2月21日 水曜日

今日は「裏の日」。
やっぱり、開登からのLINEも、通話履歴も全部消えてる。ていうか、そもそもなかった。
今日は……開登に会わないようにしよう。
そう思った。
会っても……つらいだけだから。

学校に着いて教室に入る。
「おはよう!」
席に座るとすぐに優季が駆け寄って来る。見るからにテンションが高い。
「……おはよう」
私もあいさつを返す。笑顔を作って。無理して。
「ねえ、聞いてくれる⁉」
テンション高いまま優季が話し出す。
「昨日ね、窓花に先に帰ってもらったでしょ」
「う、うん」
昨日……私の記憶では、昨日は優季といっしょに帰った。
「あの後ね、彼が部活終わるの待って、彼といっしょに帰ったの」
「……そうなんだ」
優季の顔が赤くなってる。
ここで照れられても……
「あのさ、文芸部で毎年作品集作ってるでしょ」
「え?」
文芸部の作品集?
「あれにさ、私、短編小説載せてるじゃない」
「う……うん」
そう。私は詩だけど、優季は短編小説を書いていた。
「実はね、前の日、あの作品集、彼に渡してたの。彼が読みたいって言うから」
おんなじだ……私と開登と……おんなじだ。
「帰り道、その話で盛り上がって。私の小説、面白かったって。すごかったって」
予感がした。悪い、予感がした。
私から訊いてみた。
「その……彼の部活って、何部?」
「うん。バスケ部」
悪い予感が広がる。いや、悪い予感しかしない。
「窓花には言っちゃおっかな。私が付き合ってるのは……」
聞きたくない。そう思った。
「……開登。C組の、藤村開登」
心臓が鳴った。
「ほら、去年の学園祭、いっしょにバスケ部の試合見に行ったじゃない。あの時窓花も見たでしょ。開登のこと」
聞かなければよかった。
「じゃ、バレンタインの日に優季がチョコ渡したのも……」
「そう。開登」
そうか……あの日から、優季と開登は……
「それでね……」
優季が続けて話そうとする。
聞きたくなかった。もう、聞けなかった。
「ごめん、私ちょっと、授業前に昨日の復習しとく。最近授業よく聞いてなかったから……」
そう言って、私は教科書を取り出して机の上に広げた。
「ごめん、はしゃぎすぎた。じゃ、また後で」
優季はすまなそうな顔をして自分の席に戻った。
私は優季の方を見ないようにして教科書に視線を落とした。
もちろん、教科書の内容なんて全然頭に入って来なかった。


2月22日 木曜日

今日は、「表の日」。
朝、開登にLINEした。
『今日、いっしょに帰りたいんだけど。いいかな? ちょっと話したいことがあって』
すぐに返事が来た。
『いいけど、部活あるぞ』
『いいよ。待ってる』

学校に着いて教室に入る。
「おはよう」
優季にあいさつする。
「あ、窓花。おはよう」
今日の優季のテンションは、高くない。
表の日の優季は、開登と付き合ってない。開登に振られている。
優季に対しては、一日、意識して普通に接した。

放課後。
用事があると言って、優季には一人で帰ってもらった。
しばらく教室で時間をつぶして、それから部室棟へ行くつもりだった。
部室棟の前で、開登の部活が終わるのを待つ。バレンタインの日と同じように。
そのつもりだ。
ところが、優季が教室を出るのと入れ違いに開登がA組の教室に入ってきた。
私を見つけた開登が言った。
「来いよ。いっしょに体育館行こ。この前みたいに外で待ってちゃ寒い(サミイ)だろ」
「え?」
「行くぞ」
戸惑ってる私に向かって手招きしている。
私はあわててリュックを持って立ち上がった。
開登が教室から体育館に向かって歩き出す。
私も開登の後を追った。

