「それじゃあ、ボクの家ここだから……」

 ボクが絶、(りん)()り返って言うと、

「分かった。
 じゃあ6時半ぐらいには、ここに来るからね?」
と絶が(うれ)しそうに言った。

「よろしくお願いいたしますね。
 実はスマホを買ってもらったのは最近なんですの。
 家族以外でインランの交換(こうかん)した殿方(とのがた)は、初めてなんですのよ?」
と倫もニコニコしながら言った。



 『インラン』というのは、メッセージアプリの名前だ。

 ボクらの世代がスマホなんかでやり取りするとしたら、
大抵(たいてい)の場合、インランを使う。



「ボクも女の子とインラン交換(こうかん)したの初めてだよ……」

 ボクは少し照れながら言った。

「(しかもこんな、(ちょう)が付くような美少女と……)」



 家までの道すがら、
二人と話して分かったことは、
絶も(りん)もとても良い人間ということだった。

 (りん)(りん)で、同世代に自分の挿入(インサート)()えられる人間が全然おらず、
色々と肩身(かたみ)(せま)い思いをしているらしい。



「また明日ね。ムロくん」

「ごきげんよう。ムロさん」

 絶、(りん)が言うので、ボクも

「うん。また明日」
と返す。

「(結局、『ムロ』で落ち着いたな……。
  まあボクが気にしないんだからいいか……)」

 絶、(りん)が家から(はな)れて行くのを手を()って見送ると、
ボクはギュッ!と両手を(にぎ)りしめた。

「(明日から、朝練!)」

 ボクの心は、まるで遠足前日の小学1年生みたいだ。



 我が正甲(せいこう)中の剣魔(けんま)部が県大会の常連校というのは前にも説明したが、
その割になぜかウチの部では朝練というものが行われていなかった。

 たぶん顧問(こもん)の下井先生的には、ずっとやりたかったのだろうが、
部員の大半が乗り気ではなかったためだろう。

 しかし、そこにやる気満々マンの絶がやって来た。

 これ幸いとばかりに、下井先生は

『やる気の有る子だけでいいから~、明日から7時に朝練やりましょ~!』
と今日の部活で宣言したのだそうだ。



 ここで1つ補足がある。

 実は、ボクの弟の(たてる)は、やる気が無い側の部員だ。

 と言うのも、
なまじ聖剣に(めぐ)まれている(たてる)は、
入部して早々に団体戦のメンバー、
つまりレギュラーに入れて欲しがったらしいのだ。

 しかし、さすがに始めたばかりの一年生だったせいもあるのか、
下井先生がそれを却下(きゃっか)し、補欠にすら入れなかったのだという。

 それがどうやら(たてる)的には非常に不満だったらしく、
特に土曜日の部活をけっこうサボっているのだ。

(ちなみにウチの中学では、日曜日は部活は全面的にお休みだ。)

 つまり、(たてる)はやる気が無いので、
朝練にはおそらく参加しない。

 (たてる)が参加しないのであれば、
ボクが朝練に参加したところで、何も言われないだろうということである。

「((たてる)に気を(つか)わないで、剣魔(けんま)部として練習できる日がまた来るなんて……!)」

 ボクは、とても(うれ)しかった。



 ちなみに絶、(りん)はというと、
朝練と通常の夕練の両方に参加するわけであるが、
(かれ)らぐらいになると、その練習量にプラスして、
さらに家でも両親に課せられたトレーニングメニューをこなしているそうだ。

 オーバーワークにならないようには配慮(はいりょ)してあるそうだが、
(すさ)まじい』の一言である。



 ガチャ……、バタン。



 さて、ボクは我が家の玄関(げんかん)に入ったわけだが、

「……」

 無言でクツを()ぐと、そのまま廊下(ろうか)を歩き出す。

『ただいま』

 なんて言わない。

 家族には無駄(むだ)に話しかけない。

 (たてる)聖通(せいつう)してからの、ボクの日常である。

 空気になるイメージだ。

 悲しいとかは特にない。

 それに何も言わなくても、
母さんは料理は作ってくれるし、
風呂(ふろ)の時間にはボクの部屋まで知らせに来てくれる。

 ボクはそれだけしてもらえれば、十分である。

「((たてる)のクツがあった……。
  先に帰って来たのか……)」

 ボクが思っていると、
廊下(ろうか)とリビングを仕切っているドアが、
ふいにガチャッ!と開いた。

夢路(ゆめみち)、あんた部活に行ってきたの?」

 (めずら)しく、ボクが帰って来たことを確認するように、
母さんが顔を見せながら(たず)ねてきた。

「(……ああ、そうか)」

 ボクは思った。

「(ここ最近早く帰って来てるボクのほうが、
  連絡(れんらく)もなしに帰って来なかったから心配してたのか……)」
と。

「(電話か、せめてインランでもしておくべきだったな……)」

 ボクは母さんに申し訳なく思いながら、

(ちが)うよ……。本屋に寄ってたから……。ごめん……」
と言って、母さんとドアの隙間(すきま)から見えるリビングの様子をチラリと見た。



 テーブルには、夕食がもう用意されている。

 だが、(たてる)の姿が無かった。

(たてる)のほうが、だいぶ早く帰って来たと思ったら、
 ずっと部屋に閉じこもってるのよ。
 ドアの外から呼んでみたんだけど、返事もしないし……。
 あんた、なんか知ってる?」

