2月23日 金曜日
今日は、「裏の日」。
でも、祝日。学校は休み。だから、開登にも、優季にも会うことはない。
いつもなら休日でも6時に一度目が覚めるんだけど、今日は覚めなかった。
8時半。
ようやく目が覚めて、ダイニングへ。
お父さんもお母さんも今日は仕事休みだ。
お母さんはキッチンで洗い物、お父さんはリビングでテレビを見てた。
「おはよう〜」
お母さんは朝から元気だ。
「おはよ」
寝ぼけた顔のままダイニングの椅子に腰を下ろす。
「今日、お父さんとショッピングモール行こうって話してたんだけど、窓花も行く?」
お皿を拭きながらお母さんが訊いてきた。
まだ寝ぼけてる頭で少し考えてから答えた。
「行かない。家で勉強してる」
「そう。それじゃ、お父さんと二人で行ってくるわね」
ちょっとそういう気分じゃない。
「ねえ、お母さん……」
「なに?」
「……ううん、なんでもない」
私が二つの世界を行ったり来たりしてることを、お母さんにも話してみようかと思った。
でも……お母さんには、「表」も「裏」もない。お母さんは、変わらない。
変わってるのは、開登と優季。それに、私。
それに……
「私の好きな人が、一日おきに気持ちが変わってる」、なんて話したら、きっとお母さんは、「そいつにからかわれてる。そんなやつと付き合うのやめなさい」て言うか、「頭おかしくなった?」て言って笑うか、どっちかだ。
だから……やめた。
両親が出かけてから、一日中、自分の部屋のベッドでゴロゴロしてた。
もちろん、勉強なんかしてなかった。
開登は……午前中は部活だ。午後は……何してるんだろう?
優季は、何してるんだろう?
二人で……会ってるかもしれない。
そんな考えが浮かんだ。
考えないように……考えないようにした。
でも……
夕方、お父さんとお母さんが帰って来た。
ローストビーフとショートケーキを買って来てくれてた。
夕飯に食べたローストビーフも、その後に食べたショートケーキも、おいしかった。
でも……それでも。
「どうしたの? 元気ないわね」
お母さんが言ってくれた。
「ごめん。ちょっと、勉強疲れかな」
嘘を言った。勉強なんてしてなかったのに。
「無理しないでね」
「うん……先に休むね」
そう言って、私は自分の部屋へ逃げ込んだ。
またベッドに寝転んだ。
開登と……優季のことが気になってしかたなかった。
明日になれば、開登に会える。
でも……会えるのは夕方。それまで……
今は、開登とは話せない。LINEもできない。開登とは、つながっていない。
優季は……優季とは話せる。
でも、何を話す? 優季と、何を話すの?
しばらの間、スマホを見つめていた。
じっと、見つめてた。
そして……
「もしもし、優季?」
「うん。窓花? なに?」
「……なに、ていうこともないんだけど、何となく、退屈で。優季は? 何してた? 今日とか……」
訊いてみた。やぱっり、どうしても、気になった。
「デート」
即答。
やっぱり……
「この前、開登と付き合い始めたって言ったでしょ。で、昨日も午後から会った」
私の心臓の音が大きくなった。
「いっしょにご飯食べて、それから、駅の向こう側にある公園まで歩いて……」
聞かなければよかった。やっぱり、聞かなければよかった。
