『今晩は今年で一番の冷え込みとなります。防寒対策を十分にお過ごし下さい。それでは、また明日。』
午後八時五十九分。
ニュース番組が終わって、お母さんがテレビを消した。家族四人を囲う食卓に静寂が訪れてあーあ、またいつものが始まる。直感的に和葉は思った。

「この前の模試、結果どうだったの。」
お母さんがスマホの画面をスクロールしながら聞いてきて、一気に空気が張り詰めたのを感じた。弟が夕食を食べる手を止めてお箸を皿に置く。
どうだったかなんてわかりきってるくせに。心の中で悪態を吐きながらも極力感情を出さないように答える。
「別に。」
「別にって何よ。もう結果出てるでしょ? 1ヶ月前の話よ。早く出しなさい。」
「…」
出さなかったらもっと酷いことになりそうで仕方なく私は席を立った。制鞄をおいている自分の部屋に行こうと階段を昇るが、足取りは重たい。

♢ ♢ ♢

「寒。」
暖房の行き届いていない2階は普通のトップス一枚では寒すぎて、思わず声が出た。このまま逃げ出したいと思う反面、早く暖の取れる階下に戻りたいとも思う。そもそも2階からどこかに逃げ出す当てもなく、かといって階下に手ぶらのまま帰ったらそれこそ雷が落ちるので取り敢えず結果の紙を探し出すことを優先して私は暗い部屋の電気をつけた。
「大体すぐ勉強勉強って。」
誰にも聞こえない事をいいことに、1人でそう呟きながら鞄の中を探る。紙がはみ出しそうな程入っているクリアファイルからそれらしき物を抜き出すと、模試の結果と共に一枚の紙が落ちてきた。びっしりと文字が敷き詰められた作文用紙だ
『0時に始まる恋と嘘』
欄外に書かれたその文字は、受験勉強を始めた時よりもまだ丁寧に見える。中二から中学卒業にかけて書いていた自作小説で、春先にあった新人文学賞に応募するつもりだった物だ。何もかもに行き詰まって家を飛び出した少女が、夜の公園で1人の少年と会う話。ちなみに、少女のモチーフは自分で少年は私が密かに想いを寄せていた人。ありきたりかもしれないけれど、自分なりに色々考えた上で制作した物だった。まあ、これまで書いてきた中で一番出来の良かったこの小説は母に見つかったせいで原稿を捨てられてしまったけれど。母の手から免れた生き残りが一枚だけでも見つかった事を少し嬉しく感じる。けれどそんな喜びも束の間、母が階下で私の模試の結果を待っていることを唐突に思い出し作文用紙を机の上に置いてから私は早足で階段を下った。

