キーンコーンカーンコーン……。



 お昼になった。

 ウチの中学は、給食が無い。

 お昼ごはんは、持参したお弁当などか購買(こうばい)のパンだ。

 (みんな)は、教室で思い思いのグループを作って一緒(いっしょ)に食べるが、
友達のいないボクは居場所もないし、
絶のいる所で食べるというのも今はまだ気まずいしで、
いつものように部室棟(ぶしつとう)のほうにあるトレーニング室に向かった。



 ギシギシとうるさいトレーニング室の引き戸をガラガラ開けると、
トレーニング室の片隅(かたすみ)に座り()んで、母さんの作ってくれたお弁当を食べる。

 こんな聖剣(せいけん)の息子に、お弁当を作ってくれるだけ、
まだ救いがあるほうだろう。

 単に、コンビニや購買(こうばい)で買わせると、
食費がかかりすぎるからかも知れないが。



 さて、お弁当を食べたら、いつものように筋トレだ。

 トレーニング室には、
ダンベルやベンチプレス、腹筋台などの設備が(そろ)っているのだ。

 本当は、先生が付き()っていないと危険だというので使用禁止である。

 だがボクにとっては最早、日課になりつつあるので気にせずやる。

「(前回は下半身をやったから、今日は上半身を中心にやるかな……)」

 そう思うとボクは、
ダンベルをグイグイと上下させてみたり、
ベンチプレスでバーベルをグイグイと上下させてみたり、
腹筋台で腹筋をしてみたり、
プランクと呼ばれるインナーマッスルを(きた)える姿勢をしてみたりする。

 別に身体をムキムキにしたくてやっているわけではない。

 昼休みにやることもないし、
かと言って勉強なんか教室や図書室でするのは(いや)なので、やっているのだ。

 校庭の(はし)っこのほうで走っていたこともあったのだが、
(あせ)をかきすぎるので、すぐにやめた。

 体操服に着替(きが)えるというのも面倒(めんどう)くさい。

 筋トレならあまり(あせ)をかきすぎないし、
適度な疲労(ひろう)感と達成感が得られて、ちょうどよいという結論に達したのだ。

 何より没頭(ぼっとう)できる。

 つまり、何も考えないで身体だけ動かしていればいいというのが気楽なのだ。

「(いや、あるいは……)」

 ボクは思う。

「(あるいは、
  『筋力でカバーすれば、
   聖剣(せいけん)以外の普通(ふつう)の武器で剣士(けんし)と変わらない仕事ができるかも』
  と無意識に考えての行動だとか……?)」