電話なんて、しなければよかった。
「でね、聞いてくれる?」
「うん……なに」
かろうじて声が出た。いつもの私の声より、ずっと低い声。
「キスした」
キス……した。
「それも、くちびるとくちびるで」
息が苦しきなってきた。
「もう、いきなりだよ! ビックリしちゃって!」
何も……しゃべれなくなってた。
「もうちょっと、私も興奮しちゃって。ちょうど誰かに話したっくてウズウズしてたとこだったんだ……もしもし、窓花? 窓花?」
私は黙って、電話を切った。
すぐに優季からLINEが入った。
『ごめん! またはしゃぎすぎた! 引いちゃったかな?』
返事を書く気にもなれなかった。
そのままスマホをベッドの上に投げ出した。
キスした。
優季が開登と、キスした。
キスした。
キスしたキスしたキスしたキスした。
今夜は眠れそうにない。
私の頭の中にわずかに残っていた冷静な部分が、そんな予感を私に伝えていた。
2月24日 土曜日
8時に目が覚めた。
それでも、いつの間にか眠ってしまったみたいだ。
ずっと起きていれば、表の日が裏の日になることはないのだろうか。
そんなことを少しだけ思った。
でも……今日は「表の日」。私の日。
開登にLINEした。
『今日よろしく。試合終わったら連絡して。駅まで行くから』
すぐに返事が来た。
『了解』
そらからまた、私は自分の部屋に閉じこもってた。
勉強してる、ふりしてた。
4時過ぎ、開登からLINEが入った。
『今終わった。駅に着くのは5時頃になると思う』
私はお母さんに「友達にノート借りて来る」て言って家を出た。
駅に着いた。改札の前で開登を待つ。
5時10分。
来た。青いトレーニングウエア。開登だ。
「悪い。待たせた」
「ううん、大丈夫」
「で、どこ行く? あんまり遅くなれないから、そんなに時間ないぞ」
「うん……あっちの、公園行きたい」
私は学校がある方と反対の方を指さした。
「え? 家の近くの?」
そうか……開登の家は公園の近くなんだ。
「……だめ?」
「いや、いいけど。どうせ帰り道だし」
私たちは並んで歩いた。
私は左手の手袋を取って、私の左側にいる開登に手を伸ばした。
気付いた開登が、手袋をした右手で私の左手を握ってくれた。
手袋は……取ってくれない。
やっぱり開登の体温は、直には私に伝わらない。
それでも……暖かかった。
開登の手は、暖かかった。
公園に着いた。
あたりはもう暗くなってる。
ところどころにある外灯がその周辺だけを照らし出している。
誰もいなかった。
公園の回りには、たくさんの桜の木。
桜は、私の花だ。
でも……その蕾はまだ、固く閉じたまま。
芝生と、遊具と、ベンチ。
「そこ、座ろうか」
開登がベンチを指さした。
「待って」
座る、前に。
「キスして」
言ってみた。開登を向いて。
「え?」
開登の、戸惑った顔。
どうして?
私とはキスできないの?
優季とは、キスしたのに。
「……わかった」
そう言って、開登も私と向き合った。
私は、目をつぶった。
そして、少し上を向いて、待った。
額に、柔らかい、暖かい感触がした。
でも……
私は目を開けた。
目の前に照れくさそうな顔をした開登がいた。
どうして……額? くちびるじゃなくて?