スリッパに履き替えて体育館へ入ると、開登がバスケットコートの後ろの方を指さした。
そこには折り畳み椅子が一脚、置かれていた。
「あそこで待ってろ。見学者だって、顧問の先生には了解取ってある」
私が椅子に座ると、開登がどこからか毛布を持ってきてくれた。
「これ掛けてろ。寒い(サミイ)だろ」
開登が言った。
優しい。今日の開登は、優しい。
開登は着替えてくると言って部室棟に向かった。

間もなくバスケ部の部員達が体育館に入ってきた。練習着に着替えた開登も。
「誰?」
「女子マネ希望者?」
そんな声が聞こえた。
いや、そうじゃなくて……でも、それもありかも。
ちょっとだけと思った。
でも、今はそれより……

バスケ部の練習が始まった。
躍動する開登を間近で見ることができた。
ずっと、開登から目が離せなかった。
練習が終わった後も、開登が着替えるのまで、バスケ部の部室の前で待たせてもらった。
そこまで折り畳み椅子と毛布を開登が持ってきてくれた。
私に気を遣ってか、部室から出て来た部員達は足早に校門へ向かう。
開登が出て来た。私が使っていた椅子と毛布を部室の中に片付けてくれた。
開登のすぐ後ろについて、私は部室棟を出た。
「話って、なんだ?」
開登が言う。
「少し寄り道してもいいかな? そこで話す」
言ってみた。
「いいけど……どこ?」
「神社」

校門を出て、私たちは並んで歩いた。
もうとっくに日は暮れている。
学校の周辺は住宅街だ。道路の外灯と、住宅の門柱灯の中を、歩いた。
開登は、無口だった。この前ファミレスで話した時とは違う雰囲気。
寒さのせいかもしれない。
私の左側を歩く開登を見る。すぐそこに、手袋をした開登の右手があった。
手袋をした左手を少し、開登の方へ伸ばしてみた。
開登の右手に、私の左手がぶつかった。
開登が私を見た。
私は開登から目を逸らす。
開登がまた前を向く。
少しして、もう一回。開登に手を伸ばしてみた。
ぶつかった。
また、開登の手に私の手がぶつかった。
開登がまた私を見る。
今度は、私も開登の顔を見た。
「なんだよ」
開登が言った。
「ううん、なんでも」
そう返す。
すると。
開登が私の手を握った。握って、くれた。
そのまま、開登と手を繋いで、歩いた。
二人とも手袋はしたまま。だから、開登の体温を直に感じることはできない。
でも……十分だ。手袋越しでもいい。
これで、十分だ。
そう思った。