 ボク自身にも、はっきりとした理由なんて分からなかった。

 と、
ガラガラ!とトレーニング室の引き戸が開いた。

「こんにちは~。今日も精が出るわね~」

 体育教師で剣魔(けんま)部の顧問(こもん)もしている下井先生が、
いつものようにやってきたのだ。

 下井先生もほぼ毎日のように、
昼休みになるとトレーニング室で筋トレしているというわけである。

「こんにちは……」

 ボクも筋トレしながらあいさつを返す。

 実はボクも、一応は剣魔(けんま)部の部員なのだ。



 おっと……、口調で分かりにくいかもしれないが、
下井先生は男性である。

 坊主(ぼうず)頭に、ゴツイ顔、割れたアゴ、
ヒゲが()いのか口の周りがいつも青みを帯びている感じの見た目だ。

戸籍(こせき)上は男よ~』
と本人も言っていた。

 ただ下井先生は、かなり特別である。

 なんと、両刃(りょうば)聖剣(せいけん)が使える上に、魔法(まほう)まで使えるのだ。

『男性なら聖剣(せいけん)だけでは?』
と思われるだろうが、(まれ)魔法(まほう)まで使える人がいるのである。

 そういう人は魔法(まほう)剣士(けんし)と呼ばれる。

 これもまた、レアなケースというわけだ。

 しかも両刃(りょうば)聖剣(せいけん)である。

 レア中のレア。

 いわゆるSR(スーパーレア)SSR(スペシャルスーパーレア)というやつだろう。

 このため、男子からも女子からも(あこが)れの目で見られている。

 見られてはいるが、何と言うかストイックで、
下井先生自身にも生徒にもかなり厳しいので、
剣魔(けんま)部に入ってもすぐに辞めてしまう一年生が多かった。



 その下井先生の後ろに、今日はもう一人別の人影(ひとかげ)があった。

「どうぞ~、入って~」
と下井先生が言うと、

「失礼します!」
礼儀(れいぎ)正しく声をかけながら中に入ろうとする。

 絶だった。

「あっ……」

 ボクは、思わず口に出した。

「あっ……」

 絶もボクを見て口に出すと、中に入って来るのをためらう。

「あら~……?
 ああ~。
 確か~、同じクラスだったわね~。
 あなた達って~」

 下井先生がパン!と両手を(たた)き、ボクと絶の顔を交互(こうご)に見比べ、

「この子も剣魔(けんま)部員なんだけど~、最近は全然練習に来ないの~。
 事情があるから仕方ないけど~」
と、
『聞いてよ~、ちょっと~』
とでも言いたげに、絶に向かって右手を手招きするように動かす。

「えっ!?そうなんですね!」

 絶の目の色が、変わったような気がした。



 ちなみに『事情がある』とは、弟の(たてる)のことだ。

 (たてる)が4月に入学してからすぐ剣魔(けんま)部に入部したので、
顔を合わせたくないボクは、
この1ヶ月間は全然部活に行ってないのである。

 そもそも、ボクとタブルスを組んでいた女子の出来田さんも、
()(なや)んだせいなのかボクとのペアが(いや)すぎたのか、
剣魔(けんま)部を辞めてしまったので、
ボクはシングルス専門になっていたうえ、
ボクの聖剣(せいけん)では1回戦止まりなことがほとんど。