「くちびるとくちびるで」「いきなりだよ」
電話越しの優季の声が蘇る。
どうして、私は、額? それも、そんな顔で。
悲しくなった。なぜか、涙が出てきた。
せっかく開登と二人になれたのに。
せっかく開登とキスできたのに。
私は走り出してた。
「なんだよ! 待てよ!」
開登の声がした。
でも、止まらなかった。
そのまま走った。駅に向かって走った。
「窓花!」
公園を出たところで、開登に追いつかれた。
後ろから肩を掴まれた。
「いったいどうしたんだよ!」
いったん走るのをやめて、すぐ後ろにいる開登に向き直る。
「……ごめん。今日は……帰る」
それだけ言って、私はまた走り出そうとした。
開登に腕を掴まれた。
「駅まで、送る」
開登が言った。私は走るのをやめて、開登と並んで歩いた。
駅に着いて、そのまま黙って改札の中に入る。
「明日また話そ!」
改札の向こうから開登の声が聞こえた。
開登……明日は、私に明日はないんだよ……
私は振り返らないまま、下り電車のホームに向かった。
今日は、「裏の日」。
でも、祝日。学校は休み。だから、開登にも、優季にも会うことはない。
いつもなら休日でも6時に一度目が覚めるんだけど、今日は覚めなかった。
8時半。
ようやく目が覚めて、ダイニングへ。
お父さんもお母さんも今日は仕事休みだ。
お母さんはキッチンで洗い物、お父さんはリビングでテレビを見てた。
「おはよう〜」
お母さんは朝から元気だ。
「おはよ」
寝ぼけた顔のままダイニングの椅子に腰を下ろす。
「今日、お父さんとショッピングモール行こうって話してたんだけど、窓花も行く?」
お皿を拭きながらお母さんが訊いてきた。
まだ寝ぼけてる頭で少し考えてから答えた。
「行かない。家で勉強してる」
「そう。それじゃ、お父さんと二人で行ってくるわね」
ちょっとそういう気分じゃない。
「ねえ、お母さん……」
「なに?」
「……ううん、なんでもない」
私が二つの世界を行ったり来たりしてることを、お母さんにも話してみようかと思った。
でも……お母さんには、「表」も「裏」もない。お母さんは、変わらない。
変わってるのは、開登と優季。それに、私。
それに……
「私の好きな人が、一日おきに気持ちが変わってる」、なんて話したら、きっとお母さんは、「そいつにからかわれてる。そんなやつと付き合うのやめなさい」て言うか、「頭おかしくなった?」て言って笑うか、どっちかだ。
だから……やめた。
両親が出かけてから、一日中、自分の部屋のベッドでゴロゴロしてた。
もちろん、勉強なんかしてなかった。
開登は……午前中は部活だ。午後は……何してるんだろう?
優季は、何してるんだろう?
二人で……会ってるかもしれない。
そんな考えが浮かんだ。
考えないように……考えないようにした。
でも……
夕方、お父さんとお母さんが帰って来た。
ローストビーフとショートケーキを買って来てくれてた。
夕飯に食べたローストビーフも、その後に食べたショートケーキも、おいしかった。
でも……それでも。
「どうしたの? 元気ないわね」
お母さんが言ってくれた。
「ごめん。ちょっと、勉強疲れかな」
嘘を言った。勉強なんてしてなかったのに。
「無理しないでね」
「うん……先に休むね」
そう言って、私は自分の部屋へ逃げ込んだ。
またベッドに寝転んだ。
開登と……優季のことが気になってしかたなかった。
明日になれば、開登に会える。
でも……会えるのは夕方。それまで……
今は、開登とは話せない。LINEもできない。開登とは、つながっていない。
優季は……優季とは話せる。
でも、何を話す? 優季と、何を話すの?
しばらの間、スマホを見つめていた。
じっと、見つめてた。
そして……
「もしもし、優季?」
「うん。窓花? なに?」
「……なに、ていうこともないんだけど、何となく、退屈で。優季は? 何してた? 今日とか……」
訊いてみた。やぱっり、どうしても、気になった。
「デート」
即答。
やっぱり……
「この前、開登と付き合い始めたって言ったでしょ。で、昨日も午後から会った」
私の心臓の音が大きくなった。
「いっしょにご飯食べて、それから、駅の向こう側にある公園まで歩いて……」
聞かなければよかった。やっぱり、聞かなければよかった。