♢ ♢ ♢

「何してたの2階で。」
氷のような視線で私を睨みつける母から視線をずらして、私は席に座った。
「別に。」
炒め物が入った皿をどけて母の目の前に模試の結果の紙を置くと、母はそれを掴み取って私の成績を見た。
「はぁ? 何なの受験者順位612位って。上位10%には入りなさいってあれだけ言ってるでしょ。」
掛けていた眼鏡を外して私の方を見る。
だから模試の結果を見せるのが嫌なんだ。私がどれだけ頑張っても、何も言ってくれないじゃん。
「全受験者5000人で600番台って悪くないと思うけど。」
「開き直んないでよ和葉。あんた自分が今どこにいるかわかってんの?」
「わかってるよ国公立の歯学部だったら受かるとこあるくらいの立ち位置にはいるし。」
「それでいいわけないでしょ、あんたが行くのは京大医学科よ? それに歯学部も地方の大学も許しませんからね。そんな大学行っても意味がないのよ。」
「お母さんが医学部行けなかったからってそんなことばっかり言って。」
「私はあなたのためを思って言ってあげてるんじゃない!」
親はいっつもそう言う。自分の概念を子供に押し付けて、まるで自分の所有物みたいに子供扱うんだ。私だって行きたいところくらいあるのに。怒鳴り散らかす母を睨みつける。親にこんなに刃向かうのは久しぶりかもしれない。
「別に歯学部でも生活していけるし!」
「歯学部歯学部うるさいわね!」
「そっちこそ京大医学科ってずっと言ってるじゃん!」
「いけるのだったらいいところの方がいいじゃない!」
「別に大人になったらどこの大学を卒業したとか意味なくなるでしょ? 就活するわけでもないんだし。」
「大人にもなってないのにそんなこと言いなさんな!」
「だってお母さんだって地方大学の歯学部出ててもちゃんとした歯科医院でいい給料で働けてるじゃん!」
「私のことは関係ないの! ていうかこの判定何よ! 京大医学科C判定じゃないの! B以上は取りなさいってあれだけ言ってるでしょ!?」
うちのお母さんは自分の都合が悪くなったらすぐに話を変える傾向がある。さっきもそうだ。私がお母さんの話をしたら、すぐに話題を変えた。
「Cでも充分じゃん…。それに私の意志でこの大学に行くって決めたわけんじゃなんだから別にいいじゃん!」
「すぐまたそんなことを言う! だから何度も言ってるじゃない! 私はあなたのためを思ってー」
「うるさい! ほんとにいいからそんなの!!」
気づいたら私はこれまでの声の数倍大きな声で怒鳴っていた。無意識に夕食が並ぶ机を拳で叩いていたらしく、後から痛みが来る。やってしまった。そう後悔しても、もう遅い。
「親に向かってその態度は何なの!」
目の前にお母さんの顔があった。手を顔の横に掲げている。
「ちょっと優花、やめろよ」
さっきからずっと喧嘩を見ているだけで何も言ってくれなかった父がここでやっと声を出した。
「親に向かってうるさいとか言いなさんな! 私はおばあちゃんにそんなこと一言も言いませんでしたよ!」
とうとう、お母さんの怒りは頂点に達した。私に手を挙げてきそうなのをお父さんが必死で止めるのを私は他人事かのようにただただ眺めていた。
「そもそも何でこんなかわいくなくなったのよ! 昔はもっと素直だったのに!! ちょっとお父さん離しなさいよ!ーー」
ぎゃんぎゃん喚く母を置いて、私は遥か彼方を見つめていた。変わったのはお母さんだよ? 昔はもっと優しかったのに。
「ー京大に行かなかったら仕送りしないんだから! 1人で全部生活しなさいよ!ーー」
何で変わっちゃったんだろう。お父さんも、弟の大智も。みんな、昔は仲良かったのに。みんなで海に行ったり、キャンプに行ったり。外食もよくした。
「ー将来路頭に迷っても知らないんだからね!ーー」
なのに今はこんな風に、喧嘩ばっかりしている。お父さんは滅多に口を出してこないし、大智はずっと座って成り行きを眺めているだけ。
「子供なんか産まなければ良かったのよ!」
何でこんな風になっちゃったんだろう。今ではもうお母さんのことなんか大嫌いのはずなのに、何故かあの頃を懐かしく。そして切なく感じる。

「あんたなんか嫌いよ! さっさと出て行ってしまえばいいのよ!」

大喧嘩に発展した時によく言われたこの言葉。今までは平気だったのに、何故かボロボロと涙が溢れてきた。それから、潤んだ目でしっかり家族全員の目を見つめてから言った。
「私だってお母さんのことも、家族のことも嫌いだよ!!」
食べかけの食事を置いて私は二階へと駆け出した。

