夏と言っても、少し空気を肌寒く感じる夜中0時。


私は中学に忍び込んでいた。


職員室の電気なんかとっくに消えている。人気のない廊下は、私の足音を大きく響かせた。


誰にも見つからず...まぁ校門の近くで犬に吠えられたのはびっくりしたけど、なんとか校内に入れた。


目的地は美術室。


月明かりがあるとは言え、薄暗い中歩くには多少の勇気が必要だった。


こういう場所を一人で歩くと、なぜか視線を感じちゃったり、影が幽霊に見えたり、色々厄介だ。



やっとの思いでたどり着いた美術室。準備室の鍵をあらかじめ部活終わりに開けておいた為、なんなく侵入に成功した。


美術部員がこんな事していいのかとは思うけど、いまはそれどころじゃない。


顧問の先生の定位置、大きな机へ忍び寄る。


引き出しを一番上から開けていく。


一段目

二段目


三段目、真っ白い紙の束が月光に照らされ、青白く浮かび上がった。


目的のものを見つけた私は、緊張で汗ばむ手でそれに手を伸ばし_


「こんばんは」


突然静かな空気を破る声が上がった。


リアルに飛び上がり、悲鳴が喉まででかかった私は振り替える。


月明かり、その中に、見知らぬ男子が立っていた。


先生じゃなくて良かったとひとまず安心した。


「こんばんは」


もう一度男子は声をかけてきて、ニコニコしている。


ポカンと開きっぱなしだった口を閉じて、でも声を発するためにもう一度開ける。


「...こんばんは」


「やっと返事してくれた。聞こえてないのかと思ったじゃん」


どこか幼さを感じる笑顔で男子はおどける。


私は一旦引き出しを閉めて、正面から男子と向き合った。



「...誰、君」


「俺?俺はヒノ ミナト。君は?」


初対面の相手に名前を言うのは一瞬躊躇したが、相手がいってくれたんだし...と思い名乗る。


「私は、ヒカリ」


「ヒカリか、よろしく。ヒカリは何しに来たの?夜中の学校なんかに」


男子は..ミナトは気になったらとことん聞く派らしい。


答えたくない私は、逆に聞き返す。


「そういうミナトは...何者?この学校の人じゃないよね」


黒く、サラサラな髪。凛として、まっすぐな瞳。整った顔立ち。


こんな男子がいたら、たぶん一度は噂を聞いているはずだ。


面白そうにミナトは笑った。


「俺?俺は...宇宙人だよ」


「はぁ」


あまりにも普段聞かないような単語が出てきて、耳を疑う。


さらに面白そうに男子は笑った。


「みんな最初はそういう反応するよ。...俺は、地球から何億年も離れた星にすんでるんだ。

 その星は、地球とあんまり変わらないよ。学校があれば、部活があれば、テストだってある」


真顔で話されて、黙るしかなかった。


宇宙人?何億年も離れた星?


