の差は何だったのか。
それに、「エルダ様」って………………
エルダは、困惑が隠せないなか、街道を歩いた。
そんな時だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
後ろの方から、少し掠れた、男性の老人の声が聞こえた。
エルダは、まさか自分が呼ばれているとは思わず、その呼び掛けを無視した。
「ちょ、ちょ………………」
その老人は、いきなり、エルダの右肩をガシッと掴み、激しい息切れを見せた。
「な、何ですか……………………?」
エルダは、困惑を隠しきれない。
「もしかして、エルダかい?」
老人が、汗だくになりながら、そう言った。
「そ、そうですが……………………?」
そんな老人に少し引きながらも、エルダは返答した。
「やっぱり。あの門兵の話は本当だったんだな。」
そう言って老人は、額の汗をゴツい手首で拭い、微かな笑みを浮かべた。
エルダは、何故見ず知らずの男が自分の名を知っているのか困惑したが、老人の言葉で理解した。
恐らくこの老人は、あの時門に居た門兵の知り合いで、そいつからエルダの事を知ったのだ。
だが何故、それ程までにエルダの名を重要視するのか。
エルダが常々、疑問に思った。
その後エルダは、その老人の家へ招かれた。
普通なら怪しむものだが、一般常識が無いエルダは、遠慮なくその老人について行った。
老人の名は、グルダス・ベルディアと言うらしい。
見た所、歳は六・七十前後といったところだ。
腰は曲がっていないが、顔や手の皮膚が弛み、眉毛が長い。
その年季の入ったゴツい皺皺の手は、とても暖かく、優しかった。
家に着いた。
そこに佇むのは、一面が橙の煉瓦で覆われた、五階建てほどの高い建物。
「こんな豪邸で一人暮らしなんて………………」
エルダがそう呟くと。
「そんな訳あるかい。この建物の三階がわしの家じゃよ。」
「そっか………………」
グルダスは、それでそこまで豪邸では無いと言い張ったつもりであったが、スラム育ちのエルダからしたら、三階だけであっても、豪邸であった。
グルダスの家に入った。
それを見て、エルダは脱帽した。
床や壁に砂は無く、埃すら無い。虫もいなくて、頑丈な外壁で作られていた。
エルダの育った家は、風が吹けばヒューヒュー五月蝿いし、雨漏りは茶飯事。地面には風で運ばれた砂が大量にあり、足の裏を汚してしまうことも屡々。ベッドの下は虫達の住処で、家の光源は日光か火の灯り。
それに比べてこの部屋は、電灯で、一日中明るい。
雨漏りもしない。
こんな家が存在したのだと、エルダは呆然と立ち尽くした。
――――――――――――――
「確か、時々村に来た行商人も、こんな家の話をしていたような………………」
――――――――――――――
ふとエルダはそう思ったが、何故そう思ったのかが分からず、これを夢だと思い、考えるのを放棄した。
玄関に入り、居間まで歩いた。
何時迄もキョロキョロしているエルダを、グルダスは、クスリと鼻で笑った。
そんな事に一切気付いていないエルダは、未だに、目をキョロキョロさせていた。
暫くして、やっと落ち着いたエルダは、目の前にある椅子に座り込んだ。
「うわっ、何だこの椅子?! ふわふわしてるぞ!!」
「そんな騒ぐな。その椅子は、表面の布の中に動物の毛を入れてふわふわにしとるんじゃよ。」
「ほえぇぇぇ…………」
勿論こんな物、エルダは見たことも聞いたこともなかった。
この椅子の凄くいい座り心地に、エルダは驚愕した。
そしてまた暫く経ち。
エルダも落ち着き、グルダスも、前にあった椅子に座った。
「エルダ。」
グルダスは、真剣な顔でその名を呼んだ。
「これから暫く、わしはお前に、この世界の一般常識と一般教養、そして、魔法理念を教える。いいな?」
突然の提案で、エルダも困惑した。
一般常識、一般教養。エルダに足りていない物だが、エルダ自身はその事実も、その二つの言葉さえも、イマイチ理解していなかった。
「あ、あぁ。わかった。」
エルダは、何の提案なのか全く理解していなかったが、つい流れで了承してしまった。
それを聞いたグルダスは、席を立ち、エルダに向かって、ゴツい右手を出した。
エルダはその手を取り、ガッチリと握手を交わした。
「これから暫く、宜しくなぁ。」
「あ、あぁ。」
困惑しながらぎこちない返事をするエルダの眼前に映っていたのは、満面の笑みを浮かべるグルダスの顔だった。