♢ ♢ ♢

部屋のドアを閉めてから、簡単に人が入ってこれないように突っ張り棒を立て掛ける。1人で椅子に座って机と向き合った。部屋の温度はさっきと変わらないはずなのに興奮で体が火照っているからかいくらか熱く感じる。
「私も、嫌いだよ。」
口に出して、もう一度言う。じゃないと自分が壊れてしまいそうで怖かった。でもそんな言葉で私の感情が制御できるわけもなく、止めどなく涙が溢れ出てくる。何で自分でも泣いているのかがわからない。明確な理由がないから何に対して悲しめば、何に対して怒りを抱けばいいのかわからなくて泣き止むまでに5分以上の時間はかかった気がした。ようやく泣き止んだ頃には、涙が机の上に置いてあった作文用紙にいくつもの染みを作っていた。
久しぶりにお母さんとこんな大きな喧嘩をしたな。
最近はもう何を言われても聞き流すだけであまり私が何かを言ったことはなかった。理由は、夢があったあの頃を諦めてしまったからなのだと思う。
じゃあいつから、私は自分の将来を諦めるようになったんだろう。
考えるほどのことはない。高一からだよ。
作文用紙に書かれたエピローグを読みながら、私の原点に想いを馳せる。
現実世界であり得ないから、小説でそれを実現させたくて書き始めた小説。人間関係や家族関係で行き詰まっていた私に当時の親友が教えてくれた“文字で書く。それで現実逃避をする。”という手段は、いつしか心の支えになっていた。その子は、私と一緒にずっと小説を書いていた私の良き理解者でありライバルだった。将来は小説家になって自分の書いた小説でたくさんの人を感動させる、そう2人で約束していた。
でも、高一の春。偶然母にこのことがバレて、これまで書いた作品を全て捨てられた。『こんな物書いていたって何の意味にもならないのだから馬鹿馬鹿しい。』冷たく言い放たれたあの時の言葉は、今でも忘れない。私の将来の全てを否定されたあの時からもういいやって思ってしまったんだ。それからどんどんその子は遠くに行ってしまった。1人で出たコンテストでは最優秀賞を獲得して、私が書くのをやめた小説を1人でずっと続けている。小説投稿ウェブサイトでアップしている彼女の作品は、今や50いいねがつくほどの人気がある。当然、だよね。
だって私はもう、書くのをやめてしまったのだから。たかが一つのちっぽけな趣味をやめただけなのに、私とあの子の溝はどんどん深まってしまったんだ。
「春、花。」
長く口にしてこなかった名前を徐に呟く。私から縁を切ってしまった、かつての親友の名だ。
『もう私、小説なんか書かないって決めたから。』
『え…』
初春の爽やかな風が吹いていたあの日、桜が舞う校門の前で私は彼女にそう言った。九年間の長い付き合いの別れにしては劇的だったわけでもなかったけれど、それでもあの時のことはよく覚えている。春花の『待って、和葉!』という声を無視して走った私は、性根が腐っているのだと思う。でも、私だって離れたかったわけではなかったんだ。
カーテンを開けて、冬の夜空を見ながら思う。私だって、小説を書き続けたかった。春花と一緒に、小説で人の心を動かしたかった。その夢を壊したのはお母さんだよ。中学生の時まではとても優しかったのに。なのに、私が小説を書いていると知った途端に豹変してしまった。きっと私が医者にならないと言い出しそうで怖かったんだと思う。でもさ、今も私は別に医学部なんか行きたくない。人の命を救うのは立派な仕事で、だからこそちゃんと行きたいという意志がない私が行くのはおかしなことだと思う。それに私が進みたい道はずっと前から決まってるんだから。
「ちょっと和葉! 開けなさいよ!!」
扉を隔てて、急にお母さんの声がした。
「嫌だ!」
急いで涙の跡を拭いて、私は大声で叫んだ。
「親に向かってその態度は何なの! ほら、お父さんも開けるの手伝いなさいよ!」
「和葉、開けてくれないか?」
「そんなこと言ってないで貴方が開けるのよ、ほらさっさと」
お母さん1人ならまだしも、お父さんがいるとなると話は変わる。私の部屋の扉はそれから10秒も経たずに開いてしまった。お母さんが入ってくると同時に反射的に机の上の作文用紙を手で覆ったが、それは返って裏目に出た。
「ちょっとそれ、何なの!」
渡すまいと必死に抵抗するけど、結局その紙はお母さんの手に渡ってしまったのだ。
「何なのこれ! まだこんな意味のないこと続けてたの! あの時にやめなさいって言ったでしょ?!!」
親に自分の書いた小説を見られてしまう事ほど恥ずかしく惨めなことはない。小説は、半分自分の心の内側で考えている事なのだから。お母さんは書いてある文章を読んだ後、作文用紙をビリビリに破った。
「馬鹿馬鹿しい、さほど文才もないくせによく書けるわこんなもの。」
嘲笑うようにそう言って、私を挑発してくるお母さんに殺気にも似た怒りを憶える。
「大体あの()に感化されて書き始めたんでしょ。これだから底辺の人の子と連んだら碌なことがないのよ。」
「春花をそんな風に言うなよ!」
これまで生きてきた中で一番大きな声が出た。手こそ上げなかったものの、噛みつく勢いで私はお母さんに怒鳴っていた。口を大きく開けて当惑している両親を置いて、私はその場にあったスマホを持って勢いよく部屋を出ていた。一拍置いて「どこ行く気なの!」と叫ぶお母さんを無視して私は家の外に出た。

