キーンコーンカーンコーン……。
お昼になった。
ウチの中学は、給食が無い。
お昼ごはんは、持参したお弁当などか購買のパンだ。
皆は、教室で思い思いのグループを作って一緒に食べるが、
友達のいないボクは居場所もないし、
絶のいる所で食べるというのも今はまだ気まずいしで、
いつものように部室棟のほうにあるトレーニング室に向かった。
ギシギシとうるさいトレーニング室の引き戸をガラガラ開けると、
トレーニング室の片隅に座り込んで、母さんの作ってくれたお弁当を食べる。
こんな聖剣の息子に、お弁当を作ってくれるだけ、
まだ救いがあるほうだろう。
単に、コンビニや購買で買わせると、
食費がかかりすぎるからかも知れないが。
さて、お弁当を食べたら、いつものように筋トレだ。
トレーニング室には、
ダンベルやベンチプレス、腹筋台などの設備が揃っているのだ。
本当は、先生が付き添っていないと危険だというので使用禁止である。
だがボクにとっては最早、日課になりつつあるので気にせずやる。
「(前回は下半身をやったから、今日は上半身を中心にやるかな……)」
そう思うとボクは、
ダンベルをグイグイと上下させてみたり、
ベンチプレスでバーベルをグイグイと上下させてみたり、
腹筋台で腹筋をしてみたり、
プランクと呼ばれるインナーマッスルを鍛える姿勢をしてみたりする。
別に身体をムキムキにしたくてやっているわけではない。
昼休みにやることもないし、
かと言って勉強なんか教室や図書室でするのは嫌なので、やっているのだ。
校庭の端っこのほうで走っていたこともあったのだが、
汗をかきすぎるので、すぐにやめた。
体操服に着替えるというのも面倒くさい。
筋トレならあまり汗をかきすぎないし、
適度な疲労感と達成感が得られて、ちょうどよいという結論に達したのだ。
何より没頭できる。
つまり、何も考えないで身体だけ動かしていればいいというのが気楽なのだ。
「(いや、あるいは……)」
ボクは思う。
「(あるいは、
『筋力でカバーすれば、
聖剣以外の普通の武器で剣士と変わらない仕事ができるかも』
と無意識に考えての行動だとか……?)」
ボク自身にも、はっきりとした理由なんて分からなかった。
と、
ガラガラ!とトレーニング室の引き戸が開いた。
「こんにちは~。今日も精が出るわね~」
体育教師で剣魔部の顧問もしている下井先生が、
いつものようにやってきたのだ。
下井先生もほぼ毎日のように、
昼休みになるとトレーニング室で筋トレしているというわけである。
「こんにちは……」
ボクも筋トレしながらあいさつを返す。
実はボクも、一応は剣魔部の部員なのだ。
おっと……、口調で分かりにくいかもしれないが、
下井先生は男性である。
坊主頭に、ゴツイ顔、割れたアゴ、
ヒゲが濃いのか口の周りがいつも青みを帯びている感じの見た目だ。
『戸籍上は男よ~』
と本人も言っていた。
ただ下井先生は、かなり特別である。
なんと、両刃の聖剣が使える上に、魔法まで使えるのだ。
『男性なら聖剣だけでは?』
と思われるだろうが、稀に魔法まで使える人がいるのである。
そういう人は魔法剣士と呼ばれる。
これもまた、レアなケースというわけだ。
しかも両刃の聖剣である。
レア中のレア。
いわゆるSRやSSRというやつだろう。
このため、男子からも女子からも憧れの目で見られている。
見られてはいるが、何と言うかストイックで、
下井先生自身にも生徒にもかなり厳しいので、
剣魔部に入ってもすぐに辞めてしまう一年生が多かった。
その下井先生の後ろに、今日はもう一人別の人影があった。
「どうぞ~、入って~」
と下井先生が言うと、
「失礼します!」
と礼儀正しく声をかけながら中に入ろうとする。
絶だった。
「あっ……」
ボクは、思わず口に出した。
「あっ……」
絶もボクを見て口に出すと、中に入って来るのをためらう。
「あら~……?