私は夢でも見ているのだろうか。


「ヒカリは?何で学校にいるの?今、地球人は寝てる時間じゃないの?」


大きな瞳で尋ねられ、もう目はそらせなかった。


どうせこの男子は宇宙人らしいし。


そう言えばミナトを学校で見かけたことも、名前を聞いたこともなかった。


じゃあ別にばれても問題はない。


「...夏休みの美術コンクール応募用紙を盗みに来たの」


「え?」


ミナトは瞳をさらに大きく開いて、首をかしげた。


「夏休みに作品を仕上げて、それをコンクールに提出しますって言うお願いした紙。

 ...それが無くなったら、応募できなくなるから」


「応募、したくないの?」


じっと見据えてくるミナト。


ごまかせるはずなのに、私はごまかさなかった。ごまかせなかった。


「...クラスメイトに絵を馬鹿にされたの。"ヒカリの絵って色が変だよね"って

 それから、その言葉が気になっちゃって...。筆を持っても、どんなに描きたくても、描けなくなった」


スランプって奴だ。


そんな理由で諦める自分が情けない。でも、本当に描けないのだった。


顧問に辞退したいと言っても、「自分で決めたのだからちょっとの事で止めたいとか言うな」と怒鳴られた。


だからこうやって、"自然に消えた"事にすれば、私の応募はなくなる、と考えたのだ。


「...そうなんだ」


ミナトが軽く頷くと、私は振り替えって引き出しへ手を伸ばす。


迷わず自分の応募用紙を取り出して、千切ろうとした。


「待って!!」


鋭い声に遮られる。


面倒臭くなって、私は睨みながら振り替える。


「何よ」


「ちょっとお話がしたくてさ。俺も、あっちの学校で美術部にはいってたし」


それには少し興味がわいた。


美術部とは、意外だと思ってしまう。


「ヒカリは、美術が好き?」


ストレートな質問に、一瞬戸惑って、でも曖昧にうなずいた。


今の私は、美術が好きと言えるのだろうか。


そっか、とミナトは笑う。


「ヒカリは、"美術が好き"って具体的にどんなものだと思う?」


美術が好き。そういって思い浮かぶのは、キャンバスに向かう人だった。


「...一生懸命、描く人。本気で楽しんで、描いてる人」


服を絵の具で染めながら、パレットで鮮やかな色彩を生み出しながら、笑顔で筆を握る。


...今の私とは、真反対。


「やっぱり、私、美術は好きじゃないかもしれない...」


ポツリと溢した言葉に思わずハッとする。


口を両手で押さえたけれど、出した言葉が戻ってくることはない。


ミナトは不思議そうに首をかしげた。


「俺には、すごい美術が好きなように見えるけど...なんで?」


「私は...今笑顔で絵を描けない。楽しい、とも--思えてない」


私のつたない言葉を受け止めて、ミナトは笑う。


「でもさ、こうやって夜中に取りに来るくらい、本気なんだよな。最高の作品作りたいって思ってるんだろうな...

 って俺は感じた」


今までの私の発言をはねかえすような、全然違う視点の意見だった。


ドキッとする。


何度もコンクールの事で悩んだのは、私が本気だから。


本気で好きで絵を描いてたから..


「ヒカリの絵はヒカリの自由。ヒカリのキャンバスはヒカリの世界。ヒカリが見た色で創っていけば良いんだよ」


私の、世界。


小さく呟いた。


色をからかわれたとき、私はすごく悲しくて、悔しかったのを思い出した。


あれは、私の世界を馬鹿にされて、苦しかったのかな。


「例えばだけど、ヒカリは笑顔を色に例えるなら、何色?」


少し考えて、暖かい感じだから"桃色"と答えた。


「俺はオレンジだと思った。ほら、こうやって俺らの見える世界も、考えてる世界も違う」


ミナトは窓辺に行って、窓にそっと手をおいた。


しなやかで、綺麗な指が優しく窓に触れる。


「こうやって、一人一人の見える世界が違うから、この世界は、こんなにも綺麗に輝く。こんなにも鮮やかな色で溢れるんだよ」


大切な、本当に心から大切なものを優しく包み込むように、ミナトは言った。


彼は、心から美術を愛しているのだとわかる。



ミナトはくるりと振り返り、愛に溢れた笑顔を見せる。


星空を背景にして、月明かりに照らされて。


暖かく、儚い空気を纏っていて...


唐突に、胸に、描きたい、と言う思いが溢れてきた。


私は応募用紙を置いて、画用紙を取り出す。


椅子に音をたてて座って、鉛筆を動かし、心に溢れる想いを絵にしていく。


「ヒカリ、美術、好き?」


もう一度問われ、私は迷わず頷いた。


ああ。私は。描くのが好きなんだな。


気づいたら空は白み始めていて、目の前からミナトは消えていた。


私は応募用紙を引き出しに大切にしまって、急いで家へ帰った。





夏休みの間、私は毎日美術室にかよって、絵を描き続けた。


先生も回りも、私の変わりように驚いていたけど、嬉しそうに笑ってくれた。


先生もみんなも、絵が好きなんだと思うと、距離が縮んだ気がした。


あたりまえなのに気づけていなかった。それに気づかせてくれたのが、ミナト。


でも、ミナトが学校に現れることはもうなかった。



そして今日は、絵の展覧会へ行く。


そう、あの絵は優秀賞に見事当選した。


最優秀賞は逃してしまったが、今までで一番よくて、嬉しくて泣いてしまったほどだ。


美術館へ入り、事前に先生が教えてくれた場所まであるく。


遠くからでも分かった、私の見る世界を詰め込んだ、大切な絵。


題名は、[ 真夜中パレット ]