♢ ♢ ♢

行く当てもなく走っていた私が辿り着いたのは静かな公園だった。ニュースで天気予報士が今年一番の冷え込みと言っているのもわかるほどの寒さの中で私は1人ブランコに座る。一度は止まっていたはずの涙が頬を伝って地面に落ちていった。馬鹿なことをしたとは分かっているけれど、それでもお母さんは酷すぎた。
人の夢を馬鹿にして何が楽しいの? 人の友達貶して何が楽しいの? 子供に自分の夢を押し付けて何をしたいの? 怒鳴って、手を出して何がそんなにいいことなの?
私がいくら頑張っても、褒めてくれない。テストでいい点とっても部活の大会で優勝しても何も言ってくれないのに、悪い点を取ったり何も結果を残せなかったら怒ってくる。小説を書きたいという願いは聞いてくれずに、「馬鹿馬鹿しい」と貶してくる。それの何が楽しいって言うのよ。
もう私、この家に疲れた。誰でもいいから、私をここから連れ出してよ…。そんなことを考えても誰も来ないことは分かっているよ。だってここは、現実世界なんだから。あの小説では、逃げ出した主人公の元に男の子が現れる。そしてその男の子のお陰で主人公は前向きになるんだ。そんな人生を歩みたい。なんで私はそうなれないんだろう。なんで、私には誰も手を差し伸べてくれないのだろう。自分が書いた小説で自分が苦しくなるなんてあの頃は考えてもみなかった。
「冬馬くん…。」
私の初恋の人の名前を呟く。彼は、あの物語で主人公を助けるヒーローの元となる子だ。私がクラスで孤立していた小学3年生の時、唯一優しく接してくれた人。春花はもちろん優しかったけれどクラスが違っていたので学校内ではずっと冬馬くんに助けられていた。そんな彼は私にとってのヒーローでもある。あの頃は苦い思い出でいっぱいだけど今となっては懐かしい。今よりもお母さんは優しかったし、何より受験なんか考えずに済んでいたから。
「助けて、」
泣きながら1人呟いたのは、そんな言葉だった。自分でも何を言っているのかわからないけど、それは今の私からのSOS。でもその声は誰にも届かずに、夜の静寂に飲まれる。ブランコが風に揺れて、ギコギコと不気味な音が聞こえてきた。
「あれ、そこおるんってもしかして和葉?」
そんな声が聞こえてきたのは、そのすぐ後のことだった。懐かしい関西弁が聞こえて、驚いて振り返る。昔、何千回と聞いたあの声だ。
「ああ、やっぱそうやった。」
街灯に照らされて、その声の主の姿が露わになる。彼は、最後に見た時よりも随分と大人っぽく、イケメンな男性に成長していた。声で誰かはわかっていたけれど、やはり驚きは隠せない。
「冬馬…くん?」
「あぁ。久しぶりやな、和葉。」
だってそこには、つい先程私が助けを求めた人がいたのだから。
「なんで冬馬くんがこんな所に…? 卒業した後大阪に戻っちゃったんじゃ…?」
三年生の時からずっと好きだった冬馬くんは、小学校を卒業してから故郷の大阪に戻ったと聞いていた。
「なんでって、たまたま今日はこっち来とったんよ。明日には帰るんやけどさ。和葉こそなんでこんなとこにそんな薄手でおるん?」
「…」
家出してきたなんて言えるわけもなく黙ってしまった私を見て何か勘付いたのか、冬馬くんはそれ以上何も聞いてこなかった。
「これ、着ときんか。」
私にそう言ってジャンパーを投げてきた彼は隣のブランコに座った。
「ありがとう…」
優しすぎる、んだよ。冬馬くんの優しさのせいで、余計に涙が出てくる。
「ごめんね、冬馬くんのせいじゃないから…」
「わーってるって。なきゃぁええやん、泣きたい時は。」
優しく言ってくれて、今まで溜まっていたことが溢れ出す。これまで以上に大きな声で、嗚咽を上げながら泣いた。好きな人の前でこんな可愛くない泣き方をするのはどうかと思うけど、私はそれを止めることができなかった。