神社に着いた。
石段を登って、鳥居をくぐって、石畳を歩く。
あたりはもう真っ暗だ。
隣りのマンションの明かりのおかげでかろうじて境内の様子がわかった。
まずは……お参り。
手袋を取って、頭を下げて、パンパンと手を打つ。
鈴は鳴らさない。お賽銭も。
私に続いて、開登も同じように手袋を取って、頭を下げて、手を打った。
開登の手を打つ音が大きく響いた。
「で、なんだ? 話って」
私に向き直って、開登が言った。
私も開登に向き合う。一度、目をつぶって深呼吸する。
「開登、私のこと、どう思ってる?」
開登は表情を変えない。
私の質問は、きっと想定内。
「私は……開登のこと、好き」
言ってみた。
「正直に言う」
開登が真剣な顔で話し始めた。
「窓花とはまだ二、三回しか話してないし、窓花のことはまだよくわからない。だから、今はまだ、好きとか嫌いとか、言えない」
「……うん」
私はうなずいた。その通りだ。
「でも……」
開登が続けた。
「窓花のこと、好きになる、予感はある」
私は顔を上げて、開登を見た。
うれしい……素直に、うれしい。
でも……今日私が話したかったのは、それだけじゃない。
「ありがとう……でもね、もし、もしもだよ」
開登の顔を見ながら、私は続ける。自分の頭の中を整理しながら。
「今、こうして二人がいる世界とは別にもう一つ同じような世界があって、その世界では、開登は私のことなんか全然好きじゃなくて、そもそもバレンタインの日に私のこと思いっきり振ってて、そ代わり、私の友だちの、優季、朝山優季と付き合ってる、て言ったら……信じる?」
「朝山優季? 誰だそれ?」
そうか。表の日の開登は、優季のことを知らないんだ。
「私と同じA組。バレンタインの日の部活前に、開登にチョコ渡したんじゃないかと思うけど……」
裏の日の優季はバレンタインの日に開登にチョコを渡してそれから開登と付き合ってる。
表の日の優季がチョコを渡した相手は、聞いてない。でも、たぶんそれも開登だ。
「ああ、そう言えばそんなこともあったな。そいつにはその時、付き合うことはできないってはっきりと言ってやったと思うけど……で、もう一つの世界っていうのは、映画とかにあるいわゆるパラレルワールド、ていうやつか?」
「パラレルワールド? う……うん、まあ、そういうことかな……」
開登は黙って空を見上げた。
しばらくして、開登が私に向き直った。
「正直、信じられない」
「そう……だよね」
そりゃ……そうだよね。やっぱり。
「他の世界にもう一人のオレがいるって言われても、自分じゃ全然自覚ねえし」
私も、もう一人の自分がいるなんて信じられないけど……
「もしそれが本当だとしても、こっちの世界はこっちの世界。あっちの世界はあっちの世界で勝手にやっててもらえばいいんじゃネ?」
そうかもしれないけど……
「それがね、私は、こっちの世界とあっちの世界を行ったり来たりしてるの」
「何でそんなことになるんだ?」
そう、そこだ。
「見て」
私は目の前あるお賽銭箱の右横にしゃがみこんだ。
開登も後から私の隣にしゃがみこむ。
「これ」
私はスマホを取り出してライトを点けた。
その明かりで石畳の間に挟まった10円玉を照らし出す。
「何だこれ?」
「10円玉」
「10円玉?」
「うん。私ね、バレンタインの前の日、ここで10円玉で占ったの。開登への告白がうまく行くかどうか」
「オレへの? 占い?」
「そう。10円玉を投げて、表が出たら成功、裏が出たら失敗、て。その結果が、これ」
私は10円玉を指さした。
「表でも裏でもない、ていうことか」
そう言って、開登は10円玉に手を伸ばした。
人差し指と親指で石畳の間に挟まった10円玉を摘まもうとする。
「これは簡単には取れそうもないな」
「そうなの。取れないの」
しばらく10円玉と格闘していた開登が立ち上がった。
「ま、心配すんな!」
「え?」
「オレはオレだ! 変わらねえ! だから、心配すんな!」
やっぱり……開登は信じてくれてない。
「そろそろ帰ろうぜ! いつまでもこんなとこにいると風邪ひくぞ」
「う……うん」
仕方なく、私も立ち上がった。
「そのことは、また明日話そうぜ」
明日……明日は、2月23日。金曜日だけど、祝日で学校は休みだ。
「明日はまた午前部活だから、昼から……」
「明日はだめ!」
私の声が大きくなってた。
明日はだめ。明日は……裏の日。
「明後日はまた練習試合で、今度は南高まで行くからな……帰りはまた夕方だろうし……じゃ、その次の25日の日曜なら……」
「日曜もだめ!」
25日の日曜も裏の日だ。
「24日の、土曜日に会いたい」
「だから、練習試合だって」
「お願い……土曜に、会いたい」
うつむきながら、そう言った。真っ直ぐに開登の顔を見ることができなかった。
「わかった。じゃ、土曜な。そんなに時間ないけど、終わって駅着いたらまた連絡するから」
「……うん、ありがと」
私たちはそのまま駅に向かった。
私はずっと、下を向いてた。
開登は困った顔をして、それでもずっと、私の横にいてくれた。