星空を背景に、儚い月明かりに包まれて立つ男子。

その右手には筆が、体の前にはキャンバスが立て掛けられている。

凛とした瞳は、まるでいとおしむかのように柔らかく細められている。

左手は空へ伸ばされており、まるで星を掴もうとしているような_


私の、今までで一番の最高傑作だった。


満足げに微笑んで、私はもう一つの優秀作品、隣に飾られた絵を見て...


絶句する。


額縁の中に...私がいたから。


題名は、[ 俺の見る、彼女の色彩 ]

画用紙に向かって、ふわりと微笑む女の子。

手には一本の鉛筆。

画用紙からは、綺麗な色彩が溢れでていた。

それは、紛れもない、あの夜の私で。

作者は..."日野 水斗"


「久しぶり」


懐かしい声に、また飛び上がりそうになって、勢いよく振り向く。


そこには、彼の姿があった。


「ミナト..!?」


「びっくりした~。展覧会に来てみたら、俺の絵が飾られてるんだもん」


何でもないように彼は話しかけてくる。


いい絵だな、と彼は微笑む。


「...宇宙人じゃないの?」


"自分は、宇宙人だ。何億後年も離れた星から来た"

きっと、彼は私を元気付けようと、ちょっとでも笑わせようとしてくれたんだろう。


もうすべてを理解していたけど、私は聞く。


「宇宙人な訳ないじゃん!...って俺の事知らなかったの?よくヒカリと同じ賞コンクールでとってたのに」


知らなかった...でも、彼は知っていたらしい。


「じゃあ、最後私に何も言わずに去ってった理由は...?」


これは普通に疑問に思った。


ああ、とミナトは遠い目をする。


「一応宇宙人って設定だったからさ、なんか瞬間移動とかそういう感じで居なくなった方が面白いなーって思って。

 めちゃくちゃ大変だった~!!帰るのばれないようにするの!!..それに...」


みなとは、優しい眼差しで自分の絵を見た。


「俺も、今すぐにでも絵が描きたくて。この絵を.....想いを形にしたかったから」


私もミナトの絵を見る。


線一つ一つが繊細で、綺麗で、暖かかった。


どれだけの想いが詰まってるか伝わって、うれしくて、ちょっと恥ずかしかった。


しかし...とミナトはブツブツ話す。


「大変な夜だったなぁ。夜中、犬の散歩してたらさ、学校に忍び込んでくヒカリが見えて。

 好奇心でついてったら、応募用紙になんかしようとしてたし?だから止めたんだよ」


行動力にあきれて、ちょっと言葉が出ない。


...いや、待てよ?


「じゃあ、校門の前で私を吠えた犬はミナトの!?廊下で感じた視線はミナトの!?もう!!めちゃくちゃ怖かったんだけど!!」


一応ここは美術館。


回りに気を使いつつ、ミナトを問い詰める。


ミナトは、ははは...と笑ってる。


「まぁ二人ともその夜のお陰でコンクールとれた訳だし?めでたしめでたしじゃん」


笑うミナトの顔を見ていると、こっちまで笑えてきた。


「そうだね...ありがとう」


それは本当に感謝しかない。


自分の、"美術が好き"という感情を、もう一度鮮明に思い出すことができたのは、紛れもない、人間の彼のお陰だ。


ミナトは、ちょっと驚いて、照れたように頭をかく。


「どういたしまして!」


そう明るく笑った君が、あの夜の君と重なって。


あの夜みたいに、私の世界は鮮やかに色づいた。