ああ~。
確か~、同じクラスだったわね~。
あなた達って~」
下井先生がパン!と両手を叩き、ボクと絶の顔を交互に見比べ、
「この子も剣魔部員なんだけど~、最近は全然練習に来ないの~。
事情があるから仕方ないけど~」
と、
『聞いてよ~、ちょっと~』
とでも言いたげに、絶に向かって右手を手招きするように動かす。
「えっ!?そうなんですね!」
絶の目の色が、変わったような気がした。
ちなみに『事情がある』とは、弟の立のことだ。
立が4月に入学してからすぐ剣魔部に入部したので、
顔を合わせたくないボクは、
この1ヶ月間は全然部活に行ってないのである。
そもそも、ボクとタブルスを組んでいた女子の出来田さんも、
伸び悩んだせいなのかボクとのペアが嫌すぎたのか、
剣魔部を辞めてしまったので、
ボクはシングルス専門になっていたうえ、
ボクの聖剣では1回戦止まりなことがほとんど。
運良く勝てたとしても、2回戦でシードに当たって敗退という感じだ。
団体戦のほうは、レギュラーでも無ければ、補欠にも入っていなかった。
『さっさと退部届を出してしまえばいいのに』
と、自分でも思っている。
「まあだから気にしないで~。
私達は私達で~、身体を動かしましょ~」
下井先生が絶を促して中に入れる。
「はい!」
絶は言いながら中に入って来る。
「じゃあ~、まずは軽くベンチプレス10回ぐらい行きましょうか~。
正しくは~、10レップって言うのよ~。
ウフフ〜、何キロなら行けるかしら~?」
下井先生が、こんなに楽しそうなのは珍しい。
「80キロぐらいですね!」
絶が元気に答える。
「あら~。
なかなかやるじゃな~い?
……は~い。どうぞ~」
下井先生がバーベルから10キロ分の重りを外して言った。
「ッ…!」
「(ん?)」
ボクは何か違和感を覚えた。
絶が一瞬、何かを口に出そうとしたように見えたからだ。
だが絶は、グイ!グイ!…!と、
そのままバーベルを上下し始めた。
「(まあいいか……)」
ボクは自分の荷物をまとめ始めた。
「(気まずいし……、どうせ次は体育だし……。
一度教室に戻って、体操服に着替えて、
今日はグラウンドを走ることにしよう……)」
ボクはトレーニング室の引き戸をガラガラと開けて、
「あっ……」
と、また思わず口に出した。
ボクは、くるりと振り返って、
「絶くん。
誰かに聞いたかもしれないけど、
次の体育は体育館だから……。
第一体育館のほうね」
と言った。
「……!」
絶は、まだバーベルを上下させながら、
首をカクカクと動かすようにして返事をする。
『わかった』ということらしい。
「(これで英語の教科書の時にやったことが、消えるわけじゃないけど……)」
ボクは、そんなことを考えながら教室に戻った。
キーンコーンカーンコーン……。
帰りの会が終わった。
ボクはカバンを肩にかけて、さっさと帰ろうとする。
と、絶がボクの斜め後ろにスッと立った。
「?」
ボクは、首だけ振り返る。
「!」
絶は、なぜかびっくりしたような顔をしている。
やはり絶は、身長もすごく高い。
並んで起立すると、よく分かる。
「(立と同じか、それ以上ありそうだな……)」
ボクが思っていると、
「あ……、あのさ……!
