2月14日 水曜日

放課後。
開登君には、部活、バスケ部の練習があった。
バスケ部の部室は体育館に隣接した運動部の部室棟の中にある。
校舎とは少し離れている。
私は部室棟の出入口の前で、開登君を待った。
手作りのチョコレートケーキが入った紙袋を抱えて。
とっくに日は落ちていた。空は真っ暗だ。
部室棟の出入口には明かりが灯っていたけど、周囲は、暗い。
校舎の明かりもすっかり消えている。
唯一、四階にある職員室の窓だけまだ明るかった。
寒さは、感じなかった。
首に巻いたマフラーと手袋のおかげ、だけじゃなくて。
私の頬っぺただけが、冷えた空気を感じていた。
優季のことを思った。
優季は、授業が終わるとすぐ、部活に行く前の「本命」を捕まえてチョコを渡すと言って、教室を出て行った。
私は教室で優季を待った。
しばらくして、優季が教室に戻って来た。
「失敗! だめだった!」
優季が笑顔で言った。
「え? 渡せなかったの?」
「ううん、チョコは受け取ってくれたけど、私と付き合うことはできないって、そう言われた」
「そ……そうなんだ」
「LINEも電話番号も教えてもらえなかった。神社の占い通り!」
優季は……強い。こんな時でも、笑ってられる。
私には、とてもできない。
でも……きっと優季も、心の中では……
それを表情に出さない。私に見せない。
やっぱり、優季は強い。
「窓花は部活終わり狙いだったね。がんばってね! 私、先に帰ってるから」
そう言って、優季はまた教室を出て行った。
優季は……優季は大丈夫だろうか……ちょっと心配だ。
でも今は……自分のことだ。

部室棟から男子の集団が出て来た。
その中に開登君は……いない。
きっと3年生だ。
部室を出るのも先輩から、ていうことだろう。
私のことを横目で見て、そのまま通り過ぎる。
しばらくしてまた、五、六人の男子が出て来た。
いた! 開登君だ!
一番後ろ。背が高いからすぐにわかる。
息を吸い込む。ぎゅっと一回、目をつぶる。
勇気を出せ、窓花。
目を開けて、後ろから駆け寄る。
「藤村君!」
呼びとめる。
まだ一度も話したこともない。やっぱり最初は、「藤村君」だ。
開登君が私を振り向く。
「これ、受け取ってください!」
両手で持った紙袋を突き出す。
「ヒュ~」
「また開登かよ」
「しょうがねえだろ、実力差だ」
一緒にいた男子たちの声が聞こえた。
私はまた目を閉じた。もう、倒れそうだ。
紙袋を持っていたはずの両手が軽くなった。
目を開けた。
目の前に、紙袋を持った開登君がいた。
「サンキュー、もらっとくよ」
開登君が言った。
「あ、ありがとうございます!」
それだけ言って、私は駆け出していた。
校門とは反対の方向に。
限界だった。精一杯だった。
もうそれ以上、そこにいることなんてできかった。

気が付くと、真っ暗な教室棟の前にいた。思いっきり息が切れてた。
また深呼吸した。
呼吸が落ち着くと、ようやく状況が理解できてきた。
受け取ってくれた。開登君が、受け取ってくれた。
私が作ったチョコケーキを、受け取ってくれた。
ほっとした。いやそれより、うれしい。ただ、うれしい。
「誰だ~、早く帰れ~。校門閉めるぞ~」
遠くから声がした。見回りの先生だ。
「は~い、帰りま~す」
声のした方に向かって答えた。
私は急ぎ足で、校門に向かった。
まだ息が切れてた。たぶんそれは、走ったせいじゃなくて。

その夜。
私は自分の部屋にいた。
勉強してた、わけじゃない。勉強なんて、とても手につかない。
開登君に手渡した紙袋の中身を思った。
チョコレートケーキ。
丸い型でスポンジケーキを焼いた。直径は15センチ。大きすぎても持ち運びしづらいし、可愛くない。
それを湯煎して溶かした板チョコでコーティングした。
その上に、チューブのホワイトチョコで線を描いた。縦線と横線、左右対称の半円。
バスケットのボールの表面にあるのと同じように。
バスケットのボールのつもりだ。
中央に「TO KAITO」て文字を入れた。
「I LOVE KAITO」って書きたかったけど、そこまでは。
紙の箱に入れて、リボンをして、その上にメッセージカードを置いた。
「2年A組の春日部窓花といいます。よかったら連絡ください」
そして、スマホの電話番号とLINEのID。
それだけ書いた。
ベッドに寝転んで、枕元の時計を見た。
9時45分。
食べてくれただろうか。
「また開登かよ」
誰かが言ってたのを思い出す。きっと他にもチョコを渡した人がいるんだ。
競争率、高そう。私は後回しだろうか。電話番号なんか書いて、引かれちゃっただろうか。
それとも、そもそも私のことなんか……
「テロリン」
枕元に置いてあったスマホが鳴った。LINEの着信音だ。
飛び起きてスマホを手に取る。
LINEを開く。
『KAITOに友達追加されました』のメッセージ。
KAITO……開登君?
続けてすぐメッセージが入った。
『藤村開登だけど』
『チョコケーキ、サンキュー』
「うわ!」
声を上げていた。開登君が、連絡をくれた。
私を友達に追加してくれた。
どうしよう、どうしよう。
まずは……返事だ。
『どういたしまして』
それだけ打った。
すぐに『既読』になった。
見てくれてる。開登君が見てくれてる。
開登君と今、つながってる。
『よくできてた。作るのたいへんだったんじゃね?』
続けてメッセージが入る。
たいへんだったけど……そんなことより。
『食べてくれた?』
そう打った。
『食べさせてもらった。美味かった』
他の人のチョコより……いや、そんなこと訊けない。
『ありがとう』
少し間があった。
『今電話してもいいかな?』
え……え⁉ いきなり電話⁉
だめ……なんて選択肢ない。
でも……
深呼吸した。
「落ち着け!」
自分に言いきかせた。
『いいよ』
そう打った。
いきなり。
スマホから電話の呼び出し音。
もう一回、深呼吸した。
応答をタップする。
「はい、春日部です」
「藤村だけど」
声がした。開登君の声だ。
「悪かったかな? 今、大丈夫?」
開登君が続ける。
「う……うん、大丈夫」
「今日は、サンキュ」
「い……いえ」
しばらくの沈黙。
何を話したらいいのかわからない。
「あのさ」
またいきなり開登君の声。
「今度一度、会って話さねえか?」
会って……話す?
「オレ、春日部……さん?、のこと、よく知らねえし」
それは……そうだ。
「今日はもうこんな時間だし。電話でもなんだし」
「は……はい」
はい、としか、言えない。
「次の日曜とか」
「は……はい」
やっぱり、はいとしか言えない。
「土曜は練習試合で北高まで行くから帰りは夕方になると思うんで。日曜も午前中は部活なんだけど、昼からどうかな?」
文芸部が土日に活動することはまずない。
だから、土日に学校へ行くことはない。
逆に、土日はほとんど空いてる。
「だ……大丈夫です」
「そっか。じゃ、悪いけど、学校まで出て来てくれるかな? 駅でもいいや。いっしょに昼飯でも食いながら」
「は……はい」
「よし! じゃ、よろしくな!」
「は……はい」
「じゃ、オレもう寝るから。またな!」
「はい……おやすみ……なさい」
電話が切れた。
何か……信じられない。
少しの間、放心状態。
じわじわと、喜びが込み上げて来る。そして。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
私は声を上げていた。