「…ごめんね、ありがとう。もう、大丈夫。」
「そうか。よかったよかった。」
5分ほどして、やっと私は普通に喋れる程度に戻った。その間ずっと冬馬くんは私の隣にいてくれた。
「よかったら、話してくれん? 俺でよければ相談乗るし。それに話した方が気持ち的に楽になれると思うで。」
「進路のこととかで親とうまくいってなくて、さ。」
5分も待たせたのに泣いていた理由も言わないのはよくないと思って、私は喋り出す。
「春花って、覚えてる?」
「渡井春花やろ?」
「そう。その子とね、小学校の頃からずっと小説を書いてたんだ。」
「かっこええやん。」
「一緒に小説家になろうって言って、書いてたんだけど、高一の時に親にその事がバレちゃって。」
「ありゃま。」
「それで、もう春花とも関わったらダメだし、小説も書いちゃダメって言われたの。」
冬馬くんの相槌がなくなる。
「そんなこと言われても私は春花とも仲良いままでいるつもりだったし、小説も書き続けるつもりだったんだけど親が私を塾に入れたり、毎日どこを勉強したか見せるのを強制してきたりして。小学生かよって感じなんだけどさ。それで、どんどん小説を書く時間がなくなっちゃって。春花と遊んだりする時間も減ったし、小説について話すこともできなくなっちゃって、結局私が一方的に縁を切ってしまったの。その後も親にずっと束縛されてて、ずっとそれに耐えてたんだけど。なんでだろう。今日、全部吹っ切れちゃって親と大喧嘩しちゃって。」
「で、今に至るってわけか。」
「うん…。」
「小説家とか、小説を書くっていう行為を貶されたりして、夢も諦めざるを得なくなってしまって。お母さんは私を医者にしたいんだけど、私自身はそんなことちっともないんだよね。
私は、本当の事を言うと文学部に入って言葉とかそういう事を学びたいんだけどもう文転なんかできる時期じゃないし…。このまま自分が元々の夢をなかったことにして医者になっちゃうのかなって思うと悲しく、っていうか虚しくて。春花とも、仲直りしたいけどもうすでに遠くに行っている感じがしちゃってできずにいるんだよね。色んなコンテストで優秀賞取ったり、どんどん周りの人に作品を評価されてるから私の事なんかもういらないって思われてそうで。そう考えたらまた話しかけるのが怖くなっちゃって。
春花だけどんどん先に進んで私を置いていくのを感じてそれに比べたら私はって惨めに思っちゃって…。」
ところどころ詰まりながらも、私は自分が今思っていることを全て言った。すると、冬馬くんが言っていたようにそれまでよりも幾分か気持ちがすっきりした。
「和葉も大変なんやな…。」
冬馬くんはそう呟いた後、ブランコから降りて話し始めた。
「俺の親もどの大学行けーとかそういうのうるさい人なんやけどさ、俺は特に夢もなんもないから全部それに流されてるんよな。だからそうやって自分の夢を持ってて、それをまだ忘れてない和葉はすごいと思うで。」
好きな人にそんな事を言われたら少しだけ照れてしまうのは仕方ないと思う。
「でも、せっかく俺には持てんかったもんを和葉は持ってんのやから、和葉にはその夢を叶えてほしいと思うけどなぁ。簡単に叶えられるわけじゃないとは思うけどさ、ほんまのほんまに本気で和葉が説得したらちょっとは聞いてくれるんちゃうかな?」
「きっとそんなことないよ。」
「でもそれでも一応は親やからなぁ、ちょっとは子供のこと好きなんちゃうかな?」
「でも冬馬くんの親も似た感じなんでしょ? 冬馬くんはほんとにそう思う?」
あんなお母さんが私のこと好きなはずがない。そう思いながら私は冬馬くんに疑問を投げかける。彼は少し考えてから、真面目な声で言った。
