「………………ナ…………………………」
何か聴こえる。
「…………………………ガーナ……………………」
懐かしい声だ。
「………………ガーナ………………………………」
誰だったか。忘れてしまった。
「…………ガーナ…………………………」
ずうっと、俺の名前が聴こえる。
「………………ガーナ……………………」
でもその名は、とうにこの世から消えたはずだ。誰も覚えている筈がない。
「……ガーナ…………」
何度も呼ぶので、しょうがなく、起きてみる。
「…………ガーナ…………………………」
パッと目を覚ますと、そこには一人の女性が居た。
少し屈んで、地面に寝ている俺を覗き込んでいる様。
「…………サージュ……………………」
俺は、無意識にその名を囁き、その女性に抱きついた。
女性は、俺の背中に手を伸ばして、俺の名前を囁いた。
俺は、情けない声でおいおいと泣いた。
この匂い。
この声。
この姿。
この雰囲気。
彼女は間違い無く、とうの昔に亡くなった、かつての俺の妻、サージュであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――――――数十年前
大陸の中央部に位置する「メルデス大森林」。その南東部にある、名も知らぬ小さな村で、ガーナ・ケフィアは産まれた。
小さな農村であったので、将来の夢とか、そんな呑気な事を考えている暇も無く。子供は皆、五つになった時から農業の手伝いをして、時々村にやってくる、行商人に作物を売って、家計を立てていた。
ガーナも例外で無く、他の子供達の様に、家業を手伝って、生計を立てていた。
その行商人は、近くにある「オームル王国」と言う場所から来ているらしく、村の子供達は、行商人が暇つぶしにする、オームル王国の話に目を輝かせ、その度、楽しそうにしているのを見るのが、ガーナの日課であった。
「自分は無関係だ。」
幼いガーナは、彼女に出会うまで、そう考えていた。
二十年後
ガーナも二十歳を超え、家業を一人でこなす様になり、この生活について、何か考えることも無くなった。
夢も見なくなった。
親もとうの昔に病気で亡くなり、ずっと一人で暮らしている。
何も感じなくなった。
毎日の仕事が作業の様になり、幼い頃聞いた王国の話など、一つも覚えていなかった。
そりゃぁそうだ。当時も心に残らなかった話なのに、今覚えている筈もない。
この日も、いつもの様に、行商人に米を売り、行商人と別れた時。
村に、見知らぬ女性がいた。
あまり身長は高くないものの、顔立ちが良く、体も細くて、胸もそこそこの女性だった。
少し高そうな布で作った服を身に纏ったその女性は、実に美しかったが、こんなガーナとは縁のない人物だろうと、ガーナはその女性を気に留めなかった。
だが、ついその女性を目で追ってしまう。
そうしてジロジロ見ると、バっと目が合ってしまい、視線をさっと逸らした。
ガーナを見つけた彼女は、少し重たい足取りで、ガーナの元に歩み寄ってきた。
歩み寄る彼女を見て、ガーナは頬を赤らめた。
「……すいません………………」
張りのある声で、彼女は言った。
「この村の村長は何処にいるのでしょうか……?」
ガーナはその問いに対して、少し小さな声で答えた。
「…………あ、あそこの角を右に曲がった所にあるデカい屋敷に居ます……………………」
それを聞いた彼女は、ガーナの手をがっしりと掴み、小さく上下しながら、
「ありがとうございます!」
と、活発な声で言って、また手を上下に振った。
この時のガーナの頭の中は、真っ白だった。
見知らぬ美女に手を握られるなんて。そんな経験、生涯一度も無かったので、その分余計、どうすれば良いのかが分からなくなる。
彼女の去り際、ガーナは聞いた。
「…………あ、貴女の名前は…………!」
彼女は、振り向き、持ち前の長い髪を耳にかけながら、優しい笑みを浮かべて言った。
「サージュです。」
そして彼女は、この場を去り、ガーナの言った道を進んで行った。
サージュ。
その名が、ガーナの頭の中を何度も行き来して離れなかった。
その日の夕暮れ。
いつもの様に夕食の支度をしていた時だった。
コンコン
誰かが、家の扉を叩いた。
「はーい。」
ガーナは、支度の手を止め、扉を開けた。
そこには、昼間にあった女性、サージュが居た。
「いきなり来てしまって申し訳ありません。少し、話があってきたのです。」
サージュは、真面目な顔でそう言った。
取り敢えずガーナは、サージュを家に上げ、茶を出した。
「それで、要件というのは…………?」
茶を飲みながら、ガーナは問う。
「これから暫く、この家に住まわせて頂きたく、参上いたしました。」
ブーーーーー!!!