部活、行こうよ!」
絶が言った。
「剣魔部だったら他にもいるから……、
ほら、あそこにいる馬薗とか……。
案内してもらうといいよ?」
ボクは、クラスメイトで剣魔部の
メガネをかけた男子を指差す。
「ケガでもしてるの……?」
絶は眉を寄せて言う。
「いや……、そういう訳じゃないんだけど……」
ボクも困って眉を寄せる。
「じゃあ行こうよ!」
絶は、ボクの腕を掴んで引っ張りだした。
「(ええー……?
でも無視して帰るのは、さすがに悪いし……。
かと言って立がいたら、顔を合わせたくないし、困ったな……)」
ボクは思ったが、
「(仕方ないから、部室まで案内だけしてあげるか……)」
と、絶と連れ立って歩き出した。
部室までの道すがら、絶がボクに質問してくる。
「ムロくんて、いつも昼休みにあそこでトレーニングしてるの?」
「まあ……、うん……」
「ムロくんて、剣魔を始めてどれくらい?」
「中学からだから……、まだ1年だよ……」
「ムロくんて、もしかして市の大会くらいだったら優勝したことある?」
「いやいや……。
良くて1回戦が勝てるぐらいで……」
「そうなんだ……。それってダブルスも?」
「そうだね……。
それにペアの女子が辞めちゃったから、
秋の途中の大会からシングルスしか出られなくなっちゃったし……」
「ああー……。そうなんだね……」
「(頑張って話題を振ってくれてるんだろうけど……、
全然会話が続かない……。
何だか申し訳なくなってきた……)」
ボクは思った。
ようやくグラウンドの一画にある、剣魔部の部室に辿り着いた。
剣魔部はここで、着替えたりプロテクターを保管したりしている。
剣魔部とかサッカー部とか野球部とか、
人数の多い部活は、部室が部室棟とは別のところにあるわけだ。
ちなみに、『プロテクター』というのは、
聖剣や魔法による攻撃を受けてもケガしないよう、
剣魔競技をプレイするときには必ず装着する防具のことである。
知らない人は、アイスホッケーで着るようなもの、
あるいは西洋の甲冑のようなものをイメージしてもらえばいいだろうか。
「こっち側の部屋が、男子の部室兼更衣室になってるから……」
ボクが絶を男子部室のドアの前まで連れて行く。
とその時、
ふいにガチャッ!と部室のドアが開いた。
一瞬の静止。
立だった。
弟の立が、
トレーニングウェアと頭以外のプロテクターを装着した立が、
ちょうど部室から出て来たのである。
ジロリと立がボクを見下ろしたので、
ボクは慌ててドアの前から横に飛びのいた。
ぶつかられては、たまらない。
「こんにちは!」
ボクの後ろにいた絶が、立にあいさつする。
「あっ……!チワース!」
立が言いながら軽く礼をする。
「(良かった……。一応、先輩にはちゃんとあいさつするんだな……)」
ボクは安心した。
弟がボク以外にもあんな態度だったら、
ちょっと将来を心配してしまうところである。
それにどうやら、絶を絶だと分かっているし、
絶が剣魔部に入部するであろうことも予想していたようだ。
初対面でそんなに驚いていないのが、その証拠である。
休み時間にでも、2年生からウワサが広まったのだろう。
そういえば、妹の倫のほうも転校して来ているのだから、
もしかしたら倫のほうが立と同じクラスだったりするのかもしれない。
「……お前は何しに来たんだよ」
立がボクの頭に掴みかかろうとしながら怖い声で言った。
「……!」
ボクは慌てて、さらに距離を取り、それを回避する。
久しぶりに兄を無視しないで話しかけてくれたセリフが、これである。
「案内しただけだよ……。このまま帰るから……。
部活には出ないから大丈夫……」
ボクは小さい声でそう言うと、くるりと来た道を振り返る。
「……」
立は何も言わなかった。
「(ああ……、良かった……)」