「まぁ…なぁ。『これでも俺のこと好きではあったんやな』って思ったのはあるな。」
「へぇ。」
触れてはいけないような話の気がして、それ以上は聞かなかった。すると案の定、彼からも何も言われずに話題が変わった。
「てかさ、和葉とか渡井とかが書いてた小説ってなんかのサイトとかにあげとったりするん?」
「うん、まあ…。」
「じゃあ和葉が書いた話は誰かに読まれてるってことなんか。」
「まあ、そう言うことになるけど…。」
「じゃあ和葉が新しい小説書くのを待ってる人もおるんちゃう?」
「そんな人いないでしょ」
「いや、絶対おるって!」
急にそんな事を言い始めた冬馬くんは、私にそのウェブサイトを見せるように言ってくる。仕方なしに私は持っていたスマホを開いた。
「うわ、めっちゃ電話もメールも来てる…。」
母から通知が100件来ていた。勝手な時だけこうやっていい親のふりをして。そう思ったけど、少しだけ冬馬くんに言われた言葉を思い出す。
いや、そんなわけないよね。少し脳裏をよぎった自惚のような感情を消して、私は小説投稿サイトを開いた。
『お久しぶりです、楓さん』サイトから来ている通知を見て、懐かしくと同時に長く何も書いていなかったという事を突きつけられたような気がして悲しくもなる。楓という単語を見たのは約2年半ぶりだった。
『私らって2人とも名前に植物入ってんじゃん?』
『うん。』
『だから、私らのペンネームは楓と桜に決定!』
『春花が桜なのはわかるけど、なんで私が楓なの?』
『葉っぱといえば秋でしょ? 秋の葉っぱといえば楓じゃん。』
『紅葉は?』
『えー、なんかダサいじゃんそれだと。』
『何それー』
春花と一緒に笑った時のことを思い出す。あの頃は楽しかったな。
「どうした?」
「ごめん、なんでもない。」
冬馬くんが隣にいることを思い出して、作家情報のページを開いた。
「作品数3、総合PV数5000、訪問者数153、読者数24、ファン数7、総いいね数92…これって和葉的にどうなん?」
小説界隈の相場がわからないから私がどのくらいの立ち位置にいるかわからない冬馬くんは私にそう聞いてくる。
「…よく私もわからないけど、最後に見た時よりかは伸びてる。」
「すげーやん!」
「でも私、2年以上何もしてないよ…。」
「なんかファンから感想とか届いてたりせえへんの?」
「見てみる、けど。」
まさかとは思いつつも、少し期待をして“感想を見る”というところをクリックした。
「なんか来とうやん!」
そんなに量は多くないものの、感想は来ていた。私が書いていた時期はファンなんて全然いなかったし、PV数でさえ伸び悩んでいたのに感想が届いているという事態に驚きを隠せない。一つ一つの感想を全部読んでから、私は顔を上げる。
「ほら、言った通りやん。和葉が新しいの書くん待ってる人、おるやん。」
感想は全部で17件で、そのうち12件は同じ人からだったけれどそれでもありえないほど心は浮かれていた。それに、この12件送ってきている人は何度も『新しい作品が読みたいです』と書いてくれている。
「これはまた書かなあかんとちゃう?」
冬馬くんはそう言って、私に向かって微笑んだ。
「…冬馬くん、ちょっと私、頑張ろっかな。」
今日1日の悲しみや疲れは嘘のように、私の心は晴れ渡っていた。
「よし。どっちが高くまでいけるか勝負や!」
そう言うなりブランコに飛び乗った冬馬くんは勢いよくブランコを漕ぎ始める。私も負けじと冬馬くんの後を追った。冬の冷たい空気が体に当たるけど、冬馬くんのジャンパーのお陰で幾分か寒さは和らいだ。