早速次の日から、グルダスの教育は始まった。
先ず一日目は、エルダの無知さをグルダスが痛感したところで終わり、二日目は、エルダの育ったと言うスラムの周りの国々の話。
三日目や四日目も同じ様なことの話で終わり、グルダスは、もう既に呆れ返り、心が折れかかっていた。
だが、教えをやめないのには、理由があった。
話をすると、そのたびに、エルダが笑顔で激しく相槌を打ちながら聞いてくれるのだ。
こんな反応をされては、止めようにもやめれまい。
グルダスは、その持ち前の根性で、エルダに、一般常識を教え込んだ。
今居るこの大陸は、一つの森林を中心に、計四つの国で構成されている。
大陸中央部に位置する、「メルデス大森林」。
大陸西部に位置する、「カルロスト連邦国」。
大陸北東部に位置する、「アルゾナ王国」。
大陸最東部に位置する、「オームル王国」。
大陸南東部に位置する、「サルラス帝国」。
大陸中央部に位置する秘境「メルデス大森林」。
大陸の半分程度の広さがあり、その中は、方向が分からなくなる程に大量の木々が、大森林一面に生えている。
エルダがスラムを出て横断した森林も、このメルデス大森林である。
この大森林には、馬や猪などの動物や、ゴブリンと呼ばれている知的生物も住んでいる。
ゴブリンは、人間と同じ知性のある生き物で、森の中に村を作って生きているらしい。
だが、そのゴブリンの皮膚や肉が高く売れるからと、サルラス帝国からゴブリン狩りに出掛ける人間も居るらしい。
幾ら人間では無いと言え、人間と同等の頭脳を持つ彼らを殺しても何も思わないかと、グルダスは、つくづく疑問に思った。
そしてそのメルデス大森林の西部に位置する国が、「カルロスト連邦国」。
エルダが生まれ育ったスラムがあるのも、この国だ。
この国は、大陸にある国の内特に治安が悪く、四つの国の内、唯一奴隷制度を認めている国である。
国の面積は四つの中で一番広いが、人口は一番少ない。
スラムが多数存在する国である。
カルロスト連邦国の王は、ジャーナ・カルロストと言う。
酒と女に呑まれた、国の統治も碌にしない王である。
そして、メルデス大森林の北東部に位置するのが、今エルダやグルダスの居る、「アルゾナ王国」。
大陸随一の発展国であり、見ての通り、その技術力も、大陸随一であった。
立憲君主制の国であり、民主主義化が進められ、今では、大陸一の民主主義国として名をあげている。
身分は国民(平民)と貴族の二つのみ。
貴族と言っても、血の繋がりや家系などでは無く、平民の中で優れた者が昇格して成るものなので、元は皆平民なのである。
身分があると言っても特にその格差は無く。
貴族だから特別、平民だから貴族に従うなど、そんなことは一切無い。
貴族と平民の夫妻などはよく聞く話であって。
“貴族”や“平民”という名前があるだけで、中身の人間は、何ら変わりはないのだ。
そんな平和な発展国であるが、その軍事力はイマイチであった。
魔法師というものが未だ世に出ていなかった時代は、大陸最強の国として名を挙げていたのだが、今やどの国も優秀な魔法師団を作っていて、剣一本で戦うアルゾナ王国の軍事力は廃れていった。
アルゾナ王国にも魔法師が居れば良いのだが、数が少数であった。
なので未だに、馬にまたがり鉄の鎧を纏って、真剣を掲げて戦うというのがセオリーだったのだ。
剣は近接武器なので、魔法師の使う炎魔法などの遠距離攻撃には弱かった。
ましてや、雷魔法でも喰らおうものなら、鎧で感電して、即死だと言うもの。
アルゾナ王国の王は、「アステラ・アルゾナ」。
未だ若い男であるが、民からの忠誠は厚かった。
そして、メルデス大森林の最東部に位置するのが、「オームル王国」。
この国は、ここ数十年間他国との干渉を一切禁じていて、アルゾナ王国にいるグルダスにも、今のオームル王国がどうなっているのかは分からない。
文字通り、誰も中を知らない謎の国である。
元々はカルロスト連邦国の次に大きい国だったのだが、年々サルラス帝国に領土を奪われていき、今や大陸内で最小の国となってしまった。
そしてオームル王国は、大陸内で唯一、大陸外の島を領土として持つ国である。
その島の名は、「ガルム諸島」。
一番面積の広い本島を含む、約五十の島で構成されていて、実際人が住んでいるのは、本島のみであった。
最近、オームル王国の大陸部の国境に、高い壁が建てられた。