ボクは思った。
「(ここで、
『当たり前だよ短小野郎』
なんて弟から追撃を言われていたら……、
ボクは怒り出すのではなく……、きっと泣き出してしまっていた……)」
ボクはそのまま歩き出そうとする。
だが、
「ちょっと待ってよ!」
と絶が強い口調で言った。
ボクは一歩踏み出していたが、その声に思わず立ち止まってしまう。
「一緒にやろう?」
絶が右手で、ボクの右肩を掴んだ。
「(やめてくれ、絶くん……)」
ボクは思った。
「先輩、そいつはいいんです。
短小野郎なんで。
部活なんて、やっても無駄なんだ」
立が言う。
「(あっ……)」
ボクの視界がジワリと曇った。
「ッ……!」
ボクは絶の手を振りほどくと、
そのままグラウンドを突っ切るように走り出す。
「ちょっ……!」
絶がまだ何か言いかけていたが、構わなかった。
ボクはそのまま校舎を回り込み、
校門を抜け、
家までの近道の森を一直線に走り、
走って、走って、走った。
……気づいたら、家の前に着いてしまった。
「(あっ……。
そういえば今日は『月刊プレイ剣魔デラックス』の発売日じゃないか……。
本屋に行かなければ……)」
ボクはハアハア言いながら、ようやく涙を学生服の袖でゴシゴシと拭くと、
せっかく家の前まで帰って来たのに、
本屋に行くために、
くるりと来た道のほうへ振り返って歩き出した。
『月刊プレイ剣魔デラックス』とは、
平たく言えば剣魔競技に関する雑誌だ。
プロの剣士の聖剣や魔法使いの魔法を載せたり、
それらの使い方のフォームやテクニックの解説を載せたり、
大きな大会の結果を載せたり、
選手のインタビューなんかも載せたりしている。
そういえば、全中の時は本能兄妹の、
絶と倫のインタビューも載っていた記憶がある。
「(弟にすら夢を全否定されるようなことを言われたばかりなのに……、
ボクも好きだな……)」
トボトボと歩きながらボクは思った。
でも、それほどボクの剣士になりたいという意志は固いのだ。
お昼になった。
ウチの中学は、給食が無い。
お昼ごはんは、持参したお弁当などか購買のパンだ。
皆は、教室で思い思いのグループを作って一緒に食べるが、
友達のいないボクは居場所もないし、
絶のいる所で食べるというのも今はまだ気まずいしで、
いつものように部室棟のほうにあるトレーニング室に向かった。
ギシギシとうるさいトレーニング室の引き戸をガラガラ開けると、
トレーニング室の片隅に座り込んで、母さんの作ってくれたお弁当を食べる。
こんな聖剣の息子に、お弁当を作ってくれるだけ、
まだ救いがあるほうだろう。
単に、コンビニや購買で買わせると、
食費がかかりすぎるからかも知れないが。
さて、お弁当を食べたら、いつものように筋トレだ。
トレーニング室には、
ダンベルやベンチプレス、腹筋台などの設備が揃っているのだ。
本当は、先生が付き添っていないと危険だというので使用禁止である。
だがボクにとっては最早、日課になりつつあるので気にせずやる。
「(前回は下半身をやったから、今日は上半身を中心にやるかな……)」
そう思うとボクは、
ダンベルをグイグイと上下させてみたり、
ベンチプレスでバーベルをグイグイと上下させてみたり、
腹筋台で腹筋をしてみたり、
プランクと呼ばれるインナーマッスルを鍛える姿勢をしてみたりする。
別に身体をムキムキにしたくてやっているわけではない。
昼休みにやることもないし、
かと言って勉強なんか教室や図書室でするのは嫌なので、やっているのだ。
校庭の端っこのほうで走っていたこともあったのだが、
汗をかきすぎるので、すぐにやめた。
体操服に着替えるというのも面倒くさい。
筋トレならあまり汗をかきすぎないし、
適度な疲労感と達成感が得られて、ちょうどよいという結論に達したのだ。