♢ ♢ ♢

それから、彼とは小学校時代の話や大阪の話、中学や高校でどんなことをしているかの話をしたり、小学校の時の同級生がどんな風になっているのかを話したりした。受験勉強に明け暮れる毎日から少し離れてこうやって冬馬くんと話をするのはとても楽しくて、時間を忘れて私たちは話していた。
なんとなく話題と話題の切れ目になって私は聞いてみた。
「明日には大阪戻っちゃうの?」
できることなら、このままずっと一緒にいてほしい。でも最初に言っていたように、きっと彼は明日からはもうここには来ない。
「そうなんよ、だから日付回るくらいにはもう行かなあかんのよな。まだ後10分はあるけど。」
デジャブを感じる。いや、厳密に言うと元々感じてはいたけれどそれが確信に変わった瞬間だった。私が書いた物語と、展開があまりにも似過ぎていたんだ。
行き詰まって、夜の公園に逃げ出した主人公。彼女が『助けて』と言った瞬間に現れた少年。少年と会話をするうちに、心が楽になる。でも少年は0時になると帰ってしまう。
違っているのは、少年と少女は毎日夜に公園で会えるところ。でも、それ以外はほとんど変わらない。じゃあ、あれは…?
「そんでな、どうなったと思う? 答えはさ、ー」
呑気そうに話す冬馬くん。そんなはずないと思いつつも、やはり可能性は捨てられない。1人で考え込んでいたら、時間はもう23時58分を回っていた。
「んじゃ、俺そろそろいくわ。ありがとうな、和葉。多分もう会えんけど、小説書くん頑張ってなー!」
そう言って去ろうとする冬馬くんの腕を掴んだ。
「どした?」
振り返って、私を見る冬馬くん。背、高くなったな。
「冬馬くん…冬馬くんは、死んでないよね? 幽霊じゃないよね?」
夜の公園は、驚くほど静まり返っていた。風音ひとつ聞こえない。2人の間に沈黙が生まれる。
「…えっ、それ真面目に言っとう?」
ぷぷぷ、と笑い出した彼は、笑顔で言った。
「んなわけないやん、俺は和葉が小説家なるまで死ねへんわ。」
「そ、そうだよね、ごめんね変なこと聞いて。」
「ほんまやで。まあ、じゃあな!」
彼は今度こそ行ってしまった。
よかった、そう安堵する。どうやら私の杞憂だったみたいだ。
それにしても、好きって言わなくてよかったのかな…。まあいいや。今度もし会えたら、その時ちゃんと言おう。
「冬馬くんも帰ったし、私もそろそろ帰るか。」
帰ったら絶対に一晩中怒られるけど、それでももう私は将来の道を誤らない。冬馬くんのお陰で私の意志は固まった。
真冬の0時を回った静かな住宅街を歩く。
「寒。」
1人呟くと、白い吐息が口から漏れた。あれ、そういえばジャンパー…。いつの間にか冬馬くんから借りたジャンパーは無くなっていた。いや、返したような気もするしまあいいや。和葉は、静かに元きた道を歩いて行った。