 運良く勝てたとしても、2回戦でシードに当たって敗退という感じだ。

 団体戦のほうは、レギュラーでも無ければ、補欠にも入っていなかった。

『さっさと退部届を出してしまえばいいのに』
と、自分でも思っている。



「まあだから気にしないで~。
 私達は私達で~、身体を動かしましょ~」

 下井先生が絶を(うなが)して中に入れる。

「はい!」

 絶は言いながら中に入って来る。

「じゃあ~、まずは軽くベンチプレス10回ぐらい行きましょうか~。
 正しくは~、10レップって言うのよ~。
 ウフフ〜、何キロなら行けるかしら~?」

 下井先生が、こんなに楽しそうなのは(めずら)しい。

「80キロぐらいですね!」

 絶が元気に答える。

「あら~。
 なかなかやるじゃな~い?
 ……は~い。どうぞ~」

 下井先生がバーベルから10キロ分の重りを外して言った。

「ッ…!」

「(ん?)」

 ボクは何か違和感(いわかん)を覚えた。

 絶が一瞬(いっしゅん)、何かを口に出そうとしたように見えたからだ。

 だが絶は、グイ!グイ!…!と、
そのままバーベルを上下し始めた。

「(まあいいか……)」

 ボクは自分の荷物をまとめ始めた。

「(気まずいし……、どうせ次は体育だし……。
  一度教室に(もど)って、体操服に着替(きが)えて、
  今日はグラウンドを走ることにしよう……)」

 ボクはトレーニング室の引き戸をガラガラと開けて、

「あっ……」
と、また思わず口に出した。

 ボクは、くるりと()り返って、

「絶くん。
 (だれ)かに聞いたかもしれないけど、
 次の体育は体育館だから……。
 第一体育館のほうね」
と言った。

「……!」

 絶は、まだバーベルを上下させながら、
首をカクカクと動かすようにして返事をする。

 『わかった』ということらしい。

「(これで英語の教科書の時にやったことが、消えるわけじゃないけど……)」

 ボクは、そんなことを考えながら教室に(もど)った。






 キーンコーンカーンコーン……。






 帰りの会が終わった。

 ボクはカバンを肩にかけて、さっさと帰ろうとする。

 と、絶がボクの(なな)め後ろにスッと立った。

「?」

 ボクは、首だけ()り返る。

「!」

 絶は、なぜかびっくりしたような顔をしている。

 やはり絶は、身長もすごく高い。

 並んで起立すると、よく分かる。

「((たてる)と同じか、それ以上ありそうだな……)」

 ボクが思っていると、

「あ……、あのさ……!
 部活、行こうよ!」

 絶が言った。

剣魔(けんま)部だったら他にもいるから……、
 ほら、あそこにいる馬薗(まぞの)とか……。
 案内してもらうといいよ?」

 ボクは、クラスメイトで剣魔(けんま)部の
メガネをかけた男子を指差す。

「ケガでもしてるの……?」

 絶は(まゆ)を寄せて言う。

「いや……、そういう訳じゃないんだけど……」

 ボクも困って(まゆ)を寄せる。

「じゃあ行こうよ!」

 絶は、ボクの(うで)(つか)んで引っ張りだした。

「(ええー……?
  でも無視して帰るのは、さすがに悪いし……。
  かと言って(たてる)がいたら、顔を合わせたくないし、困ったな……)」

 ボクは思ったが、

「(仕方ないから、部室まで案内だけしてあげるか……)」
と、絶と連れ立って歩き出した。



 部室までの道すがら、絶がボクに質問してくる。

「ムロくんて、いつも昼休みにあそこでトレーニングしてるの?」

「まあ……、うん……」

「ムロくんて、剣魔(けんま)を始めてどれくらい?」

「中学からだから……、まだ1年だよ……」

「ムロくんて、もしかして市の大会くらいだったら優勝したことある?」

「いやいや……。
 良くて1回戦が勝てるぐらいで……」

「そうなんだ……。それってダブルスも?」

「そうだね……。
 それにペアの女子が辞めちゃったから、
 秋の途中(とちゅう)の大会からシングルスしか出られなくなっちゃったし……」

「ああー……。そうなんだね……」

「(頑張(がんば)って話題を()ってくれてるんだろうけど……、
  全然会話が続かない……。
  何だか申し訳なくなってきた……)」

 ボクは思った。



 ようやくグラウンドの一画にある、剣魔(けんま)部の部室に辿(たど)り着いた。

 剣魔(けんま)部はここで、着替(きが)えたりプロテクターを保管したりしている。

 剣魔(けんま)部とかサッカー部とか野球部とか、
人数の多い部活は、部室が部室棟(ぶしつとう)とは別のところにあるわけだ。

 ちなみに、『プロテクター』というのは、
聖剣(せいけん)魔法(まほう)による攻撃(こうげき)を受けてもケガしないよう、
剣魔(けんま)競技をプレイするときには必ず装着する防具のことである。