何より没頭できる。
つまり、何も考えないで身体だけ動かしていればいいというのが気楽なのだ。
「(いや、あるいは……)」
ボクは思う。
「(あるいは、
『筋力でカバーすれば、
聖剣以外の普通の武器で剣士と変わらない仕事ができるかも』
と無意識に考えての行動だとか……?)」
ボク自身にも、はっきりとした理由なんて分からなかった。
と、
ガラガラ!とトレーニング室の引き戸が開いた。
「こんにちは~。今日も精が出るわね~」
体育教師で剣魔部の顧問もしている下井先生が、
いつものようにやってきたのだ。
下井先生もほぼ毎日のように、
昼休みになるとトレーニング室で筋トレしているというわけである。
「こんにちは……」
ボクも筋トレしながらあいさつを返す。
実はボクも、一応は剣魔部の部員なのだ。
おっと……、口調で分かりにくいかもしれないが、
下井先生は男性である。
坊主頭に、ゴツイ顔、割れたアゴ、
ヒゲが濃いのか口の周りがいつも青みを帯びている感じの見た目だ。
『戸籍上は男よ~』
と本人も言っていた。
ただ下井先生は、かなり特別である。
なんと、両刃の聖剣が使える上に、魔法まで使えるのだ。
『男性なら聖剣だけでは?』
と思われるだろうが、稀に魔法まで使える人がいるのである。
そういう人は魔法剣士と呼ばれる。
これもまた、レアなケースというわけだ。
しかも両刃の聖剣である。
レア中のレア。
いわゆるSRやSSRというやつだろう。
このため、男子からも女子からも憧れの目で見られている。
見られてはいるが、何と言うかストイックで、
下井先生自身にも生徒にもかなり厳しいので、
剣魔部に入ってもすぐに辞めてしまう一年生が多かった。
その下井先生の後ろに、今日はもう一人別の人影があった。
「どうぞ~、入って~」
と下井先生が言うと、
「失礼します!」
と礼儀正しく声をかけながら中に入ろうとする。
絶だった。
「あっ……」
ボクは、思わず口に出した。
「あっ……」
絶もボクを見て口に出すと、中に入って来るのをためらう。
「あら~……?
ああ~。
確か~、同じクラスだったわね~。
あなた達って~」
下井先生がパン!と両手を叩き、ボクと絶の顔を交互に見比べ、
「この子も剣魔部員なんだけど~、最近は全然練習に来ないの~。
事情があるから仕方ないけど~」
と、
『聞いてよ~、ちょっと~』
とでも言いたげに、絶に向かって右手を手招きするように動かす。
「えっ!?そうなんですね!」
絶の目の色が、変わったような気がした。
ちなみに『事情がある』とは、弟の立のことだ。
立が4月に入学してからすぐ剣魔部に入部したので、
顔を合わせたくないボクは、
この1ヶ月間は全然部活に行ってないのである。
そもそも、ボクとタブルスを組んでいた女子の出来田さんも、
伸び悩んだせいなのかボクとのペアが嫌すぎたのか、
剣魔部を辞めてしまったので、
ボクはシングルス専門になっていたうえ、
ボクの聖剣では1回戦止まりなことがほとんど。
運良く勝てたとしても、2回戦でシードに当たって敗退という感じだ。
団体戦のほうは、レギュラーでも無ければ、補欠にも入っていなかった。
『さっさと退部届を出してしまえばいいのに』
と、自分でも思っている。
「まあだから気にしないで~。
私達は私達で~、身体を動かしましょ~」
下井先生が絶を促して中に入れる。
「はい!」
絶は言いながら中に入って来る。
「じゃあ~、まずは軽くベンチプレス10回ぐらい行きましょうか~。
正しくは~、10レップって言うのよ~。
ウフフ〜、何キロなら行けるかしら~?」
下井先生が、こんなに楽しそうなのは珍しい。
「80キロぐらいですね!」
絶が元気に答える。
「あら~。
なかなかやるじゃな~い?