サルラス帝国の侵攻を止める為の措置や、他国との干渉を最小限にする為の措置など、様々な考察がされているが、未だその答えは決していない。その真意を知るのは、国王のみである。
そんな謎の国の王は、「ダイナス・オームル」。
他国との干渉を一切禁じさせた張本人である。
そして最後。大陸南東部に位置する、「サルラス帝国」。
数十年前。ふと現れたその国は、瞬く間にオームル王国の領土を武力を持って奪い取り、今や、大陸で二番目に大きな国土を持つ国となった。
その軍事力は強大で、その多くが、大量の魔法師のお陰である。
その中でも特にヤバい魔法師が、魔法師団総長、「ザルモラ・ベルディウス」。
その男は、大陸で唯一の“創作魔法”の使い手であった。
創作魔法とは、魔力が尽きぬ限り、自分で魔法を構築して発動できる魔法である。
なので、「炎魔法」を使おうとすれば炎が出るし、「水魔法」と言えば水が出る。
風を吹かせようとすれば突風が吹くし、身体の強化もお手のもの。と言った、この世にある四つの”極魔法“の一つであった。
絶対王政のサルラス帝国は、常日頃から帝国主義を唱えており、オームル王国の完全侵略や、アルゾナ王国への進軍を考えているという噂も立っている程、軍事に力を入れている国である。
「カルロスト連邦国の奴隷を密かに買っている」という噂もあるが、不確かであった。
サルラス帝国皇帝の名は、「ロゼ・サルラス」。
素性が不確かな人物であり、民の忠誠があるのかどうか、その素顔さえも、あまり知られていない、謎の皇帝であった。
これらの情報をエルダが完全に理解したのは、グルダスの教育を受けてから約二か月後の話であった。
先は長いが何とか頑張ろうと、折れかけている心を何とか折れない様に自分を激励し、グルダスは、何とか持ち堪えたのであった。
一般常識をエルダが理解し、一般教養も身に着けたのは、グルダスと出会って半年後のことであった。
グルダスも、そろそろ終わりが見えてきたので、少し活気づいたグルダスであったが、これからが地獄であることを、グルダスは未だ知らなかった。
今日から、グルダスはエルダに、魔法理念についての講義を始めた。
まずは、魔法というものについての解説を、エルダにした。
魔法というのは、前述した通り、定義付けるとすれば、「一部の人間にしか使うことの出来ない、化学的に説明できない人為的な現象の総称。」である。
一部の者と言うのは、生まれつき魔力を保持している者の事であり、そう言った子が産まれるかは、その親が魔力を保持している人物なのかによって変わる。
父母が共に魔力保持者ならば、その子が魔力保持者である可能性が高く、また反対に、父母両方が、非魔力保持者であれば、魔力保持者の子が産まれる可能性は極めて低い。
そしてその魔力というのは、その者の体力に紐付けされている。
なので、魔力を消費すればする程体力が消耗し、疲労が溜まるという訳だ。
なので、体力が回復すれば、自ずと魔力も回復する。
そしてその魔力量というのは、その者の体力に比例する。
体力のない者の魔力は少ないし、体力のある者の魔力は多い。
そして主な発現魔法としては、大きく三つ挙げられる。
一つ目は、「炎魔法」。
文字通り、発動者の周り半径二メートル以内であれば、何処にでも炎を発現できる魔法。
なので、体の周りに炎の壁を作ったり、火球を幾つも作り浮遊させておく事などが可能なのだ。
その炎の大きさは、その者の魔力量とその消費量に比例する。
二つ目は、「水魔法」。
これも文字通り、自分の周り半径二メートルの範囲内であれば何処にでも水を発現できる魔法である。
炎魔法と同じく、その水の量は、その者の魔力量と消費量に比例する。
水魔法の派生魔法で、「氷魔法」というものもある。
これは、水魔法師でも一部の者にしか使えない魔法であり、その力は強力だが、その人数は、大陸で数十人と、とても少ない。
三つ目は、「雷魔法」。
この魔法の発動方法は、今までのものとは違い、魔法の発動は、“手のひら”でしか発動できない。
なので、いきなり目の前に雷を落としたりすることは出来ず、手のひらを相手に向けてそこから雷を発生させて任意の場所に飛ばすのが、雷魔法の使い方。
発動は前者と比べて少し不利だが、その分、威力は折り紙付きで。
対人間の場合は、心臓に直撃すれば、高確率で心停止を狙えるし、体全体の広範囲を狙えば、全身麻痺で暫く拘束する事だって可能。頭を狙えば、記憶を消したり、気絶させたりと、対人戦での汎用性は極めて高い。