♢ ♢ ♢

「はーるーかっ! 元気してた?」
「あ、楓先生! お久しぶりです!」
「もう、こんな時で楓なんか言わないでよ桜先生ー」
「お、有名作家お二人さんの再会です!」
「うちの小学校から本屋大賞ノミネートされる作家が2人も出るなんか本当ありえないよねー。すごいよ2人とも。」
「本当に私たち篠原第一小学校の誇りです。」
「先生までやめてくださいよー!」
今日は約20年ぶりの小学校時代の同級生との再会だった。比較的規模の大きな同窓会で、当時の生徒のほとんどが参加している。
みんな老けたりもしているけれど、大体誰が誰かは思い出せる。
「ねえ、冬馬くん見なかった?」
隣に座っていた男子に聞いたけど「いやーわからないな」と言われてしまい、今日は来ていないのかと落胆する。
高三のあの日、冬馬くんとあったお陰で今の私がある。そう言っても過言ではないほど、私は彼に助けれた。あれから家に帰ると親は大号泣、その後大激怒。私は泣きながら自分の将来の夢を話し、作家の道を選ばせてほしいと懇願した。すると今の自分の学力で充分行くことのできる国公立の歯学部に入った後休学をし、東大文学部に限って行くことを許された。いわゆる仮面浪人だ。必死に勉強をした私は見事一年間の時を経て東大文三に入学。休学していた大学は辞め、東大での生活を始めた。冬馬くんの言う通りって言うほどではなかったが、必死に頼めば親は理解してくれること。そして、自分の夢を諦めなかったらこんだけ楽しい景色がその先に広がっていることを学べる良い機会になった。冬馬くんのお陰で小説を書くことを再開でき、春花とも縁を戻し、そして昨年には中学時代に書いたあの物語のリメイク版が本屋大賞にノミネートされた。“自分の書いた作品で読んでいる人を感動させる。”その夢の完成系が今なんだと思う。
あの日冬馬くんと共に私の背中を押してくれた12件の感想を書いてくれた“Hakuba”さんはあれ以来感想を送ってくることはなかったけれど、きっとどこかで私の作品を読んでくれていると願う。
「和葉ちゃんって冬馬のこと探してるの?」
先程の男子との会話を聞いていたらしい数人の元クラスメイトが私に話しかけてくる。
「うん、そうなんだけど…。」
「ここだけの話なんだけどさ、」
声を小さくして、その子は言った。
「冬馬くんさ、高三の冬、トラックに轢かれて死んじゃったらしいよ。何人かニュースで冬馬くんの名前を見たって言ってる子がいるの。」
「え…。」
だから、多分今日は来ないんじゃないかな。そう言って去っていった子達の後ろ姿を、私は呆然と見送った。

あの日、やっぱり冬馬くんは死んでいたの? 幽霊、だったの? 杞憂、なんかじゃなかったの?
とてつもなく大きなショックを受けるけど、それと同時に『やっぱりか。』と思っている自分もいる。だって私が書いた、あの“0時に始まる恋と嘘”の小説の中の少年は、主人公の元恋人が姿を変えて現れた…幽霊だったのだから。
彼が帰る前に言ったあの言葉は、嘘だったんだ。でもそれは彼なりの、優しい嘘。私の背中を押すための嘘だったんだ。
…ありがとう、冬馬くん。
一粒の涙が頬を伝った。

「ねえ春花、卒アル持ってない?」
「んーあるよ。はい、どうぞ。何に使うの?」
「いや、最後のページにみんなの住所書いてなかった?」
「そういえばそうだったねー。けどそれを何に使うの?」
「ちょっとね。」
今度、彼の実家に行こう。小学校の頃から変わっていなかったらきっといけるはずだ。そして彼の墓参りに言って、そこで伝えればいいんだ。

今度こそ、好きだよって。


2024.1.19 fin 咲良碧