……は~い。どうぞ~」
下井先生がバーベルから10キロ分の重りを外して言った。
「ッ…!」
「(ん?)」
ボクは何か違和感を覚えた。
絶が一瞬、何かを口に出そうとしたように見えたからだ。
だが絶は、グイ!グイ!…!と、
そのままバーベルを上下し始めた。
「(まあいいか……)」
ボクは自分の荷物をまとめ始めた。
「(気まずいし……、どうせ次は体育だし……。
一度教室に戻って、体操服に着替えて、
今日はグラウンドを走ることにしよう……)」
ボクはトレーニング室の引き戸をガラガラと開けて、
「あっ……」
と、また思わず口に出した。
ボクは、くるりと振り返って、
「絶くん。
誰かに聞いたかもしれないけど、
次の体育は体育館だから……。
第一体育館のほうね」
と言った。
「……!」
絶は、まだバーベルを上下させながら、
首をカクカクと動かすようにして返事をする。
『わかった』ということらしい。
「(これで英語の教科書の時にやったことが、消えるわけじゃないけど……)」
ボクは、そんなことを考えながら教室に戻った。
キーンコーンカーンコーン……。
帰りの会が終わった。
ボクはカバンを肩にかけて、さっさと帰ろうとする。
と、絶がボクの斜め後ろにスッと立った。
「?」
ボクは、首だけ振り返る。
「!」
絶は、なぜかびっくりしたような顔をしている。
やはり絶は、身長もすごく高い。
並んで起立すると、よく分かる。
「(立と同じか、それ以上ありそうだな……)」
ボクが思っていると、
「あ……、あのさ……!
部活、行こうよ!」
絶が言った。
「剣魔部だったら他にもいるから……、
ほら、あそこにいる馬薗とか……。
案内してもらうといいよ?」
ボクは、クラスメイトで剣魔部の
メガネをかけた男子を指差す。
「ケガでもしてるの……?」
絶は眉を寄せて言う。
「いや……、そういう訳じゃないんだけど……」
ボクも困って眉を寄せる。
「じゃあ行こうよ!」
絶は、ボクの腕を掴んで引っ張りだした。
「(ええー……?
でも無視して帰るのは、さすがに悪いし……。
かと言って立がいたら、顔を合わせたくないし、困ったな……)」
ボクは思ったが、
「(仕方ないから、部室まで案内だけしてあげるか……)」
と、絶と連れ立って歩き出した。
部室までの道すがら、絶がボクに質問してくる。
「ムロくんて、いつも昼休みにあそこでトレーニングしてるの?」
「まあ……、うん……」
「ムロくんて、剣魔を始めてどれくらい?」
「中学からだから……、まだ1年だよ……」
「ムロくんて、もしかして市の大会くらいだったら優勝したことある?」
「いやいや……。
良くて1回戦が勝てるぐらいで……」
「そうなんだ……。それってダブルスも?」
「そうだね……。
それにペアの女子が辞めちゃったから、
秋の途中の大会からシングルスしか出られなくなっちゃったし……」
「ああー……。そうなんだね……」
「(頑張って話題を振ってくれてるんだろうけど……、
全然会話が続かない……。
何だか申し訳なくなってきた……)」
ボクは思った。
ようやくグラウンドの一画にある、剣魔部の部室に辿り着いた。
剣魔部はここで、着替えたりプロテクターを保管したりしている。
剣魔部とかサッカー部とか野球部とか、
人数の多い部活は、部室が部室棟とは別のところにあるわけだ。
ちなみに、『プロテクター』というのは、
聖剣や魔法による攻撃を受けてもケガしないよう、
剣魔競技をプレイするときには必ず装着する防具のことである。
知らない人は、アイスホッケーで着るようなもの、
あるいは西洋の甲冑のようなものをイメージしてもらえばいいだろうか。