 知らない人は、アイスホッケーで着るようなもの、
あるいは西洋の甲冑(かっちゅう)のようなものをイメージしてもらえばいいだろうか。



「こっち側の部屋が、男子の部室(けん)更衣室(こういしつ)になってるから……」

 ボクが絶を男子部室のドアの前まで連れて行く。

 とその時、
ふいにガチャッ!と部室のドアが開いた。



 一瞬(いっしゅん)の静止。



 (たてる)だった。

 弟の(たてる)が、
トレーニングウェアと頭以外のプロテクターを装着した(たてる)が、
ちょうど部室から出て来たのである。

 ジロリと(たてる)がボクを見下ろしたので、
ボクは(あわ)ててドアの前から横に飛びのいた。

 ぶつかられては、たまらない。

「こんにちは!」

 ボクの後ろにいた絶が、(たてる)にあいさつする。

「あっ……!チワース!」

 (たてる)が言いながら軽く礼をする。

「(良かった……。一応、先輩(せんぱい)にはちゃんとあいさつするんだな……)」

 ボクは安心した。

 弟がボク以外にもあんな態度だったら、
ちょっと将来を心配してしまうところである。

 それにどうやら、絶を絶だと分かっているし、
絶が剣魔(けんま)部に入部するであろうことも予想していたようだ。

 初対面でそんなに(おどろ)いていないのが、その証拠(しょうこ)である。

 休み時間にでも、2年生からウワサが広まったのだろう。

 そういえば、妹の(りん)のほうも転校して来ているのだから、
もしかしたら(りん)のほうが(たてる)と同じクラスだったりするのかもしれない。

「……お前は何しに来たんだよ」

 (たてる)がボクの頭に(つか)みかかろうとしながら(こわ)い声で言った。

「……!」

 ボクは(あわ)てて、さらに距離(きょり)を取り、それを回避(かいひ)する。

 久しぶりに兄を無視しないで話しかけてくれたセリフが、これである。

「案内しただけだよ……。このまま帰るから……。
 部活には出ないから大丈夫(だいじょうぶ)……」

 ボクは小さい声でそう言うと、くるりと来た道を()り返る。

「……」

 (たてる)は何も言わなかった。

「(ああ……、良かった……)」

 ボクは思った。

「(ここで、
  『当たり前だよ短小野郎(やろう)
  なんて弟から追撃(ついげき)を言われていたら……、
  ボクは(おこ)り出すのではなく……、きっと泣き出してしまっていた……)」

 ボクはそのまま歩き出そうとする。

 だが、

「ちょっと待ってよ!」
と絶が強い口調で言った。

 ボクは一歩()み出していたが、その声に思わず立ち止まってしまう。

一緒(いっしょ)にやろう?」

 絶が右手で、ボクの右肩(みぎかた)(つか)んだ。

「(やめてくれ、絶くん……)」

 ボクは思った。

先輩(せんぱい)、そいつはいいんです。
 短小野郎(やろう)なんで。
 部活なんて、やっても無駄(むだ)なんだ」

 (たてる)が言う。

「(あっ……)」

 ボクの視界がジワリと(くも)った。

「ッ……!」

 ボクは絶の手を()りほどくと、
そのままグラウンドを()っ切るように走り出す。

「ちょっ……!」

 絶がまだ何か言いかけていたが、構わなかった。



 ボクはそのまま校舎を回り()み、
校門を()け、
家までの近道の森を一直線に走り、
走って、走って、走った。



 ……気づいたら、家の前に着いてしまった。



「(あっ……。
  そういえば今日は『月刊プレイ剣魔(けんま)デラックス』の発売日じゃないか……。
  本屋に行かなければ……)」

 ボクはハアハア言いながら、ようやく(なみだ)を学生服の(そで)でゴシゴシと()くと、
せっかく家の前まで帰って来たのに、
本屋に行くために、
くるりと来た道のほうへ()り返って歩き出した。



 『月刊プレイ剣魔(けんま)デラックス』とは、
平たく言えば剣魔(けんま)競技に関する雑誌だ。

 プロの剣士(けんし)聖剣(せいけん)魔法(まほう)使いの魔法(まほう)を載せたり、
それらの使い方のフォームやテクニックの解説を()せたり、
大きな大会の結果を()せたり、
選手のインタビューなんかも()せたりしている。

 そういえば、全中の時は本能兄妹の、
絶と(りん)のインタビューも()っていた記憶(きおく)がある。



「(弟にすら夢を全否定されるようなことを言われたばかりなのに……、
  ボクも好きだな……)」

 トボトボと歩きながらボクは思った。

 でも、それほどボクの剣士(けんし)になりたいという意志は固いのだ。