思わず茶を吹いてしまった。
(え? この家に住む? 俺と一緒に?)
「お、俺と一緒に………………ということでしょうか………………?」
恐る恐るガーナは聞いた。
「はい。そう考えているのですが…………」
ガーナは混乱したが、突然、至極冷静になった。
この家には、ガーナ一人しか住んでいない。
此処に、サージュも一緒に住む。
となると、これからはサージュと二人っきりで過ごすということ。
ガーナは、色々と妄想してしまったが、直ぐに冷静になる。
「…………何故、家に住もうとお考えに?」
「元々、この村には暫く滞在しようと考えていて。それを、クレリア村長に言った所、『この場所にある男の家に住まわせて貰って下さい。』と仰っていたので、此処に来た次第でございます。」
ガーナは、この村の村長、「クレリア・カートル」と仲が良く、度々双方の家に遊びに行っては、他愛もない話をして盛り上がった。
「(あの村長の仕業か。ったく。)」
少しあの村長を恨んだが、よく考えたら、こんな美人と二人で暮らせて、何がデメリットなのか。
断る理由がない。
「………………分かりました。」
「本当ですか?!!」
突然サージュが、そう叫んだ。
「……すいません。取り乱しました。」
そう言って、少し俯く。
「そ、それでは。よろしくお願いします。」
そう言ってサージュは、ガーナに向かって座礼をした。
「こ、こちらこそ……………………」
ガーナは、少し顔を赤らめながら、そう言った。
次の日から二人は、ガーナの家で同居することとなった。
サージュは、率先的に家事を行い、ガーナとの生活を支えた。
その生活の中で二人は互いに惹かれあうようになり、同居を始めて一年後。二人は結婚した。
村でも有名だった二人の結婚は、村民全員で祝い、その祝宴は、夜が開けるまで続いたと言う。
サージュは時々、「買い物に」と言って、オームル王国まで行く事が、度々あった。
特に気に留めたりする事は無かったが、明らかに不自然なのが、買い物に行ったのにも関わらず、帰ってきた時には何も持って帰ってきていない事だった。
財布は持っていたが、中身は行った時と一切変わらず、着ている服も変わらず。
ただ単にオームル王国まで行っただけのようにも見えた。
だがガーナは、この事をあまり追求せず、この日を迎えた。
この日も、サージュは、「買い物に」と、毎度お馴染みの決まり文句を言って、家を出た。
そしていつも通り、ガーナは、その事に何も口出しせず、サージュを見送った。
その日の夕暮れの事だった。
いつも通り、ガーナは、サージュのいない家で、一人用の夕食を作っている最中であった。
「聞け! 村の者!!」
突然外で、聞き覚えのない声が聞こえた。
「この村は、我らオームル王国が支配する! 早速、この村の中央広場に全員集まるように! 時間は三分! それまでに来なかったものは、躊躇なく殺す! さっさと出てこい!」
その後ガーナや他の村民は、中央広場へと集まった。
そこにいたのは、鉄の鎧で武装した、オームル王国兵と思われる、合計三十人ほどの男だった。
どうやら全員が無事広場に着いた様で、殺される村民は居なかった。
その後兵達は、村民の選別を行った。
その理由は、村に居る、オームル王国の戦力となりうる人材を確保する為であった。
なので、「戦力になりそうな筋骨隆々の男」と、「その他の村民」の二グループに分けられた。
ガーナは前者の、「戦力になりそうな男」の方に選ばれた。
そしてガーナ達は、兵によって、オームル王国へと連行された。
もう一方の、戦力にならないであろう村民の方は、数人の兵と一緒に、村に取り残された。
その中には、クレリア村長も含まれていた。
オームル王国に連行された村民は、その王国の街並みに感動した。
人々は皆、高そうな布の服を纏い、建造物は皆煉瓦。
村民は目を丸くし、その街並みを眺めた。
だがガーナは動じなかった。
サージュから、オームル王国の話はよく聞いて、どれもこれも、話と内容と一致していた。
なのでガーナは、困惑する他の村民とは違い、至極冷静であった。
その後、オームル王国兵舎の一角に連れられた一行は、徴兵の義務を課された。
初めは皆反対したが、日に日にその反抗心は消えていった。
理由は至極簡単であった。
反逆者の一人が、皆の目の前で殺されたのだ。
腹を斬って、その踠き苦しむ様を目の当たりにすれば、反逆の意思も消えるというもの。
それから、毎日の様に筋トレと剣の稽古の日々。
それはもう、吐血する程にハードなものであった。
だが、出来なければ、慈悲のない兵に殺される可能性があったので、皆必死に喰らいつく。
ガーナも、その内の一人であった。
ある日、朝礼で集められた一同は、王国兵から、ある事を告げられた。