「こっち側の部屋が、男子の部室兼更衣室になってるから……」
ボクが絶を男子部室のドアの前まで連れて行く。
とその時、
ふいにガチャッ!と部室のドアが開いた。
一瞬の静止。
立だった。
弟の立が、
トレーニングウェアと頭以外のプロテクターを装着した立が、
ちょうど部室から出て来たのである。
ジロリと立がボクを見下ろしたので、
ボクは慌ててドアの前から横に飛びのいた。
ぶつかられては、たまらない。
「こんにちは!」
ボクの後ろにいた絶が、立にあいさつする。
「あっ……!チワース!」
立が言いながら軽く礼をする。
「(良かった……。一応、先輩にはちゃんとあいさつするんだな……)」
ボクは安心した。
弟がボク以外にもあんな態度だったら、
ちょっと将来を心配してしまうところである。
それにどうやら、絶を絶だと分かっているし、
絶が剣魔部に入部するであろうことも予想していたようだ。
初対面でそんなに驚いていないのが、その証拠である。
休み時間にでも、2年生からウワサが広まったのだろう。
そういえば、妹の倫のほうも転校して来ているのだから、
もしかしたら倫のほうが立と同じクラスだったりするのかもしれない。
「……お前は何しに来たんだよ」
立がボクの頭に掴みかかろうとしながら怖い声で言った。
「……!」
ボクは慌てて、さらに距離を取り、それを回避する。
久しぶりに兄を無視しないで話しかけてくれたセリフが、これである。
「案内しただけだよ……。このまま帰るから……。
部活には出ないから大丈夫……」
ボクは小さい声でそう言うと、くるりと来た道を振り返る。
「……」
立は何も言わなかった。
「(ああ……、良かった……)」
ボクは思った。
「(ここで、
『当たり前だよ短小野郎』
なんて弟から追撃を言われていたら……、
ボクは怒り出すのではなく……、きっと泣き出してしまっていた……)」
ボクはそのまま歩き出そうとする。
だが、
「ちょっと待ってよ!」
と絶が強い口調で言った。
ボクは一歩踏み出していたが、その声に思わず立ち止まってしまう。
「一緒にやろう?」
絶が右手で、ボクの右肩を掴んだ。
「(やめてくれ、絶くん……)」
ボクは思った。
「先輩、そいつはいいんです。
短小野郎なんで。
部活なんて、やっても無駄なんだ」
立が言う。
「(あっ……)」
ボクの視界がジワリと曇った。
「ッ……!」
ボクは絶の手を振りほどくと、
そのままグラウンドを突っ切るように走り出す。
「ちょっ……!」
絶がまだ何か言いかけていたが、構わなかった。
ボクはそのまま校舎を回り込み、
校門を抜け、
家までの近道の森を一直線に走り、
走って、走って、走った。
……気づいたら、家の前に着いてしまった。
「(あっ……。
そういえば今日は『月刊プレイ剣魔デラックス』の発売日じゃないか……。
本屋に行かなければ……)」
ボクはハアハア言いながら、ようやく涙を学生服の袖でゴシゴシと拭くと、
せっかく家の前まで帰って来たのに、
本屋に行くために、
くるりと来た道のほうへ振り返って歩き出した。
『月刊プレイ剣魔デラックス』とは、
平たく言えば剣魔競技に関する雑誌だ。
プロの剣士の聖剣や魔法使いの魔法を載せたり、
それらの使い方のフォームやテクニックの解説を載せたり、
大きな大会の結果を載せたり、
選手のインタビューなんかも載せたりしている。
そういえば、全中の時は本能兄妹の、
絶と倫のインタビューも載っていた記憶がある。
「(弟にすら夢を全否定されるようなことを言われたばかりなのに……、
ボクも好きだな……)」
トボトボと歩きながらボクは思った。
でも、それほどボクの剣士になりたいという意志は固いのだ。