主に発現する魔法はその三つだが、ごく稀に発現する魔法がある。
それらは、「極魔法」と呼ばれ、それらの使用者は、大陸でも一人ずつしか存在しない。
極魔法は四つあり、それぞれがとても強大なものであった。
一つ目は、「創作魔法」。
前話でも述べた通り、この魔法は、魔力の尽きぬ限り、好きな魔法を自分で創り出し、発動出来る魔法だ。
基本三属性魔法(炎.水.雷)は勿論、本来存在しない、物質を通り抜ける「透過魔法」や、突然爆発を起こせる「爆発魔法」なども、魔力が尽きぬ限り自由に使える。
だが、他の極魔法は、魔力の消費量が多過ぎるので使えない。
この魔法の所有者は、サルラス帝国魔法師団総長「ザルモラ・ベルディウス」である。
二つ目は、「複製魔法」。
これは、「一度見た魔法を自由に使える様になる」という魔法である。
なので、炎魔法を見ればそれを習得出来るし、その他、雷魔法や水魔法も習得出来る。
そして、創作魔法で創られた魔法を見ればその特定の魔法を使うことが可能なのだ。
この魔法の所有者は、アルゾナ王国の第二王子である。
三つ目は、「精神魔法」。
これは、人間の精神を混乱させ判断力を鈍らせる魔法だ。
なので、敵軍の司令官などに使えば、司令官の判断力が低下し、思考力が無くなり軍に指令が届かなくなる。
主な使い道としては、裁判や取り調べの自白時に使用される。
この魔法の所有者は、アルゾナ王国国王「アステラ・アルゾナ」である。
所有者が国王である為か、戦争などで使用する事は先代より固く禁じられているそうだ。
しかしその力が支配者たらしめているのは間違い無い。
四つ目は、「浮遊魔法」。
浮遊と言ってもただ物体を浮かすだけで無く、逆に下向きの力を加えて潰したり、空中を自由自在に移動させれたりする魔法である。
この魔法は、極魔法の中でも最強レベルの魔法である。
例えば対人戦闘時、相手の体内にある臓器を、魔法を用いてグチャグチャに潰すことも可能だし、高所に浮かせ落下させ潰したり、相手の近くにある酸素を全て別の場所に移動させて、酸欠で殺す事も出来、遠くからでも暗殺することが出来る。
そしてその魔法を自分にかければ、空を飛び回ることも出来る。
空も飛べて、遠くから確実に殺せて、日常生活でも役に立つ魔法である。
この魔法の所有者は、「エルダ・フレーラ」であった。
「魔法の概要は以上じゃ。」
数日間かけて、やっと、エルダが魔法理念を完全に理解した。
エルダも、頭フル回転でこれらを必死に覚えた。
それは、自分が浮遊魔法師であるからが大きかった。
「魔法を自由自在に操りたい。」という思いが、エルダを動かしたのだ。
だが、知っただけでは魔法は操れない。
グルダス曰く、「先ず大事なのは魔力量の確保である」と言っていたので、大事なのは、魔法知識とそれなりの魔力量なのだ。
魔力量は、体力に比例する。
なので、魔力量を増やしたいなら、体力を増やさなくてはいけない。
ならばどうするのが最善か。
それは....筋トレと体力トレーニングだった。
次の日からエルダは、筋トレを始めた。
体力アップの為である。
エルダの浮遊魔法がどれだけ強力であっても、エルダの魔力量が少なければ宝の持ち腐れであるので、体力アップのトレーニングは、魔法訓練の中では最重要なものであった。
元々エルダはスラムにいた頃、母の薬を買いに東奔西走していたのと、深夜に働いていたので、それなりの体力はあった。
だが、魔法を行使する上では、未だ足りなかった。
トレーニングのメニューは至極簡単で、朝起きて、ランニングを十キロして、朝食を食べて、筋トレして、勉強して、昼食を食べて、筋トレして、またランニングして、晩飯を食べて、ちゃんと寝る。
これが、毎日のメニューであった。
どれも、幼い頃に辛い経験をしたエルダからしたら容易だったが、グルダスは、余裕だなと感じた瞬間、もっとトレーニングをキツくしたのだ。
なので、前述したものを実践したのは初日のみで、次の日からは、ランニングの距離も格段に増え、筋トレもお、より体に負担がかかるものに変えられた。
エルダは毎日が地獄の様であったが、「大陸でただ一人の浮遊魔法保持者が自分である」という特別感と、折角使えるのだからそれを無駄にしたくないという熱い思いが、エルダの体を動かした。
トレーニングを始めて約二ヶ月後。
「今日から、魔法の実践練習をしよう。」
グルダスから、そう告げられた。