 母さんが(たず)ねる。

「((ちが)った……)」

 ボクは思った。

「(ボクを心配してたと言うより、(たてる)を心配してたのか……)」
と。

「何も知らないよ……?
 でも、部活には行ってたはず……」

 ボクは少し悲しくなったが、それでも平静を装ってそう言った。

 事実だ。

 だが、確かにおかしい。

「(絶と一緒(いっしょ)に部室の前で見た(たてる)は、
  ちゃんとトレーニングウェアとプロテクター姿に着替(きが)えていた。
  なのに、
  『だいぶ早く帰って来た』
  とは……?)」

 ボクは心の中で首をかしげた。



 ガチャ……、バタン!

「ただいまー」

 玄関(げんかん)で声がした。

 父さんが帰って来たのだ。

「おかえりー」

 母さんがボク()しに、玄関(げんかん)の父さんに声を()ける。

 ボクは無言だ。

 ()り返すが、空気になるイメージである。



「あれ?(たてる)は?」

 父さんも、母さんとリビングのドアの隙間(すきま)から中が見えたのか、そう言った。

 (たてる)は、部活の後だとお腹を空かせているので、
いつもなら父さんの帰りなど待つはずもなく、
料理が用意されたら真っ先に食べ始める感じである。

 その(たてる)が、この時間にリビングにおらず、ご飯も食べていないというのは、
我が家では異常事態なのだ。

「なんか、夢路(ゆめみち)より早く帰って来たと思ったら、
 ずっと部屋に閉じこもってるのよ。
 ドアの外から呼んでみたんだけど、返事もしないし……」

 母さんが、先ほどボクにしたのと同じ説明を()り返した。

「なんだそれ?」

 父さんは、母さんとボクの顔を見比べるように交互に見る。

「もしかしたらだけど……、部活でなんかあったのかも……」

 ボクは(つぶや)くように言った。

 1つ思い当たることがあったのだ。

 本屋の前で(りん)が言っていた、

顧問(こもん)の先生方はともかく、部員の(みな)さんがあれではね……』
という言葉である。

「今日、本能兄妹が転校して来たんだよね……。
 知ってる?
 剣魔(けんま)の全国大会にも出てた強い子達でさ……」

 ボクは言いながら、父さんと母さんの顔色を(うかが)うように見てみる。

「ああー……。
 知らないけど、
 『その兄妹に負かされちゃったのかも』
 ってことか?
 それはヘコむかもなー」

 父さんは、それを聞いて軽くうなずくと、

「よし。
 父さんが、ちょっとばかし元気づけてくるわ」
と言いながらパンと両手を(たた)き、(たてる)の部屋のほうへ歩いて行った。

 ボクはその様子を見送ってから、
まだ自分が制服から着替(きが)えていなかったことに気づき、
自分の部屋へと向かう。



「(でも、(たてる)聖剣(せいけん)を中断で折られたんだとしたら、
  もしかして適当に元気づけようとするのは、逆効果かもなー……)」
と、ボクは自分の部屋に入りながら思った。

「(ボクは、絶の言葉を借りるなら、
  そんなに聖剣(せいけん)(めぐ)まれているほうではないのでよく分からないが、
  聖剣(せいけん)(めぐ)まれてそれで自信を持った人が、
  その自信そのものの聖剣(せいけん)を折られるというのは、
  まさに天狗(てんぐ)の鼻を折られるというやつなのではないだろうか……?)」

 ボクが着替(きが)えながら、そんなことをボンヤリと思っていると、



 ズ ゥ ン !

「!?」

 突然(とつぜん)、家じゅうに(ひび)くような大きな音がしたので、
ボクは(おどろ)いた。



「???」

 音はそれっきりだ。

 だが、

「(何か(いや)な予感がする……)」



 とりあえず、着替(きが)えを済ませたボクは、夕食を食べにリビングへと(もど)る。



 父さんは左頬(ひだりほほ)にアザを作っていた。

「えっ!?
 ど、ど、どうしたの!?」

 ボクは、そんな父さんがリビングに入って来たのを見て、(あわ)てて(たず)ねる。

「キレて(なぐ)られちゃったよ……。
 あれは相当ヘコんでるな……。
 ハハハ……」

 父さんは苦笑いを()かべながらテーブルの席に着き、

「今日と明日は、あんまり(たてる)刺激(しげき)しないようにしよう。
 うん、それがいい。
 母さんも無理に(たてる)を呼びに行かなくていいからな。
 風呂(ふろ)の時とか食事の時とか……」
とボク達に言って、

「じゃあ……、いただきまーす……」
と夕食の親子(どん)とサラダに手を付け始める。



「(父さんが心が広いお(かげ)で親子喧嘩(げんか)にはならなかったみたいだけど、
  まさか(なぐ)るとは……。
  やっぱり、(りん)聖剣(せいけん)を中断で折られたんだ……)」

 ボクは確信した。

 本屋の前で泣いてしまった男性がフラッシュバックする。



「(明日、
  『学校休む』
  とか言わなきゃいいけど……)」

 そんな心配をしながら、ボクも夕食の親子(どん)とサラダを食べ終わった。