それは、「この稽古を生き抜き、全ての過程を終了した者は、この束縛から“解放される”。」という内容であった。
“解放”というのは文字通り、徴兵の義務から解放され、自由に暮らせる様になるという事であった。
この事を聞いた一同は、困惑を隠せなかった。
当然である。
王国の戦力になる為にこうやって稽古をさせられているのに、それらを終えれば、“兵役に就く”のではなく、“徴兵から解放される”のだ。
兵役に就かせた方が確実に国としても有利なのにも関わらず、敢えて真逆の選択をしたのか。
一同は益々混乱した。
だがこの条件。徴兵村民からすれば、この上無い好条件であった。
この辛い道筋の中で、遂に活路が見えたのだ。
皆、この状況から脱して村に帰るのだ、と息巻いていた。
だがガーナは目的が違った。
ガーナの目的は、「この状況から脱して、もう一度サージュと出会う」事であった。
此処に来てから、未だに一度もサージュと会っていない。
最後の交わした言葉ももう、忘れてしまった。
早く会いたい。
その一心でガーナは、解放へと必死に努力した。
数ヶ月後。
ガーナは、全課程を修了した。
そして、解放を言い渡される。
村民訓練兵の解放者の、最初の一人だった。
皆が、「あの解放令は、政府の戯言では無かった」という事実に、歓喜した。
ガーナも、全課程を修了したという達成感と、サージュに会えるという期待に、胸を膨らませていた。
その夜。
ガーナは、兵舎での最後の夜を過ごした。
最後なので、勿論、一切寝ずに、皆と話をして過ごした。
その時である。
寝室のドアが開き、三人の兵が部屋に入ってきた。
そしてその兵は、優しい笑みを浮かべながら、
「解放者であるガーナさんを、少しお借りしてもよろしいでしょうか。」
と言った。
この時には既に、王国に対する疑心は一切消えていて、皆快くガーナを見送った。
ガーナ自身も、それを良しとしていた。
ガーナは、その王国兵三人に連れられて、満月の照る広場へと着いた。
「此処で何を………………?」
着いた場所には何もなく、来た意味もいまいち理解出来なかった。
するといきなり、兵の内の二人が、ガーナの両手を押さえ、拘束した。
「な、なんで?!」
困惑を隠しきれないガーナ。
その後、必死に暴れるガーナの前にいた兵が、持っていた剣を抜刀した。
そして、足でガーナの頭を踏みつけにし、ガーナの頸を天に向けた。
そしてその兵は、持っていた剣を両手に持ち替え、高く掲げた。
この時点で、ガーナは悟った。
「王国兵など、信じてはいけない」と。
それを他の村民にも伝えたかったが、今はそれも叶わない。
今頃村民達は、ガーナの帰りを待っているだろう。
話の続きを早くしたくて、ウズウズしているだろう。
だが、すまない。
ガーナはそう、心の中で呟いた。
「全ては、我が王、サージュ様の為。」
剣を握る兵は、静かにそう言った後、その剣を、ガーナの頸目がけて、目一杯の力で振り下ろした。
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気付くとガーナは、何も無い、只々真っ暗な場所に居た。
此処が死後の世界なのか。
何処なのかは、ガーナにも分からなかった。
「……………………」
何か、声が聞こえた気がした。
人影が見えた気がした。
嗚呼、幻覚すら見えてしまう様になってしまったのか。
まぁいい。
そこでガーナは考えた。
ガーナを殺す前、「サージュ様の為」と、あの兵は言っていた。
サージュとこの兵に何か関係があるのかは分からないが、ガーナの殺害が、サージュの意思なのであれば、それこそ、サージュがガーナを裏切ったという事になる。
サージュは何者なのか。
何故ガーナは殺されたのか。
何も答えが見つからないまま、オームル王国兵に殺害された「ガーナ・ケフィア」は、完全にこの世から消滅した。
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気付くと、ガーナは、見知らぬ場所に居た。
目の前には、「サージュ・ケフィア」と呟く男が居た。
この男。
ガーナは知らない筈なのに、何故か知っている。
名は確か、「ダイナス・オームル」だったか。
「…………?」
何故目の前の男の名前が分かるのか、ガーナは分からなかった。
会ったことは無い。
喋ったことも無い。
声を聞いたことも無い。
なのに知っている。
だが、その記憶は、誰か別人の記憶の様だった。
ガーナは、思い出した。
自分が殺された後、「エルダ・フレーラ」という別の男に転生した事を。
エルダは思い出した。
ガーナとして生きた記憶を。
エルダは思い出した。
前世の記憶を。
王子で平民な浮遊魔法師の世界放浪記