これは、魔法使用の許可と共に、地獄のトレーニング終了の合図でもあった。
エルダは肩の荷が降りた様に安堵の表情を浮かべると共に、「やっと魔法が使える」という強い期待を心の奥底に仕舞った。
「実践練習が始まる!」
そう期待していたエルダであったが、グルダスに連れてこられたのは、いつもの授業部屋。
グルダス曰く、「まず初めは、浮遊魔法についての基礎知識を頭に入れないと、碌に魔法を使いこなせない」らしい。
なのでエルダは、「これさえ乗り切れば実践できる!」という期待を胸に、グルダスの話を聞いた。
浮遊魔法は、言ってみれば、念力と称されるものと同じ様なものであり、目の前にある物体や気体を自由自在に遠隔操作出来る能力である。
浮遊魔法を発動するにあたって先ず知っておかなければいけない事は、「浮遊させるもののイメージを鮮明に連想しないと、そのものを浮遊させれない」という事である。
例えば、目の前にある机を浮かすとしよう。
その場合、先ず頭の中で、その机が浮かぶビジョンを鮮明に作り出して、その後、机を浮かす。
魔法発動のビジョンを作り出さないことには、いつまで経っても魔法は発動出来ない。
机などの物だと目の前にあるので連想し易いが、その動かしたい物が人間の体内にある物であれば、そのビジョンを作るのが困難なのだ。
例えば、心臓を動かして、相手を殺す場合。
魔法の発動者は、その「心臓が動くビジョン」を作り出しておく必要があるのだ。
それはどういうことか。
それは、事前に他人の心臓を見て、そのイメージを頭の中に留めておくのが大事なのだ。
要するに、浮遊魔法の訓練の始めは、色んなものを見て、覚えることから始まる。
人体解剖を眺めたりすることもあるだろう。
だがそれは、浮遊魔法を使う上で最も重要な工程であり、もしエルダが対人戦に巻き込まれた時、自分の安全を確保する為にも使える。
なのでエルダは、人体解剖の現場へを赴いたのだ。
その日の夜は憂鬱であった。
エルダが死者の体内を見たのは初で、何度か吐きそうになったがなんとか堪え、無事、大体の器官のイメージは掴めた。
ノイローゼ。
疲れた。
なのでエルダはその日、早い時間に就寝したという。
そして数週間後、エルダは、浮遊魔法を使う上での必須知識を手に入れた。
あとは実際に使って、その感触を体に覚えさせるのみ。
そして今日は、その魔法実践訓練の初日であった。
過去に何度か魔法を発動させていたエルダだが、あの時は、感情的になったが為に、咄嗟に発動できたものなので、意識的に発動した訳ではなかった。
なので、自由自在に、思うがままに魔法を使える様になれば、最早無敵なのである。
早速エルダとグルダスは、近くの誰もいない公園にやってきた。
家の中だと、暴走して色々と物を壊しかねないので、(多分)安全な公園へやってきた。
グルダスが、空き缶を地面に置き、エルダに言った。
「魔法を行使する上で最も重要なのは、『その魔法を発動させた時のビジョンを連想しておく』こと。つまり、この魔法を使って、どういう結果を望むのか。それを想像しながら使うという事じゃ。取り敢えず最初は、あの空き缶が中に浮かび上がるビジョンを描いてみ。」
そう言ってグルダスは、空き缶を指差した。
「(空き缶が浮く………………)」
エルダは、目の前にある空き缶に集中しながら、それが宙に浮くビジョンを、頭の中に浮かべ続けた。
そして、そうし始めて一分後。
カタカタカタ
突然、空き缶が微振動し、そのまま地面に倒れた。
「ま、まさか…………初めてでここまで出来るとは………………」
グルダスが空き缶をじっと眺めながら、カスカスの声でそう呟いた。
何やら、初めから魔法発動の兆しが見えるのは、凄いことらしい。
グルダスの呟きのおかげで少しやる気の出たエルダは、魔法練習を、陽が落ちかけた時まで続けた。
そうして、空が赤みがかってきたその時だった。
空き缶が宙に浮いたのだ。
何度が微動することはあったが、宙に浮くことはなかった。
浮くと言っても数センチだが、それでもそれは、大きな一歩だった。
エルダは、木陰で爆睡しているグルダスの肩を両手で激しく振って起こし、この事を報告した。
グルダスは、眠気で理解したかは分からなかったが、それを聞いて、優しい笑みを浮かべた。
それは、ここまでエルダを育てたのは自分なのだという達成感と、やっと終わるかもという安堵の混じった笑みであった。
だがエルダは、そんな事、知ったこっちゃなかったのだ。