電話なんて、しなければよかった。
「でね、聞いてくれる?」
「うん……なに」
かろうじて声が出た。いつもの私の声より、ずっと低い声。
「キスした」
キス……した。
「それも、くちびるとくちびるで」
息が苦しきなってきた。
「もう、いきなりだよ! ビックリしちゃって!」
何も……しゃべれなくなってた。
「もうちょっと、私も興奮しちゃって。ちょうど誰かに話したっくてウズウズしてたとこだったんだ……もしもし、窓花? 窓花?」
私は黙って、電話を切った。
すぐに優季からLINEが入った。
『ごめん! またはしゃぎすぎた! 引いちゃったかな?』
返事を書く気にもなれなかった。
そのままスマホをベッドの上に投げ出した。
キスした。
優季が開登と、キスした。
キスした。
キスしたキスしたキスしたキスした。
今夜は眠れそうにない。
私の頭の中にわずかに残っていた冷静な部分が、そんな予感を私に伝えていた。
2月24日 土曜日
8時に目が覚めた。
それでも、いつの間にか眠ってしまったみたいだ。
ずっと起きていれば、表の日が裏の日になることはないのだろうか。
そんなことを少しだけ思った。
でも……今日は「表の日」。私の日。
開登にLINEした。
『今日よろしく。試合終わったら連絡して。駅まで行くから』
すぐに返事が来た。
『了解』
そらからまた、私は自分の部屋に閉じこもってた。
勉強してる、ふりしてた。
4時過ぎ、開登からLINEが入った。
『今終わった。駅に着くのは5時頃になると思う』
私はお母さんに「友達にノート借りて来る」て言って家を出た。
駅に着いた。改札の前で開登を待つ。
5時10分。
来た。青いトレーニングウエア。開登だ。
「悪い。待たせた」
「ううん、大丈夫」
「で、どこ行く? あんまり遅くなれないから、そんなに時間ないぞ」
「うん……あっちの、公園行きたい」
私は学校がある方と反対の方を指さした。
「え? 家の近くの?」
そうか……開登の家は公園の近くなんだ。
「……だめ?」
「いや、いいけど。どうせ帰り道だし」
私たちは並んで歩いた。
私は左手の手袋を取って、私の左側にいる開登に手を伸ばした。
気付いた開登が、手袋をした右手で私の左手を握ってくれた。
手袋は……取ってくれない。
やっぱり開登の体温は、直には私に伝わらない。
それでも……暖かかった。
開登の手は、暖かかった。
公園に着いた。
あたりはもう暗くなってる。
ところどころにある外灯がその周辺だけを照らし出している。
誰もいなかった。
公園の回りには、たくさんの桜の木。
桜は、私の花だ。
でも……その蕾はまだ、固く閉じたまま。
芝生と、遊具と、ベンチ。
「そこ、座ろうか」
開登がベンチを指さした。
「待って」
座る、前に。
「キスして」
言ってみた。開登を向いて。
「え?」
開登の、戸惑った顔。
どうして?
私とはキスできないの?
優季とは、キスしたのに。
「……わかった」
そう言って、開登も私と向き合った。
私は、目をつぶった。
そして、少し上を向いて、待った。
額に、柔らかい、暖かい感触がした。
でも……
私は目を開けた。
目の前に照れくさそうな顔をした開登がいた。
どうして……額? くちびるじゃなくて?
「くちびるとくちびるで」「いきなりだよ」
電話越しの優季の声が蘇る。
どうして、私は、額? それも、そんな顔で。
悲しくなった。なぜか、涙が出てきた。
せっかく開登と二人になれたのに。
せっかく開登とキスできたのに。
私は走り出してた。
「なんだよ! 待てよ!」
開登の声がした。
でも、止まらなかった。
そのまま走った。駅に向かって走った。
「窓花!」
公園を出たところで、開登に追いつかれた。
後ろから肩を掴まれた。
「いったいどうしたんだよ!」
いったん走るのをやめて、すぐ後ろにいる開登に向き直る。
「……ごめん。今日は……帰る」
それだけ言って、私はまた走り出そうとした。
開登に腕を掴まれた。
「駅まで、送る」
開登が言った。私は走るのをやめて、開登と並んで歩いた。
駅に着いて、そのまま黙って改札の中に入る。
「明日また話そ!」
改札の向こうから開登の声が聞こえた。
開登……明日は、私に明日はないんだよ……
私は振り返らないまま、下り電車のホームに向かった。